2011/01/24
最悪の国会始まる
■年金・医療・介護・子育てのいわゆる福祉に掛かる国の予算は25兆円。そのうち10兆円が借金(赤字国債)つまり次世代へのツケである■一方で国家公務員の総人件費を2割(1.1兆円)カットをマニフェストで明言したにもかかわらず実際には790億円しかできていない■それで消費税増税だという■国家公務員を説得できないでウヤムヤにして、国民を説得できるだろうか■国会対策でうまく乗り切れば消費税増税への道がひらけるという単純思考である■国家公務員数約94万と1億2千万の国民の比を見ればどんなに大変で困難度が高いかバカでもわかる■菅氏が「霞が関なんて成績が良かっただけで大馬鹿だ」と叫んだのは1年3ヵ月前のことである。それが今では霞が関ベッタリ■丸投げである。小沢一郎氏は政治手法の背景に致命的な問題を抱えていたが“技術力"はあった。菅直人氏は芸も技もなく嫌なことは全部他人任せという、これでは国会進行がうまく行くとは到底思えない■やっていることは滅茶苦茶(筋が全く通らないことだらけ)で、何でもありの絶対王政にちかい迷走ぶりである。当然6月まで続く国会はマスコミが伝える予想をはるかに超える何でもありの破綻的な状況だろう。地方議員は大変である。
2011/01/13
玉砕内閣
■菅首相は昨日の民主党全国幹事長会議の挨拶で「まじめに国会対応に集中しすぎたことが反省です」と述べたらしい■どういう文脈であったにせよ、首相の資質ナシ、呆れた発言である(柳田法相発言と同じレベル)■その上、国会では「民主党のいいことは一言も質問しない」とも。自分がどのような野党質問をしたか、忘れているのだろうか■野党はその批判センスで仕事の質が問われている■そして少なくとも「生産的」「創造的」な要素が込められていなければ、単なる悪口に堕してしまうから要注意である■今となっては政権交代前に、現在の野党が散々民主党のマニフェストの財源問題を指摘していたはずである。その意味では「生産的」な芽があったわけである■それを無視した上で政権交代をし、1年半たった今、財源不足でやっぱりマニフェストの見直しだという、そして増税だという(16兆8千億の財源が出てくると言ったものの捻出できたのは3兆9千億)■こんな滅茶苦茶な政権では、いくら何でも「生産的」「創造的」な批判センスは見いだしようがない■菅首相が国会運営にエネルギーが取られるとしたら、ご都合主義で政権運営をしているからである。身から出たサビである■今度の国会は前回以上に菅首相は国会に忙殺されるはずである■ハッキリ言ってこんな内閣で働くのは無意味である(菅首相夫人は昨日、外国特派員協会の講演で玉砕もやむなしとの発言をしている)■『玉砕内閣』にいることがどれほど無駄か、せめて『玉砕首相』、『玉砕夫婦』にとどめるべきだと思うが。ともかく地方を道連れには絶対に避けなければならない。
2011/01/09
穴のあいたバケツを直すのが先
■日本全国デフレ不況の中で、公共の値段(税率や公共サービス料金)はなぜ下がらないのだろうか■逆に値上げ(増税)の方向で菅内閣は動こうとしている■これはおかしくないだろうか?実はここに行革の根源的なテーマがある■答えは役所が“独占企業”であるということ、すなわち競争がないということ■もちろん23区の中でもそれなりに競争はあるが、民間レベルでの競争とは程遠い■ウソだと思うなら役人に尋ねてみれば良い。「役所で競争するとどうなるんですか?」■おそらく誰も答えられないだろう。まるで競争の考えが存在しないからである■逆に言えば、働いても、あまり働かなくても給料はあまり変わらない、という現実がある(終身雇用・年功序列給料)■働いても、あまり働かなくても給料は変わらない、ということには、あまり働かなくても生活が保障されるということである■ここに社会との大きなギャップがある。民間では“一生懸命働かなければ生活ができない”■いやあ、最近では公務員叩きもあってみんな一生懸命ですよなんて言うのは実状を知らないセリフ。実際には管理職が休日返上で他の職員のあまり働かない分を補っているのが現状である■しかし、これでは限界である。ましてや昨今は管理職志望が減っている。あまり働かなくてもよい世界に身を置き続けたいというあらわれでもあろう■要するに言いたいのは公務員の労働生産性をあげる“仕組み”が全くできていないということである。そして労働生産性を上げる仕組みを設けない限り、公共の値段(税率や公共サービス料金)は上がるばかりである。(穴のあいたバケツで水が足りないと叫ぶより、まずバケツの穴を塞ぐ方が先ではないか、ということ。菅政権は穴のあいたバケツのことを全く無視して、もっともっと水を汲まないないと水が足りませんと言っている!)
2011/01/08
2011/01/07
議会の進化
■今朝の朝日新聞の3面に民主党の風間議員の紹介を兼ねた記事が載っていた。若い人の政治への回路をコツコツ作っていることが取り上げられていた。教育をキーワードに新たな取り組みを作っている、さすが世田谷区議会、多士済々という感じ(23区の中では比較的個人名で議員がとりあげられる、もちろん良い意味で)■国政とは違ってまじめで優秀な地方議員もいるにもかかわらず、国政と同じ目で見られるのは心外だろうし、何よりも信じがたいのは民主党の大量新人の擁立である■これでは地方議員の使い捨て同様である■地方議会に新人議員は確かに毎回必要である。しかし行政を監視し、行政の過ちを正すには新人議員だけではおぼつかない。政権同様、役人に取り込まれるのがオチである(役人は議員相手に少なくとも20年30年以上のベテラン揃いという現実がある)■主義主張や会派が異なっていようとも、コツコツ新しいコトを創造していく議員を(政権政党があそこまでひどすぎるとしても)十把一絡げにしては世田谷区議会の進化は止まってしまう■役人に取り込まれた議員は必要ないと思うが、役人に取り込まれなかった新人は次に中堅議員に成長してもらわなければ、議会の進化はない。
※取り込まれた議員と取り込まれなかった議員の簡単な判別法は、事実上、行政のやったことを議員がやったことのようにPRしているのは、だいたいが取り込まれた議員。すべてとは言わないが。
※取り込まれた議員と取り込まれなかった議員の簡単な判別法は、事実上、行政のやったことを議員がやったことのようにPRしているのは、だいたいが取り込まれた議員。すべてとは言わないが。
七草がゆと「応仁の乱」
■三権の長が、もう一人の三権の長を「資格なし」と言うのだから、もはや、である■民主党の内紛と能力不足は、国民からすれば昨年からずーっと見せつけられ、食傷ぎみである■年も改まり、ここらで七草がゆでも欲しい、ところだが、事態は悪化の一途■やはり昨年8月27日のブログで指摘したようにだらだらと「応仁の乱」は続くのだろうか。
2011/01/06
費用対効果の見極め
■足立区の記事だが、そこに載っている表によれば、2005年のワーストは世田谷区、しかし2006年2007年は2番目に改善、さらに2008年2009年はそれぞれ3番目、4番目に改善している■様々な要因が考えられるが、世田谷区では2006年から5支所管内で24時間安全安心パトロールを実施している■そのことからすれば、何らかの効果はあったと言えるのではないか、と思う■確かに、そのための費用1億7千万円をどう見るかは意見が分かれるだろう。(区民1人当たり年間200円)■もちろん実害もさることながら住宅都市としてのイメージというのも見逃せないポイントであり、ワーストの汚名を返上するためには、何でもいいから、やってくれ、という考えもあるだろう■今後とも費用対効果の精度を高めながら考えていかなければならない。(費用対効果が直結しづらい事業の見極めは本当にむつかしい)
新年初顔合わせ
■5日は夕刻から議会による新年初顔合わせ(於・議会会議室)■議員互助会(議員の自費)による、幹部職員を招いて、簡単に言えば、“同時集団挨拶会”■50人を越す議員が新年挨拶を庁内のあちこちでやられたら仕事にならない、ということもあるのか、この場を通じて個々の議員同士、また議員と各部のトップが一堂に会して“消化”してしまおうという意味■上掲は議員互助会の会長でもある川上和彦議長(自民)の冒頭の挨拶。さすがにほぼ1分でまとめている■思えば昨年の議員定数削減にしても、また費用弁償(交通費)の改正にしても、それが達成できたのはオモテには出なかったが、実は川上議長の判断が大きく働いている■一カ月前の12月3日の徹夜議会など、従来の自民党なら完全にキレていたはず。それが粘り強く対応したのは川上議長の胆力によるところが大きい。誰でも務まるようにセットされている議長職にあって、実は誰にも務まらないのが議会改革■自民党も変わりつつあるな、と思った。
2011/01/05
建築基準法84条
■“次の地震”が一日一にと近づいている。東京における地震の記憶は急激に薄れている■昨年の“地震の勉強会”でいささかショックだったのは、一般に首都直下地震の被害想定は112兆円と言われているが、それは同時に「112兆円の復興市場の誕生」という見方もあるということ■住宅需要だけでも33兆円のマーケットが発生するという■しかもこの巨大マーケットに世界中が関心を向けるかどうかがカギであるということ。まさに政府の“手際”の善し悪しで、東京再建のマーケットが誕生するのか、それとも世界から見放されてしまうのか分かれ道である、ということである■しかし現実に行政レベルで地震を復興まで想定している人間は研究職クラスだけで、予算は財政悪化で削られつつある(東京都予算)■そもそも現状の被害想定は平成9年に東京都防災会議が作成したものであり、12年も経過している■世田谷区で言えば、小田急線の高架化も実現せず踏切があった頃の想定である■左上は日経新聞の阪神大震災をきっかけに災害の教訓を伝える運動の記事■記事を読みながら思ったのは、もちろん民間伝承は大切であろうが、それらはたいがい、震災直後の用心を説いている、実は本当に大変なのはその後のことである■“勉強会”で指摘されたのは「都市復興が遅れれば遅れるほど住宅再建が遅れる」という法的構造である。これはリアルに阪神大震災後の神戸復興の過程から見て取れる■これはかなり過酷な現実である。「都市復興が遅れれば遅れるほど住宅再建が遅れる」というのは、家族を失い家を失った人ほど都市復興を考えなければならない、ということであり、別の言い方をすれば家族も家も無事だった人ほど都市復興など考える必要はないということでもある■それが具体的になるのが建築基準法84条の建築制限である。
2011/01/03
登録:
投稿 (Atom)