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2013/12/25

自慢・高慢・散漫バカのうちー2月9日(仏滅)都知事選投開票

石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消ゆる時なし (啄木)

 「自慢・高慢・散漫バカのうち」というのは小学校の恩師の口癖だった。語呂がよかったのか半世紀たった今でも口づてに出てくる。
 当時は「散漫」が主眼で、授業の集中しなさい、というほどの意味だったのだろうが、年齢を重ねるうちに、「自慢・高慢バカのうち」が至言となって来るから、まさに「冷や酒と親の小言は後で効く」である。

 さらに年を取ると、どっこい「散漫」が老化のシグナルとなるから、やはり人生の名言であろう。今さらながら恩師に深く感謝である。

2009/11/11

財政再建への道

●官僚依存の政治を批判することで、誕生した新政権。“税金の無駄遣い”をなくして財源にするというのも何やら尻すぼみのようである。そもそも官僚依存の何を批判したのか、というとかなり怪しい●官僚(役人も含む)の特性は、公平・公正に政策を立案し、執行することにある●実は“税金の無駄遣い”というのはその公平・公正な執行に潜む問題である●故に、官僚の示す公平・公正な論理に疑問を持てない政治家は、“税金の無駄遣い”には切り込めない●新幹線から空港、ダム、美術館等々、なんでこんなに同じものが作られるのか●国体と甲子園を考えれば、必ずしも一つの県(場所)だけで開催することが公平・公正とは言えなくとも、問題がないことがわかる●要するに公平・公正の論理とは“国体方式”であり右肩上がりの経済に合わせてビルトインされた、価値観といえる●もちろん公平・公正は政策の基本であることには変わりない。問題はそこに潜む旧式の発想を払拭しなければ、官僚依存を批判したことにはならない●簡単に言えば官僚の論理を超えたアイデア(想像力)がなければ“税金の無駄遣い”には切り込めない(そこに議員としての日々苦心があるのだが)●本当は「官僚の論理」依存からの脱却なのである。そして処方箋は出ている。国の借金を減らすことである。

2009/11/08

国会議員の仕事

●国会議員が“地方の仕事”ができなくなって暇になるとは結構なことだ●地方議員の親玉が国会議員ではないはずで、中央の利権を地方に引っ張ってくるのが国会議員の仕事という、馬鹿げた因習は断ち切るべきだ●国会議員は外交・安全保障・社会保障ほかの国の仕事に専心すればよい●必然的に地方主権なり地方分権が成立する。本来なら地方の財源を、中央でのやりとりゲームに見せて、集票の道具とする手法はそれこそ税金の無駄遣いの温床と化している●国会議員と地方議員は職種が異なる。それを見えないようにしているのも官僚依存である●地方議員と同じようなことをしている国会議員は、税金の無駄遣いと言われる時代が来たのかも知れない。

2009/11/02

次の看板

●新政権最初の論戦である予算委委員会。ビデオで一通り見たが、どう見ても自民党の退潮だけが目につく●やはり自民党に野党は無理かもしれない●一方、政権側もすでに政策にほころびが見えている。マニフェスト至上主義が行き詰まりを見せていることは、自民が追及するまでもない(たけしのTVタックルでもやっている)●さらに「脱官僚依存」の看板が、邪魔でしょうがない、といった観もありありである●「政権交代」や「脱官僚依存」に替わる新たな“求心力”(大義名分)を探しているのではないか、そう感じた●歴史的に見れば新政権なるものが目指すのはたいてい“首都移転”である●首都直下地震、感染症パニックだけを見ても過密都市の欠点は明らかである●つまり理屈はいくらでも付けられる。さてどうなることやら。

2009/10/29

無理な解決方法

●先日の関門海峡での衝突事故。護衛艦のくらまがコンテナ船によってこんなにペシャンコになってしまうのかと、驚いた●日本の防衛(状況)について余りにも知らないのが現状ではなかろうか●新政権になって日米安保が揺れている●新政権が自民党政権のやってきたことを全部ひっくり返したい意気込みは理解できるとしても、こと外交・安保について、生活者の視点だけではどうにもならない●外交・安保の世界は、言わば“インテリ暴力団”の抗争のような世界であろう。ちょっとした失敗でもミサイルが飛んでくる●およそ地方自治ではあり得ないコトである●国政には地方自治の延長線上で解決できる問題と、全く異なる価値観でしか解決できない問題があることを再認識すべきだ。そこに新政権の弱点があるのだろうから。

2009/10/26

自民党の眠り

●この日の民放トップニュースは薬物タレントの裁判だった。傍聴券に6千人の列とか。貧困、格差、経済不況等々の問題をさしおいて、興味本位のニュースに時間を浪費するテレビ局の姿勢には辟易するが●さて本日のトップではなかった新首相の演説●ビデオで見たが親近感を覚えた●それもそのはずである。民主党がとってきた戦略は一貫して地方政治を国政に持ち込み“料理”して見せることである。一つの理由は政治と生活が直結する部分で国民の関心を引きつけること。そしてもう一つは地方政治の分野以外では民主党は政策がバラバラだからである●つまり鳩山首相の演説はそのまま世田谷区議会でも違和感がない、ということである●日米関係がどうのとか、財政赤字がどうのとか、そんなことよりも身近な政治を語ることで掴んだ勝利である●もちろん大きな政治を掲げた自民党は為す術もなく大敗した●その縮図が国会である。首相の演説中、NHKのカメラは本会議場をくまなく映し出す。それが左である。首相演説が始まって10分ほどである●大きなマスクも何だかなあと思うが、その横で完全に居眠りしているように見えるのも、疲れ果てた凋落自民党を象徴している。少なくともこれでは民主党がダメなら自民党とは当分いかない。

2009/10/04

注目の大阪高裁


●関西の情報は東京にあまり伝わらない。東京では東京の状況が日本の状況のように錯覚しがちである●特に自治体関係者はそうである。しかし全国の地方自治体は財政破綻と隣り合わせの所が大半。地方議会の中でも、このままでは行かない、と感じている議員も少なくない●その議員OBが放った一矢が今注目されている●“無駄遣い”の定義は実はむつかしい●もちろん不正は無駄遣い以前の問題で、なくすのは当たり前だが、不正とは言えない分野での“無駄遣い”を見つけるのがむつかしい●行政の制度は外からは見えにくい。しかも時間が経過すると本来の趣旨とは異なっても歴史的な重みだけで継続されていることが多い●そこに“無駄遣いの痕跡”は潜んでいる●無駄遣いは掘り下げていかなければ見つからない●左の裁判も議員たちの足元にあった問題である。誰もが掘り起こそうとしなかった●“無駄遣いの発見”は発掘調査のような仕事だ。

2009/09/23

脱官僚の障壁


●「脱官僚」とは言うものの、言葉に実態を合わせるのは容易ではない●この記事も「だから言わんこっちゃない」ということかも知れないが、外務省役人の“手引き”があったのは明らかであろう。現にこうして記事となったのだから●今後、国会で野党自民党の追及が始まれば、事と次第によっては、こんな“苦笑い”の記事では済まなくなる●「政治主導」の最初の障壁は「こんなこと役人にやらせたほうが早いや」と諦めることである。もちろん全部を政治がやれるはずもないが、一皮むけば政治は何から何まで面倒なことだらけである●だから自民党は官僚依存を深めたのであろう。さらに官僚の言うとおりにしている方が、“もっと楽だ”と気づいたのである●民主党に楽ちんの“自由”を与えてはいけない。そんなことをしたら“自由”民主党に逆戻りである。

2009/09/21

首相になれぬ家系? 1/7


●民主党政権の華々しいニュースが相次ぐ中で、自民党の総裁選を見ていると、言っちゃ何だが、どこかの発展途上国の酋長選びのようだ。しかし新たな萌芽は こんな所から始まるのだろう●その中で、ひとり河野太郎氏だけが正しい状況認識を示している(その言動からすれば、いずれ飛び出す覚悟がうかがえるが、首相にならぬ家系であっても、その昔の新自由クラブの家系でもある)●現在の政治方向は小泉構造改革から始まったと言って良い。小泉首相以後、結局自民党 はその改革の意義を理解できなかったのに比べ、民主党がその改革の思想(と選挙手法を受け継いで)勝利した●小泉構造改革は簡単に言えば、田中角栄型の地 方開発型経済の転換である。

首相になれぬ家系? 2/7

●開発型経済とは結果から見れば、農地に一本道路を通すことで宅地化が進み地価が何倍にもなる、という魔法のような政策である●と同時に地方にあっては、 農業から土木事業者への職種転換の受け皿という目的でもあった●しかし可住面積に限りがあり、人口が増えない中で、道路を作って農地を住宅地に変えるとい うビジネスモデルは限界を迎え、何の投資効果も生まなくなった。

首相になれぬ家系? 3/7

●それどころか「目的」が明示されないまま「手段」だけが作られる官製ビジネスが道路からどんどん“応用”されていった。道路が作られ、新幹線が作られ、 飛行場までが作られる始末である●まさに“目的”が示されないまま“手段”の部分だけが増幅、暴走するのが官僚の思考である(たいていの場合、地域からの 要望ということが目的にすり替わるが)●「目的」を明示しないのは官僚や役所が責任を取らされるからである。もっと言えば本当の「目的」は、地方における 農業経済から土木経済への持続的転換でしかない、つまり地域雇用である●地域雇用が真の目的で道路が作られ、新幹線が作られ、飛行場が作られるのだから、 採算が合う訳がない。その責任まで官僚や役所はとりたくないのである。

首相になれぬ家系? 4/7

●日本では「目的」が明示されないまま「手段」だけに巨額の税金が投じられることを、「整備計画」と称する。役所用語で最多のキーワードは「整備計画」という名称だという説もあるくらい多い●「目的」と「手段」と「結果」を結びつけないのは政治の責任である。

首相になれぬ家系? 5/7

●そこで登場したのが小泉構造改革である。それは地方における農業従事者を土木業に転換したビジネスモデルに見切りをつける改革でもあった。或いは地域雇 用の為に暴走する公共工事に市場性を導入すると言ってもよい●いくら何でも道路があり、新幹線があり、その上飛行場まで作るという交通体系は過剰であろう ●だから小泉構造改革は、ここまでは正しかったと思う。しかし地方における新たなビジネスモデルを提示しないまま、小泉構造改革を進めたことは失敗だった●当然である。農業 が廃れ、土木事業へと職種転換することで生活してきた人々にとり、その土木事業が税金の無駄遣いと指弾され、バッサリ切り捨てられることは、そう簡単に納 得できるものではない。

首相になれぬ家系? 6/7

●さあ、ここからである。自民党は元に戻す方向(ターンバック)で支持をつなぎとめようとしたのに対し、民主党は何か新たな改革を期待させながら積極的な バラマキ(補てん)策を見せた●結果は知っての通りである。もはや元にもどることに、何ら希望がないことを国民は感じている●では、農業に替わる地方産業 としての公共土木事業に、さらに替わる新たな産業政策をどの政党が提示できるのか、そこが問われている。

首相になれぬ家系? 7/7

●小泉路線を継承し推し進めると河野太郎氏は言う。それは正しい。しかし、それはあくまでも都市部だけでの正しい認識に過ぎない●今後、地方をどうする か、国政の課題である●そして地方の議員はもはや「整備計画」などという目的と手段を取り違えているような“まやかしの税金投資”を吟味する必要がある● 必要なのは明確な「目的がある計画」である●今後の政治状況がどうなるか予断を許さない。ひょっとすると首相になれぬ家系どうし、渡辺喜美氏と河野太郎氏は連 携するかも知れない。

2009/09/19

能力主義と採決要員

●副大臣、政務官の人材争奪戦(政策通引っ張りだこ)の報道を見て、仕事をするならこうだよな、と思った人が多いのではないか●政治主導のもと新大臣が腕 を振るうなら、出来る政治家を集めるのは当然である。その様を見て“新鮮”と感じるのは、いかにそれまでの政権がひどかったか、である●副大臣にしろ政務 官にしろ各派閥からの“順送り人事”とかでチームワークも何も感じられるものではなかった●要するに新政権は能力主義である。方や旧政権は平等主義とでも 言うのだろうか、まともな答弁もできないのに当選回数だけで大臣になれたシステムであった●しかしよく考えてみると能力主義と平等主義の対立は常に、「能 力主義は格差を産む」というロジックで平等主義から攻撃を受ける●政治の場合、能力主義が横行すれば、必ずポストに就けない議員が出てくる。それらの不平 不満がともすれば“党内平和”を崩しかねない恐れがある。そこに介入してきたのが優秀な官僚たちであろう。能力不足を補って、どの大臣も能力のある大臣に 覚醒させてしまうのだから、素晴らしい“覚醒剤”である●しかしそれが結局、官僚の政治介入を許し、政党が国民そっちのけで“党内平和”に汲々としている 姿をさらし出し、果ては国民が呆れたということである●さすがに“漢字読めない政治家”までは官僚もお手上げだったのだろう●政治主導とは官僚という依存 性の高い“覚醒剤”を断つということである。つまり新政権では政治能力の足りない議員は極端に言えば(官僚という“覚醒剤”を使えないので)永遠に採決要 員ということになる。そこで持ち上がるのは“党内平和”がぐらつくことであろう●能力主義と“党内平和”は常に対立関係にある。大所帯になれば尚のことで ある。新政権がこの、内なる課題をどう克服するのか。区議会においても同様であろう。

2009/09/10

支持率急落

●米国大統領の支持率が68%から57%に落ち込み、就任7ヵ月の大統領としては 異例の急落とNHKが報じていた●原因は医療保険制度改革。昔こころみて失敗した改革である。映画「シッコ」でもその問題点は明らかになっている●とは言 え、米国人は税金にシビアだ。それに伴う権利義務も明確で、曖昧な負担は断固許さない、という国民性はたいしたものだ●選挙の時、人気が最高潮で、就任 後、公約に基づいて仕事を始めるとうまくいかない、というのはどういうことか●どこかに民意とのズレが生じているのだろう。或いは国民の苛立ちがどこかに 溜まっているのだろう●NHKも何かの暗示のように、この時期、報じているのかもしれない。

2009/09/08

質問の根っこ

●議員の質問とは、どこかで“社会への疑問”や“現状への怒り”というものにつながっていなければ、いけないと考えている●逆に言えば“社会への疑問”や“現状への怒り”がない人が議員であってはならないとさえ考えている●もちろん偏見である。しかし、政治の状況をつぶさに見れば今回の民主党の小沢氏の行動力は、深い“社会への疑問”や“現状への怒り”が彼の中になければ、到底できなかったのではないかと思えるからである●或いは小泉前首相の政治行動は誰が見ても自民党の中での旧田中支配、経世会支配への疑問や怒りから発していたものである。いずれも破壊力が実現した●それに比べて、安倍、福田、麻生の各氏は、何ら“社会への疑問”や“現状への怒り”が感じられなかったし、たぶん希薄だったのだろう。石にしがみついてもという迫力はなかった。結果何もなし得なかった●つまり、政治主導とは、その政治家にどれほどの“社会への疑問”や“現状への怒り”が蓄えられているか、ということに比例するということである●小沢、小泉氏に及ぶべくもないが、地方議会においても同様である。“社会への疑問”や“現状への怒り”のない議員は、議会においても何を質問して良いのか常に方向性が定まらない●適当に話題性のある、かつ誰でもできそうな質問を繰り返しては体よく役人にあしらわれていることも少なくない(役人に先生、先生と奉られている、いわゆる森昌子症候群のことだが)●国政と地方政治は制度が異なるので、地方議員は質問抜きでの政治力というのはあり得ない。地方議員は質問がすべてなのである。

質問より仲良く

●しばし区議会の中にも、そんなことは電話で課長に聞けばすぐ答えてくれるだろうに、というような質問を本会議や予算・決算特別委員会で延々とする議員がいる●特に、まだ新人の頃に、ベテランと呼ばれるような議員が、まるで役所の部長とか課長とかと“朗読劇”でもやっているのかという感じで、しかも質問が繋がっていないので、聞いている方は、常に置いてきぼりを食らう状態だった●肝心な所に来て、別の質問に移ってしまうという、まさに離れ業である●簡単に言えば、質問時間が手持ちぶさたというような感じであり、言いたいことがあれば直接言えばいいし、まさかみんなのいる前で言うこともないだろう。こんなカルチャーを堂々と議会制度に持ち込んでいるといった感じである●民主主義とか議会制度という下では、社会常識とは異なる文化で成り立っている。とはいえ議会も一つの社会であるという主張がある。そこに大きな誤解が生じる素地がある●職場だろうが、地域コミュニティーだろうが、ハッキリものごとを言うことは好まれない。婉曲にまず表現することがマナーであり、人前で恥をかかすようなことはケンカを売るようなものである。そして社会の中でうまくやっていくには何よりも回りと仲良くである●しかし、そんな意識で議会をやられたら、議会が活性化するだろうか。行政とも仲良く、失敗はかばい合い、大事なことは目立たず決める、突出することはやらない、やらせない、とにかくみんな一緒で文句の言いっこなし・・・実はそういう体質が今回の総選挙で否定されたように思える●有権者が求めたのは政治カルチャーの否定ではなかったのか。

2009/09/05

多数決の限界と実際やれること

●政治主導とか脱官僚とか脱官僚依存という方向性は正しい。しかし地方自治体の役人と接していてつくづく感じることは、彼らは議員の言うことなど決してきかない、ということである●もちろん議員の言うこととは官僚発想とは異なる新たなプランのことである。役人に言わせれば単にレベルが低すぎるということなのかも知れないが、仮にそうでなくても同じである●要するに何を言っても役人というのは「出来ません」の一言から始まり、「出来ない」理由を次から次へと出してくるのである●政治は選挙から始まり、多数決で決まる世界であるが、多数を占めたところで、そこから先は役人の「出来ない」コールとの戦いである●こういうことは政治の現場で肌で感じるものである。さらに「できない理由」というのはやはり頭の良い役人が作るだけあって一理も二理もある。その一理も二理も、を超えなくては新しいことはできない●多数決は政党相手の“武器”であって官僚相手には必ずしも“武器”とはならないことに早く気づくべきである●実際地方自治の現場でも同じである●さて、左上の新聞記事は、やはり地方の反発必至とのこと。これも官僚の一度国会を通った国の補正予算の組み替えや執行停止などできませんよ、ということである●要するに上述したように一理も二理もあるということである●私自身も役人に“洗脳”されるまでもなくこれは困難なことだと考える。少なくとも国は地方の協力なしでは国政を動かせない、言うまでもないことである。政治主導を進めるには、それが官僚頼みより良いことが前提である。