2011/06/30

無敵の「公益性」

 都政新報のコラム「記者席」で、保坂区長は「公約違反にならないか」と疑問を呈されている。つまり、区長選で大型開発の転換を掲げたにもかかわらず、再開発計画の一環とも言える二子玉川公園用地取得の議案を提案したからである。
 いわゆる反対派が担いだ保坂区長でさえ、この時期、こういう提案をしたのだから、再開発の一環と言われようと、公益性を認めざるを得なかった、ということだろう。要するに自民党系の区長だろうが保坂区長だろうが、公益性を第一に考えれば同じということである。
 どんな公約も公益性には勝てない。

2011/06/27

夏の節電対策は

 世田谷区役所が管理する照明器具について、その総数について今のところ“謎”である。これでは情報公開もあったものではない。要するに一元的に管理されていない。施設だけで700もある上、街路灯となると管理関係も即答が得られない状況である。
 その結果、全部をLEDに換えたらどのくらいの経費が掛かるのかわからない。おそらく世田谷区役所だけのことではないだろうが。お役所文化では、消耗品の管理は眼中にないということだろう。
 7月から節電に区役所として本格的に取り組むことになるが、何か、上からの大号令だけで現場は従えばいいんだ、という受け身の姿勢が目につく。先日の議会の幹事長会でも議会施設部分についても、“お達し”があったが、せめて議会施設部分だけでもLEDに入れ換えたらと、口角泡を飛ばして主張したが、そういう意見もあるということで、終わった。
 記事にある通り、LEDに換えれば原発13基分が浮く計算で、導入促進は即効性が高く持続性もある、と太鼓判である。6月議会に補正予算を組めば、この夏に間に合ったはずである。
 それでも、専決処分という手は残されている。東電との“情報公開闘争”もいいが、足下の節電速攻策としては、区役所のLED化は最優先課題ではないか?

太陽がいっぱい

 日照権について、そもそも最初の裁判が起きたのは世田谷だったという。まさに住宅都市ならでは、ということだろう。そうしたら、今朝の読売新聞に世田谷で太陽光発電をめぐるトラブルの報が・・・。
 このトラブルが指し示す、太陽光発電が求める都市のあり様は、実は、行政が補助金を出せばいい、という単純な話でないかも知れない。
 世田谷区にあって、太陽光発電を最大限活かすには、どのような配置(太陽と都市構造物との)が良いのか?おそらく高層ビルだらけとあっては上記トラブルは続発するだろう。現行の太陽発電では電柱の影さえ、その発電能力を左右するという。
 もっとも最大の区有地は道路であるから、その活用も、圧力発電なども含めて考えられるかも知れない。「脱原発」というのは都市構造の変化を求める。
 大型開発の見直し、という言葉の意味は、文字通りやめてしまうというニュアンスの他にこれまでとは違った価値観による“新たな開発”という方向性も含まれているのではなかろうか。「脱原発」には当座、省エネ発電としての火力発電の更新が急がれるだろう。熱交換率は世界最高水準という。その“時間稼ぎ”の間に、都市構造も変え、ライフスタイルも変え、太陽光発電や他の自然エネルギー発電の技術に期待する、賭けざるをえない、ということだろう。

2011/06/23

いきなり保坂区政に木下区議ノー

 保坂区長としての初の定例会が終了した。23日の東京新聞にその総括の記事が。記事にもあるとおり、保坂区長のあいまいな対応に区議会からは不満の嵐。本会議場で自らが保坂さんを擁立したと豪語した木下区議さえも、大型開発の見直しが行われていないと、早くも保坂区長提案に反対する羽目に。
 もともと地方議会には与党とか野党とかあり得ないのだが、選挙後初の臨時議会から“保坂与党”を気取っていた面々も今定例会をもって夢から覚めつつあるようだ。

2011/06/21

明日のせたがや?

 財政悪化を論じている間はまだ平和。いよいよ米櫃(こめびつ)の底が見えてくるとそうはいかない。
 お隣では区長に対して議会から責任追及の声が上がったとか(左新聞記事)それにしても“危機管理がなっていない”と今頃責めても後の祭り。そもそも議会のチェック機能はどうなっているんだ、と区民は思うはず。さらには区長の予算案を通したのは議会である。それぞれの会派(議員)がそれぞれの段階で、結果ととして日の目を見なかった財政再建策を提言していたとしても。
 目黒区の問題は世田谷区での問題である。まだ米櫃の底が見えていないくらいで、このままでは早晩同様になる。
 故に、早い話、新区長には「何を削るのか」「区民に示して意見を聞け」と本会議の代表質問で単刀直入に質した。
 新たな抱負のもと区長になった保坂氏とすれば、いきなり議会で「何を削るのか」答えろという、切り口上には面食らったかも知れない。
 本来なら、区長としての考えを聞き、また区民代表としての議会の声をどれだけ聞くのか、そんなあたりから始まるのだろうが、昨春のギリシャ問題以降、財政危機戦争モードのウチの会派としては、そんな悠長なことは言ってられない。
 税収が増えない以上、何かを削らなければ立ち行かない。さらに区民への財政状況への周知も限定的である。短時間のあいだに保坂区長が財政への理解を深め、一刻も早く財政健全化への処方箋を区民に示してほしい。

市民感覚と同じ!

指示待ちでは無能の時代に

 節電は呼びかけだけで済む問題ではない。例えば節電の影響は保育所にも出てくる。(左は20日読売夕刊)単に公共施設も節電で休館、という訳にはいかない。高齢者等の熱中症の問題も昨年の夏の猛暑を考えれば、備えなくてはならない。
 要は節電でどのようなことが起こるか、まさに危機管理。もちろん財源を伴うことであるが、週末保育に対しては厚労省の基金の活用が検討中とのこと。役所は3.11以後、柔軟な発想と対応が求められている。紙に書いてあることをやれば済むという時代ではない。自分で考える比率が高まった。指示待ちではもはや通用しない。

2011/06/19

軽消防ポンプ車


 6月17日のNHK朝のニュスで、こんな「軽消防ポンプ車」を紹介していた。東日本大震災後に需要が急拡大したという。細くて狭くて曲がれない道が多いのも世田谷区。新米のタクシーの運転手さんによれば「パニック道路」
 火事の時など心配と思うのかも知れない。しかし世田谷消防署にかつて確認したところによれば、平時であれば幹線道路が大渋滞でもしない限り、一戸火災の範囲で消火はできるとのこと。最近はこれより手軽な「スタンドパイプ」という消火栓さえ確保できれば一人で運べる機材も普及し始めている。また震災時は細い道路は倒壊家屋が道をふさぎ、軽消防ポンプ車すら入り込めないという。ただし、無いよりはあったに超したことはない。大型は入れないけど、軽消防ポンプ車なら入れるという所は必ずあるからだ。

財政+発信力

 保坂氏の実質的な区長デビューとなった6月議会。13日からの3日間、延べ7時間を超える議員側の質問に対し、それを超える答弁時間で応えた保坂区政。
 左は区長答弁を報じる都政新報。
「あいまい」というのは2種類ある。一つは大型開発見直しについては、これまでの経過も含めて“ちゃぶ台返し”を一切ほのめかさなかったこと。もう一つは財政問題は不得手ということ。元社民党ということからすれば労働者の視点はあっても、経営者の感覚はいきなり期待するのはむつかしいのかもしれない。
 就任一月半で、何でも解決策なり方針を示せというのは酷であり、区長の眼中には被災者・被災地支援のまなざしがしっかりあるということだけはわかった。しかしそれも財政の範囲である。現在の経済状況では首長の本業は「財政運営」、つまり地方自治体の経営である。ことに地方分権にもとづく、独自の主張なり、他でやっていないことをやろうとすれば、「財政基盤」の安定性があってこそである。
 一方で、これからの首長は「財政運営」にだけ、かまけていてはならない。「名代官」で終わってはならない。つまり「発信力」「発言力」である。国やあるいは世界に、経済界や各分野にも区民の代表として世直しに、4年ごとの審判を受けて発言する時代である。実はこの「発信力」も「財政資源」になりうる可能性もある。

2011/06/15

花より断行


 震災で全校児童の7割が死亡・行方不明になった小学校があったという。避難する時間は十分あったのにみんなの意見を聞く議論に40分も費やし、結局逃げるのが遅れたという。避難路や避難方法が決められていなかったという。学校側の津波に対する危機意識の薄さが招いた悲劇。つまり人災である。
 みんなの意見を聞いて議論するのはとても大事なことだが、津波警報の最中にすることではない。当たり前のことがわかっていなかった。
 最大の要因は危機意識の薄さである。
 世田谷区の財政問題は深刻である。もはや財政のトップが説明と処方箋を配るということをしなければソフトランディングできないほどである。そのことを13日の代表質問で田中優子議員が質した。
 実は、目に見えやすい危機(災害対策)と、数字にしか現れない危機(財政危機)との2問を質問したのだが、さすがに目に見えやすい危機に対しては反応があったが、数字にしか現れない財政危機の方は鈍いようである。しかし2、3年後に財政の大波が襲来することは100%の確率と言ってよい。今から“避難路”“や“避難方法”を決めなくては世田谷区民は救われない。お花畑に何を植えようかという議論と同列にできるものではない。それは財政危機の問題が一段落してからゆっくりやればよい。
 お隣の目黒区は、すでに財政危機の“避難路”や“避難方法”についての議論を始めているようだ。

激動の地が生む知恵


「超巨大地震 その日の備え」「300年前は20メートルの津波。」「広範囲が同時被災、救難難しく。」「国の試算では・・・震度6強以上となり、最大で2万5000人が死亡する恐れ」これらは今年1月11日の毎日新聞の記事からの引用である。
阪神大震災の1月17日を前にした特集であったが、“違った”のは、東海・東南海・南海の3連動地震を想定した記事だったことである。さらに原発への懸念が記されていなかった。
 偶然にも、3月11日のちょうど2か月前の記事で、何とももどかしい。
 可能性は示されている、ということである。しかし、どの可能性が、実現してしまうのか全く未知の領域である。
地球の動きに対しては、たかだか100年くらいの情報などアテにならないということである。今回の大震災は千年に一度とも言われている。地球上でまさに“激動”の地に住む、日本人の知恵が問われている。

2011/06/01

促進協議会の会長という立場

 公共交通の特別委員会で、改めて分かったコトがある。
 東京都には『東京都連続立体交差事業促進協議会』なるものがある。簡単に云えば鉄道事業者と自治体の協議体で、現状の平面交差による踏切解消を促進することが目的である。
 しかしながら、現状の手法での事業促進に反対している住民もいる。一部では世田谷区長選の争点にもなっていた。新区長は仄聞するところではそういう方々の支持なり期待なりを受けたという。
 選挙から一ヶ月、上記の『東京都連続立体交差事業促進協議会』の会長は世田谷区長である。任期は来年一月までだそうだが、慣例によれば、夏の総会で交代ということらしい。今なら会長として出来ることはあるかもしれない。