三島由紀夫が「文章読本」の中で、小説において、美女と書けば、その人が何の裏付けもなく美女となる、というようなことを書いている。
それは言語の抽象性によって、読み手が自由に想像してくれるからで、これが小説の映画化となると、その美女役を誰が務めるかで、様々な考えが出てくる。
左は12月12日の朝日新聞に掲載された、保坂氏の小学校からの民主主義のトレーニング体験から現在の「自分の意見をまとめる」「徹底的に話し合う」「解決案を提案する」という仕事に繋がっていると述べている。
上手いこと言うなぁとつくづく。
現実は
「自分の意見をまとめる(けど誰にも話さない)」
「(考えが合う人とは)徹底的に話し合う」
「(多数の)解決案を提案する(が一つには決めない)」
常に三島の言う「言語の抽象性の範囲」でしか活動していない保坂区長は、具体化する段となると途端に「停止状態」に陥る。
庁舎問題の2年近くの迷走は保坂氏の政治姿勢にある。
庁舎問題について、保坂区長と議会の主要会派との考え方の違いを整理してみる。
極々、単純化してみると、
前川國男氏の設計した世田谷区役所の“保存”に区民の税金80億円を増額してまで、価値を認めるか否かという点にある。(総事業費300億円→380億円)
議会の主要会派は、そこまでの価値は認められないだろう、というスタンス。
しかし保坂区長は、80億円の価値を認める、と言って譲らない、というのが対立の構図。
しかも保存となると金額だけではなく、庁舎の配置パターンが制約を受ける。これが目に見える「違い」となり「機能性」の制約要因につながる。
前川國男は建築の世界では「巨匠」である。しかし庁舎を「芸術品」として見るか、「実用品」として見るかは、税金の使われ方として、その額(80億円)がふさわしいかどうかが判断の分かれ目となる。
仮に前川建築の価値を認めたとしても80億円とは途方もない額である。
保坂区長は「芸術品庁舎」に380億円かけたい、と主張しているのに対し、議会側の主要会派は「簡素で機能性が高く廉価な庁舎」で良いと主張しているのである。
このことが第一のキモである。