■7月12日午後1時から世田谷版事業仕分けの最終日、提言のとりまとめの会議が開かれた。すでに提言の文章は委員長がとりまとめ、それに対して各委員が最終意見を付するという形で進行。
■しかし、会議の雰囲気は全然盛り上がらない。まるでお通夜か、今で言えば、落選事務所のような感じで、各委員とも口が重い。
■理由は、委員長のとりまとめの文章が、あまりにも役人風の文章に堕してしまったこと。その結果、わかりづらい、むつかしい、普通の区民は読む気がおこらない、という区民選出委員からの意見や、学識委員からもパンチがない、総花的という批判があった。
■例えば冒頭からこんな調子である。「既存の事業は、当初の政策目標の達成を目指して開始されている。事業を行うための基礎である政策目標が、依然として区として目指すべき目標であるかを改めて確認し、すでにある時期に達成されている場合や、社会情勢に照らして、意義の薄れているものについては、目標達成のための手段としての事業の廃止を視野に入れた見直しを行うこと。」
■まさに悪文の代表例のようなものであるが、各委員が望んだのは、恐らく言いたかったことは、この悪文の下に具体的例示をしたら、ということではなかったか、と思う。例えば、青年の家は当初の目的は達成されており、社会情勢に照らし意義が薄れているので事業の廃止をせよ、とか。
■具体的例示があれば上記の悪文もそれなりの意味を見いだせるが、それがないので、骨抜きの悪文になっている。要は、各委員はこの文章の具体的な意味は議論もしたので、理解しているが、提案された側においては、この文章だけでは、解釈はどうにでもなる、ということである。具体的な例示がなければ。
■これに対し、委員長は、この提言は具体的な一箇所に絞ってのものではなく、ここに現れた考えをできれば、全庁で、多くの部署で実現させてほしいということこから、このような表現 にしていると、釈明のような説明があったが、詭弁であろう。
■さらに委員長から、この提言は国の事業仕分けとは全く異なる、というやや開き直りのような発言があった。仕分けではなく言い訳なのだろうか。
■そもそも、役人に対して、無駄なことは廃止しなさい、と提言しても、そんなことは出来ないから検証委員会が設けられたのではないだろうか。
■結局具体例を示さなければ、理念が正しくとも、解釈・運用は役人に丸投げという事態に陥る。それでは各委員としては不本意だと思う。しかしながら、委員長のとりまとめでは、役人の都合のために長時間議論してきたということにしかならない。この成り行きを見ていて、各委員が気の毒になってきた。
■会議の最後の方で、受益者負担のところで、多少議論が白熱する部分もあったが、最後になって、白けた感じで午後3時11分に終了。まことにもって竜頭蛇尾。