大きくUターンする北ルートは3月14日深夜から15日未明。区議会では14日が区民生活領域の予算委員会。15日は福祉保健領域の日。と記憶がよみがえる。
南下するルートは3月21日深夜から22日未明ということで22日は文教領域の日だった。
朝日は放射性プルーム(放射性雲)と呼んでいるが群馬大の早川教授は上空何千メートルのようなものではないとツイッターで述べている。せいぜい数十メートル上空を移動した。だから地形に反応したのだと。なるほど。
つまりキャロットタワーや北沢タウンホールくらいの上空を移動していったということらしい。
ちなみに3月14日の朝日夕刊は以下の通り。
この時は、官房長官や東電の言っていることを信じるしかなかったが・・・