2019/07/30

苫小牧市のトイレカーから考えさせられたコト


7月24日、福祉保健委員会の視察で北海道苫小牧市を訪れた。当地は昨年9月に震度7の北海道胆振東部地震の震源地、厚真町に近い。しかし苫小牧駅から見た風景は、道路の広さに比べて人もまばらな地方都市の“通常営業”の姿であった。

北海道胆振東部地震は死者42名、山が崩壊するなどの被害をもたらし、北海道全体のインフラが停滞するほどだったのに、ちなみに、苫小牧市は震度5クラスだったが、東京にいると、改めて調べ直さないとわからない。・・・観光産業育成の北海道としては、“調べ直す”などしないでほしいのかもしれないが。

さて、苫小牧市は人口約18万、JR苫小牧駅の乗客数は千歳烏山駅の約10分の1、駅前の広さは、5倍くらい。(あくまでも個人的な調査及び感想!)

隣町で山をも崩す震度7が発生しても、苫小牧市がビクともしていない様に見えたのは、震度5クラスとの差なのだろうか、それとも人口密度や街の作りの大きさの違いなのだろうか。

委員会の視察目的は、「福祉のまちづくりの推進について」

現市長は「○○大作戦!」というのが好きなようで、現在は「みんなで健幸大作戦!」、その前は「ふくし大作戦!」「スポーツ大作戦!」とのこと。市役所内には横断幕やノボリがあちこちにあった。(「ふくし大作戦!」の正式名は「第2期苫小牧市福祉のまちづくり推進計画」)

視察としての目玉(大抵の場合、目に見える)は「福祉トイレカー」本項の最上段のクルマの写真をクリックすると一目瞭然。

今さらながら驚いたのは、「バイオトイレ」なるもの。

中身は「おがくず」だけで、「糞尿(固形)」の「尿(水分)」を除いた「糞(固形)」の部分をほぼ完全に、“消滅”させてしまうというもの。汚臭も発生しない?

豊富な林業資源もある北海道なので、「なにか特別な木材のおがくずでは?」「いいえ、どんなおがくずでもできます。洋材でもできます」とのこと。

おがくずについているバクテリアが「糞(固形)」を簡単に云えば食べてしまう、ということらしい。

来週には横浜市の防災担当者が視察に来るとのこと。

「バイオトイレ」の最大のメリットは水がいらないこと。水に流さなくても完結するトイレ、かつ汚臭が発生しない。

それにしてもなぜ苫小牧市で?

年間平均気温が零下を下回る期間が3ヶ月もある土地では、屋外トイレでは水が流れないという事情があるのだろう。

世田谷区の場合、水が流れない、というのは気候だけが理由とは限らない。念頭にあるのは首都直下。

電気、ガス、道路、上下水道、どのような被害が襲うのかわからない。

実は、調べてみると、世田谷区にも「バイオトイレ」が某区立公園内にあった。しかし、災害対策として検討されているようではない。


上掲は委員会の「福祉トイレカー・とまレット」前での写真。各委員の手元が変わっているのは、苫小牧市で教わった「手話」インスタント表現、のつもり。
















2019/07/02

質問するなら情報公開請求を!

それは6月の他会派の一般質問で起きた。

フードロス問題に関し世田谷区立小中学校の給食の「残飯」と「野菜くず」はどれくらいかの質問。

それぞれH30年度(1年間分)で「残飯」は526トン。「野菜くず」は273トン。合計で799トンと答弁。

次に、質問者はこれはオール世田谷の量であって、学校別で委員会に公表できないかと質問。

教育委員会の答弁は「学校別のデータは学校間の競い合いを招く恐れがあるので・・・」というような言い様。つまり出来ない、ということ。

さらに質問議員が「学校ごとの食べ残しの量って個人情報なんですか」と畳み掛けたところ、答弁は「個人情報ではございません」・・・。じゃ、なぜ出ない?

本会議での一般質問は持ち時間10分と、再質問は2回までという制限が課されている。

つまり、答弁者側は、どうであっても答弁を3回繰り返せば、“逃げ切れる”という計算はある。(或いは3回も丁寧な答弁ができるという善意溢れる態度もあるかもしれない)

しかし今回の答弁は“逃げた”のではなく、学校別の残飯等のデータ公表を拒否したのである。

逃げたのは、その理由。理由にならない理由を3回繰り返して質問を終わらせたのである。

この質問で、教育委員会の回答は、各学校別のデータは出さない、「そういう結果」と受けとられるだろう。

しかし、各学校別のデータは以下の通り、「公開」しているのである。


このデータは平成30年度の世田谷区立学校の毎月の「残飯」と「野菜くず」の量を表にまとめたもの。入手先は「世田谷区教育委員会」

情報公開請求すれば、誰でも取れるデータを、頑なに議会では公表しません、と言い張っているのである。

委員会において、情報共有をすることで、質疑が重層的に深められる点に、委員会の意味はある。(故に情報公開で入手できることと、委員会での公表では全く次元が異なる)

委員一人だけの情報では、他の議員は質疑に参加できない。また問題の捉え方の多様性も奪うことになる。

教育委員会は情報公開制度に責任を負わせて、自らの公表責任を放擲しているとしか見えない。さらには議論さえも避けているのだ。

議会軽視も甚だしい。