2013/08/29

世田谷区の転出入からわかる実像

 平成22年国勢調査によれば世田谷区にこの5年間(平17〜平22)でどの自治体から転入してきたか、逆にどこへ転出したかがわかる。
 まずどこから来たか?最多は6538人の目黒区。逆にどこへ転出したか?最多は4779人の杉並区。移動の範囲を東京都に絞って数字を突き合わせてみたのが左上表の通り。隣接自治体での移動が多いのがわかる。次に実質的に転入者と転出者との差に注目したベスト10が以下の表。

 5年間(平17〜平22)に世田谷区に転入してきた元の自治体は目黒区、渋谷区、杉並区が3強で他を圧倒している。
 逆に世田谷区から5年間で転出した自治体は以下の通り。
 江東区が断トツで、町田市、調布市、狛江市と全体として多摩地域が続く。

 全体のトレンドとして、目黒区、渋谷区、杉並区からの転入があり、江東区および多摩地域に転出しているのが世田谷区の実像である。

2013/08/28

奇跡のスピーチ(必見!)

 小室淑恵氏(株式会社ワーク・ライフバランス社長)のTEDxTokyoでの著名なスピーチ。

 日本でワーク・ライフバランスの考え方はあまり根付いていない。それはまるで働くのを辞めろ、と言っているようであり、働かなかったらどうやって食べていくのか?という現実的な反論に打ちのめされてしまうからである。
 確かに、現状ではワーク・ライフバランスという“システム”はすべての業態に当てはまることではない。
 しかし今後、日本が世界の中で先進的な地位を占めるとすれば、このシステムが通用する業態転換を図らなければならないだろう。
 要は「知識集約産業」への転換である。(世田谷区をデザインするときにこの方向性は必須だろう)
 小室氏のスピーチは実に奥が深い。
 子育て、財政再建、人生の価値、世界にあっての日本の立場・・・これらが見事につながるから感動せずにはいられない。
 とにかくたった12分間耳を傾ければ、今後の人生観が変わるかもしれない。(最初の1分間は聞き取りづらいかも知れません。ちなみに小室氏とは一切面識はありません・・・)

住む理由 転出する理由

 平成22年国勢調査から、世田谷区内の町別で5年前(平成17年)と同じ住所の人たちの比率を自分で計算してみた。(左表数値は%)
 つまり、現在の住所に5年以上住んでいる人が町別でどれくらいいるか、ということである。(調査時点は平成22年10月現在)

 トップは岡本。岡本在住の67.3%が5年前も同じ住所に住んでいる。最下位は太子堂。なんと半分以下の41.8%しか5年以上同じ住所に住んでいない。

 いわゆる落ち着いた町、出入りの多い町ということになるのであろうが、印象的には太子堂は若者が多いのではないかと想像するが、そうではない。太子堂の平均年令は42.5歳に対して岡本は41.3歳と、岡本の方が若い。さらに65歳以上の高齢者比率は太子堂の17.2%に対し岡本は15.5%とこれも低い。(住民数は太子堂の約1万8千に対し岡本は約7千)

 区全体の平均では58%の人が5年以上同じ住所に住んでいる。(前回のブログでは5年前も世田谷区在住が67.9%と記したが、それは同じ住所+区内での転居者数の合計ということで多くなっている。つまり約10%の人は世田谷区内での転居ということ)

 地方自治は、その地域に住んでいることが前提である。といっても、国勢調査の一番古い大正9年(1920年)の記録で人口約4万人。戦前の昭和15年(1940年)で約28万人で、高度経済成長のさなかの昭和45年(1970年)で約79万人となっている。それからすでに40年経過して約88万人である。

 前回のブログでも国勢調査から世田谷区では5年間(平成17年〜22年)で約3分の1が入れ替わっている。
 問題は、人はなぜ世田谷区に住むのか?そしてなぜ世田谷区から転出していくのか?

2013/08/27

「脱原発、行って納得、見て確信」

 毎日新聞連載のコラム「風知草」で最近の小泉純一郎元首相の動向をつたえている。今月中旬、脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した小泉元首相は「脱原発、行って納得、見て確信」と、お得意のワンフレーズ感想。
 特にフィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」をみて元首相は「10万年だよ。300年後に考えるっていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」「今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。」全くその通り!というかそれがフツーの市民感覚であり、日本の国土を安全に後世代に伝えたいという思いにもつながる。
 しかし現実には自民政権は原発ゼロに向かっていない。つまり小泉元首相の考えと異なる。「今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ」この言葉は軽い言葉ではないと思う。国家千年万年の計に思いをはせた言葉だと思う。
 今の政治状況の中で、小泉元首相の何らかの“降臨”は“非常時”だけに必要なのではなかろうか。

2013/08/26

世田谷区は5年間で3分の1が入れ替わる

 世田谷区は、5年間で約3分の1の人口が入れ替わる都市である。これは今年6月に発表された平成22年の国勢調査からわかるリアルな数字である。
 さらに5年前の人口と較べて約3万人増加していることから、この5年間で約27万人が世田谷区に越してきて、約24万人が区外へ転出していったとも推測できる。(ただし正確には死亡者すなわち天国へ転出された方々もあるので、誤差はある。)
 
 5年間で約3分の1の住民が入れ替わる世田谷区、23区の中ではどのような位置にあるのだろうか。他の22区を同じ国勢調査から数字を引っ張りだして自分で計算した結果が左の通り。
 5年間で最も入れ替わりが少なかったのは江東区の23.9%、それでも約4分の1が入れ替わった。逆に最も多かったのは港区の53.2%、5年で半分以上の人口が入れ替わっている。
 だいたい30%台が一番多いようである。このことは調べてみてわかった意外な事実であった。実際、世田谷区ほど人口の移動が多い区はないと考えていたが、東京23区の中ではむしろそれほど移動の比率は高くない。へーという感じである。

2013/08/21

国家の粉飾

  8月21日の日経朝刊、経済教室に“行政のお家芸”ともいうべき数字トリックがあって、日本の社会保障もそこまできたかと嘆かざるを得ない。

 筆者の学習院大学の鈴木亘教授によれば、年金財政について、「相変わらず『年金は100年安心』という虚構の上に立っている」と述べ、その“証拠”として年金の「運用利回りを今後100年近くにわたって4.1%もの高利回りに設定するという『粉飾』をしている」というのだ。
 (もちろん1000兆円もの借金を抱え、国債の暴落でもあれば4.1%の高利回りも可能かもしれないが、そうなれば、それ以前に運用自体が破綻し、貨幣価値の下落により、手にする年金は紙くず同然になるかも知れない。)

 鈴木教授の言いたいことは社会保障全体の将来像について「何ら定量的な評価をしていない」ということである。

 行政とすれば、「定量的な評価」をすれば年金財政が破綻していることを認めることになる、だから非現実的な数字をデッチあげてでも、当面国民を安心させて、そのうち経済も良くなってどうにかなるだろう、という、官僚制特有の「先送り楽観論」である。

 国民からすれば、甘い夢に浸っていられれば越したことはないが、現実に年をとって高齢者となり病み勝ちとなり就業機会も少なくなってから、アテにしていた年金がパァですと言われたら、そちらのほうが残酷である。

 官僚制特有の「先送り楽観論」は「定量的な評価」を無視することによって成り立っているが、国民にすればことごとく「夢を見させて残酷な結末」に終わっている。

 「定量的な評価」或いは「定量的なデータ分析」とでも言い換えられるが、もちろんこれが万能だとは言えないが、政策的な判断として欠かすことはできないだろう。

 日本の財政はすでに、外から見れば“粉飾”の段階に来ているのではないかと思う。何かのキッカケで、バレたら、国債は暴落し、税金で食べている人たちを直撃するだろう。或いは税金によって維持されている社会保障関連の人たちは経済的に行き詰まるかも知れない。

 バレないうちに成長戦略とやらが一発逆転を果たせば良いが、実はこの成長戦略も「定量的なデータ分析」無視の「夢だけ先に見せて」という、いつものパターンで、どうやら結末は想定できそうである。下の記事は朝日の21日朝刊。ドイツ連銀では結末を見越している。

2013/08/05

世田谷ナンバー

「神は細部に宿る」という言葉を耳にしたことがあるが、実は行政の要諦も「細部に宿る」のではないだろうか。

 県並み、或いは県以上の人口を擁する世田谷区は、人口だけでは比べられない問題がある。価値観の多様さである。(ちなみに世田谷区より人口が少ないのは、山梨、佐賀、福井、徳島、高知、島根、鳥取の7県)
 例えば、山梨県の人口に占める他県の出身者と世田谷区における他自治体からの出身者の割合を想像してみよう。(たぶん)おそらく世田谷区では全国の県人会は存在するだろうが、上記7つの県ではどうであろうか?

 つまり世田谷区の人口の多さはそのまま価値観の多さにつながる。世田谷区という都市は価値観の多様さを受容しているとも言える。それは私たちが大切にする自由度とか利便性の問題でもある。

 或る著名な芸能人が「世田谷のいいところは、ほっておいてくれる気風があるところ」という様なことを述べている。著名人ゆえの言葉であろうし、例えそうでない人も日常生活で“適度な無関心”というのが都市の魅力であろうことは感じているはずだ。
 しかし価値観の多様さ、自由度や利便性に個人的に浸っている間に、組織的な価値観に不意打ちを食らうこともある。だから“適度な無関心”というのも要注意だ。

 さて「世田谷ナンバー」については、昨年11月に東京商工会議所世田谷支部、世田谷区商店街連合会、公益社団法人世田谷工業振興協会の3団体が保坂区長に要望したことに始まる。その目的(効果)とは、

1.世田谷の知名度が向上し、世田谷ブランドを全国に発信できる。
2.知名度の向上により地域振興、産業活性化、観光振興につながる。
3.世田谷ナンバーをつけることで地域に対する愛着心の醸成、世田谷区民として誇りを高められる。

 率直な感想としては、すべて邪道ではないだろうか?

 そもそも産業活性化をナンバープレートに期待するなど世も末ではなかろうか。世田谷区は住宅都市であり、いつから観光都市化するようになったのだろう。しかもナンバープレート変更は2014年度以降、全員強制である。

  この全員強制は痛いなぁ、と感じる。これまで世田谷区では、やりたい人はやればいいし、やりたくない人はやらなくていい、ただし公益上リミットなものでどちらかにしなければならない時は不本意であっても決めなくてはならないし、その場合は諦めるしかないという、暗黙の合意のような安心感がこの世田谷にはあったように思う。今回の件にどれほどの公益性があるのだろうか。

 世田谷大好き!はわかる。しかしそれを外に向かって表示することを是とする人もいれば、内心の問題だという人もいるだろう。目に見えるブランドもあれば見えないブランドが“粋”だと感じる人もいるだろう。

 産業活性化のためにナンバープレートに対する愛着やこだわりを全否定するようなことで、本当に世田谷区の産業が活性化して若者の就業が促進されたりするのだろうか。

 たぶん世田谷区のクルマは日本全国を走り回るだろう。しかしどこに行くのだろうか。事業系を除けば、そのほとんどが観光地か故郷だろう。観光地で世田谷を競っても何になるのだろう。故郷に帰って世田谷の知名度を上げて、故郷に勝る愛着なんてあるだろうか。

 ナンバープレートと言っても、取り付けるクルマはそれぞれ目的も意味も価格も異なるだろう。機能性だけで持っている人もいれば、衣服のように自己表現の一部だと捉えている人もいるだろうし、理屈抜きでコノ車が好きで堪らないという人もいるだろう。それぞれの価値観であり、他人の侵入や介在を許さない領域のはずだ。

 そしてナンバープレートにこだわる人もいれば、無頓着な人もいるだろう。実際、無頓着な人(つまりどっちでもいいという人)が案外一番多いのかも知れない。しかし無頓着な人も“適度な無関心”で済まされなくなる。

 「世田谷区民なら世田谷ナンバーが当たり前」という一見素朴な発想の中に強制性が伴うことで、住みづらい街になってしまう可能性があるからだ。この発想のゴールにあるのは、「世田谷区民の誇り」なるものと個人所有のクルマが結びつくことである。

 単純な話、世田谷ナンバーのクルマがろくに洗車もしないで走ることは、マイナスの知名度になるだろう。自分のクルマが汚れていても、ピカピカでもこれまでは「世田谷区民」を意識したことはないし、あくまでも乗っている人の評価でしかなかったものが、いつのまにか世田谷区の宣伝マンみたいな仕事を背負わされて意識しなくてはならない。余計なことである。

 自分の所有物(クルマ)が、世田谷区民の誇りの象徴として区民全体で共有され、あれこれと強制されてしまう世田谷区というのはどうなんだろう。

 世田谷区の魅力は住宅都市として“適度な無関心”あるいは何事にも寛容な街というものが必置ではなかろうか。その生命線を、できもしない地域振興とか観光振興と引き換えに断つことは、あまりにも短慮ではなかろうか。

 個人の嗜好の領域に行政が土足で侵入していることに気づかないのだろうか。人間の存在理由は、実は生活の細部に宿ることを知らないとは・・・。


2013/07/24

公共投資と公共消費

 投票日の前日に伝えられたデトロイト市の破綻。23日の読売は続報を載せているが、本題は「人ごとではない財政破綻」。

 「日本の国そのものがデトロイトと同じ苦境に直面している」という視点で報じている。主要産業の衰退、人口減少等に対して有効な手立てを打たず、既得権にすがる層が破綻に追い込んだ、ということだ。

 翻って日本、自民党が大勝しても1千兆円にもなる借金大国は変わらない。アベノミクスとやらでも借金大国への治療策はない。それどころか「公共投資」で地方を活性化などと相変わらず言っている。

 ほとんど言葉の誤用である。バブル期以降の「公共投資」は一部の都市を除いて、ことごとく「公共消費」でしかなかった。

 このことについて、20日の日経ではバブル期に乱立した地方の公立劇場が運営難で苦境に陥っていることを伝えている。

『財政難の岐阜県は県民文化ホール「未来会館」の運営を2年前の4月から休止。奈良県上牧町のペガサスホールも6年前から休館、4年前の4月から運営休止となった北海道深川市のパトリアルホールは地元の文化祭の間だけ開館する』

 結局、建設したはいいが維持費が捻出できないということで休館。事実上の廃館である。

 つくればつくるほど、維持費で地方が疲弊する「公共投資」という名の「公共消費」、しかもその原資は国の借金の増大でまかなわれている。

 アベノミクスの第三の矢である成長戦略も方向性だけで中身はカラッポである。踏み込めば既得権益とぶつかる状況。対外的に勇ましいことを言っても国内の既得権益と対峙できないというのはおかしくないか?

 実際、国家戦略が希薄なままでの「公共投資」などありえない。この国をどうやって食べていける(若者が働ける)国にするのか、観光なのか、医療なのか、農業なのか、文化なのか・・・その際の障壁は何なのか、民間の役割は何なのか、公共投資の範囲はどこまでか・・・。

 少なくとも、経済が活性化し、結果として税収が上がるような「公共投資」でなければ破綻である。

2013/07/22

参院選比例代表の投票結果(世田谷区での投票結果)

 今回の選挙、比例選出票と見比べると東京選挙区の裏側が見えてくる。
 比例選出とは政党名を書いても、比例選出の候補者名を書いても1票になる。そのうち政党名を書く有権者は、その政党の支持者(例え一時的であろうとも、投票所にいる間は)と推測できる。とすれば東京選挙区でもその政党の候補者に投票するはずであろう、という前提で以下考えてみる。

 自民党の場合、政党名を書いた人が9万3851人、そして丸川+武見両候補に入れた人が11万6547人と増えている。

 一方、みんなの党の場合、政党名ではみんなの党と書いても、桐島候補には半分近くの人が投票しなかった。

 表の数字のうち、東京選挙区候補者の票÷政党名の票数 では

自民党124%
みんな  53%
共産党  97%
維 新  80%
民主党128%
公明党144%

 100%を超えればいわゆる浮動票の取り込みに成功したといえるだろう。

 逆に100%を下回れば、所属政党と東京選挙区の候補者のつながりが浸透していなかったか、或いは政党のイメージにふさわしくない候補者と支持者に判断されたか(他のふさわしい候補者に流れたということも含めて)のいずれかであろう。(以上はあくまでも世田谷区という限られた地域での投票結果を元にした個人的な見解です。)

参議選東京選挙区の投票結果(世田谷区での投票結果)


2013/06/24

都議選完敗・・・

 都議選の選挙結果。(NHKの画面から)ご期待いただいた皆様には返す言葉もありません。
 結果は結果として、前向きに受け止める努力をしてまいります。


2013/05/26

都議選の見方

 都政の専門誌である「都政新報」が都議選情勢を詳細に分析している。すでにこの段階で、定数127のうち100前後が決まっているという。
 定数1とか2とかの所は比較的読みやすいのかも知れないが、定数8の世田谷は最激戦地とあって読みにくい。それでも世田谷の部分を拾えば、以下の通り。

民主党は複数擁立している品川、大田、世田谷、杉並、北、葛飾、江戸川でいずれも苦戦しており、今後の動向によっては共倒れの危険性もある。自民党は3人を擁立する選挙区のうち大田、世田谷では全員当選の勢い。公明党は、激戦の世田谷、荒川が気になるが、23人全員当選の戦い。共産党は、現職が勇退して新旧交代となる世田谷と板橋でも新人が善戦し、当選ラインに届きそうだ。生活者ネットは、世田谷、北多摩第二で現職が当落線上の争い。社民党と、都議選初挑戦となる生活の党、みどりの風はいずれも厳しい戦い。世田谷の諸派の前職に議席獲得の可能性が残されている。」

2013/05/24

区立と私立でこんなに違う保育園の運営経費

 保育園の待機児対策で求められていることは、保育園を増やせ、ということである。当たり前のことのようだが、保育園は“税金のかたまり”のような施設である。(もちろん福祉の根源は“税金のかたまり”であってしかるべきだ)つまり増やせ、ということは予算を増やせと同じ意味である。

 ただし地方自治体は財政難(国も含めて)予算は足りない、というのが実情だ。

 そこで、足りないというなら、限られた予算をもっと上手に使う方法はないだろうか、こう考えて見ることは現実的だ。
 認可保育園には区立と私立(社会福祉法人等の運営)に分かれるが、区の予算で考えれば、区立への税金投入は私立への税金投入の1.6倍も掛かっている。


 具体的には100人規模の保育園をモデルケースにして世田谷区のH23年度決算数値で比較してみると区立保育園への区からの税金投入額は1億6700万、一方私立保育園へは1億0400万円である。

 単純に考えれば、区立2園分の税負担で私立3園分が賄えれる、ということである。(もちろん私立といっても世田谷区の場合、株式会社は入っていない)

 現在、世田谷区の区立保育園は50園(定員5184名)、私立保育園は65園(定員5123名)である。(4月1日現在)

 区立保育園を私立保育園に変えれば予算的には同じでも定員枠を計算では3千名は増やすことができる。(ことはそう簡単ではないし、配慮を擁する子どもへの区立の役割という問題もある。)

 まず待機児童対策としては区立保育園の民営化(私立への転換)というのが現実的な解決策であろう。このことは一貫して言い続けているが、まだ5園しか民営化は進んでいない。

※中段の表は区の資料をもとに大庭が作成したもの。数値等はすべて区からの数字。



2013/05/16

追及する議員、ガードマン議員、自分の都合議員?その他大激戦


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上下ともに都政新報5月14日より

 5月14日の都政新報によると、上記記事と併せて、都議会の特集が組まれている。「議会改革 自浄努力は票にならない」と題し半ば都議会議員のやる気のなさを嘆く内容だ。(左下)

 
 ◎議会出席1回につき1万円出る費用弁償の問題(世田谷区議会では公共交通機関での実費のみ)

 ◎各政党の役員クラスまで使える公用車問題(本当に公務に使っているか疑問。世田谷区議会では議長車のみ)


 ◎海外視察問題(海外調査報告書の盗用丸写し頻発で実態は海外旅行ではとの疑問が)

 ◎不透明な年間720万円の政務活動費(世田谷区議会では1円の領収書からインターネネット公開)

と、改革に乗り出さない議会の多数派を記事では疑問視している。

 実はこういう問題を鋭く追及していた議員が前回の民主旋風のあおりで落選してしまったことを「議会改革 自浄努力は票にならない」の記事では惜しんでいるのだが、その議員とは後藤さんのことである。

 そのことをもって、こういう追及は票にならないという風潮が都議会で蔓延し、期待された若い民主党は、追及しない“第二自民党”に変質し、結果、現状のように争点なき都議会になってしまった論じている。

(その象徴的ターニングポイントとなったのが“花輪議員逆転騒動”といわれているもの※後述)

 もはや都議会での自公は役人と一緒になって税金を使う側(あくまでも政策に即して税金を使うという意味です!誤解なきよう)であり、もたれあいの構造であり、都政のチェックどころか、(政策遂行のために?)かばい合う“互助組合”にしか見えない。

 「議会改革 自浄努力は票にならない」の記事の最後では、自民の現職都議17人が逮捕されるという前代未聞の48年前の都議会汚職事件を取り上げ、現在のチェックなき都議会のあり方を警告している。(それが原因で都議会解散となり、都議選が統一地方選(4月)からズレる結果になった)

 チェックする議員が少ないから都政の争点が見えてこない。争点がなければ議会は緊張感を失い不祥事に結びつくということである。

 資本主義経済を無視した追及は論外だが、税金を使う側ではなく、税金を払う側からの代表として追及する議員がいなければ、議会は意味を持たないのは確かだ。ぜひともチェックする都議会に期待したいものだ。

※【解説】“花輪議員逆転騒動”とは2013年5月14日の日経新聞「都議選 見えない巨大議会」に詳しい「・・・民主は2009年7月の前回選挙で「東京から政権交代を」旗印に、初の都議会第1党に躍進した。都議会では知事野党の立場を維持。公約に掲げた「新銀行東京の清算」と「築地市場の強引な移転反対」を当時の石原知事に迫るべく、2つ特別委員会を立ち上げた。市場移転候補地の豊洲地区は土壌汚染が判明。民主は11年3月議会で関連予算案を否決する構えを見せた。ところが与党の自民・公明から揺さぶりを受け、移転反対の急先鋒だった民主議員が「政治の都合で先送りできない」と賛成に転じ、与野党勢力は逆転。昨年3月民主は汚染対策実行の条件付きで移転賛成にくみした。新銀行も規模を縮小したが存続。都議会の「オール与党化」が進んだ。」

「自民・公明から揺さぶりを受け、移転反対の急先鋒だった民主議員」とは何を隠そう花輪智史議員(当時)だったのである。

 急先鋒どころか“急転回の能力”の持ち主だったわけである。その後、世田谷区長選に自民(都連)の支援を受けて立候補し急転回(おいおい「政治の都合で先送りできない」のではなくあれは「自分の都合で先送りできない」じゃなかったのかと言われた。しかしそんなことにお構いなしに急転回を続けるのは常人から見れば超能力級)、さらに政党を乗り換え、衆院選にまたまた急転回、と続いている。(この経緯については上記「予想される顔ぶれ」でも記載されている)

みんな傷ついている

 ついに読売までもが、橋下発言を社説で断罪しはじめた。当然だろう。敢えて言えば男性の尊厳も損なわれているという認識も本当は必要なのだが。

消滅?

 ここまでひどい発言をする政党(共同代表)は消滅するでしょ。まさに本人が言った通り。
 それにしても、元東京都知事や元大阪府知事という日本を代表する地方自治のトップだった人がこういう発言をし、また擁護するなど、日本人として、東京都民として恥ずかしい。
 しかもあとになってぐちゃぐちゃ言い訳をするなど、恥の上塗り。

2013/05/14

後藤選対はいつも大変

 都議選まであと1ヶ月。区議会は都議選の前日までに臨時会と定例会が押し込まれてタイトなスケジュールになっている。
 すでに後藤選対も「返り咲き必勝パターン」をめざしているが、これほどの方々が復帰を待ち望んでいたのかと嬉しいと思いつつも、激戦に変わりない。
「後藤雄一」の知名度は比較的安定しているが、ここ数年で急増した有権者層には、ほとんど浸透していない・・・そのほかにもアレもコレも・・・選挙はいつも問題山積、もちろん議会も大きな節目を迎えているので大変な1ヶ月だ!

2013/05/12

「このままでは維新消滅する」橋下共同代表

 たぶんその通りになるのだろう。
 なぜなら「議席を得るのが主目的の『選挙屋』になっている」という部分は、まるでどこかの選挙区を指しているかのよう、だから。(つまり橋下代表は檄を飛ばすというより、嘆いているのだろう。石原共同代表は賞味期限を嘆いていたが・・・)
 確かに、半年前に国政について論じ、まかせろと言っていた人が、同じ駅頭で今度は都政で働かせて下さいと頭を下げていても・・・有権者はそっぽを向くのは当たり前だろう。

同日選?いつやるの?今でしょ!

 日本の総理大臣の醍醐味は衆参同日選を断行し、圧勝することにある。これほど権力基盤が確実になることはない。もちろん誰しもがそのチャンスに巡りあうことはないが、どうも安倍首相は、その数少ない僥倖を手にしているようだ。
 支持率高止まり、違憲判決、野党の低迷、そして何よりも6年前の参院選の敗退へのリベンジという闘志から、解散、同日選でのプッシュを考えないわけがない。憲法問題をテーマにするというのも一連のストーリーの一環だろう。
 記事にある通り、野党が警戒する時こそやるのが常道。歴史は繰り返す。権力者恐るべし。

2013/05/08

見えてきた政党の本質

 「維新は賞味期限を迎えつつある」と言ったのは石原共同代表。
 賞味期限という言葉がホンネをついている。もともと「たちあがれ」と言っていた面々が立ち上がらず「太陽」にすがり「維新」に乗り換え、賞味期限を書き換えてきた。賞味期限こそが大事な人たちなのだろう。