2009/12/08
神奈川県、日額制に
■先月末は本会議があって、うっかりしていたが行政委員の報酬について神奈川県がそのほとんどを日額制に改める条例改正案を出すことになった■今日、総務課長からそう聞かされて、やっぱりなぁと思った■神奈川県は深刻な財政危機にある。他人事と思っていたら世田谷区も税収不足が来年度140億円ということで、実はパニック状態にある。9月の本会議では見通しとして70億円の不足だった。3か月で2倍に膨らんだ■さらに経済はデフレ・スパイラルにある。加えて新政権以降のコストなのかもしれないが経済政策も定まらない■大きな問題は分権以前なので国の判断によるところが大きいが、地方自治の首長の決断によって変えられる部分もまだまだあるということ。神奈川県知事の英断を評したい。
2009/12/07
国家の誕生
■NHKで「坂の上の雲」が始まった。本作品は司馬遼太郎氏の遺言で映像化は不可ということだったが遺族の了解を経てようやくテレビドラマ化に至ったという■軍人なり軍隊は最も“見栄えのする”領域である。司馬氏はその映像による“拡大する印象”を警戒したのだろう■それはさておき、初回の冒頭、「まことに小さな国が・・・」というナレーションで始まり「明治維新によって日本人は初めて近代的な国家というものを持った。誰もが国民になった」と続くが、この近代国家の誕生こそが・・・税金の発生であり、私有地(所有権)の発生である(他にもいっぱいあるが)■物語は日露戦争というとてつもない費用(戦費)のかかる大事業に向かっていく。その財政的な側面については触れていない。しかしすべての出来事は税金の発生によって実現されていく■手元にある文庫本は社会人になりたての頃に読んだもので四半世紀以上たっている。改めて眺めてみると全く違う観点から疑問はつきない。
2009/12/06
ウェディングケーキと政治
●売買契約は品物とお金の交換である。品物を用意したのにお金を支払わない場合、一方的に訴えられる。当たり前の話である。しかし民法には例外がある。それが「定期行為」というものだ●よく例にあげられるのは(実際にはあんまりないのだろうが)ウェディングケーキが結婚式に遅れた場合である。仮に10分でも、結婚式が終了した後では用をなさない●この場合、立派なケーキを持ってこられても代金の支払いを拒否できる●世の中、滅多に10分の遅れで支払いを拒否できるものはない。デパートで買い物してもそれくらい待たされることはある。たとえ何かの事情で1日遅れたって我慢の範囲であろう●しかしウェディングケーキのように決められた期日と時間までに(まさに定期)品物が届いてなければ、全く無価値になってしまうものがある●政治もそうである。間に合わなければほとんど意味をなさなくなってしまうことがある。あるどころか政治はすべてと言ってよい●残念ながら国民は政治の「定期行為」には税金の支払いを拒否できない。
2009/12/05
次なる「重大な決意」
●すでに新聞は日米関係の悪化を伝えている。民主寄りと言われる朝日新聞でも「結論の先送りは、日米合意の早期履行を迫る米国、普天間の早期の危険性除去を求める沖縄のいずれの期待も裏切った。首相のやる気が疑われ、日米合意の白紙撤回とうけとられかねない。政権内には手詰まり感が漂っている。」(5日朝刊2面)さらに日米のやりとりを読売はリアルに報じている(左参照)●「鳩山政権の不誠実な対応がオバマ大統領の顔にどれほど泥を塗ったか」と言ったのは駐日米国大使。すごいこと言う。言われたのは日本の外相と防衛相。それも昨日のこと。さらに米国政府で「もう、首相を信用している人はだれもいない」だって●これって最悪の関係だろう。コトは交渉事である。外国(米国)との交渉事と国内(沖縄県)での交渉を同列で論じることはできない。(同列なら沖縄は独立国ということになる)ましてや国会の“固定した数”の論理で外交・安保を判断するというのは間違った民主主義である(県外と主張しているのは社民と国民新党および共産党くらいで、参院の国会勢力の1割程度。しかも「県外」の実現性のある対案は無い。これでは単に「出て行け!」ということか?)●つまり社民の主張は国会の中では圧倒的に少数にすぎないのに、連立ということで、その主張がまかり通ってしまうというのは、政府として民意を取り違えている●朝日は編集委員の星浩氏が5日の朝刊で「首相の12月危機」というコラムを掲載して鳩山政権を冷ややかに見始めている●年内見送りはあくまで日本政府の都合である。逆に年内に相手がどう出てくるかはわからない。今後、オバマ大統領の「重大な決意」があるかもしれない。時あたかも、もうすぐ12月8日である。(関係ないか)
※国の予算は決まらない、税制はまとまらない、地方負担はあいまいと地方自治を取り巻く環境は困り切っている。おまけに経済政策はバラバラで現実に区の生活保護世帯が急増して都の平均を上回っている。かつてない緊急事態である。にもかかわらず、政権の判断はモタモタしている。「生活が第一」のためには、やはり国がしっかりしなくてはどうにもならないことを今まさに実証している。だから外交・安保で国政選挙は選ばないとダメなのである。生活に直結する手当の話を大きくして国政選挙をするのは、やはり禁じ手なのである。何度も書くけど、地方自治のテーマで国政選挙を戦えば、国政のテーマで戦っている政党より身近に感じられることはあったり前なのある。まあそれが最大の勝因とは言わないが。
※国の予算は決まらない、税制はまとまらない、地方負担はあいまいと地方自治を取り巻く環境は困り切っている。おまけに経済政策はバラバラで現実に区の生活保護世帯が急増して都の平均を上回っている。かつてない緊急事態である。にもかかわらず、政権の判断はモタモタしている。「生活が第一」のためには、やはり国がしっかりしなくてはどうにもならないことを今まさに実証している。だから外交・安保で国政選挙は選ばないとダメなのである。生活に直結する手当の話を大きくして国政選挙をするのは、やはり禁じ手なのである。何度も書くけど、地方自治のテーマで国政選挙を戦えば、国政のテーマで戦っている政党より身近に感じられることはあったり前なのある。まあそれが最大の勝因とは言わないが。
2009/12/03
2009/12/01
政権のDNA
●怖い話である(11月28日毎日新聞「近聞遠見」)●今から四十年近く昔のこととは言え、今はなき社会党のスター政治家が、政権の中枢にいた田中角栄大臣から、何と大臣室で現金を受け取っていたという話だ●こう書くとナマナマしいが、その手際の良さがいかにも“角さん”らしいと書かれては、まるで世話物を見せられているようだ●「カネはあって邪魔にならんよ」その一言で受け取ってしまった。額は百万円。現在にすれば五百万くらいになるだろうか●スター政治家のフトコロ事情には触れていないが、常識的にみてかなり苦しかったのではなかろうか●そうでなくては、いくら昔の時代感覚といっても「邪魔にならない」という理由だけで貰うだろうか●結局この話は、田中角栄という不世出の金権政治家の「人の弱みにつけ込んで」政治を動かすテクニックの一端を示している●もっとも「つけ込んで」いることを、感じさせないのが神業であろうが●その後スター政治家は反戦平和で名を馳せたが、金権政治にはジャーナリスト出身議員としては触れなかった●発信力のあるテレビ出身議員への“口止め料”とすれば田中角栄氏にとっては“安かった”のかも知れない●そして現在、その角栄氏の“愛弟子”が政治の中心にいる。さすがに金権政治は御法度の時代である。しかしながら、新人議員には“落選の恐怖”を、中堅議員には“政権ポスト”をチラつかせながら統率するのは、有権者からは気分の良いことではない。ましてや議員立法や質問を制約したり、請願の紹介を自粛させたりと、選挙に勝ったらまるでやりたい放題の観がある●それもこれも選挙大勝の原動力が小沢一郎氏だったからであるが、彼の選挙手法は何か。見るところ、“師匠”と同じコトを国民相手にしようとした、としか思えない●大臣室で国会議員に現金を渡すのは金権政治そのものである。しかし選挙を通じて国民に現金を渡す公約を掲げるのは何?政治というのだろうか●子ども手当、農家の戸別所得補償、高速道路無料化。困っている人からすれば喉から手が出るほど、であろうし、余裕のある人でさえ「カネはあって邪魔にならんよ」ということであろう。そのことからすれば「コンクリートのバラマキから人へのバラマキ」というのは至言である●さらに国政問題を地方自治の問題に置き替えた選挙戦略は、有権者の生活実感に沿ったものでわかりやすかった、反面、本来の国政のテーマである経済・外交・安全保障の問題を有権者の視界から遮ったのも事実である●要するに地方政治のテーマを国政選挙でやって大勝したということである●大勝した結果、何事か大きな改革をやるには一党独裁的な、つまり昔の「一致団結箱弁当」のような体制がやりやすいと考えるのはあまりにも短絡的である。改革を仮に終えても独裁体制は残り続けるのが歴史の通例である。それどころか改革ができない理由を隠すためにモンスター化することのほうが多い●だから独裁は悪であり、独裁体制への方向は許してはならない。かと言って自民党がああではね。まことに怖い話である。
2009/11/30
2009/11/22
この大事な時に
●11月6日の参議院予算委員会で、前厚相の舛添氏が長妻厚労大臣に、インフルエンザワクチンの容器について質問していた●実はその容器が大問題となっている●ワクチンは一度容器を開けると24時間以内に使わないとダメになる●長妻厚労大臣の主張は通常は一人分づつを容器に詰めるが、そうなると作業に時間がかかる。まとめて何十人分を大型容器に詰めて出荷したほうが時間がかからない、早くできる●舛添参院議員は街の個人病院で集団接種でもないのに何十人分もの大型容器に入ったワクチンは使い切れない、残りは廃棄することになりムダになる、と主張、私だったらこんなことは許可しないとまで言った●それから2週間たってNHK番組の『特報首都圏』で、まさに舛添参院議員の言うとおりで、医療現場ではかなり使い勝手も含めて混乱しているとのことである●まあ、感じとすればヤクルトの1リットルボトルみたいなもので、使えないし買わない(だから売っていない)●大臣のもとには早く医療現場に届けてくれ、全国各地から悲鳴にも近い要望が殺到していたのだろうが、11月6日の時点で舛添氏から的確な指摘を受けていたのだから、大臣の判断ミスだろう●11月19日の毎日新聞「二転三転ワクチン騒動」ではこう伝えている「長妻昭厚労相は6日の参院予算委員会で『10ミリリットルの容器で出荷すれば、梱包とか手間が省けて製造量を増やせる』と述べ、より多くの人が早い時期に効率よく接種できるとの見解を披露した。『1ミリリットルでは2回分を注射すれば容器は廃棄処分』などとリサイクル環境問題に論点をそらしたかと思えば『製造会社の1社が1ミリリットル容器で作るとすると季節性インフルのワクチン製造を中止しなければいけないという話なので、ぎりぎりの判断をした』支離滅裂である。」●毎日新聞は厚労相の判断を支離滅裂とまで断じている。結果がこうだけに否定もできないだろうが●さらに毎日新聞は22日の朝刊で“強権「一匹オオカミ」”と見出しを打ち、完全に批判キャンペーンを張っている●その記事は以下のように結ばれている「自ら壁を築く長妻氏を厚労省幹部は『少しでも官僚に妥協するとオレは終わりだと、針のよろいを着ている』と言う。省内に『長妻派』と呼べる職員はいない。『一匹オオカミ』の長妻氏には、党内にも足場はない。当初は頻繁に開かれていた、副厚労相、政務官との政務三役会もめっきり減っている」●嫌われている官僚の発言は別としても、政務三役会や党内でも浮いているというのは尋常ではない●現在、日本が直面している感染症対策の最前線は大丈夫なのだろうか。一丸となり得ていない厚労省。
2009/11/19
2009/11/18
いつか来た道?まさかね
●マスコミ効果抜群の「事業仕分け」。国会議員の活躍も正義の味方のように一刀両断で小気味よい●しかし政治の分野でそんなヒーロー・ヒロインのような態度がとれるものだろうか●昨日の時事通信では財務省の役人が作った「極秘マニュアル」なるものが配られていたことが報じられている●これを見れば何も知らない国会議員でも短時間で問題点を突ける、とのことである●真偽のほどはわからないが、何やら焦臭い雰囲気である。当然ある程度の情報提供は財務省主計局からあるとしても、仕分け人が、マニュアル通りにやっていたとしたら大問題である●最初から違和感があったのは、ああもバッサリ切れるものだろうか、という点である。しかも自信に満ちて●こういうことは、事実ならそのうちバレるものである。もちろんそうなったら政治主導どころではない大スキャンダルとしてマスコミは扱うのだろう●まあ、国政素人の勝手な推測だが、政府にも入れない、国会質問もできない、議員提案も禁止されて、活躍の場を与えられない中堅議員のあせりにつけ込んで、舞台とシナリオを用意しますよ、って財務省が近づいてきたのでは、と。これって例の偽メール事件の構図と酷似(もちろん財務省が偽情報を提供したのではないが、民主党の根幹である政治主導に反する情報提供を行ったという意味で)●そもそも最初に違和感を覚えたのは、仕分け人の国会議員が事前に対象となっている、いくつもの事業現場を見たいはずだと思ったのだが、それよりも見に行ったのは地方自治体でやっている「事業仕分け」の現場●いかにも、シナリオは覚えた、あとはこうやればいいんだ、それを学習しに来ているように思えたからである●とは言え、本来なら財務省の役人がやるべきことをタレント性十分の国会議員がやったことで世に知らしめた効果は画期的である。国民的には良かったの一言である●あとは(あるとすれば)民主党の中の問題ということか。
2009/11/16
政権崩壊?
●今朝の朝日を読んでびっくりした。政権批判というより個人能力批判だ●標的は官房長官。「機能不全」「役割が果たせていない」まるで無能宣告に等しい●新政権に好意的な朝日がここまで書くのだから、あら探しの類ではない。官房長官の無能は即、鳩山内閣に直結する●かつての安倍内閣の時も、内閣の機能不全からお友達内閣とか揶揄されながら崩壊していった●それでもなお自民党政権が1年ごとにバトンタッチしていったように民主党も総理の顔を替えながら任期いっぱい続けるのだろうか●ただ感じるのは無能な先輩の下に続く中堅若手の中には、今の状況を必ずしもよしとしない有能な人たちがいるのではなかろうか。そういうかすかな期待もなくはない●政治もほかと同じで場数を踏まないことには、というところがある。
2009/11/15
区内の“八ッ場ダム状態”
●世田谷区役所周辺にある、世田谷税務署(築44年・財務省)、法務局世田谷出張所(築31年・法務省)、世田谷都税事務所(築39年・都)の3つを合同庁舎にしようという計画があった●2007年6月に財務省の国有財産の有効活用を検討する有識者会議で、まず税務署(財務省)と出張所(法務省)を現在の税務署の敷地に一体化して出張所の跡地を売却する方向が決まった●これに合わせて税務署に隣接する東京都も都税事務所を一緒にすることで維持コスト削減が図れるということで話がまとまっていった●これは地図で位置関係を把握しなければ全くわからないので左参照●ややこしいのは現在の都税事務所ビルの中に過去の権利関係の為か世田谷保健福祉センター分室があることや、また法務局の敷地の中に世田谷図書館があることから、これらの3つの合同庁舎建設については世田谷区も巻き込まれるということである●結論からすれば出来る合同庁舎の中に世田谷保健福祉センター分室および世田谷図書館が入居するということになった●それで国、都、区の協定書がまとまったのが今年の7月2日。総事業費は49億8千万。区の負担分は8億5千万。平成24年度完成オープンというところまで決定して9月の委員会で報告があった。区とすれば国の方針に“便乗”するというカタチだった●ところが11月13日の委員会報告ではこの計画はなくなりました、とのこと●もちろん政権交代による民主党のマニフェストの“効力”らしい●無駄な事業だったのだろうか。世田谷図書館は現在のスペースが倍になる予定だったのだが●すでに地元説明会は行っているのだが・・・●とにかくダメになったという関東地方整備局の通知一枚でそれ以上の情報はゼロである●とはいえ、果たしてこのまま3つの建物を別々に建て替えることが合理的とも思えないのだが●また復活するのだろうか。そういうこともわからないのが現状である●しかしあらためて地図を見直してみると、世田谷区民が多く利用する施設であれば国だとか都だとかということではなく、世田谷区が主導・調整するのが合理的と考えられるのだが。
2009/11/14
重要なことは夫が決める・・・
●テレビ等で盛んに報じられている行政刷新会議の事業仕分けを見ていて、昔、会派で話題になった小話を思い出した●「重要なことは夫が決める。重要でないことは妻が決める。しかし何が重要で何が重要でないかは妻が決める」●夫を国会議員等の仕分け人に、妻を財務省の役人に置き換えるとわかりやすい●概算要求は95兆円もありそれを3兆円カットするにしては一日の“成果”が500億円程度では、先は見えている●となれば、これって、そもそも仕分けの対象を選んだのは誰?ってことになる。当然財務省主計局である●財務省の決めた範囲で国会議員が、誠に失礼ながら、ココ掘れワンワンとばかりに仕事をさせられている、ようなものである(もちろん無意味とは思わないけど会計検査院などをもっと活用するか、権限を強化する法案を作るのが国会議員の仕事ではないかと思うのだけど)●本来、95兆円全体から見直す、ここから入らなくては国の事業仕分けには値しない●さて今朝の日経コラム「大機小機」では政権評価の基準を国債発行額で示している●44兆円が合否ラインということ。もちろん他人事ではない。これ以上の発行額になれば金利上昇となり国民生活は一変する●民主党はマニフェストの事業仕分けこそが急がれるのではなかろうか。
医療資源の問題
●国立感染症研究所のHPにも記載されているが、医療をめぐる今日的課題は医療資源の需要と供給のバランスが急激に崩れつつあることにある。
●問題(危機)の本質はこれである。実はパンデミックに限らない。HPでは季節性のインフルエンザでは大丈夫のように書いてあるが、要は病院に駆け込む人が一定以上増えれば医療システムは破綻するのであり、パンデミックの直前に季節性の患者があふれていたら破綻はより早まるということになる●とにかくパンデミックが来るという前提に立つならば、どんな手を使っても病院を込まないようにしておくべきであろう●つまり問題解決のアプローチはいかにして現在ある医療資源を効率よく国民の健康のために活用できるかという視点である。その下に財源配分の問題が来るのであり、例の後期高齢者医療制度の国の政策の失敗は、最初に財源配分があって、それに医療資源を合わせるようなことをしたからだと思う●簡単に言えば、医療資源を最大限活用して医療費を抑えるのが正しい政策であり、医療費をまず削減して医療資源の活動を抑えるというのは事務屋官僚の典型的なやり口ではなかったろうか。
「パンデミックインフルエンザでは、膨大な患者数の発生し、また医療従事者も罹患することから、医療機関の許容量を超えてしまい、医療システムそのものが破綻することが起こりえます。」
●問題(危機)の本質はこれである。実はパンデミックに限らない。HPでは季節性のインフルエンザでは大丈夫のように書いてあるが、要は病院に駆け込む人が一定以上増えれば医療システムは破綻するのであり、パンデミックの直前に季節性の患者があふれていたら破綻はより早まるということになる●とにかくパンデミックが来るという前提に立つならば、どんな手を使っても病院を込まないようにしておくべきであろう●つまり問題解決のアプローチはいかにして現在ある医療資源を効率よく国民の健康のために活用できるかという視点である。その下に財源配分の問題が来るのであり、例の後期高齢者医療制度の国の政策の失敗は、最初に財源配分があって、それに医療資源を合わせるようなことをしたからだと思う●簡単に言えば、医療資源を最大限活用して医療費を抑えるのが正しい政策であり、医療費をまず削減して医療資源の活動を抑えるというのは事務屋官僚の典型的なやり口ではなかったろうか。
2009/11/13
国の予防スタンス
●季節性のインフルエンザ(つまり新型インフルと区別して例年流行るインフルエンザのこと)での国内死亡者数は2000年以降でも2000年1万3千人、2003年1万1千人、2005年1万5千人と年によってバラツキがあるものの、驚くべき数である●しかもこれらの死亡者の8割以上が65歳以上の高齢者であるという●一方で、OECDの報告によれば日本は先進国20のうち65歳以上の季節性インフルエンザワクチンの接種率は17位(2003年)であり、その問題性が指摘されている●つまり65歳以上の高齢者に季節性のインフルエンザのワクチン接種を高めれば、死亡者数を抑えられるのではないかということである●しかし季節性のインフルエンザは任意接種であり、自治体の一部補助があっても全員に全額補助ということではない。(若干の例外を除いて)そういうこともあって日本の65歳以上のワクチン接種率は43%という低さであり、トップのオランダ79%、英国76%、フランス67%、米国66%と比べても格段の差である(2003年)●もちろん死亡者数が2001年、2002年はそれぞれ200人台、300人台と季節性インフルエンザの猛威も下火の時もあるのでワクチン効果との関連性が認められない年もある●しかし予防という観点から考えればワクチン接種しか手段はない●にもかかわらず最大の疑問点は、年によっては1万人以上の死亡者が出る季節性インフルエンザに対して国の対策は、弱すぎるのではないか、ということである●もっとハッキリ言えば、65歳以上の死亡数が8割を占めるという季節性インフルエンザに対して国がワクチン接種を進めようとしないのは、そうなっても(死亡しても)構いませんよ、任意ですからね、と突き放しているようにも見える。さらには65歳というのは前期高齢者であり、年金世代の始まりでもある●要するに年金を支払う側から、支払われる側になった途端、国は予防接種の安全網を切ってしまったような感じである●国のワクチン対策の基本的なスタンスはどうなっているのだろうか。どうみても季節性のインフルエンザに対してワクチン政策を変えれば1万人を超える死亡者はもっと抑えられると思うのだが。
●というのも、今般の新型インフルに対するワクチン接種に対しても、地方自治体レベルではさかんに季節性インフルエンザの例にならう、という方針が或る意味絶対視されているからである。そもそも、その季節性インフルエンザへの対処というものが正しいのか、という所が素朴な疑問なのである。
●というのも、今般の新型インフルに対するワクチン接種に対しても、地方自治体レベルではさかんに季節性インフルエンザの例にならう、という方針が或る意味絶対視されているからである。そもそも、その季節性インフルエンザへの対処というものが正しいのか、という所が素朴な疑問なのである。
2009/11/12
インフル問題の本質
●新型インフルエンザ問題の本質は、急激に医療需要が増大することにある。さらに強毒性の鳥インフルエンザの場合はもっとひどい爆発的増大ということである●要するに病院がいっぱいで治療も受けらない状態が起こり得るということである●だからこの問題は個人的な問題ではなく社会的な問題として捉える必要がある。つまり個人的に感染しないとか、感染しても重症化しないということは、個人の問題にとどまらず、社会全体に与える影響が極めて大きいということである。決して個人レベルでの軽くて良かった、ということではない●にも関わらず、国は今回の新型インフルワクチンは季節性のインフルと同じくらいとし、しかもワクチンの目的が感染防止ではなく、罹っても重症化を防ぐことだとしている。これは何を言っているのかわからない。それどころかもたもたしている●理由は簡単である。予防接種法を単に引用しているだけだからである。(予防接種法二条の3 個人の発病又はその重症化を防止し、併せてこれによりそのまん延の予防に資することを目的として、この法律の定めるところにより予防接種を行う疾病は、インフルエンザとする。 )●ちなみに予防接種法とは昭和23年に出来た法律である。その後何度か改正されたとはいえ、少なくとも現在の医師不足とか医療崩壊とかの現状を踏まえた法律ではない●官僚・役人は法律に忠実である。それはそれで大切なことではあるが、医療不足に対する医療需要の増大という今日的な現状を無視して大昔の大系の予防接種法に向き合っているのではないだろうか●国民の安全、特にまん延率が高い都市部での合理的な対応というものを考えるべきである●感染症対策のプロに任せるべきだろうと思う。誰に任せるか。それこそが厚労大臣の政治主導であろう。現状では何度も繰り返すが法文解釈の整合性だけでインフル対策をやっているのではないかと思えてならない●早くすべきである。まだ最悪期は始まっていないのだから。これは政治ではなく一義的に医学の問題である。
長妻ハムレット
●安全には確実性を重視する場合と、スピードを重視する場合と2つあると思う●本来ならクスリというものは確実性重視で開発や認可というものはスピードを犠牲にしてでも“確かなクスリ”を使えるようにすべきである●しかし世の中には一刻も早くという場合がある。感染症の拡大や重症化が予想される時である。しかもワクチンが足りないという条件下では、ベストよりベターであろう●ところが、このことに“長妻ハムレット大臣”は気がついてない●繊細に悩む姿は人間味あふれるとして人気があったとしても、大臣の判断が揺れることでワクチン接種の現場は混乱している(つまり大迷惑しているということ)と同時にベターの水準が低下しているのである●ひょっとして関ヶ原に遅れた秀忠卿に似ているのかなあと思ったりするが・・・●世田谷区議会では明日、インフルエンザワクチンに関して臨時区議会が開かれる。23区でも先行してインフルエンザ対策には力を入れているつもりである。
2009/11/11
財政再建への道
●官僚依存の政治を批判することで、誕生した新政権。“税金の無駄遣い”をなくして財源にするというのも何やら尻すぼみのようである。そもそも官僚依存の何を批判したのか、というとかなり怪しい●官僚(役人も含む)の特性は、公平・公正に政策を立案し、執行することにある●実は“税金の無駄遣い”というのはその公平・公正な執行に潜む問題である●故に、官僚の示す公平・公正な論理に疑問を持てない政治家は、“税金の無駄遣い”には切り込めない●新幹線から空港、ダム、美術館等々、なんでこんなに同じものが作られるのか●国体と甲子園を考えれば、必ずしも一つの県(場所)だけで開催することが公平・公正とは言えなくとも、問題がないことがわかる●要するに公平・公正の論理とは“国体方式”であり右肩上がりの経済に合わせてビルトインされた、価値観といえる●もちろん公平・公正は政策の基本であることには変わりない。問題はそこに潜む旧式の発想を払拭しなければ、官僚依存を批判したことにはならない●簡単に言えば官僚の論理を超えたアイデア(想像力)がなければ“税金の無駄遣い”には切り込めない(そこに議員としての日々苦心があるのだが)●本当は「官僚の論理」依存からの脱却なのである。そして処方箋は出ている。国の借金を減らすことである。
2009/11/08
2009/11/02
次の看板
●新政権最初の論戦である予算委委員会。ビデオで一通り見たが、どう見ても自民党の退潮だけが目につく●やはり自民党に野党は無理かもしれない●一方、政権側もすでに政策にほころびが見えている。マニフェスト至上主義が行き詰まりを見せていることは、自民が追及するまでもない(たけしのTVタックルでもやっている)●さらに「脱官僚依存」の看板が、邪魔でしょうがない、といった観もありありである●「政権交代」や「脱官僚依存」に替わる新たな“求心力”(大義名分)を探しているのではないか、そう感じた●歴史的に見れば新政権なるものが目指すのはたいてい“首都移転”である●首都直下地震、感染症パニックだけを見ても過密都市の欠点は明らかである●つまり理屈はいくらでも付けられる。さてどうなることやら。
2009/10/29
無理な解決方法
●先日の関門海峡での衝突事故。護衛艦のくらまがコンテナ船によってこんなにペシャンコになってしまうのかと、驚いた●日本の防衛(状況)について余りにも知らないのが現状ではなかろうか●新政権になって日米安保が揺れている●新政権が自民党政権のやってきたことを全部ひっくり返したい意気込みは理解できるとしても、こと外交・安保について、生活者の視点だけではどうにもならない●外交・安保の世界は、言わば“インテリ暴力団”の抗争のような世界であろう。ちょっとした失敗でもミサイルが飛んでくる●およそ地方自治ではあり得ないコトである●国政には地方自治の延長線上で解決できる問題と、全く異なる価値観でしか解決できない問題があることを再認識すべきだ。そこに新政権の弱点があるのだろうから。
2009/10/27
沈まぬ太陽
●先日、久々に封切り日に映画を見た。3時間22分。飽きずに見終わったが●登場人物を中心に見れば大きなストーリーの山があるわけではない。勧善懲悪の切れ味もない。爆発することのないエネルギーが蓄積されたまま最後まで続くという、言ってみれば不完全燃焼型の映画である●ただし日航機墜落のドキュメンタリー風の映像が全体を引っ張っている●視点は別の所にある。現在問題になっている日本航空である●その意味からすれば主人公は会社である。特殊会社とはいえ、売上げで成り立つ会社であるにもかかわらず、その会社員や取締役が、経営という尺度で判断しない、行動しない、そういうゴタゴタ劇とも取れる●それが映画だけのことなのか、日本航空にも通じることなのか、はたまた日本郵政の明日を示しているのか。少なくとも政治に翻弄される会社というのはロクなことはない。
2009/10/26
自民党の眠り
●この日の民放トップニュースは薬物タレントの裁判だった。傍聴券に6千人の列とか。貧困、格差、経済不況等々の問題をさしおいて、興味本位のニュースに時間を浪費するテレビ局の姿勢には辟易するが●さて本日のトップではなかった新首相の演説●ビデオで見たが親近感を覚えた●それもそのはずである。民主党がとってきた戦略は一貫して地方政治を国政に持ち込み“料理”して見せることである。一つの理由は政治と生活が直結する部分で国民の関心を引きつけること。そしてもう一つは地方政治の分野以外では民主党は政策がバラバラだからである●つまり鳩山首相の演説はそのまま世田谷区議会でも違和感がない、ということである●日米関係がどうのとか、財政赤字がどうのとか、そんなことよりも身近な政治を語ることで掴んだ勝利である●もちろん大きな政治を掲げた自民党は為す術もなく大敗した●その縮図が国会である。首相の演説中、NHKのカメラは本会議場をくまなく映し出す。それが左である。首相演説が始まって10分ほどである●大きなマスクも何だかなあと思うが、その横で完全に居眠りしているように見えるのも、疲れ果てた凋落自民党を象徴している。少なくともこれでは民主党がダメなら自民党とは当分いかない。
火事
●日曜の朝、外が騒がしい。何やら叫んでいる。窓を開けると180m先の集合住宅の一角から煙と火柱が見えた●すでに消防車が多数かけつけて消火活動中●鎮火までに約2時間。火元の住人が怪我をした以外は人的被害はなかったらしい。ただし周辺の居室が浸水被害●素人目で見ていて放水の高さが火元の5階までなかなか届かない感じがした。また5階まで届くはしご車も到着まで時間を要した観もある●発災場所は道路付きはかなり良い。また消火活動の展開もしやすい場所である。が5階となるとけっこう大変●この災いを例にというわけではないが、主要道路から細い道に入った5階以上の建物は火災に要注意である●普通、人間は火災に遭遇することは、そうあることではない。だから想像しにくいかも知れないが、万が一のことを考えて消防署から自宅までの経路を点検すべきである。それにしても向寒の折、お見舞いと同情を禁じ得ない。
2009/10/22
25対25
●世田谷区議会で可否同数という事例は、戦後の混乱期を除いて、ない。現有議席51。議長を除く表決権を有するのは50。それが10月20日の議会で25対25の真っ二つに割れた(原因は左の記事参照。ただし勘違いで済むレベルではない)●中学校給食費会計決算の認定である●結果は議長が認定してしまったので例年通りに終わった●予算と異なり決算認定は直接区民生活に影響しない。仮に否決(不認定)となっても東京都にそういう報告をするだけである●じゃあ何のために決算審査をするのかと言えば、基本的には不正防止である。議会の目にさらすことで税金の勝手な使い方を許さないということである●加えて次年度の予算への参照意見を述べるという意味合いも含まれる●もちろんこの問題については決算委員会を通じて追及の矛先に立って、反対の論陣を張った。普通の区民感覚からすれば当然であろう●それにしても議会における賛否の一瞬というのは非情である。レントゲン写真のように議員の背景を投影させてしまう。時として思わぬ異変が明らかになることがある。
2009/10/13
同意
●行政委員会の長への出席要請が、今回の決算特別委員会で行 われた。監査委員以外では初の試みと言える●初めて、つまり前例がないということで、運営委員会では議論があった。自民がいくつかの懸念を示したが、とり あえずやってみましょう、ということで落ち着いた●そして昨日、文教領域で民主が質疑し、自民の懸念も杞憂に終わり、特段問題もなく終了した●それにして も、その質疑を見ていて思ったのは、イメージが随分と異なっていたことである●議会は行政委員会のメンバーや他の重要人事について、区長から同意(賛否)を求められる。それらは事実上“書類審査”のみで“働きぶり”を知る術がない●今回の委員会で、端無くも“働きぶり”をうかがわせる場面に遭遇し“書類審査”だけではもはや時代遅れではないかと感じた●恐らく日本全国の自治体で見たこともない人に同意する“慣習”が続いているのだろう。
2009/10/08
2009/10/05
地球温暖化&ブラタモリ
●先日、NHKのタモリ氏の番組を見ていたら、縄文前期、つまり約5千年前の関東は左のように、かなり海面が上昇しており、世田谷の東はほどんど海岸のようであったらしい●さいたま市に行くには埼京線ではなく舟で行くという感じである●5千年という時間をどうみるかであるが、やはり大自然の営みには勝てないなあ、というのが率直な感想である●海面が上昇するくらいだから当時の世田谷も暑かったのであろう。もちろん当時の人類の影響度は微々たるもので、少なくとも人類のせいで海面上昇が起きたのではない●地方自治に関わる身として、環境問題は重要なテーマである。視野に入るのは今後50年せいぜい100年後までのことでしかない。叡智を絞って、人間社会がしでかした温暖化ガスを削減するのは当然としても、地球の営みまでは変えられないと考えるとため息が出る。
2009/10/04
今必要なこと
●世田谷区の本庁舎問題の調査から、本庁舎としての災害対策機能が著しく不足していることがわかっている●ここで問題なのは、その災害対策機能を本庁舎の改築問題と絡めて考えるか、どうかである●つまり本庁舎の問題が解決するまで、この不足している機能を、そのままにしてしまって良いのか、ということである。災害はいつ来るかわからない。来るまでは“余計なお世話”という扱いになりがちだし、今日困っている人の対応を考えた方が議員としては頼もしい●もちろん、だから早く改築を、という意見もあるが、本庁舎の議論は“未来の世田谷”であり、地方自治すなわち住民自治をどうするかという議論なしには進まない状況にあるのも実情である●私たちの会派では、本庁舎の問題と切り離して、いくらかでも災害対策機能の不足分を早めに手を打つべきだと主張している●左の渋谷区は日本最大クラスの繁華街を抱えているとはいえ、鉄道会社の無償提供とも相まって進んでいる●ハッキリ言って、区民の皆さんが想像している以上に世田谷区の災害対策は遅れている。
注目の大阪高裁
●関西の情報は東京にあまり伝わらない。東京では東京の状況が日本の状況のように錯覚しがちである●特に自治体関係者はそうである。しかし全国の地方自治体は財政破綻と隣り合わせの所が大半。地方議会の中でも、このままでは行かない、と感じている議員も少なくない●その議員OBが放った一矢が今注目されている●“無駄遣い”の定義は実はむつかしい●もちろん不正は無駄遣い以前の問題で、なくすのは当たり前だが、不正とは言えない分野での“無駄遣い”を見つけるのがむつかしい●行政の制度は外からは見えにくい。しかも時間が経過すると本来の趣旨とは異なっても歴史的な重みだけで継続されていることが多い●そこに“無駄遣いの痕跡”は潜んでいる●無駄遣いは掘り下げていかなければ見つからない●左の裁判も議員たちの足元にあった問題である。誰もが掘り起こそうとしなかった●“無駄遣いの発見”は発掘調査のような仕事だ。
2009/10/02
決算委員会 ナゾの6日間
●区の職員のミスで1600万もの穴があき、それを勝手に区民の税金で穴埋めをして、良いのだろうか●すでに4月の段階で明らかになったことだが、1年間に渡り中学校給食費会計を1ヵ月ミスカウントして、それを上司の課長、部長が見逃していた事件である●しかも10月1日の決算委員会では、事件が発覚する前に監査委員が例月出納検査で、予告的注意を促していたにもかかわらずである。つまり外部から「大丈夫か」と再三注意があったのに、無視していたのである●さらに問題は、課長レベルで発覚したのが3月議会開催中の3月24日のこと。課長から部長に報告が届いたのは3月30日。6日もかかっている●ちょっとわからないかも知れないが、この6日間には重要な意味がある。それは議会終了日が3月27日だったということである。結果から見れば、6日間も掛かったために議会報告が間に合わなかったということである●議会開催中の報告と閉会中の報告では意味合いは天地ほどの差がある●そこで質問したのは、果たして1600万円もの税金を新たに流用する手続きを伴う事態に、課長から部長への報告に6日も要するか、という疑問である。もちろん結果は想定通り、あたふたとした釈明に終始した。とりあえず動画はこちら(総括の【4】)。
2009/09/28
庁舎審議会の議事録を読む(4)
●第一回目の審議会で確認された主なことは以下のこと。
●左上は18日の都政新報が伝える豊島区の庁舎建設。豊島区は23区の中でも財政的には良くない方である。記事の見出しにもある通り資金調達すら問題である。大丈夫?なのだろうか。
- 審議の対象範囲は、本庁舎からやや柔軟に総合支所との関連も議論の内側に含めること。ただし総合支所の建物に関する議論はここではしない。
- 本審議会は最終決定機関ではないという確認。
●左上は18日の都政新報が伝える豊島区の庁舎建設。豊島区は23区の中でも財政的には良くない方である。記事の見出しにもある通り資金調達すら問題である。大丈夫?なのだろうか。
2009/09/23
脱官僚の障壁
●「脱官僚」とは言うものの、言葉に実態を合わせるのは容易ではない●この記事も「だから言わんこっちゃない」ということかも知れないが、外務省役人の“手引き”があったのは明らかであろう。現にこうして記事となったのだから●今後、国会で野党自民党の追及が始まれば、事と次第によっては、こんな“苦笑い”の記事では済まなくなる●「政治主導」の最初の障壁は「こんなこと役人にやらせたほうが早いや」と諦めることである。もちろん全部を政治がやれるはずもないが、一皮むけば政治は何から何まで面倒なことだらけである●だから自民党は官僚依存を深めたのであろう。さらに官僚の言うとおりにしている方が、“もっと楽だ”と気づいたのである●民主党に楽ちんの“自由”を与えてはいけない。そんなことをしたら“自由”民主党に逆戻りである。
2009/09/21
首相になれぬ家系? 1/7
●民主党政権の華々しいニュースが相次ぐ中で、自民党の総裁選を見ていると、言っちゃ何だが、どこかの発展途上国の酋長選びのようだ。しかし新たな萌芽は こんな所から始まるのだろう●その中で、ひとり河野太郎氏だけが正しい状況認識を示している(その言動からすれば、いずれ飛び出す覚悟がうかがえるが、首相にならぬ家系であっても、その昔の新自由クラブの家系でもある)●現在の政治方向は小泉構造改革から始まったと言って良い。小泉首相以後、結局自民党 はその改革の意義を理解できなかったのに比べ、民主党がその改革の思想(と選挙手法を受け継いで)勝利した●小泉構造改革は簡単に言えば、田中角栄型の地 方開発型経済の転換である。
首相になれぬ家系? 2/7
●開発型経済とは結果から見れば、農地に一本道路を通すことで宅地化が進み地価が何倍にもなる、という魔法のような政策である●と同時に地方にあっては、 農業から土木事業者への職種転換の受け皿という目的でもあった●しかし可住面積に限りがあり、人口が増えない中で、道路を作って農地を住宅地に変えるとい うビジネスモデルは限界を迎え、何の投資効果も生まなくなった。
首相になれぬ家系? 3/7
●それどころか「目的」が明示されないまま「手段」だけが作られる官製ビジネスが道路からどんどん“応用”されていった。道路が作られ、新幹線が作られ、 飛行場までが作られる始末である●まさに“目的”が示されないまま“手段”の部分だけが増幅、暴走するのが官僚の思考である(たいていの場合、地域からの 要望ということが目的にすり替わるが)●「目的」を明示しないのは官僚や役所が責任を取らされるからである。もっと言えば本当の「目的」は、地方における 農業経済から土木経済への持続的転換でしかない、つまり地域雇用である●地域雇用が真の目的で道路が作られ、新幹線が作られ、飛行場が作られるのだから、 採算が合う訳がない。その責任まで官僚や役所はとりたくないのである。
首相になれぬ家系? 4/7
●日本では「目的」が明示されないまま「手段」だけに巨額の税金が投じられることを、「整備計画」と称する。役所用語で最多のキーワードは「整備計画」という名称だという説もあるくらい多い●「目的」と「手段」と「結果」を結びつけないのは政治の責任である。
首相になれぬ家系? 5/7
●そこで登場したのが小泉構造改革である。それは地方における農業従事者を土木業に転換したビジネスモデルに見切りをつける改革でもあった。或いは地域雇 用の為に暴走する公共工事に市場性を導入すると言ってもよい●いくら何でも道路があり、新幹線があり、その上飛行場まで作るという交通体系は過剰であろう ●だから小泉構造改革は、ここまでは正しかったと思う。しかし地方における新たなビジネスモデルを提示しないまま、小泉構造改革を進めたことは失敗だった●当然である。農業 が廃れ、土木事業へと職種転換することで生活してきた人々にとり、その土木事業が税金の無駄遣いと指弾され、バッサリ切り捨てられることは、そう簡単に納 得できるものではない。
首相になれぬ家系? 6/7
●さあ、ここからである。自民党は元に戻す方向(ターンバック)で支持をつなぎとめようとしたのに対し、民主党は何か新たな改革を期待させながら積極的な バラマキ(補てん)策を見せた●結果は知っての通りである。もはや元にもどることに、何ら希望がないことを国民は感じている●では、農業に替わる地方産業 としての公共土木事業に、さらに替わる新たな産業政策をどの政党が提示できるのか、そこが問われている。
首相になれぬ家系? 7/7
●小泉路線を継承し推し進めると河野太郎氏は言う。それは正しい。しかし、それはあくまでも都市部だけでの正しい認識に過ぎない●今後、地方をどうする か、国政の課題である●そして地方の議員はもはや「整備計画」などという目的と手段を取り違えているような“まやかしの税金投資”を吟味する必要がある● 必要なのは明確な「目的がある計画」である●今後の政治状況がどうなるか予断を許さない。ひょっとすると首相になれぬ家系どうし、渡辺喜美氏と河野太郎氏は連 携するかも知れない。
2009/09/19
能力主義と採決要員
●副大臣、政務官の人材争奪戦(政策通引っ張りだこ)の報道を見て、仕事をするならこうだよな、と思った人が多いのではないか●政治主導のもと新大臣が腕 を振るうなら、出来る政治家を集めるのは当然である。その様を見て“新鮮”と感じるのは、いかにそれまでの政権がひどかったか、である●副大臣にしろ政務 官にしろ各派閥からの“順送り人事”とかでチームワークも何も感じられるものではなかった●要するに新政権は能力主義である。方や旧政権は平等主義とでも 言うのだろうか、まともな答弁もできないのに当選回数だけで大臣になれたシステムであった●しかしよく考えてみると能力主義と平等主義の対立は常に、「能 力主義は格差を産む」というロジックで平等主義から攻撃を受ける●政治の場合、能力主義が横行すれば、必ずポストに就けない議員が出てくる。それらの不平 不満がともすれば“党内平和”を崩しかねない恐れがある。そこに介入してきたのが優秀な官僚たちであろう。能力不足を補って、どの大臣も能力のある大臣に 覚醒させてしまうのだから、素晴らしい“覚醒剤”である●しかしそれが結局、官僚の政治介入を許し、政党が国民そっちのけで“党内平和”に汲々としている 姿をさらし出し、果ては国民が呆れたということである●さすがに“漢字読めない政治家”までは官僚もお手上げだったのだろう●政治主導とは官僚という依存 性の高い“覚醒剤”を断つということである。つまり新政権では政治能力の足りない議員は極端に言えば(官僚という“覚醒剤”を使えないので)永遠に採決要 員ということになる。そこで持ち上がるのは“党内平和”がぐらつくことであろう●能力主義と“党内平和”は常に対立関係にある。大所帯になれば尚のことで ある。新政権がこの、内なる課題をどう克服するのか。区議会においても同様であろう。
2009/09/17
過去の復讐
●畦畔(ケイハン)要するに“田んぼのあぜ道”の問題で世田谷区議会は論争になっている●実は世田谷区の下にはもう一つの地図が眠っている●昔の“田んぼ”や“畑”や“あぜ道”の“古い地図”である●その“古い地図”が現在の世田谷区民を悩ましている●“田んぼ”や“畑”はちゃんと測量しながら宅地や公道に歴史的に変化していったが、なぜか“あぜ道”だけは曖昧なまま「国有地」として公図上に存在し続けた。平成16年まで●それがそれ以後、国から譲与という形で住民の知らない間に「世田谷区の土地」に変更されていたのである●これが単なる国から地方への変更なら問題はなかったのであろうが、そうではなかった。実は「国有地」なら申請すればタダで貰えるチャンスがあったのが、「世田谷区の土地」に変わったとたん、買い取って貰うしかないということになったのである●これは住民からすれば、天と地ほどの差である●こういうことから最近になって土地紛争の裁判が増えているのである。住民と世田谷区が昔の“あぜ道”を巡って争うことについて議会の判断を求められている●問題の“あぜ道”が自宅の敷地の下に眠っている戸数はひょっとすると区内で何千件にもなるかも知れないと言われている。決して小さい問題ではない。根本的に解決する方策を区独自で考えなければならないし、個別的に司法の判断に頼っていては解決しえない問題なのである。
2009/09/15
江東区の事件は世田谷区ではありえない
●先日の江東区の契約外支出に関して世田谷区の関係者に聞いたところによると世田谷区と当該社会福祉法人との契約においては一 切問題はないとのこと●少なくとも江東区の契約方法はやはり報道された様にかなり異質な契約形態を放置していたらしく、誰が考えても問題となる方法だった らしい●むしろ江東区の契約方法に従わされた社会福祉法人の方が気の毒ということらしい●もちろん以上は世田谷区側の関係者の話で私がすべて契約書を チェックした訳ではない。だからとりあえずの報告ということである●もし情報があれば私宛にメール下さい。
初日代表質問
●代表質問初日。トップは民主だった。意外とソフトな感じだった。むしろ余裕綽々ということなのだろうか。それに比べて自 民は哀愁漂う感じ、かな●役所の答弁も何となく違うように聞こえたのは錯覚か●とは言え、私たちの“ドル箱スター”小泉議員の代表質問はまたもや傍聴席を 埋め尽くし、溢れんばかりの熱気に包まれて大盛況の中、ある種の感動を伴って終了した●他会派の代表質問者には申し訳ないくらいだ。もちろん内容も言うべきことはちゃんと 言う会派の方針のもとガンガン言ってる●ハッキリ言って壇上では最小(交渉)会派という自覚が私たち3人には微塵もない。代表質問は84万区民を代表する気概 でいつも臨んでいる。3人とも政党には属していないが、常に“区民党”という意識で区役所と対峙している●以上、今日の概況。
2009/09/14
議会内一人相撲家
●議会で一日中話している。今日は3つの会議体でそれぞれ違うテーマについて主張を続けた●その中の一つ。 議会では議会改革の議論を始めようとしているが、その議論の土俵を巡って全会派参加か全議員参加かで別れている●これだけでは何が争点なのかわかりづらい が、たとえば町会運営にあったって一軒一軒誰かが出て話し合うべきか、それとも一軒一軒、家族全員が出席して話し合わなければならないか、というようなも ので、まさに現実性を超えた議論で、それに対して適宜反駁しているわけである●ところが私と同じような考えの議員はどうも議論に乗ってこない●結局、お一人様相撲で ある。最近つくづく感じるのだが、議論に参加しているようで、実際は自分たちの結論だけを主張してオシマイ、というタイプが意外に多いということ●議論とは結 論に至るプロセスを検証しあうことである。結論だけを主張してオシマイでは、それでは議論にはならない●まあいろいろと考察してみると議論以前に会派のメン ツとか既得権のようなもののほうが、純粋な議論より大切という価値観もあるようで、区民から見れば議員なのに議論もできないの?と言いたくなるかもしれな いが、逆に言えば議論できる議員を選びましたか?と問い返したいくらいで、これも立派な民意の結果と承知しつつ議論を吹っかけている●時折、事務方を見て迷惑そうなのかなぁと確かめるが、案外ニコニコしている。しかしニコニコしている時ほど事務方の内心は複雑であることも知っている。
医療限界
●NHKスペシャル「未知の脅威新型ウィルス 日本は耐えられるか」を見た。50分の番組で結局言いたかったのは、感染拡大のスピードを遅らせろ!の一言に尽きる●その具体例として、患者が感染を広げる人数を2%減らせれば、流行のピークである一日76万人の発病を半分の37万人に減らせるという●要するに、外出や他人との接触を控え、マスク、うがい、手洗いのレベルをあげるということ(すでのワクチンは最初の流行10月に間に合わない)●そのことで医療機関の負担を減らすことができ、混乱を防ぐことができる、ということである。
●実は、同じことを8月26日のクローズアップ現代「新型インフルエンザ感染拡大との闘い」では“医療限界"という言葉を使用していた。今回は配慮があってかその言葉は出てこなかった●さらにNHKスペシャルでは「混乱」について明確には述べなかったようだが(映像で見せていた)クローズアップ現代では、「混乱」という言葉について、はっきりと、心臓病等の基礎疾患のある人、妊娠中の人等の重症化の危険性があって早急に治療を受けなければならない人たちが十分な医療を受けられないまま命の危険にさらされる事態にもなりかねない、ということと述べている(両番組とも同じ記者が解説役)●とにかく10月大流行想定に対し、個人レベルで感染を防ぐ、感染を広げないように心掛けるしかない。
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2009/09/13
世田谷区本庁舎等整備審議会の議事録を読む(3)
●事務局が持ち出したのは、「庁舎問題についての区議会の動向」というA4の6ページの資料●会派名と賛成と反対が目立つように書かれて、その横に会派質問の要旨が載っている●反対と記載されているのは、共産党と無党派市民だけであり、他は全部賛成と書かれている(そのように口頭でも説明している)まるで庁舎改築に賛成か反対かに見えるが、実はこの審議会の設置条例に賛成か反対ということであり、改築とは直接関係がない●さらに質問の要旨を見ても、各会派の改築に対しての考え方はわからない。(理屈で言えば区長の諮問が改築ということの是非を審議してほしいという審議会なのだから、その審議会設置条例に賛成するということは改築賛成ということだろう、ということになるが、それも当たらない、なぜなら何をもって改築とするか余りにも漠然としているからである)●審議委員としては、当然、財政的な決定機関である議会の動向は気になるところで、そのあたりを察して、このような資料を作成したのであろう●しかし議会に身を置く者としては、やはり見当違いと言わざるを得ない●資料は議会での本会議での代表質問等を拾い上げているが、この庁舎問題を専門に扱う特別委員会があるのである。そのことについてはまだ触れていない。
2009/09/12
江東区だけの事件か
●昨日の夕方のNHKニュースで世田谷区の社会福祉法人とだけ伝えていて心配していた●実はこの法人、世田谷区とも関連がある。それも現在定員が足りないと云われている保育園事業であり、またその「分園」を展開中である●NHKニュースでは「公金のずさんな管理」としていたが、この記事にあるように「区に返還すべき委託料計約4500万円を誤って契約外である・・・人件費などに充てていた」というが、“誤って"そんなことがあるだろうか●記事全体のトーンからすれば江東区側に過失が大きいようにも受け取れる。とは言え、全額返還したのだからやはり不当な行為であったということである。対岸の火事というわけではないのかも知れない。
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2009/09/11
新型インフルの“常識"も急変か
●午前中、新型インフルエンザの状況についてまとめたと思っていたら(下のブログ記事)、夕刊には今度はタミフルが効かないインフルエンザの、人から人への感染が認められたという●そのコメントにずーっと引用させてもらっている菅谷憲夫医師(けいゆう病院小児科部長)が登場しているが、耐性ウィルスが出てくると、お手上げである●新型インフルエンザ対策が、予防から治療重視に移り、治療段階での早いタミフルの投与で重症化を防ぐというのがWHOの戦略である●言ってみれば、野球で「三球三振で打たせない」作戦から「打たせて取る」という作戦変更である。それには「堅い守り」があればこそ安心ということである●しかしここにきて「堅い守り」があやしい、というのである●ウィルスの変異は人類の想定範囲を超えている。凡人にはただただ耐性ウィルスが蔓延しないことを祈るばかりだ。
新型インフルの“常識”1/9
●9月8日放送のNHK『視点・論点』でのWHO委員でもある菅谷憲夫氏の話は重要だ●結論から言えばタミフル、リレンザ(ノイラミニダーゼ阻害薬というらしい)で早期治療すべし、ということ。
●以下はその内容。
●以下はその内容。
数年で全国民が罹患・発病するのが新型インフルエンザの本質である。
●話によれば、この10月には始まる第一波では国民の20%が発病するといわれている。そして上記のように2〜3年で全国民がかかるという。これには、そう言われてしまえば、わかることかも知れないが、ちょっと驚いた。(みんなかかっちゃうのか、という)
10月に始まるとされている新型インフルエンザの本格的な流行、第一波は6週間から8週間で終息に向かう。11月末で終了する。
●なるほど、いつまでも感染拡大ということではないということ。これも当たり前だが凡人の頭には終息するというイメージがなかなか、なかったからこれも意外。
新型インフルの“常識”2/9
10月には始まるとされている第一波。具体的には38万人もの入院体制はできるのか。数万人の重症者への人工呼吸器(での治療体制)は間に合うのか。現実は非常に厳しい。
●そこで菅谷医師はニューヨーク市での例を紹介。ニューヨーク市での本格的流行は今年の5月中旬から6月末までの約6週間だった●909人もの入院があり、そのうち225人(25%)が集中治療室での治療、さらにそのうち124人(14%)が人工呼吸器を装着し、47名(5%)が死亡●えーそんなことあったっけ、という凡人の記憶力が情けないが、当時は日本での大騒ぎに気をとられて外国の状況は全く不正確だった。こうして見ると、ニューヨーク市の状況はかなり戦慄的だ。
●さらに菅谷医師は言う。ニューヨーク市では重症患者は公立病院に入院していることから、また死者の数から到底、弱毒株(インフルエンザウィルス)とは言えない、と。このことはかなりショックだ。すでに弱毒性ではないということだ●日本では弱毒性だから、まだ大丈夫みたいな雰囲気があるが、ちょっと待てよ、という心境である●しかもニューヨーク市で蔓延したウィルスと東京で発症しているウィルスは全く同じものであるという●では、なぜ東京ではニューヨーク市のような惨事になっていないのか、ここが最大のポイントである。
●そこで菅谷医師はニューヨーク市での例を紹介。ニューヨーク市での本格的流行は今年の5月中旬から6月末までの約6週間だった●909人もの入院があり、そのうち225人(25%)が集中治療室での治療、さらにそのうち124人(14%)が人工呼吸器を装着し、47名(5%)が死亡●えーそんなことあったっけ、という凡人の記憶力が情けないが、当時は日本での大騒ぎに気をとられて外国の状況は全く不正確だった。こうして見ると、ニューヨーク市の状況はかなり戦慄的だ。
●さらに菅谷医師は言う。ニューヨーク市では重症患者は公立病院に入院していることから、また死者の数から到底、弱毒株(インフルエンザウィルス)とは言えない、と。このことはかなりショックだ。すでに弱毒性ではないということだ●日本では弱毒性だから、まだ大丈夫みたいな雰囲気があるが、ちょっと待てよ、という心境である●しかもニューヨーク市で蔓延したウィルスと東京で発症しているウィルスは全く同じものであるという●では、なぜ東京ではニューヨーク市のような惨事になっていないのか、ここが最大のポイントである。
新型インフルの“常識”3/9
●日本(東京)ではなぜ、ニューヨークのようにならなかったか。ならないでいるのか。それは菅谷医師によれば、日本ではノイラミニダーゼ阻害薬(タミフル、リレンザ)の治療を受けていたからで、ニューヨークでは、その治療を受けていなかったからという●やはり米国の医療は問題があるのかも知れない●要するに、日本ではタミフル、リレンザを十分に投与しており、それが効果的に重症化を抑えているということらしい●そのことが、本当は強毒性かもしれない新型インフルエンザの発症をあたかも弱毒性のように見せているのかも知れない●8月に発表されたWHOのインフルエンザ治療ガイドラインではタミフル、リレンザの早期投与により、重症化を防ぎ、さらに入院者を減らす、ことが最大の眼目となっている●菅谷医師は言う、新型インフルエンザは家で寝て安静にしていれば治る病気ではない。(タミフル、リレンザが必要)●世界的にはタミフル、リレンザの備蓄は足りていない。タイでは国民の1%分しか備蓄がない。しかし日本では全国民の50%分の備蓄があり、発症患者への投与は間に合う(逆に言えばほとんどの国では足りないのでWHOでは軽症者には投与するなということを言っている)●加えてワクチンは第一波の流行には間に合わないので、やはりタミフル、リレンザでの治療が重要とのこと。
●そして最後に、日本での最大の問題は入院体制の遅れ。10月になれば全国で最低でも20万人は必要になる。果たして入院できるかどうか、そのためにもタミフル、リレンザで抑えてほしいということであった。
●そして最後に、日本での最大の問題は入院体制の遅れ。10月になれば全国で最低でも20万人は必要になる。果たして入院できるかどうか、そのためにもタミフル、リレンザで抑えてほしいということであった。
新型インフルの“常識"4/9
●今朝、NHKの『生活ほっと』で子どもが新型インフルエンザにかかった、或る家族の事例とその対処を紹介していた。
●そこに専門家として菅谷医師が登場していた。『視点・論点』と同様の考え方を現実的に語っていた。
●紹介された家族では、新型インフルエンザにかかったのは中学一年生の次女。 ●8月7日、次女は朝起きると体の不調を感じた。風邪かな、と思い最初に体温を計ると37度くらいあった●しばらくすると38度くらいの発熱になっていた●症状は全身が痛く、特に腰とか背中に打ち身のようなズキズキする痛みがあった●新型インフルエンザを疑った母親はすぐにかかりつけの病院へ次女を連れて行った●検査キットで調べた結果、医師から新型インフルエンザと告げられた。
●そこに専門家として菅谷医師が登場していた。『視点・論点』と同様の考え方を現実的に語っていた。
●紹介された家族では、新型インフルエンザにかかったのは中学一年生の次女。 ●8月7日、次女は朝起きると体の不調を感じた。風邪かな、と思い最初に体温を計ると37度くらいあった●しばらくすると38度くらいの発熱になっていた●症状は全身が痛く、特に腰とか背中に打ち身のようなズキズキする痛みがあった●新型インフルエンザを疑った母親はすぐにかかりつけの病院へ次女を連れて行った●検査キットで調べた結果、医師から新型インフルエンザと告げられた。
新型インフルの“常識"9/9
●さらにタミフルは服用後48時間は異常行動の報告もあり、窓側やベランダ側の窓近くには衣装ケースとかの障害物を置いておくことも必要。とも指摘。
●菅谷医師によればこれから、10月、11月で国民の4人に1人くらいは新型インフルエンザにかかるだろう。特に子どもはかかりやすく、半分くらいの子どもはかかるかもしれない。2,3年で全国民がかかってしまうだろうという病気だという認識をもつべき。
●だから予防ということではなく、治療に重点を置くべきだ。そのためにはタミフル、リレンザでの治療が重要である。
●以上、専門家の考えとしては、今回の第一波の大流行は、タミフルの処方により在宅で治してもらおう、ということである。病院は大流行の時は患者数の殺到によりとても施設数が足りないからである。人口呼吸器が足りないというのは単に器機だけの問題ではなく、人口呼吸器のスタッフも足りないということで、突き詰めれば医療スタッフの不足にたどりつく●とにかく、一度にドッと発症したら、残念ながら厳しいのが現状ということである。一度にドッをなるべく緩やかにするために、感染の広がりを防いでいるのであって、感染したらアウトということではない。菅谷医師も再三繰り返しているように2、3年で全国民が罹患する病気なのだから。このあたりの理解がちょっとややこしい。
●菅谷医師によればこれから、10月、11月で国民の4人に1人くらいは新型インフルエンザにかかるだろう。特に子どもはかかりやすく、半分くらいの子どもはかかるかもしれない。2,3年で全国民がかかってしまうだろうという病気だという認識をもつべき。
●だから予防ということではなく、治療に重点を置くべきだ。そのためにはタミフル、リレンザでの治療が重要である。
●以上、専門家の考えとしては、今回の第一波の大流行は、タミフルの処方により在宅で治してもらおう、ということである。病院は大流行の時は患者数の殺到によりとても施設数が足りないからである。人口呼吸器が足りないというのは単に器機だけの問題ではなく、人口呼吸器のスタッフも足りないということで、突き詰めれば医療スタッフの不足にたどりつく●とにかく、一度にドッと発症したら、残念ながら厳しいのが現状ということである。一度にドッをなるべく緩やかにするために、感染の広がりを防いでいるのであって、感染したらアウトということではない。菅谷医師も再三繰り返しているように2、3年で全国民が罹患する病気なのだから。このあたりの理解がちょっとややこしい。
2009/09/10
支持率急落
●米国大統領の支持率が68%から57%に落ち込み、就任7ヵ月の大統領としては 異例の急落とNHKが報じていた●原因は医療保険制度改革。昔こころみて失敗した改革である。映画「シッコ」でもその問題点は明らかになっている●とは言 え、米国人は税金にシビアだ。それに伴う権利義務も明確で、曖昧な負担は断固許さない、という国民性はたいしたものだ●選挙の時、人気が最高潮で、就任 後、公約に基づいて仕事を始めるとうまくいかない、というのはどういうことか●どこかに民意とのズレが生じているのだろう。或いは国民の苛立ちがどこかに 溜まっているのだろう●NHKも何かの暗示のように、この時期、報じているのかもしれない。
2009/09/09
49年前の本庁舎と今
●写真は、1960年建設直後の本庁舎の写真。そしてカラーが今日の本庁舎●実は昨年、会派として前川建築設計事務所を訪れ多くの取材をさせて頂いた。あわせて貴重な資料も●その中の一枚が左の写真(コピー)●建物自体はそのまんまだが、周辺の状況は変わっている。特に手前の中庭のありようはかなり変わっている。前川建築の真骨頂は実はこの中庭にコンセプトにあるのだが・・・●また白黒写真では中央に見える外階段が特徴的なのだが、現在ではかなり劣化して利用はできないようになっている●建築家は建築に対して利用哲学を持っているが、その思想性は竣工式のエピソード程度にしか扱われないのかも知れない。少なくとも区役所にはこの手の写真は残っていない。
2009/09/08
質問の根っこ
●議員の質問とは、どこかで“社会への疑問”や“現状への怒り”というものにつながっていなければ、いけないと考えている●逆に言えば“社会への疑問”や“現状への怒り”がない人が議員であってはならないとさえ考えている●もちろん偏見である。しかし、政治の状況をつぶさに見れば今回の民主党の小沢氏の行動力は、深い“社会への疑問”や“現状への怒り”が彼の中になければ、到底できなかったのではないかと思えるからである●或いは小泉前首相の政治行動は誰が見ても自民党の中での旧田中支配、経世会支配への疑問や怒りから発していたものである。いずれも破壊力が実現した●それに比べて、安倍、福田、麻生の各氏は、何ら“社会への疑問”や“現状への怒り”が感じられなかったし、たぶん希薄だったのだろう。石にしがみついてもという迫力はなかった。結果何もなし得なかった●つまり、政治主導とは、その政治家にどれほどの“社会への疑問”や“現状への怒り”が蓄えられているか、ということに比例するということである●小沢、小泉氏に及ぶべくもないが、地方議会においても同様である。“社会への疑問”や“現状への怒り”のない議員は、議会においても何を質問して良いのか常に方向性が定まらない●適当に話題性のある、かつ誰でもできそうな質問を繰り返しては体よく役人にあしらわれていることも少なくない(役人に先生、先生と奉られている、いわゆる森昌子症候群のことだが)●国政と地方政治は制度が異なるので、地方議員は質問抜きでの政治力というのはあり得ない。地方議員は質問がすべてなのである。
質問より仲良く
●しばし区議会の中にも、そんなことは電話で課長に聞けばすぐ答えてくれるだろうに、というような質問を本会議や予算・決算特別委員会で延々とする議員がいる●特に、まだ新人の頃に、ベテランと呼ばれるような議員が、まるで役所の部長とか課長とかと“朗読劇”でもやっているのかという感じで、しかも質問が繋がっていないので、聞いている方は、常に置いてきぼりを食らう状態だった●肝心な所に来て、別の質問に移ってしまうという、まさに離れ業である●簡単に言えば、質問時間が手持ちぶさたというような感じであり、言いたいことがあれば直接言えばいいし、まさかみんなのいる前で言うこともないだろう。こんなカルチャーを堂々と議会制度に持ち込んでいるといった感じである●民主主義とか議会制度という下では、社会常識とは異なる文化で成り立っている。とはいえ議会も一つの社会であるという主張がある。そこに大きな誤解が生じる素地がある●職場だろうが、地域コミュニティーだろうが、ハッキリものごとを言うことは好まれない。婉曲にまず表現することがマナーであり、人前で恥をかかすようなことはケンカを売るようなものである。そして社会の中でうまくやっていくには何よりも回りと仲良くである●しかし、そんな意識で議会をやられたら、議会が活性化するだろうか。行政とも仲良く、失敗はかばい合い、大事なことは目立たず決める、突出することはやらない、やらせない、とにかくみんな一緒で文句の言いっこなし・・・実はそういう体質が今回の総選挙で否定されたように思える●有権者が求めたのは政治カルチャーの否定ではなかったのか。
インフル情報
●区議の所には新型インフルエンザの情報が、たとえば学級閉鎖があった時など、FAXが届く。昨日も書いた通り、8月はさほどではなかったが9月に入って毎日のようになっている(ちょっと前代未聞)●それだけ感染が広がっているということである。あくまでも弱毒性ということで学級閉鎖の増加が重症化の連鎖にはつながっていないことは、わずかながら救いである●しかし区議だけがそんなことを知っていたも仕方がないので、こうして書いている●区の方でも明日から、情報を少しオープンにするらしく、区のホームページの記載方法が変更される●うがい手洗いは、帰宅してからではダメらしい。随時、適宜、ゴホンと聞けばうがい手洗いが医学的な適切な方法らしい。常時、うがい手洗いが可能な生活の工夫を!
世田谷区本庁舎等整備審議会の議事録を読む(2)
●事務局が審議委員20名に説明したこととは「今まで区民の方からも、庁舎問題よりも学校の耐震化等のほうが先ではないかというご意見を多数いただいております」ということから始まる●もっともな意見である。でそこから事務局の説明は一転、自己弁護調を帯びる。「平成21年度末までに全校の耐震化の達成に向けて進めています」と●つまり本庁舎以外については、特に区民や子どもたちが使う施設は耐震化の手は打ってありますよ、と言いたいのだろう。確かに学校は広報紙で特集まで組んで21年度末(来年3月)までに完了すると宣言しているが、手つかずの区民利用施設はまだあるはず。ただし審議会のテーマは本庁舎をどうするかである。テーマから逸れたら議論は集約できないと懸念して、わざわざ他は大丈夫みたいな“布石”を事務局は打ったのであろうか●しかし、こののちの議論では、やはり本庁舎だけでは議論できないという考え方が浮上してくる●さて説明は本庁舎の物理的な面に及ぶ。第一庁舎はもはや北区と並んで23区中最古ということ。阪神・淡路大震災規模の地震が発生しても、ただちに倒壊、崩壊する危険性は少ない(ただし機能面はほとんど絶望的なことは私たちの会派で証明済Q.E.D.)●IS値は0.6は確保しているものの、災害応急対策活動に必要な施設としてのIS値0.9は確保できていない。従って庁舎は残っても災害対策本部としては使用できないことが予想される●ここでのポイントは建物は残っても災害応急対策活動はできないであろう、ということである。このことをどう見るか、見方によって様々な結論に結びつけられるのであるが●細かいデータの紹介はあっても、大方の説明が終わるのかなと思ったら、最後の最後で全く意外な資料を事務局は出してきた。それは私たちにとって意表を突く資料だった。【つづく】
2009/09/07
インフルエンザが流行っている
●先週に比べて今週から学級閉鎖の数が倍々で増えている。もう新型という名称をつけるほどでもないほどフツーの流行期のようだ●ただしまだ9月。にもかかわらず、それほど街中でマスク姿も多くはない●目の前の高校でも学級閉鎖。といってもそれこそ普段と何も変わらない。若い声が、活発なクラブ活動の校庭にこだましている。下校の生徒が特にマスクが多いということでもないようだ(全員を見たわけではないが)●しかしまだ9月である。ヘンである。大まかに言えば今年の春以降、大騒ぎをしたり収束したりしながら、確実に感染レベルは上がっている●とにかく、うがい手洗いマスク、と体力をつける、しかない。
議会改革の議論
●議会改革はどこで議論するのか。通常、議運(議会運営委員会)のように思えるが過去の例からすれば、研究会とか検討会という別組織で行なっている(この方がメンバーが議会人事と関係なく固定して議論がしやすいという利点もある)●形態はどうであれ、問題はいつ“議論に入るか”である。区議会議員の任期も残すところ約1年半である●実は各会派から出されている改革のテーマは結構ある。議会制度に関する検討項目一覧によれば
- 姉妹都市交流も含めた海外視察(今年度は一応中止・自粛?)
- 陳情の取り扱い(議論はしたものの関連陳情が出され、途中)
- 会派構成から見た発言時間の見直し(議論に入っていない)
- 費用弁償(議論に入っていない)
- 議員定数(議論に入っていない)
- 議員の経歴詐称防止のルール化(議論に入っていない)
- 本会議での議案に対する質疑(議論に入っていない)
- インターネット領収書公開の変更(議論に入っていない)
●実際、今期になって実現した改革は「せたがや政策会議」が提案した、本会議での質問項目をホームページに掲載する、のひとつだけである●もちろん議論しただけで何か結論が出て、制度が変わるとは限らない。そこには各会派の主張とともに合意作りも必要である●しかし、これらの課題について(課題は今後増える可能性もある)各会派の考え方が示される、というのは開かれた議会としてよいことである。それにしても早く議論に入ろう!
2009/09/06
世田谷区本庁舎等整備審議会の議事録を読む(1)
●20人の審議委員は何を議論したのか?●昨秋より10回に渡り開催された「世田谷区本庁舎等整備審議会」●8月13日にその答申が出された●しかし直後の新聞記事が伝えた内容は余りにも素っ気ない●そこで改めて議事録を読み直し、答申では伝わらなかった部分を拾いだしてみたい●まず、第一回目は昨年11月13日に開催された●最初ということもあって委員長の選任などがあって、事務局(区役所側)から世田谷区の状況説明があった●世田谷区は全国1782自治体のうち人口では14番目であり、政令指定都市である堺市、浜松市、新潟市、静岡市より多いということ。もちろん東京一でもある●第一庁舎が作られたのは昭和35年(1960年)で当時の人口より20万人増加している。現在は83万人(住民基本台帳)●第一庁舎が建設された当時は1階と2階だけで窓口業務は十分足りているはずだったが、その後様々な権限が区に降りてきた●保育、福祉、建築、清掃等々。単純に事務量が増えた●今から50年前の区役所と現在の区役所では、住民の意識も含めて仕事量は異なるだろう、確かに●このあとに事務局が機先を制したように、或ることを説明し始めたのである。【つづく】
2009/09/05
多数決の限界と実際やれること
●政治主導とか脱官僚とか脱官僚依存という方向性は正しい。しかし地方自治体の役人と接していてつくづく感じることは、彼らは議員の言うことなど決してきかない、ということである●もちろん議員の言うこととは官僚発想とは異なる新たなプランのことである。役人に言わせれば単にレベルが低すぎるということなのかも知れないが、仮にそうでなくても同じである●要するに何を言っても役人というのは「出来ません」の一言から始まり、「出来ない」理由を次から次へと出してくるのである●政治は選挙から始まり、多数決で決まる世界であるが、多数を占めたところで、そこから先は役人の「出来ない」コールとの戦いである●こういうことは政治の現場で肌で感じるものである。さらに「できない理由」というのはやはり頭の良い役人が作るだけあって一理も二理もある。その一理も二理も、を超えなくては新しいことはできない●多数決は政党相手の“武器”であって官僚相手には必ずしも“武器”とはならないことに早く気づくべきである●実際地方自治の現場でも同じである●さて、左上の新聞記事は、やはり地方の反発必至とのこと。これも官僚の一度国会を通った国の補正予算の組み替えや執行停止などできませんよ、ということである●要するに上述したように一理も二理もあるということである●私自身も役人に“洗脳”されるまでもなくこれは困難なことだと考える。少なくとも国は地方の協力なしでは国政を動かせない、言うまでもないことである。政治主導を進めるには、それが官僚頼みより良いことが前提である。
2009/09/04
その後の報告
●中学校のホームページについて、昨日の「世田谷区のインフル対策 情報体制だいじょうぶ?」で述べたこと、について教育委員会に尋ねてみた●そういえば今日もまた1校区立中学校で学級閉鎖●夏休みが終わって感染の速度は加速している。とはいえ妙な言い方だが普通に拡大しているようで、風評被害に類するほど特殊な感染ではないようだが●実際には、感染した人は相当気を使うようで、回りのちょっとした対応にも、“排除感”のようなものとして受け取るようだ●と、いうことで教育委員会としては必要以上の公表はしないということで見解は示しているということらしい●ただし学校のホームページで情報を告知することは必要ということで、やっている学校とやっていない学校については、積極的活用の立場であるらしい●しかし実際やるとなると、なかなかで、例えば地域運営学校となっているところでは活発ということらしい。一応、最低レベルでの活用基準は教育委員会でしっかりやってもらいたい旨伝えておいた。
精査したらわかる、何も変えられないこと
●早い話、あの定額給付金、民主党は反対したんだから政権交代した以上、返してもらう、なんて主張したら国民が怒るのと一緒で、一度国会を通った補正予算を今さらなかったことにして、という話は通らない●特に5月末の補正予算は国の地方に対する定額給付金のようなもので景気対策を中心として至れり尽くせりの内容(だから選挙前のバラマキとか言われた)●すでに使ってしまった自治体もあれば10月からという自治体もある。使っていないなら返せというのは無理●たとえ民主党の新しい政策であっても当然、地方自治体の協力を求めた上で十分な準備をするのが国あり方である●地方自治体の協力も考慮せず、国の方から一方的にということであれば、それこそ地方分権に反する。まるで中央集権体質ということになる●左は昨日の読売夕刊一紙に載った記事であるが、たぶんに観測気球の域を脱していない。もし“マジ”なら、全国の自治体は悲鳴どころか怒号の渦と化するであろう。
2009/09/03
世田谷区のインフル対策 情報体制だいじょうぶ?
●今日の福祉保健常任委員会の途中で区立中学校でのインフルエンザ様症状(正確に言うとこうなるのか?)で学年閉鎖になったとの報告が入った●そのあと、夕方になって全議員あてにFAXで先の報告に加えて1校で学級閉鎖となったとの報告があった●気になるのはその最後に※学校名等は外部に公表しておりませんので、ご配慮のほどよろしくお願いいたします。という文章●風評の類を避けたいということなのだろうが、夕方のNHKニュースを見ていたら、他区の小学校で学級閉鎖となりその分、ホームページで課題(宿題)を示し、担任の先生が電話等で進捗状況をフォローしている状況を学校名をあげて、しかも記者がその学校からレポートし先生の姿からホームページの内容まで放送していた●なんか学校名を隠すとかのレベルなのだろうかと感じた。FAXは世田谷区の保健所からで、表向きは「世田谷区新型インフルエンザ対策本部」からとなっている●学校現場との連絡体制はどうなっているのだろうかと気になった。そこで調べてみると。今日報告のあった2つの中学校について、その中学校のホームページで学年閉鎖となったと伝えているのは1校で、もう一つの学級閉鎖の中学校はほとんど更新すらされていない。もちろん学級閉鎖の記述もない●以上のことから、まず保健所と教育委員会の間で学校名を伏せるとかの協議がなされていない。他区ではそれは一例に過ぎないのかも知れないが、全国放送までしているのにである●次に、教育委員会の中で学校のホームページの活用が徹底されていない。他区では宿題等のツールにさえ使っているのにである●学校は地域の拠点である。インフルエンザに限らず、防災においても一時的に避難先と考える時、ホームページで情報を発信していれば無駄な労力が省ける●それ以前に、学校教育領域において学級閉鎖の情報ぐらい発信できないということは、電話による連絡網すら個人情報とかで作れない現状にあっては、どんなものなのだろう。もちろんメールでなんとかやっているのかも知れないが、それは学級閉鎖レベルだからで、学年閉鎖とか規模が大きくなるとメールだけでは追いつかなくなるのではと考える。
福祉保健常任委員会
●だいたい全部で24件ほど。途中10分ほどの休憩をとって4時間の委員会。福祉保健常任委員会はいつもこんな感じ。一番長い常任委員会●それでも1件あたり10分平均だから深い議論かは別。通常、深すぎる議論は委員会終了後に個別で担当者を呼んで、納得の行くまで尋ねるのがフツー●ただ福祉領域は多くが“国からパック詰めで送られてきたものをマニュアル通りに開封解凍して提供する”ことが仕事のようで、世田谷独自で“調理”とか“味付け”ができない、ようである●しかしこれだけ世の中の環境が変わっている中で、福祉の眼差しというものが固定的で良いのだろうか、と思う●例えば(10)の住居を失った離職者を支援する新たなセーフティネットの構築に伴う「住宅手当緊急特別措置事業」実施について。これは簡単に言えば解雇された人に生活保護基準での住居費を補助しますよ、というもので月額約7万円●これなどは失業すれば住宅費に困るという着想であろうが、今この経済危機の中で、失業しなくとも家を失う人は少なくない。
【福祉保健常任委員会その2に続く】
【福祉保健常任委員会その2に続く】
福祉保健常任委員会 その2
●左は8月22日の毎日新聞。記事によれば住宅ローンにおいてボーナスでかなりの部分を返済する方式の人が困っているという●ボーナスゼロという事態に直面しているからだ。この人たちはまだ失業には至っていない。またボーナスは業績給のようなものだから景気が回復すればボーナスも復活する可能性はある●しかし記事ではボーナス返済分を月額返済に直したら、途端に月収ではやっていけなくなって、家を売却するしか手がないということである●新聞ではこのようなケースが急増しているという。住宅都市として知られている世田谷区でも少なくないはずである●福祉が困っている人たちを救うということであるなら、困っている段階に応じて、メニューを揃えるということもあって良いのではないか、と考える●つまり、決定的に困っている人たちをに手を差し伸べるのは当然であり、これまでの思考回路であろう●現在は、上記のように失業しなくとも家を売る、つまり世田谷から出て行く可能性がある、しかもそれらの人たちは必ずしも世田谷区から出て行きたいとは思っていないはずである●自治体の基本は住んでもらってナンボという面がある。確かに失業者に比べてボーナスカットの人は生活のノリシロがまだまだあるのかも知れない。住み方を変えればどうにかなる問題であるだろう。しかしせっかく世田谷に根をおろし生活しようという気持ちは救われない●福祉という考え方がもっと循環しながら付加価値を増す方法を模索するすることがあっても良いのでは。現在の福祉の中には、「使い切り」という制度設計が少なくないのではということである●その他インフルエンザとか本人確認のなりすまし事件とか区立幼稚園のあり方の検討開始とか、関心のある方は直接、区へ、或いは私にメールで照会して下さい。
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