2016/06/26

第5回 世田谷区本庁舎等整備基本構想検討委員会

4月の熊本地震での庁舎の惨状が世田谷区の基本構想検討委員会(世田谷区本庁舎等整備基本構想検討委員会)に与えた影響は少なからぬものがあったろう。

3月まで景観重視だの、多額の保存費用をかけて7年半かけて増築だのと言って議会を混乱させていた保坂区長も、災害の現実の前では目を覚まさざるを得ないだろう。
6月25日に開かれた5回目の基本構想検討委員会では、大方常識的な、すなわち災害対策重視の方向でまとめられたようである。
実際、私も傍聴していたが、客観的な報道として、毎日新聞によると、「検討委は『50年以上区民に親しまれてきた現庁舎などの持つ特徴を考慮した計画とする』と確認。区は今後、外壁など一部を保存して新庁舎に再利用することを検討する。」

記事のタイトルにある通り、「保存は難しい」というのが委員長の見解であった。各委員も含めて、“難解なパズルを解くようなもの”というような表現であったと記憶。

ちなみに4案プラス参考案とは以下の通り。これらの数字を無視して、なんとか安くできるとか、やれないはずはないという感傷的かつ時間軸を無視したやりとりは、うなづけなかった。

2016/06/24

質問力

こんな人生もあったんだ、と驚きの一冊。

イメージは誤解と隣り合わせだ。

小倉氏といえば、クロネコヤマトの宅急便の創設者であり、現在のネットビジネスのインフラを築いた経営者として有名であり、かつて国の規制と戦い抜いた勝者でもある。

筆者は小学館ノンフィクション大賞を史上初満票で受賞した森健氏。それまで誰も光をあてなかった疑問からドキュメントは始まる。

いわば、質問力(疑問力)がこの本のすべてといっていい。その質問(疑問)を丁寧に追っていく過程が素晴らしい。なぜ小倉昌男氏は、晩年それまで公表された人生の中で、なんの関係性もなかった福祉にのめり込んでいったのか。


同じく興味深く読んだのが「ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学」。

こちらも経営の極意は質問力(疑問力)だと喝破している。

この世の中おかしくない?なんでこんなことできないの?なんでこんなものないの?

交渉会派から離れて、質問力トレーニングしてみようと思う。

今、政治は何でもあり、何もできない状態に落ちている。

2016/06/22

交渉会派断念

参議院選挙が始まった6月22日、世田谷区議会の定例会も多くの課題を我々が指摘しながら終了した。

と同時に会派が政党の諸事情により、田中優子議員、桃野芳文議員と3人で再出発することになった。(諸事情についてはある時期からわかっていたことなので、これまで4人目を担っていたそのべせいや議員については3人は深く感謝しています)

会派で本日午後3時以降、議論した結果、これ以上、他会派に議会内のすなわち私たちの会派の事情で、迷惑を掛けることは控えたいということで、交渉会派残留の要望は取り下げました。

会派の責任者として、多少の願望を試みましたが、50人という定数の区議会にあって、議会運営について意見するには原則4人以上というのは、最低限必要だと実感したのが正直な理由です。

少数意見の尊重については私自身、この世田谷区議会で一番身にしみていると自負しています。が、議会運営の責任については、これは別問題です。詳細についてはまたにしますが取り急ぎ報告です。

2016/06/06

本庁舎と広場機能

6月4日に世田谷区の庁舎問題の検討会の4回目が行われた。今回は配置イメージがテーマ。

これまでの検討会でクローズアップされてきたのは災害時の広場機能。通りを挟んで国士舘大学の広場との連動という発想は貴重だ。

熊本地震のこともあり、区役所周辺からの避難区民は2000名を想定している。また支援物資の輸送拠点(集積所)は国士舘大学となっている。(もう一つは大蔵第二運動場)

下図は幾つかのイメージパターンで広場が一体で広いもの。

ただし、圧迫感は否めないという考えもあるが、広場がこれだけ取れるなら、必ず来るという首都直下(1回だけとは限らない)に備えて、安心という考えもあろう。





それに対し熊本地震が発生する直前までこだわっていたという保坂区長のパターンは参考程度の扱いで、大地震に備えたパターンにはなっていない。動線も長く、移動も複雑。また北側の国士舘大学の前庭との連携は遮断されている。