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2012/08/14

百罰一戒

 世田谷区でも6月定例会で会派の桃野議員が追及したばかり。ココをクリック
 昨今は公務員の規律が全国的にゆるくなっているのだろうか。
 予算執行にかかわるものなら財政規律にも及ぶ。さらに組織的な犯行だから最悪である。
 このことが情報公開で“発覚”したというから監査は何を?おそらく動きは読まれていたのだろう。役所の仕事は毎年同じだから。
 問題は文書偽造が悪いことという認識が希薄だということである。議会で何度言っても役所には“百罰一戒”の体質がある。次はどこ?

2011/03/15

津波災害 河田惠昭著 岩波新書

情報が増えるにつれ、津波の被害が想像を超えるものであることがわかってきた左は昨年末に出された。そこには「沿岸の住民がすぐに避難しなければ、近い将来確実に起こると予想されている、東海・東南海・南海地震津波や三陸津波の来襲に際して、万を超える犠牲者が発生しかねない、という心配である。・・・私が読者にとくに伝えたいことは「避難すれば助かる」という事実である。」このことを昨年12月17日発刊の岩波新書で著者は述べている。まさにここで述べられていることが現実に起きている残念なのは、この本の想定以上のことが起きている事である。特に三陸沿岸については沖合の深さが異常に深く、そのことによって津波の増幅装置になっている事で、三陸沿岸は「宿命的な」津波常襲地帯と明言しているわずか3ヵ月前に出されたこの本を、それぞれの自治体の担当者が読み、備えていたら・・・もちろんこの本は予言書ではなく科学的に説明しているしかし更に残念なのは、以下の部分である「津波の大きさを低減させるには、湾口の大水深部に津波防波堤を作るのが一番効果的である。岩手県の釜石市や大船渡市は際立って安全になっている。」思わず目を疑うような一文である我々は現在の釜石市や大船渡市の状況を知りつつある。決して釜石や大船渡が津波対策をしていなかったのではなく、高レベルでの安全策が施されていたのであるつまり、月並みな言い方だが、今回の巨大津波はそれほど大きかったとこの本で著者が徹頭徹尾繰り返し主張しているのは「避難すれば助かる」ということである。確かに「避難する場所」がある地域はよいとしても、都市部ではそうもいかない。

2011/02/28

総集編でたよ!

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日頃、発行している「せたがや1/52」の総集編を2月28日の読売・朝日の両紙に折込ちなみに1/52とは世田谷区議の定数52の中の1人という意味。次期からは1/50 1人でも多くの区民の皆さんに世田谷区のことを知ってもらいたい。今回はこれまで4年間の中から特に反響の大きかった記事を再掲して加筆。また新年度予算についても最新の内容を加えたダウンロードはここから

2011/02/27

地域政党?

朝日新聞の統一地方選シリーズで『行革110番』が今はやりの地域政党として扱われていた(2月27日付)ある意味「税金の無駄使い」追及の先駆的な存在であるのだろう。もちろん世田谷区が発祥の地である。

2011/02/19

議会は いらない? について一議員の立場から その1

統一地方選が近づいて新聞各紙も様々な特集を組み始めた。特に朝日は全議会調査を行い精力的な記事内容となっているしかし全国1797の地方議会から浮かび上がる議会像というものと、世田谷区議会の現状について違いがあるのも当然であるもちろん世田谷区議会が全部において優れている、と述べるつもりはないが、誤解されるのも不本意でありこの際、朝日の問題点にそって実状を述べてみたいまず、記事の標題にある「議会の半数議案丸のみ」について。確かに世田谷区議会も今期、修正、否決となった議案はない。(私も反対した議案が賛否同数により議長裁決で可決された議案があったが・・・)ただし「丸のみ」という言葉の印象のように全員賛成ということではなく、それぞれ修正案なり反対があっても幾通りの組み合わせがあるのが実状である。決して“素通し”ということはないそれでも修正、否決議案がないことは世田谷区議会としても事実である。しかし朝日にも考えてもらいたいのは、議案提出者である区長(市長)側が果たして可決される見通しのない議案をそう簡単に出すだろうか、という視点である世田谷区では重要案件については、その作成プロセスにおいて代表質問・一般質問で各議員(会派)が考えを述べる仕組みになっている。作成プロセスも短いのもあるが、だいたい1年ほどの準備期間があると言ってよい(個人的な感覚だが)その過程で区長側も議会の動向(票読み)がわかる。それによって議案提出を区長(市長)が判断しているのが実状であろうつまり議案はその作成プロセスにおいて議員は賛成も反対も修正も含めて参加しているのが実状であり、本会議で議案採決の部分はその最終部分である誤解を生じやすいのは世田谷区議会の場合、議案というのは本会議で区長から提案されてから初めて内容を議会が知るということではない、ということであるイメージからすれば提案されて初めて議会が内容を知り、それから各会派が吟味して様々な意見や、修正案を出すというように考えがちであるが、そうではないさらに区長(市長)提案の議案といっても国の法律や政策によって変わる条例改正等の議案については実際のところ“素通し”の部分はあるが、これは仮に否決しても何も変わらないからである。国の法律優先で形式的に条例を合わせているからである。

議会は いらない? について一議員の立場から その2

記事によれば宇都宮市では議員の本会議での質問回数を制限しているとのこと。世田谷区ではそんなことはない。每定例会ごとに質問時間10分答弁も約10分ということで往復20分間ある10分というと短いと思うかも知れないが質問原稿を精査すれば相当の内容の質問は可能である昔は世田谷区議会でも1人持ち時間答弁も含めて30分という時代もあった。しかしダラダラとウケ狙いの世間話から始まって、25分間も壇上でしゃべり、残り5分しかなく答弁切れということもあり現在の形に改正された。当時は世田谷でも任期中に1回も本会議で質問しない議員もいたことは事実だが古い時代の話である現在の世田谷区議会では每定例会ごとに代表質問の時間割り当てを除いて全員が質問をしている。3日間かかる記事によれば宇都宮市では政策条例を提案した議員はいない、と書いてあるが、これはたぶん「意見書」の類が議員提出議案にカウントされていることを言っているのだと思う。つまり宇都宮市では「意見書」しか議員提案で出していないということだろう翻って世田谷区では選管委員の報酬を日額に改正する議案ほか様々な改正条例は議員提出で出されている。ただし可決されたのは議員定数削減条例だけである。もちろんこれらを指して政策条例とは言えないが、23区の場合、いわゆる23区一体の論理という特殊事情もあり、普通の自治体と異なる面がある。それを指して能力不足と言われればその通りだが議会広報での議員個人の賛否については一覧表にはなっていないが、会派の賛否は掲載されているので間接的にはわかる仕組みになっている。毎回質問者の質問内容を掲載するスペースとの関係という問題になる。議員の議決態度をことさら隠すことなど世田谷区議会ではあり得ないし、各議員が個別に区議会報告で積極的に公開している状態である政務調査費については23区でもトップ級の月額24万である。これは議員1人当たりの住民の数がトップであることから判断願いたい、としか言えない。ただし、その使途領収書は1円単位ですべてインターネットで公開しているので多くの区民がチェックできるシステムとなっている。たぶんここまで徹底的にやっている区議会は全国で世田谷区だけだと思う次にお隣の杉並区の例をひいて主義主張の一貫していない議員の姿勢を批判しているが、これが事実とすれば理解不能。また民主、自民の区議が合体して会派を結成したのも極めて異常なこと。少なくとも全員無所属になって会派を結成するならともかく、民主区議と自民区議が同じ会派というのも、理解不能岡山市では議員の賛否が不明のようだが、これも世田谷では理解不能。

議会は いらない? について一議員の立場から その3

朝日の調査によると、議員1人あたりの住民数は市区では世田谷区が一番ということである。これは議員の数が少ない、スリム議会ということであるさらに世田谷区では昨年に議員定数を削減したので今春の統一選後には定数50となり、もっとスリム化されるそれでも区民によっては50人でも多すぎるとの意見を少なからず耳にするもちろんその背景には議会なんて入らないという思いも働いているのかも知れないまた大選挙区制ということも区民からすれば理解しがたいのかも知れない例えば政令指定都市のように世田谷区内を5つの中選挙区に分ければ一つの選挙区の定員は10名ということになるのだが・・・一方で昨年の議員定数削減に反対する会派の意見として、議員数を減らせば多様な民意の吸収が阻害されるという考え方があった。一面の真実であるとしても現実的には入口の議論でしかない議員定数を増大させても大会派が増大するだけであり、議員1人の権限は縮小し、仮に多様な民意を吸収できてもどこかの会派に属さない限り意見の表明さえ困難になる(極端な例で言えば定数50の時の一人会派の権限や発言権は定数100となると二人会派にならないと維持できない。しかも二人の意見のうちどちらの意見に集約するかで残された意見は後回しになる)現在の世田谷区議会では議員定数を削減する度に一人会派は増大する傾向にある。非交渉会派の議員数は11人で全体の2割を超えているでは、どこまでスリム化すれば良いのかというと、誰にもわからない。(定数50から半減の25という極端な考え方もあり、そうすれば一人会派の権限は倍増するはずだが、今度はそれ以前にそもそも一人会派が当選するかという問題も出てくる。定数が極端に減ると組織選挙でしか勝てない。都議選が顕著な例で世田谷選挙区からは組織のバックがない議員は当選していない)削減案の一つの裏付けとして、過去に世田谷区議会としてその数でやったことがある、という経験も重要な参考要素である。それは死亡や議員辞職、或いは都議選への立候補等で欠員が生じたまま世田谷区議会が続く場合の経験をさすが、極端に支障が起きていなかったというものであるもっとも数だけの問題ではなく、たった1人の議員の不祥事で議会機能が低下することもあれば、頑迷な古参議員が大会派にいるために動かないということもあり、人的資質の問題は各議会様々な状況もあり、同じ人口で同じ議員定数の議会であっても全く異なるから数だけの問題ではないことは明らかである朝日の特集のなかでも触れていたが今後、民意の吸収という役割は住民投票やインターネット環境での意見の集約等がクローズアップされてくることは間違いない。

議会は いらない? について一議員の立場から その4

朝日の定義する「ダメ議会」の基準とは「丸のみ」「無提案」「非公開」の3つである一議員の立場から言えば、議会の活性化という本質的な問題は、会派制にたどりつく会派制というのは行政側にとって実に都合の良い仕組みである。行政側の最大の目的は議案の可決であるから議会の過半数となる会派を基本的に押さえておくことは至上命題となる通常は最大会派を主軸に据えて足し算をする。最大会派は議会運営の要の職を占める場合が多いからであるもちろん足し算といっても会派の肌合いが異なる組み合わせは避けられる。が、近年地方自治の場合、国政と異なり絶対的な違いということは少なくなりつつある結果、行政側が過半数の協力を取り付けられれば(取り込めばとも言えるが)、その過半数を構成する会派の組み合わせで、ほぼ議会の“運動範囲”が決定される一見当たり前のようであるが、実は会派の中の議員は個々に反対の議案があってもそれを事実上行使できないようになっている。会派の駕籠に閉じこめられている。おそらく1人だけ反対するなら会派から出て行けというような無言の圧力がかかるからであろう。会派での活動しか知らない議員としてはなかなか踏み切れない。ましてや会派イコール政党というところでは次の公認問題にも関係してくる。このことを会派の“規律”と見るか多様な民意の“排除”と見るか難しい一方、会派としても行政との関係で一枚岩となれないと足元を見られるというデメリットもあり、それは過半数を構成している会派同士さえも共同体化していくことにもつながっていく。過半数共同体が崩れれば、それを構成している会派及びその構成議員のデメリットなるからであるこのように議会の過半数共同体のようなものは、その根源をさかのぼれば明らかに行政側の必要性から生じたもので、議会が自発的に作ったものではない。(現在でも実際、行政側の取り込みの“技術”は当選したばかりの新人には至れり尽くせりから始まるのだが・・・)取り込まれた議会側の過半数共同体としても、やっているうちにこりゃいいと、自覚したことで、過半数共同体を維持するメリットが議会と行政の共通価値観となり、さらに相互依存関係となっていったものと思われる。今となってはそれが自然で、誰も意識しないこととなっているがこういう経過をたどれば、議会の過半数共同体なるものが、行政提案を、まるで丸のみのように見える対応をすることは必然ともいえるその点、会派制という囲いを解いて、全員一人会派になれば活性化は図られるかも知れない。が一番困るのは行政である。“票読み”ができない。議案ごとにそれこそ離合集散が繰り返され賛否が分かれる。それこそ議員自身も自分の賛否がどのような結果として議会で表れるかハラハラドキドキである。まさに緊張感は高まるそうなれば行政は一人ひとりを取り込むしかなくなるここで行政が取り込むということはどういうことか考えてみたい。取り込むといっても、悪意が存在するわけではない。その目的は行政側の議案通過であり、その議案というのは行政或いは役人が住民福祉のために考えたものであり、簡単に言えばそれはそれで正義の実現ということであり、強い自負を抱いている議員には根本的に“弱点”がある。議員は正直なところ、議案を取り巻く法体系や隣接条例の知識など欠けている場合が多いし、細かい国の政令改正など情報そのものが入らないここに行政と議会側の情報の非対称性が存在する。その結果、議会は実務に疎いという状態からスタートせざるを得ない例えて言えば、うまい料理の品評は出来ても料理は作れない、という状態に似ている現実には議員は役人に様々な情報を尋ねることから議員としての能力を高めていく。うまい料理を出す店主にそのレシピを尋ねるようなものであろうしかし限られた時間の中で料理の作り方の話をいくら聞いても料理を実際に作れるようになるとは限らないそこに議員の分岐点があるように思う。一つは餅は餅屋ということで行政依存型でいいやと思うコース。良心的に言えば依存しながら注文をつければ良いというスタンスである2つ目はあくまでも自立し行政から卒業してオーダーメイドの政策を実現するコース。具体的には、行政とは独立した政策能力のある人間を自ら抱えること。即ち議会事務局を完全に行政から独立させることである(議会事務局の公務員は区長の部下であって、それが一時的に議会に“派遣”されているのが現実である)現状では前者が大半であり、それでも後者を考えている議員も少なからずいるネックとなるのは、議会事務局の独立という問題。新たな議会費増につながりかねないし、現状では住民の理解を得るのも難しいだろう。また職域が限られるという点もある。それがクリアされても今度は事務局依存という状況に陥らないかという、最初の問題に戻ってしまう。それでも行政依存とは異なる切り口から政策をぶつけることは可能かも知れないのだが議員側の行政依存と行政側の議会取り込みという目的がある以上、一体化は防げない行政依存という言葉は様々な言い方に置き換えられる。行政への信頼とも言えるし、議会と行政は車の両輪とも、議会の協力なしでは行政は進められない、ともかと言って議会と行政がことさら対立する必要はない。

問題は議会にとって最大の議案である予算案についてどういうことになるか、ということである。会派制なら行政が協力を取り付けた過半数共同体の要望をメインに考慮すれば良かったが、会派制の囲いが解けると一人ひとりの議員のどこまでの要望をメインにすれば良いか不明である。議案の賛成には無数の組み合わせがあるからであるそうなると過半数以上の、さらにはほぼ全員の要望を考慮せざるを得なくなってしまう。予算は際限もなく膨張する可能性もある予算肥大化、予算冒頭について、議会は無力である。なぜなら自分の要望を聞いてもらえるなら、考え方が多少違ってもあの人の要望も聞いて当然ということになるからであるましてや議員は4年任期だから言いたいことだけ言って実現させて、その後の後始末もせずに消えてしまうことだってある、と行政は自分たちの事を棚にあげて本気で危惧する確かに現状の選挙制度では社会経験すら未熟であって、仮に偏った判断の持ち主でも85万区民の生活に関する予算を決める立場に就けるのだから行政としても不安であろうそうなると、今のような財政難の時期には、会派内、会派間で自制が働き易い会派制、行政側からすれば“分割統治”の方がベターということになる現状のところ、行政対応は会派制、議会改革は全員一人会派というのがベストのような気がする。それは改革の機運は常に少数派からあがるからであり、逆に行政対応での過半数共同体では現状に満足しがちだからである。その切り分けが議会自身わかっていないのかも知れないのではと、個人的には思っている。

2011/01/07

議会の進化

今朝の朝日新聞の3面に民主党の風間議員の紹介を兼ねた記事が載っていた。若い人の政治への回路をコツコツ作っていることが取り上げられていた。教育をキーワードに新たな取り組みを作っている、さすが世田谷区議会、多士済々という感じ(23区の中では比較的個人名で議員がとりあげられる、もちろん良い意味で)国政とは違ってまじめで優秀な地方議員もいるにもかかわらず、国政と同じ目で見られるのは心外だろうし、何よりも信じがたいのは民主党の大量新人の擁立であるこれでは地方議員の使い捨て同様である地方議会に新人議員は確かに毎回必要である。しかし行政を監視し、行政の過ちを正すには新人議員だけではおぼつかない。政権同様、役人に取り込まれるのがオチである(役人は議員相手に少なくとも20年30年以上のベテラン揃いという現実がある)主義主張や会派が異なっていようとも、コツコツ新しいコトを創造していく議員を(政権政党があそこまでひどすぎるとしても)十把一絡げにしては世田谷区議会の進化は止まってしまう役人に取り込まれた議員は必要ないと思うが、役人に取り込まれなかった新人は次に中堅議員に成長してもらわなければ、議会の進化はない。
※取り込まれた議員と取り込まれなかった議員の簡単な判別法は、事実上、行政のやったことを議員がやったことのようにPRしているのは、だいたいが取り込まれた議員。すべてとは言わないが。

2011/01/06

費用対効果の見極め

足立区の記事だが、そこに載っている表によれば、2005年のワーストは世田谷区、しかし2006年2007年は2番目に改善、さらに2008年2009年はそれぞれ3番目、4番目に改善している様々な要因が考えられるが、世田谷区では2006年から5支所管内で24時間安全安心パトロールを実施しているそのことからすれば、何らかの効果はあったと言えるのではないか、と思う確かに、そのための費用1億7千万円をどう見るかは意見が分かれるだろう。(区民1人当たり年間200円)もちろん実害もさることながら住宅都市としてのイメージというのも見逃せないポイントであり、ワーストの汚名を返上するためには、何でもいいから、やってくれ、という考えもあるだろう今後とも費用対効果の精度を高めながら考えていかなければならない。(費用対効果が直結しづらい事業の見極めは本当にむつかしい)

2011/01/05

建築基準法84条

“次の地震”が一日一にと近づいている。東京における地震の記憶は急激に薄れている昨年の“地震の勉強会”でいささかショックだったのは、一般に首都直下地震の被害想定は112兆円と言われているが、それは同時に「112兆円の復興市場の誕生」という見方もあるということ住宅需要だけでも33兆円のマーケットが発生するというしかもこの巨大マーケットに世界中が関心を向けるかどうかがカギであるということ。まさに政府の“手際”の善し悪しで、東京再建のマーケットが誕生するのか、それとも世界から見放されてしまうのか分かれ道である、ということであるしかし現実に行政レベルで地震を復興まで想定している人間は研究職クラスだけで、予算は財政悪化で削られつつある(東京都予算)そもそも現状の被害想定は平成9年に東京都防災会議が作成したものであり、12年も経過している世田谷区で言えば、小田急線の高架化も実現せず踏切があった頃の想定である左上は日経新聞の阪神大震災をきっかけに災害の教訓を伝える運動の記事記事を読みながら思ったのは、もちろん民間伝承は大切であろうが、それらはたいがい、震災直後の用心を説いている、実は本当に大変なのはその後のことである“勉強会”で指摘されたのは「都市復興が遅れれば遅れるほど住宅再建が遅れる」という法的構造である。これはリアルに阪神大震災後の神戸復興の過程から見て取れるこれはかなり過酷な現実である。「都市復興が遅れれば遅れるほど住宅再建が遅れる」というのは、家族を失い家を失った人ほど都市復興を考えなければならない、ということであり、別の言い方をすれば家族も家も無事だった人ほど都市復興など考える必要はないということでもあるそれが具体的になるのが建築基準法84条の建築制限である。

2011/01/03

毎日の一面トップ

3日の毎日新聞は「公選法抵触か」で民主党青木愛衆院議員の現金支払いを一面で大きく取り上げ、社会面まで割いている新年に満を持して書いたということであろうか。芋づる式で7名の北区や足立区の区議会議員の名前がズラリと並んでいる。解説では元検事が買収の可能性大とも打っている事実を固めた上での報道であろうが、時期が時期であり、よっぽどの“確信”がなければ書けない内容である。おそらく続報が用意されているのだろうが、新年早々、大荒れの地方議会の予感。

2010/12/20

民主公約財源破綻

政局は蠢動しているものの、政治は停止しているすべては財源無視の“選挙至上主義”が原因である特に「子ども手当」が元凶となっている。当の中学生ですら将来のツケはいらないと、困惑しているくらいだしかも子ども手当の新法はまた来年限りの時限立法ということである。恒久法にもない制度など少子化対策とは呼べない直ちに「子ども手当」を改め、男女が働きながら安心して子育てできる環境を財源の範囲で進めるべきである。これは地方自治の現場からの声でもあるその意味からも、「子ども手当」を安易に発想した政治家、それをバラマキ選挙に利用した政治家、そのバラマキのために税制を無茶苦茶にした政治家(相続税の控除を少なくしたために世田谷区の残された緑はどんどんマンション化することは必至)は財政犯罪の重要参考人である。

2010/12/18

都議会解散も

18日の毎日によれば石原都知事は来年度予算が通らなかった場合、都議会の解散に言及したという恐らく現実にそうなるだろうそれに対し民主がどこまで主張を貫くか、それはそれで統一地方選に影響するから妙な妥協は許されない。

2010/12/17

目黒ショック?

蓮舫氏の夫(パートナー?)が来春の目黒区議選を目指すそうである。あわせて蓮舫氏も衆議院に鞍替えありとかそれにしても蓮舫氏の夫というだけでマスコミは騒ぐのだろうし、たちまち注目を浴びるのは間違いない。世襲とは異なるが、妻の七光りは疑うベくもない民主党ってそういう党だったのかとちょっと違和感も。もっとも危機感を抱くのは同じ目黒の民主かも小選挙区と異なり一人に集中したら大変なことになる。大変だ。

財源は?

上は16日のNHKニュースウオッチから(64秒)。現政権がいかに、いい加減でコロコロかということで、笑われている(笑っている場合ではないのだが)前政権を批判し打倒を掲げながら、前政権が水面下で必死にバタバタと財源探しに奔走していたことを見逃していたツケが襲っている(もちろん前政権がやったことは借金につぐ借金で、それも官僚まかせであったことは事実である)財源は無駄遣いや特別会計から幾らでも持ってくる、と豪語していたのも簡単に言えば世間知らずに過ぎなかった国の財政制度にまったく疎い人たちが政治にかかわることほど危険なことはない。そのためにも有権者が、財源はどうするか、こういう思考回路を常に持つ必要がある制度というものには常に財源が伴うこと、そしてその制度の集合体が国という制度になるということに理解が及はなければ、国政は語れない逆に言えば、財源がなくなれば制度が維持できなくなり、国が弱体化するということであるもっとも国が弱体化しても個人が存在すれば良いという考え方もあるが、それはベストセラーでも書ける一握りの個人にすぎないそういえば、昨今は制度によって守られている人に限って、財源は知らぬ存ぜぬ無関心、という人が増えている。しかも言いたい放題制度は永遠ではない。財源がなければ、それだけである。裁判に訴えようが、勝訴しようが、財源がなければ、それだけその怖さを知らなければ国政も地方自治にも向き合えない「ない袖は振れぬ」という現実と向き合う師走である。

2010/11/30

松戸ショック 民主現職全滅の衝撃

すごいことになっている。民主党関係者は誰も口にしないが、先ごろ行われた松戸市議選の結果である(左は26日付の都政新報のコラム)民主党市議の現職が全員落選というとんでもない結果に投開票日は11月21日のこと。詳細を知り合いに聞いたが、民主党は公認で11人出したものの、当選したのは新人2人だけ。現職4人を含む9人が落選という結果にJRや連合の関係者が連日何十人ものサポーターを動員して駅を占拠するようなにぎやかな光景もあったとか。それでも落選当選した1人は選挙カーを使わず自転車で回った一番若い候補とか。現職の落選者には供託金も没収という惨状もあったとか。供託金没収は一般的には泡沫候補ということである構造的には候補者バブルが原因であるが、政権党となった民主党への批判をモロに受けた形これを受けて、民主党から無所属へ鞍替えする動きもあるとか(でもまさかね)

2010/10/19

大阪春の陣

大阪は燃えている。もの凄い財政危機だから何とかしなければというエネルギーが溢れている橋下知事どげんか知事とは立ち位置が根本的に異なる今は、地方自治体が国との関係をどう見るか、これによって目指す方向が違ってくる結局どげんか知事は国からカネを引っ張って来ることを一番に考えていたようだそしてそれは多くの地方自治体に共通する姿でもあろうしかしそれでは一方で国の借金を増やすだけである。もっと言えば、それまで国民が貯めた個人金融資産を食いつぶしているにすぎないいづれ虎の子も底をついた時にどうするか。結局、夕張市のように自分たちのまちは自分たちで立て直すしかない。或いはIMFの経済管理下に入るのかも知れない(途上国?)それにしても朝日新聞の調査では「大阪都構想」について43%が賛成で反対の28%を大きく離していることや、橋下知事の支持率が相変わらず78%という高さは、ひょっとすると大阪春の陣(来年の統一地方選)で大阪は変わるかも知れないと予感させるそして東京では「都」の先にあるものを考える時期に来ている。

2010/09/20

公務員ファースト

■片山総務大臣はその就任10日前、日経新聞において「公務員は国保に入れ」という提言を行っている(左9月6日付日経新聞)■この大胆な提言に対し、解説では「国民と同じ立場で国民のために働くという公務員のあり方が今こそ求められている」とある、まさに激しく同意■仕事は仕事という割り切り方は公務員には通用しない。国民や区民の共感を得る姿勢が大事だ■ともすれば“公務員ファースト”という思想が日本システムの随所に隠されている■簡単に言えば、“お上意識”である。そこに税金の過剰な使われ方が今なお続けられている■片山総務大臣の実績はこれからだが、少なくとも内閣が短命に終わらないことを期待したい。

2010/09/11

役人の不文律

■左は9月7日付の都政新報のコラム。各地で行われている自治体による「市民参加型」の“事業仕分け”がどうもうまくいっていない■世田谷区の場合も個別事業を議論したのに抽象論でウヤムヤに■そもそも、この手の“討論”は区長サイドの内輪の手続きに過ぎないので、市民を招いても、“ルール”は変わらない■変わらないどころか“徹底”される■“ルール”とは「行政内の対立は露わにしないし、対立の痕跡は残さない」■これは役人の不文律であり、基本マナーである■そういう人たちが“事務局”となった瞬間、“見せ物”は死んでしまうのである。