2019/12/27

笑いの矛先



M1グランプリは最高。優勝を果たしたミルクボーイのネタ「コーンフレーク」も「最中(もなか)」も、思い出せない食べ物の名前を巡って掛け合いをするのだが、ズレたやりとりが絶妙。


●ユーチューブで検索すれば見られるかもしれません・・・

2位のかまいたちの「言い間違い」の応酬も爆笑。

どうしてこんなに笑えたのだろうか。勝手に推測すれば、痛烈な政治風刺の漫才としてのアンソロジーがあったからではと、連想する。

すでに、国会では「ご飯論法」という漫才手法が用いられている。いわゆる「ずらし答弁」「すり替え答弁」等々は、ボケ漫才の王道である。

言うまでもなく国会は、漫才を披露する場ではない。漫才であればボケに対してツッコミを入れ、一堂大爆笑で仕事は完結するが、野党議員はそうはいかない。

明らかに(政権の)ボケ答弁がおかしいのに、政権が全力で認めないから議論が先に進めない。ツッコミが通じない。

すなわち国会での議論が「怒りの矛先」から「笑いの矛先」に変えられ進まない。いつまでたっても、森だの桜だので終始している。笑えないネタは飽きられる。

こんな時、「怒りの矛先」は本来、国会から飛び出し選挙だった。(はっきり答えない政権は国民不信そのもの)

しかし小選挙区制では、どんなに政権不信が増大しようとも、結果として「政権党の方がまし」という、「二択の袋小路」という罠にはまってしまう。(まさに3位のぺこぱの、ツッコミながら納得してしまうパターンはそれ。)

この1年(に限らないが)笑いたくてしようのなかった国政に対して、「笑いの矛先」として、「素材」を替えて笑い飛ばしたのが今回のM1グランプリの決勝戦だったのでは、なかったか。

果たして、笑いの潜在的なネタとなっているような国政で大丈夫だろうか。皺寄せは地方自治にやってくる。












2019/11/20

エアビーの照準





●エアビーとは、民泊紹介会社で、シェアリング・エコノミーの代表的な存在。10年前くらいに出来た米国の会社で、記事によれば、世界で700万部屋もの貸し借りをしているとのこと。

●日本風に言えば、短期の貸し部屋斡旋業であり、「空いている部屋ありませんか」、と「泊まるとこ探していませんか」、をつなぐ事業体だろうか。

●ドラえもん風に言えば、「どこでも民泊」を可能にしている本家本元というところ。

●先ごろのラグビーワールドカップにおいても、地方開催に際しては、そもそも宿泊施設が会場近くになかったことからこの「どこでも民泊」が大活躍したという。

●地方で大きなコンサートやスポーツ大会があると、チケット購入と宿の確保は同時に行われる。

●東京近郊にいると、終電や深夜タクシーの心配はしても宿の確保までは思わない。それだけ便利な地理的特性を持っている。

●故に、東京の住宅街はエアビー並びに民泊の最大のマーケットになる可能性が大きい。

●民泊は家庭的な視野で見ると、いいことづくめであろう。空きスペースが価値を生むのである。また人好き、交流好き人間にとっては、新たな出会いや、ちょっとした触れ合いも期待できるかも知れない。

●ただし、世界的に大成長しているGAFAに続く事業体というのは、サービスを利用する側にとってはホントに便利の極みだが、そのサービスを提供する側は、凄まじいほどの競争原理が課されていることを忘れてはなるまい。

●一方で、民泊は静音な住宅環境からすれば、少なくともプラス面は見出し難い。せめてマイナスにならなければ、という程度であろう。

●仮に波及的な効果として、住宅街の一部に市場原理が露骨に入ってくることで、日本人の価値尺度としての土地神話が、国際的な価値基準にさらされることがありうるかも知れない。

●結果は10年後、20年後にわかるかも知れない。ただしオリンピックの最上位スポンサーになったことで、東京はエアビーにロックオンされたことは事実である。








2019/11/19

人生百年の友?



人生百年と云われると、「老後」はどこへ行った?という疑問が浮かぶ。

●けだし、ゲームの時代だという。

●その昔、「ゲームなんてやってないで勉強しなさい」と怒られて、また再び人生の後半でゲームとは。

●とはいえ、昨今のゲームというのは仮想現実としての一つの世界を構築しているらしい。

●老後の嗜みとして、少しは慣れておかなければならないかも。




2019/11/07

あべ力也議員が私を訴える?


●本年3月に行われた予算特別委員会(補充質疑)の私の発言について、あべ力也議員が、裁判に訴えるような「通告書」を内容証明郵便で11月5日付で送ってきた。(通告書の末尾部分で「・・・発言を撤回し、阿部氏に謝罪するよう強く要求、ご回答なき場合は、法的措置を取らざるを得ません」とある)

●以下その通告書本文。(通告書はあべ力也議員の代理人弁護士が書いている。 クリックすると拡大)

●わかりやすいように本文部分を後で書き起こしてあります。




●本文部分を書き出すと以下の通り。青字部分。

 冠省 小職は、世田谷区議会議員あべ力也氏(以下、「阿部氏」といいます)の代理人としてつぎのとおり通告いたします。

 貴殿は、前回の世田谷区議会議員選挙直前の平成31年3月22日の区議会予算特別委員会(以下、「本件議会」という)の質問の中で、阿部氏に関し、

『あべ力也議員が病気治療のために議会を休んでいた間に、国会議員政策秘書試験を受験していた。本当に議会に出席できないほどの病気療養中なら、あべ力也議員に対する議員辞職勧告決議案などでてくるはずがない。国会議員の政策秘書試験に出られるくらい心身ともに元気だったんじゃないでしょうか。つまり、あべ力也議員こそが、「平成最大の、もしくは世田谷区議会史上最悪のポンコツ議員」、あべ力也議員のいうところの税金泥棒、金返せと言いたくなるブラック議員というのは、あなたが最初であり、実際のところずる休みしていたと言う人はほかに聞いたことはない』

などと発言し、その後、同様のことを貴殿のブログにも取り上げて公開しています。

貴殿の質問は、世田谷区公式ホームページに収録されており、貴殿のこの予算委員会での質問のビデオは、田中裕子議員(おおば注*田中裕子議員など世田谷区議会にはいない!)や桃野よしふみ議員も自身のブログにおいて、動画にのせ、公開しています。

 阿部氏に対し、平成20年10月1日の本会議において、議員辞職勧告決議が、採決されたことは事実です。

しかし、決議の提案理由は、東京地方裁判所における民事事件で阿部氏に対する謂われのない誹謗事件であり、後日、控訴審及び上告審において請求棄却判決が確定しています。

刑事事件においても、不起訴が確定しています。

 また、この辞職勧告決議の審理の中で、阿部氏が、休職中に国会議員政策担当秘書試験を受験したとか、同試験の口述審査に出向いたなどの意見が述べられたことはありますが、以下に述べるとおり、全く事実に反します。

 国会議員政策担当秘書資格試験は、第1次試験(多肢選択式及び論文式による筆記試験)、第2次試験は、第1次試験に合格した者に限り、受験することができ、口述試験の方法によることになっています(国会議員の政策秘書試験等実施規定第6条)。

しかし、司法試験合格者などは、選考採用認定をを受けて、国会議員政策担当秘書の資格を得ることができます(同規定第19条)。

選考採用認定の申請は国会議員が行うものとされ(同規定22条)、阿部氏の採用についての認定申請者は、前田雄吉衆議院議員でありました。

すなわち、阿部氏は、上記規定による選考採用認定を受けたにすぎず、国会議員政策担当秘書試験を受験しておりません。

阿部氏は、当時入院していた医師の同意を得て国会に赴いたことはありますが、数分の書類の確認作業を行ったというにすぎません。

 以上のとおり、阿部氏が、休職中に国会議員政策秘書試験を受験した、あるいは口述審査に赴いた事実はありません。

貴殿の前記議会質問が、事実に反することは明らかです。

貴殿の前記議会における発言は、世田谷区議会議員選挙施行直前に行われ、「ずる休み」発言は、貴殿だけでなく、他の区議会議員のブログにも掲載され、通知人が「ずる休み」したとの虚偽の事実が拡散され、選挙における影響はもちろん、その後数ヶ月で、世間では、誤った内容がいかにも事実であるかのように定着してしまい、通知人は、回復しがたい精神的な苦痛を受けています。

 貴殿におかれましては、前記議会における阿部氏が休職中に国会議員政策担当秘書試験受験していた旨の発言を撤回し、阿部氏に謝罪するよう強く要求いたします。

 ご回答なき場合は、法的措置を取らざるを得ませんので、念のため申し添えます。

 なお、本件に関しては当職が一切を受任していますので、以後の連絡は当職宛てに願います。   早々

●以上が「通告書」の本文です。

●何度読み返しても、違和感が増大する内容。

●結局、「法的措置をとる」ということだけが主眼の通告なのだろうか。意味がわからない。

●あべ力也議員が法的措置をとるのは自由。

●ただし「法的措置をとる」と通告しながら、「法的措置」をとらないとなれば、事は重大であろう。

●現時点では、「通告書」が届いたばかりなので、私の考えは、検証も含めて、改めて次回以降で述べたい。(今回のブログだけでは全体像がわからない人も多いと思う。なにせ、平成20年の事象までさかのぼって述べられているので。)






2019/09/26

「アマゾン・エフェクト」とエリザベス・ウォーレン大統領?

●9月23日の日経新聞の一面は「アマゾン・エフェクト」「米小売店、3年で1万店減」

●記事によれば、「アマゾン・エフェクト」の被害はこれまで書店、家電量販店、玩具販売等々と、それまでの消費流通の商習慣を破綻に追い込んでいる。次の“標的”はアパレルだとか。

●世田谷区でも、ごみの量は減っていても、段ボールの量は増加している。これも「アマゾン・エフェクト」の証左か。

●一方、9月26日の日経では、「ウォーレン大統領実現に警戒」という記事が。ウォーレン?誰?

●米国・民主党のバイデン氏がトランプ大統領の対抗馬ではないかと、伝えられているが、実は、エリザベス・ウォーレン氏は、アマゾン等、GAFAの独占的支配を分割する政策等を公表し、支持を広げているという。

●日経の記事は、米国株式市場がウォーレン氏に警戒を示しているということである。簡単に言えば、ウォール街を敵視した経済政策を打ち出している、ということであり、ある意味、スウェーデンの環境活動家の「終わりなき経済成長のおとぎ話」にピリオドを打つ可能性があるのかも知れない。

●それにしても米国は人材豊富だ!



















2019/09/25

児童相談所の内容についての議論

「世田谷区児童福祉施設の設備及び運営の基準に関する条例」という長い名称の原案が福祉保健常任委員会に提案(付託)された。

経緯を言えば、東京都の児童相談所が来年4月に移管(世田谷区としては新設という意識!)されるにあたって、その内容をあらためて世田谷区で規定する条例ということである。ただし慎重を期すために、現行の東京都の児童相談所の条例をほぼそのまま書き写した内容になっている。

しかし、例えば下記(青色)のような表現を借用することが現在の状況に適切に合っているだろうか?


懲戒に係る権限の濫用禁止)

児童福祉施設の長は、入所中の児童等に対し、親権を行う場合であって懲戒するとき又は懲戒に関し当該児童等の福祉のために必要な措置を講じるときは、身体的苦痛を与え、人格を辱める行為をする等その権限を濫用してはならない。


国(厚労省)は過去(21年前)、下記(赤色)の基準例を示している。

(身体的苦痛や人格を辱める等の精神的苦痛を与える行為の禁止)

子どもの援助に当たっては、身体的苦痛や人格を辱める等の精神的苦痛を与える行為を行ってはならない。


身体的苦痛や人格を辱める等の精神的苦痛を与える行為の具体的な例としては、殴る、蹴る等直接子どもの身体に侵害を与える行為のほか、合理的な範囲を超えて長時間一定の姿勢をとるよう求めること、食事を与えないこと、子どもの年齢及び健康状態からみて必要と考えられる睡眠時間を与えないこと、適切な休息時間を与えずに長時間作業等を継続させること、性的な嫌がらせをすること、子どもを無視すること、子ども本人の意に反した事項について執拗に聴取を行うこと等の行為があげられる。

ただし、強度の自傷行為や他の子どもや職員等への加害行為を制止するなど、急迫した危険に対し子ども又は他の者の身体又は精神を保護するために子どもに対し強制力を加える場合はこの限りでない。


条例としては、かなり長文となってしまうが、子どもを権利を主体とする条例である以上、誰にでも(子どもでも)わかりやすい基準にすべきではなかろうか。

その後、この厚労省の基準は消極的な表現に変わっていくのだが。それは民法822条で、親権は身体的苦痛や精神的な苦痛を与える懲戒権を認めているからである。国の法律でそういうことになっている。親権者は子の非行に対する教育のために、子の身体・精神に苦痛を加えるような懲罰手段をとることができる。もっとも、懲戒は子の利益(820条)のため、ひいては教育の目的を達成するためのものであるから、その目的のために必要な範囲内でのみ認められる。この範囲を逸脱して過度の懲戒を加えたときは、懲戒権の濫用となり、場合によっては、傷害罪、暴行罪、逮捕監禁罪などの犯罪を構成することもありえる)引用 wikibooks


この民法は戦前の家父長的な権限を、そのまま引き継いでいると言われている。

戦後に至っても、「鉄拳制裁」とか「スポ根ドラマ」や「教育的な暴力」が長らく社会の中で、黙認されていたので、民法822条は別に問題にならなかった。

しかし同じ社会の中で、実は「児童虐待」が蔓延し、大きな社会不安要因として民法822条が意識されるようになった。というより、民法822条と整合性のとれないまま、虐待防止の法律改正が進んでしまったといのが正しいのかもしれない。

その結果、後始末的な課題として、今後民法822条は見直されることが国会で予定されている。

世田谷区議会では(たぶんのどの地方議会でも)、条例審議の当日にいかなる発言は許されても、事実上、条例修正は不能である。

新規条例にしても既存条例の改正であっても、委員会では予告説明は最低でも1回、概要説明は半年から1年前くらいから行われる。(簡単に言えば条例提案の前までに議会の大体の理解説明は尽くされるという手順になっている)

今回の場合は、新規条例であるにもかかわらず、既存の都営児童相談所を引き継ぐという行政側の意識があったのか、逐条的説明は省かれて、「東京都と同じ作り」の条例ということで済まされてきた。私としても委員として許容していたことは反省している。

議会審議は慎重であるべきであるからこそ、唐突的な行動は、ふさわしくないことは承知の上で、敢えて、議事録に残す目的で上記赤色部分を委員会の中で発言した(つまりこっちの方がいいのではないかと)

行政側との委員会でのやりとりは、それこそお互いの意図をくみとれない応酬になることもあり、重要ポイントが逸れてしまうこともあり、実際には赤色部分を議事録に分散した形で残すことになってしまった。

結果として、質疑時間の範囲で事実上、意見を述べる形になってしまった。

態度表明の時間で何も発言しなかったのは、行政側提案(青色部分)に違法性も不当もみつからなかったからあであり、反対する根拠はなかった。

保坂区政の中で、この新区立児童相談所については、数少ない「共通感覚」で臨んでいる政策である。委員会の結論は全員賛成となった。



2019/09/18

都市は便利だけど「災害弱者」

新聞ニュースは、その結論に踏み込んだものが少ない。

情報は増えても、それでは意味が伝わらない

コラム「風知草」がそこをクリアにしている。

福島第一原発の処理水のタンクがいっぱいになっている問題である。


結論として、いずれ処理水の海洋放出はさけられない、とし、原発政策をやめる覚悟を明確にせよと。

一方で、台風15号の影響で、千葉では大変な生活を強いられている。もはや電気のない生活は、酷暑・猛暑・炎暑や非情の風雨の中では原始人並みのQOLに急降下。


千葉に自宅のある江東区の副区長が都政新報に、今回の被害に際しての想像力の欠如を嘆く手記を寄せている。

首都直下地震という大災害が来ると言われているのに、「電柱が倒れたら停電」という可能性を素直に連想できない。正常性バイアスなのだろうか。

なってみて初めて知る、というのはどこかの区長の特徴だと思っていたが案外、千葉県なども同じなのかも知れない。

災害→停電→断水→トイレ使用不可(都市機能ストップ)→3日間〜1週間自分たちで生き延びる。あの「東京防災」にも停電の先が書かれていないと副区長氏は嘆く。



さらに江東区は東京の江東5区(墨田区、江東区、足立区、葛飾区、江戸川区)に位置し、昨年8月22日の東京新聞によれば西日本豪雨を受けて、(この地域は海面より地面が低いので)隅田川や江戸川の氾濫に備え、ハザードマップを作成し、最悪の場合、250万人の避難しなければならないと想定している。

まさに「どこに逃げれば…」である。このクラスの水害の場合、隣県の千葉県は「通常営業」ということは考えにくい。千葉県どころか四方八方、「異常事態」である。

そして最初の問題に戻ると日本は原発政策を破棄しなければならない。(廃炉にしても大変な時間がかかる)

加えて言えば、現在世田谷区の人口は91万人を超えている。100万都市を何のためらいもなく、保坂区長は期待している。(日本の人口減は世田谷区では感じられない)

首都直下、水害、台風、いづれの災害に対しても、インフラの老朽化、脆弱化は避けられない。個人宅は阪神大震災から四半世紀たって、老朽化家屋は相当減っているが、インフラは昭和の高度成長の時から止まっている。

もちろん災害の大きさにもよるだろうが、最低でも3日間
自分たちで生き延びる努力とか言われているが、ひょっとしたら30日くらい、誰も来ないかもしれない。あるいは30日くらいたったら誰か来るかもしれない。

発電の問題、電気に依存している都市生活、老朽化した見えにくいインフラ。個人宅は新築されても、冬に10センチの雪が積もれば、「都市機能マヒ」という新聞タイトルは首都圏では常套句となっている。

今回の代表質問でも、世田谷区に住もうとしている人たちは災害→停電→断水→トイレ使用不可、という可能性を知っているのか、老朽化した船に人を多数乗せることは問題ではないか、そういうことを述べた。

災害に備えて、食料・水等、人間に「入るもの」の確保は重要だが、「出るもの」についても想像力を働かせなければならない。ビロウな問題はなかなか公開の場では話されない。









2019/08/07

札幌市におけるセンター化から思うこと


福祉保健委員会の視察2日目は「札幌市子ども発達支援総合センター・ちくたく」

かつての「都立梅ヶ丘病院」の総合発展型のような施設。政令指定都市であり、市立病院を有している札幌市と世田谷区では、そもそも基盤は異なるが・・・。

上掲のようにまさに「総合センター」であり、医療部門を有しているので、ある完結型である。

比べて、世田谷区は「相談・療育センター」である。

ただし東京都全体でみれば医療資源の集積度は決して低くないので、世田谷区内に「総合センター」がないとしても、専門機関へのアクセスに立ち止まるということはない、と思う。

逆に云えば、世田谷区では「入り口」にポイントを置いている状態。


子どもの発達は、そもそも何が問題なのかを含めて、多様である。昨今では「健常者」という言葉も当てはまらないという。

「定型発達者」と「非定型発達者」いう捉え方である。何がマジョリティーだとかマイノリティーだとかのニュアンスが“脱色”されている印象が大事だ。

大雑把な言い方をすれば「月並みな発達者」と「月並みではない発達者」ということになるかもしれないが、これもよく考えてみれば、一個の人間の中には「月並みな発達」の部分もあれば「月並みではない発達」の部分も混在することがある。

一方で、子どもの置かれた環境、特に家庭環境、それも、それぞれにおいて、それこそ「定型的な家庭」というのはもはや“妄想”である。

実は東京ではあまり報道されなかったようであるが、札幌では児相(児童相談所)と警察の間の連携不足で女児が衰弱死したという報道がされていた。

もちろん視察先とは関連のない話ではあるが、子どもをめぐる環境整備は、持って生まれた個性しかり、家庭環境しかり、保育施設、教育施設しかり、医療施設しかり、児童相談所しかり、様々な情報共有、あるいは隣接情報共有の構築が必要であるのかなと、思った。







旭川市の公共施設の老朽化問題

旭川市の屋内幼児遊戯施設「もりもりパーク」を視察。

まず旭川駅前にちょっとびっくり。下のグーグル3Dで東方面を見たもの。旭川駅の北側に赤茶の広場がドンとある。



広場の西隣にはイオンモールがデーンとある。



ゆっくりした景観だが、冬になると多くが雪景色に変化してしまう。年の3分の1は雪に囲まれる土地柄だ。


広場はイベント会場として利用され、賑わいの中心を担っているという。

夏場で開放感いっぱいだが冬場はグーグルマップで見ると以下のごとく。


という次第で、冬場の屋内の遊び場の需要もあって平成23年に商業ビル内に開園したのが「もりもりパーク」


ちょっと気になったのは、旭川市としては、現在無料のこの施設を有料化にもっていきたいということ。遊具の老朽化(使用劣化?)も進み、いろいろと経費が掛かるから、という“行政特有の”プロセス。

しかし、雰囲気からして、かつての中心市街地の活性化策という制約要因も見受けられた。元々は旭川での名門デパートが閉店したビルの再活用であるらしく、1階は新宿のデパートといった感じでリニューアルもされているが、上の階に行くと昭和のデパートといった趣が残っていた。「わんぱく広場」としては構造的に無理なのだろうが、天井の低さが気になった。

雪深い時期には必須の施設であろうが、今は閑散としていたのは、まあ、しょうがないのかも、と思った。








2019/07/30

苫小牧市のトイレカーから考えさせられたコト


7月24日、福祉保健委員会の視察で北海道苫小牧市を訪れた。当地は昨年9月に震度7の北海道胆振東部地震の震源地、厚真町に近い。しかし苫小牧駅から見た風景は、道路の広さに比べて人もまばらな地方都市の“通常営業”の姿であった。

北海道胆振東部地震は死者42名、山が崩壊するなどの被害をもたらし、北海道全体のインフラが停滞するほどだったのに、ちなみに、苫小牧市は震度5クラスだったが、東京にいると、改めて調べ直さないとわからない。・・・観光産業育成の北海道としては、“調べ直す”などしないでほしいのかもしれないが。

さて、苫小牧市は人口約18万、JR苫小牧駅の乗客数は千歳烏山駅の約10分の1、駅前の広さは、5倍くらい。(あくまでも個人的な調査及び感想!)

隣町で山をも崩す震度7が発生しても、苫小牧市がビクともしていない様に見えたのは、震度5クラスとの差なのだろうか、それとも人口密度や街の作りの大きさの違いなのだろうか。

委員会の視察目的は、「福祉のまちづくりの推進について」

現市長は「○○大作戦!」というのが好きなようで、現在は「みんなで健幸大作戦!」、その前は「ふくし大作戦!」「スポーツ大作戦!」とのこと。市役所内には横断幕やノボリがあちこちにあった。(「ふくし大作戦!」の正式名は「第2期苫小牧市福祉のまちづくり推進計画」)

視察としての目玉(大抵の場合、目に見える)は「福祉トイレカー」本項の最上段のクルマの写真をクリックすると一目瞭然。

今さらながら驚いたのは、「バイオトイレ」なるもの。

中身は「おがくず」だけで、「糞尿(固形)」の「尿(水分)」を除いた「糞(固形)」の部分をほぼ完全に、“消滅”させてしまうというもの。汚臭も発生しない?

豊富な林業資源もある北海道なので、「なにか特別な木材のおがくずでは?」「いいえ、どんなおがくずでもできます。洋材でもできます」とのこと。

おがくずについているバクテリアが「糞(固形)」を簡単に云えば食べてしまう、ということらしい。

来週には横浜市の防災担当者が視察に来るとのこと。

「バイオトイレ」の最大のメリットは水がいらないこと。水に流さなくても完結するトイレ、かつ汚臭が発生しない。

それにしてもなぜ苫小牧市で?

年間平均気温が零下を下回る期間が3ヶ月もある土地では、屋外トイレでは水が流れないという事情があるのだろう。

世田谷区の場合、水が流れない、というのは気候だけが理由とは限らない。念頭にあるのは首都直下。

電気、ガス、道路、上下水道、どのような被害が襲うのかわからない。

実は、調べてみると、世田谷区にも「バイオトイレ」が某区立公園内にあった。しかし、災害対策として検討されているようではない。


上掲は委員会の「福祉トイレカー・とまレット」前での写真。各委員の手元が変わっているのは、苫小牧市で教わった「手話」インスタント表現、のつもり。
















2019/07/02

質問するなら情報公開請求を!

それは6月の他会派の一般質問で起きた。

フードロス問題に関し世田谷区立小中学校の給食の「残飯」と「野菜くず」はどれくらいかの質問。

それぞれH30年度(1年間分)で「残飯」は526トン。「野菜くず」は273トン。合計で799トンと答弁。

次に、質問者はこれはオール世田谷の量であって、学校別で委員会に公表できないかと質問。

教育委員会の答弁は「学校別のデータは学校間の競い合いを招く恐れがあるので・・・」というような言い様。つまり出来ない、ということ。

さらに質問議員が「学校ごとの食べ残しの量って個人情報なんですか」と畳み掛けたところ、答弁は「個人情報ではございません」・・・。じゃ、なぜ出ない?

本会議での一般質問は持ち時間10分と、再質問は2回までという制限が課されている。

つまり、答弁者側は、どうであっても答弁を3回繰り返せば、“逃げ切れる”という計算はある。(或いは3回も丁寧な答弁ができるという善意溢れる態度もあるかもしれない)

しかし今回の答弁は“逃げた”のではなく、学校別の残飯等のデータ公表を拒否したのである。

逃げたのは、その理由。理由にならない理由を3回繰り返して質問を終わらせたのである。

この質問で、教育委員会の回答は、各学校別のデータは出さない、「そういう結果」と受けとられるだろう。

しかし、各学校別のデータは以下の通り、「公開」しているのである。


このデータは平成30年度の世田谷区立学校の毎月の「残飯」と「野菜くず」の量を表にまとめたもの。入手先は「世田谷区教育委員会」

情報公開請求すれば、誰でも取れるデータを、頑なに議会では公表しません、と言い張っているのである。

委員会において、情報共有をすることで、質疑が重層的に深められる点に、委員会の意味はある。(故に情報公開で入手できることと、委員会での公表では全く次元が異なる)

委員一人だけの情報では、他の議員は質疑に参加できない。また問題の捉え方の多様性も奪うことになる。

教育委員会は情報公開制度に責任を負わせて、自らの公表責任を放擲しているとしか見えない。さらには議論さえも避けているのだ。

議会軽視も甚だしい。







2019/05/27

中傷チラシは立派な犯罪!

中傷チラシは立派な犯罪です。

記事によると約2年前の都議選の時の“事件”なんですね。

選挙が終わってしばらくたったから、「何もなかった」ということにはならないということ。

2019/05/12

国の借金はどうでもいい?財政規律のユルさ!

5月11日の日経新聞の記事。しかも5面に小さく・・・。

今さら、というか、多くの国民が知っている範囲の数字なのだろう。前年度末に比べて15兆円の増加。

国民は知っていても、どうすることもできない。

とはいえ、昔は財務省が主体的に、「おおごとになる」式の広報をしていたが、今は、そんな気配もない。

一方で、財務省の財政規律なんてのは、古い財政学の遺物みたいな論が闊歩している。曰く、国の借金500兆円の時から大騒ぎしているが(それ以前からも)、それが倍の1000兆円に膨らんでも、何も起こらないじゃん、というもの。

しかし、最近の各紙の経済記事を読むと、昨年後半ぐらいから、例えばリーマンショックから10年という特集の中に現在の日本の財政状況を深刻に捉える内容があふれていた。

何も起きないのだから国の借金は構わない、というのは間違いであり、それは必ず来る首都直下と同じ。関東大震災から96年間何も起きていないから、何も起こらないというのと同じだ。

財政問題に関して、国との関連では地方議会は起きてからでないと、対応できないのが悲しいかな現状。

大丈夫なのだろうか?世田谷区の財政を黒字にしたと、過去の話を未来への実績のように受け取られて当選した区長、手腕は未知数である。



2019/05/10

誰でも見られる世田谷区の委員会資料

他会派の議員と話していて、委員会傍聴時に渡される委員会資料(議員の手元にある資料と同じもの)を傍聴人が持ち帰れないのか、という相談があった。

意外だった。すでに世田谷区議会では、委員会資料についてはコピーサービスが可能だし、タイムラグがあるが、全資料をネット公開している。たぶん議事録の公開もタイムラグがあるので、資料と併せて委員会での議論がどうなっているのか、かなり克明にご理解いただけると思う。

委員会資料はここ→http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/107/157/802/d00147207.html

2019/04/20

福祉の基盤を守る行革を!



高齢者の福祉財源は税に依存してる部分が大です。

故に税金の使い方と、その「順序」はここ20年間(高齢者人口のピークがすぎるまで)、慎重な配慮が必要です。

建物の老朽化を理由に全部建て替えていたら(公共施設数860超)、財源は下図(まるごと区の資料から抜き出し)のように底を突き、高齢者福祉を直撃し、老後不安はますます増大します。

一方、首都直下地震が想定される中、安全な公共施設は絶対に必要です。両立は簡単ではありませんが、それは前々区政からやっている公共施設の「選択と複合化」です。

端的に云えば、このことが「行革」のメインです。合わせて、人件費の抑制。決して歓迎されることではありませんが、やらなければ福祉財源が縮小します!


保坂区長(陣営)のビラの虚構性は

下に示したように、ここには平成30年度までの実績です。今後のことは示されていません。短期的に、やるべきことを控えれば、借金はゼロになりますが、中長期的に見れば、単なる問題の先送りです。身近な公共施設が使えない頃には区長はいなくなっているかも知れません。

簡単に言えば、区民の皆さんは道路メンテナンス代、公共施設維持代、福祉サービス代等々と様々なインフラ整備や行政サービスに対して区民税を払っています。

しかし、実はやるべきメンテナンスや維持費をこっそり使わずに貯金に回していたら、必然的に借金はゼロになるのです。

特に公共施設整備は莫大な税金が掛かりますが、それを単にストップ(支出を停止)しているだけなのです。

その間に、公共施設の老朽化と高齢者人口の増大とが重なって問題解決の複雑さは極まります。実はそれを考えるのが区長の仕事ではないでしょうか。

あなたの身近な公共施設が突然、使えなくなる頃、現区長はいるでしょうか?



2019/04/15

世田谷区議会議員選挙立候補者一覧

選挙管理委員会公表分

2019/04/14

おおば正明、本日世田谷区議選に立候補しました!

掲示番号は72番です!






簡単にいえば、高度成長期時代に建てた公共施設が一斉に老朽化の時代に入り、また団塊の世代が福祉世代に突入するからである。

若い頃は行政や福祉という捉え方をしなくとも、親がいたり、家族がいたり、元気一杯の身体があったりして、頼るべき相手は事欠かなかったかも知れないが、その親が老い、家族が離れ、肉体の衰退を実感するにつれて、身近な行政や福祉サービスとは無縁とはいえないことを多くの人が自覚し始めたのが「令和の時代」となるのだろう。

世田谷区議会の中で、これまで最も長く、福祉保健の議論の現場にいた議員の一人である。(自称・行革議員というイメージからすれば意外かもしれないが)

行革(行財政改革)とは、究極、福祉環境の周辺の無駄を取り除くことであろう。

優先順位の低い行政サービスに、保坂区長はこだわり続けている。

その典型例が、本庁舎の合理的な改築計画の「放置」であった。本庁舎の建築家が高名な人物とあとで知って(実際にはその弟子が関わっていたのだが)急に改築方針を躊躇しだし、2年もの時間を空費したことである。

悪名を恐れたのだろう。

その間、建築費は高騰し、災害対策の本部機能が事実上ない期間が、2年延びたことである。区民は知らない間に危機にさらされているのである。

芸術に理解を示す区長を選ぶのか、区民の安全のためなら芸術なんて無視する無教養な区長を選ぶのか?

結論から言えば無教養と非難されようが、区民の安全を守る選択を最優先すべきである。

「芸術には言葉では表せない、無限の力がある」だろうことは知っている。しかし、カネの掛かる(税金を使う)芸術は財政難の時には毒である。

本庁舎の建築家が誰であろうと、首都直下の安全性、例えば福祉系の職員が被災後に職務に就けないことを想像してみれば直ちに改築に舵を切るべきだった。

いまのところ、首都直下が起こっていないので、実害は見えていない。

冒頭の問題、公共施設の老朽化と首都直下対策、そして増大する多様な福祉ニーズをどうやって両立するか、という議論を議会の中で、一番多くやってきたつもり。

私は、行政に対して、僭越ながら「提案」なるものをした記憶はないものの、有能な行政マンの頭脳を遊ばせないできた、という自負はわずかにある。

適材適所の人材には、質問の山をぶつけて、どうしてできないのか、どうすればできるのか、その根拠は何か等々、議会の場で発言しながら、新たな展開を見つけたことはすくなからずある。(しかしなぁ、保坂区長になってから適材適所の人材がいるのか疑問)

今期の私の働き方は、適宜、区政報告を直接お渡ししたり、新聞折込を使ったり、街頭で説明させていただいたり、とやれる限りのことはやったつもりですが、何せ91万区民に、どれほど伝わったかは、わかりません。

上記のことに関して、私の新聞の最新号のハイライト部分を載せます。