31日の読売朝刊に「大地震で継続使用できない恐れ」の庁舎の一つに世田谷区役所が挙げられている。
この問題は何回も触れているが、原因は保坂区長の無関心にある。
東日本大震災直後に誕生した区長であるにも関わらず、この本庁舎問題は議会が区長の尻を叩かなかったら、関心も示さなかったのは事実である。
以下は平成26年2月25日の私の質問である。
保坂区長は、世田谷区の最大懸案事項となる庁舎問題を余りにも軽く見ていた、あるいは逃げていたのではないでしょうか。
整備方針案の二ページ、災害対策というタイトルがついているところに、そのことが明確に書かれています。
読み上げますと、「平成24年6月から平成25年3月にかけて、災害対策本部の中枢となる本部長室等及び非常用の電源や水に係る諸設備の強化を図るため、第1庁舎と比べて耐震性の優れた第3庁舎を応急整備し、第1庁舎から本部長室等の移転を行いました」。
確かに、保坂区長は議会で言われてやりました。そして、それをもって災害対策に手を打ったようなことを言われていたと記憶しております。
問題はこの後の記述です。こう書かれております。「しかし、東日本大震災や、昨年の伊豆大島の土砂災害等の経験により、本庁舎に求められる危機管理機能は、以前よりも一層高まっており、88万区民の災害対策の中枢管理機能を果たすには未だ十分ではありません」。
いいですか、平成24年から区長のやったことは、区民に向けてちゃんと災害対策には手を打ちましたというようなメッセージを発信する材料にはなったかもしれませんが、でも、実態は「88万区民の災害対策の中枢管理機能を果たすには未だ十分ではありません」と書いてあります。
つまり、いまだに不十分ということであり、88万区民の災害対策の中枢管理機能は果たせないという、実に厳しい状況下にこの世田谷区は今もあるということです。
平成24年6月から災害対策本部室をとりあえず第3庁舎に移し始めたことは臨時的な対応です。
それから何をしていたのか、何もしていないのです。それはそうです。平成24年4月には庁舎計画担当部を廃止しているのですから。
結局、平成25年9月に調査計画担当課を復活させるまでの1年6カ月間の間、そのうちの10カ月を使って、災害対策本部室を第3庁舎に移しただけなんです。
以上は2年前の質問であるにもかかわらず、今も庁舎問題は迷走中である。(熊本地震の影響で、どうにか年内には基本構想が固まりそうだが・・・)