2015/03/29

政治的緊張感を失った世田谷区政


首相になった人間が必ず公約と反対のことをする、この国において、公約と反対のことをする世田谷区長など、不思議でも何でもないのだろうか。

その区長を4年前に担ぎだした区議会議員が、その“公約違反”の責を負う形で、来月の区議会議員選に出馬しないことを表明したのが年明け早々。

“製造物責任”とでも云うことだろうか・・・。

しかし首相が確信的に公約と反対のことをするのと違って、世田谷区の区長は公約とは反対の方向へ流されているに過ぎない。簡単に言えば、仕事ができない。

部下を使えない。組織を動かせない。ただし口だけはうまい。“製造物責任”で今期限りで辞めてしまう区議も決して人を見る目が甘い人ではない。しかしそれをもってしてもコロッといってしまった。


過去にも紹介したが、区長の最新作である。その中の一節が、「私は実務家に徹しました。私はできもしないことを大言壮語をするタイプではありません。力もないのに、アドバルーンを勢いよくあげて一瞬の世間の耳目を集めるようなふるまいは根っから嫌いです。政治は結果が全てです。」

できもしないことを、掲げて区長選に当選したのは誰か。そのできもしないことの責任をとって担ぎだした区議会議員が責任を取ることになったのに、である。

こういう状況を知った上で、区長の新年度予算案に反対したのは交渉会派では私たちの会派だけである。区長選で対立候補を擁立する自民党も賛成なのである。これまで理論的に反対していた共産党も今回だけは戦略的妥協なのか賛成。

もちろん政治は非論理的な世界でも、ある。しかし、予算案に賛成して対立候補を立てるという構図は、区民にわかりづらいだろう。

区政がおかしいなら、“緊張状態”を明確にして区民に示すのが、議会の役割の一つである。そのことによってより多くの区民が知ることになる。

危機に際して、“緊張状態”を作れない交渉会派など、区長にとって、単に笑える存在に過ぎないだろう。それよりも辞める議員一人の方がインパクトは大きい。

区議会のあり方を微力ながら変えなければならないと、いささか私なりに反省した。しかし何ができるのだろうか。http://www.t3.rim.or.jp/~110ban/pg142.html

2015/03/18

黄昏れの保坂区長

ちなみに、「F行革」というのは「無所属・世田谷行革110番」の略称でFとはフリーとかファイトとかそういう意味が込められている。

それにしても、予算委員会の初日に、それなりの反省の弁を保坂区長は表現するハズだったらしい。(まわりの区幹部はそういう方向に具申したという)

が、思わぬ方向に転がり、区長は開き直りのような展開に。

公選法違反は一つの物差しでしかない。違反かどうかは警察等の判断事項である。

が、天下の世田谷区のトップであり、区民代表である区長の行為として、疑われる行為そのものが、問題なのである。

2015/03/12

3月12日の産経新聞

公人としての“規範意識”が欠如してはいないだろうか。
疑われるようなことを、そもそも世田谷区のトップがしてはいけない、だろう。
これは、たまたま、ということではない。現在の区長による区政運営に通底していることでもある。

2015/03/02

ついに朝日も批判を始めた保坂区長

3月1日の朝日新聞によると、下北沢の「再開発計画は2006年に都が認可したが、その後、初当選した保坂氏が改めて見直しを表明。このため、今年3月の計画の期限にどう対応するかが注目されていた」。

ちょっと解説すると2006年に都が認可した再開発計画は遅れに遅れ、今年3月の計画期限までには完了しないことがわかっている。もし保坂区長が計画の延長申請をしなければ、そこでとりあえず計画はストップ。それは“見直し”に通じる行為でもある。

しかしながら実は「保坂氏は1月に延長申請の手続きをしたことを認めた。」というのが記事の内容。見直しどころか、再開発計画を“後押し”した格好に。

要は、見直しを表明した区長が、実際には続行を指示していたという政治家としてはあるまじき振る舞いをしていたということ。それでいて、こんなご本を出版されているのが保坂氏である。
長いものには巻かれろ、強いものには媚びよ、弱いものは選別してうるさいものは丁寧に無視しろ、保坂区政の実態はそんなところにあるのにね。