2012/06/28

言い逃れの果ての袋小路

 つまるところ東京都は世田谷区にダマされたと言っている。ダマされたからカネ返せと。
 東京都の「訴え」によれば、区の事業者選定及び管理監督が不適切かつ不十分だったから、今回の問題が起きたのであって、世田谷区に責任がある、という主張である。
 これに対して、区側は責任の所在を曖昧にし続けている。だから都もしびれを切らしたのだろう。議会に対しても、区側は不適切であっても不十分であっても一生懸命やっていたのだから・・・といった調子で責任の所在を明確にしない。すなわち抽象的には不適切さを認めても、具体的には担当者は一生懸命やってたのだから、とはぐらかしているのだ。
 議会追及においてはまず責任者の特定が出来なければ、事実解明が先に進まない、という手順がある。
 しかし東京都とすれば責任者の特定も事実解明にも関心がない。単に会計上の違反かどうかで動いている。世田谷区が抽象的にでも不適切さを認めた段階で、区の責任だから東京都が出した補助金を返せと言えるわけである。
 今回の東京都の動きは区のいい加減な対応にクギを刺すことになりそうだ。

2012/06/21

6月議会 調査なくして質問なし

 6月議会での代表質問、一般質問ともにウチの会派は重要な指摘をした。議会の責務として行政の仕事をチェックできるのは質問を通じてである。その意味ではラジオの「子ども電話相談室」のような質問とは異なる。(このあたり未だに誤解している人も居て、そんなの電話で課長に聞けばいいのに、というような質問が時々あったりしてガックリ来ることがある)
 今回の質問は役所の仕事に関して基本のキである。そのキがなっていない。お座なり、なあなあ体質、過ちは無かったことにする等々、議会が気づかなければなんとでもなる、というような風潮が見え隠れする。危険な兆候である。その意味では議会と行政は常に緊張状態を保たなければならない。






2012/06/17

虚構の決定

 三島由紀夫の『文章読本』に、小説第一の美人は誰かという問いに答えている部分がある。三島はこう書いている「これはごく易しい質問です。文章における小説第一の美人とは、もしあなたが小説を書いて「彼女は古今東西の小説の中に現れた女性の中で第一の美人であった」と書けば、それが第一の美人になるのです」
 小説の作者が、美人と書けば美人となるし、極悪人と書けば極悪人になる。小説の世界とは、現実とは関係のない小宇宙だと三島は述べている。当たり前と云えば当たり前、だから小説なのであって、小説どおりに現実が動いたらそれは「予言の書」である。
 しかしその三島の後輩にあたる財務省や経産省役人たちは、紙に安全と書けば安全であり、税率を10%に書き換えれば財政再建だと信じて疑わない。福島原発を見れば安全神話が役人の書いた三文小説に過ぎなかったことは明らかである。所詮、大自然の破壊力には想像も及ばななかった。
 役人小説を見抜けないのが現在の総理大臣である。
 もっとも彼が虚構と現実の区別がつかないのは当然と云えば当然で、たった3年前まで街頭でシロアリ退治の演説をしていた中年国会議員が政権交代でいきなり財務副大臣、財務大臣、総理大臣まで上り詰めてしまったのである。しかもなんの実績もなく。彼がどうして総理大臣なのか、実際の所よくわからない人の方が多いのではないか。単に民主党の手続きの関係でこうなってしまったという。しかし彼こそが、役人が作り上げた虚構そのものなのである。
 防潮堤や免震重要棟を計画段階だけで安全対策だと言い切るのは、もはや虚構を信じるしか総理大臣としては選択肢がないのだろう。もし虚構を疑えば、自らの地位も虚構にすぎないことがバレてしまうからである。
 すでに政治主導を声高に宣言して政府入りした民主党は、後ろ手に縛られ、マニュフェストを剥奪され、分裂の瀬戸際まで追い詰められている。完敗である。官僚制を甘くみたツケである。
 最後に残されたのが虚構の総理の座である。唯一彼が虚構の世界から現実を取り戻せるとしたら、解散総選挙を即実施することである。選挙をやれば国民と官僚とのパワーバランスをリセットできるからである。目を覚ませ総理大臣!