地震が厄介なのは、地震は一度だけでないことである。震度6級の地震を体感すると、震度3程度でも、恐怖感を感じ、足がすくむ。余震は、様々な意味で都市機能を停止させてしまう。
以下は今から11年前の私の代表質問における指摘である。
平成19年9月18日 代表質問
想定される直下型地震が起きた際に、世田谷区の災害対策との中枢となる災害対策本部がその機能を十分果たせるのか、質問してまいりたいと思います。
申し上げるまでもなく、いざ事が起これば、世田谷区民84万人の安全にかかわる司令塔とも言うべき災害対策本部は第一庁舎の5階に直ちに設けられます。
確かにここ何年間かかけて耐震補強工事がなされ、それなりに耐震性能は維持しております。しかし、それは倒壊をしないという程度ではないのでしょうか。その後に襲う余震の連続パンチをどこまで想定しているのでしょうか。
一方で、精神的な恐怖心というものも、実際、地震後には襲いかかることも忘れてはなりません。新潟県中越地震においても、また、ことしの7月16日に起きた新潟県中越沖地震においても、倒壊を免れた家であっても、余震が怖くて中に入れないという被災者を数多く、報道等を通して目にしております。ここでは家は倒壊していないのです。ちゃんとあるにもかかわらず、入ることが怖くてできません。
体験した人の話では、一回目の大揺れがおさまってきたので、安心して家の中に入ろうとしたら、また大揺れしたので驚いた。さらに続いて三度目の大揺れがあった。今度は足がすくんで動けなかったという証言があります。余震が怖くて台所に入れないというのは、多くの主婦の声であります。
また、恐怖心ということについて申し上げておきますと、地震発生時に地元にいて地震を体験した人は、その後、しばらく自宅にすら入れなかったそうであります。しかし、たまたま旅行に出かけていた人は、帰宅後、すんなりと自宅に入ることができたということであります。このことは、地震の本当の怖さは揺れを直接体験した人でなければわからない。つまり体験する前と後では体の反応が変わるということであります。
さらに、新潟県中越地震を体験された人の話では、いわゆるPTSD、心的外傷後ストレス障害というのでしょうか、音に対して異常に敏感になる方がいます。
次の発言は、あながち特殊な例ではないと思われます。地震後にはレストランに行く気がしません、あの調理の音や食器のガチャガチャ言う音には耐えられませんから。乾杯と、コップをカチンと合わせて出す音を聞くとぞっとします。まさに地震の被害の大きさや恐怖心の極限をうかがわせる言葉だと思います。
そこで、ここまでるる、阪神・淡路大震災に比べて、その後の新潟県中越地震の例を見ますと、どうも地震というものの認識を新たにしたほうがいいということを述べてきたのですが、そこで最初にお聞きしたいのは、第一庁舎の5階に災害対策本部を設けることは安心安全と言えるかということであります。
建物がそこに倒壊しないであるということと、その中で、続く余震に耐えて、災害対策の職務に当たることは別だと思うのですが、大丈夫なのでしょうか。
ちなみに、何度も引き合いに出しますが、3年前の新潟県中越地震におきまして、震度5弱以上の余震は発生後15日間にわたって続いております。
実は、この質問のまさに1年後(平成20年9月)にリーマンショックが起こり、ようやく改築の方向に進んでいた区政が停滞することに。しかしその3年後(平成23年3月)東日本大震災の発災で、再度改築がクローズアップされることに。