2017/08/30

首都直下地震は必ずやってくる、それも1回だけじゃない

●8月18日の読売新聞に読売テクノ・フォーラムの紹介があった。「大地震・大噴火は必ず起こる」ということである。

●なかでも「1923年の関東大震災後、M7級の地震は東京23区では起きていない」という記述は刺激的だ。

●下は2012年4月に発表された都内の火災予想図。
●よくわからないので、拡大してみると、以下のようになる。これは以前にも書いたが、区内の延焼ベルトの一つに千歳烏山から祖師ケ谷大蔵につながる地域が示されている。

●首都直下地震の被害は、火災によって最大化される。この地域は(私もかつて住んでいたことがあるが)、祖師谷通りの東西は道路としては消火活動には困難という感じが否めない。

●8月30日の朝日にも(上掲)載っている。下は世田谷区の地域防災計画での被害想定。
●東京湾北部M7.3 冬朝5時で死者440人、冬昼12時277人、冬夕18時655人ということになっている。風速8メートル。

●もちろん、想定は想定に過ぎない。ミサイルがどこに落ちるか、避難しろ、と云ってもどこに?と思うことと同じようだが、それはちょっと違う。

●地域防災計画を少しリアルに考えてみたい。

2017/08/16

福祉保健委員会視察2

浜松での障がい者雇用で実績をあげる、京丸園株式会社の話のつづき。

会社は芽ネギ、チンゲンサイ、ミツバなどを栽培している農業生産法人で従業員の3割超が障がい者スタッフとして働いている。

言われてみれば、実にそうなのだが、会社は労働力のみに注目していることが成功のカギのように思えた。

ともすれば、障がい者に対して、人生すべての配慮を用意しなければと考える方向性に対して、会社はそれまでの経験から、かなり割り切っている。

これは個人的な受け止め方かも知れないが、会社は障がい者の労働環境に限って、配慮というよりも創意工夫の努力で生産性を向上させているように見えた。(別の言い方をすれば障がい者にとって働きやすい環境整備。)

裏返せば、障がい者が抱える生活上の悩みや相談事は、行政に受け持ってもらう、という考え方である。

つまり、農業のプロと福祉のプロが良い意味で分担しているということである。

実は、会社が障がい者を受け入れた初期、何としても頑張ってもらおうとする従業員の善意がリミッターを超えて、農業のプロの範囲から福祉の領域まで及び、行き詰まった経験があったという。そこで餅は餅屋ということで福祉は行政にまかせるという割り切りに転じたそうである。

いわゆる、行政が民間にお願いして、という方向ではなく、民間が行政を活用するという、当たり前の転換である。

さらに、最も重要なことは会社が儲かっているということ。この会社はブランド化された農産品を有している。強みである。

大量生産そして大量消費という時代(分野)にあっては大型投資(機械化)が生産効率を上げる手段であったかも知れないが、面白いものを、貴重なものを消費する時代にあっては、労働集約型の縛りから出るのは難しいだろう。

とすれば、安易な機械導入ができない会社は数は多いだろうし、使える労働力の研究はもっとできると思う。

もちろん、世田谷で農業ということで話を聞いていたわけではない。ロケーションがまるで違うことは承知の上で、労働(民間)と福祉(行政)の分担のあり方、特許製品とかブランド商品を有する民間業界における差別化を達成している会社のアドバンテージをどう社会に還元させるのか、いろいろ考えさせられた。

2017/08/04

おかしな話

下は8月3日の日本経済新聞の記事である。

別々のページに載っていたので、わかりにくいが、こうして並べてみれば、そのおかしさは一目瞭然である。繰り返しになるが、同じ日の新聞である。

しかも、「公務員給与上げ勧告」は内閣改造の日に合わせて発表というタイミングの良さ。もちろん毎年この時期に改造があるわけではないが、こっそり感は否めない。

2017/08/02

福祉保健委員会の視察

●今回は、浜松市(ユニバーサル農業推進)、堺市(児童相談所開設)、神戸市(認知症対策)、広島県(広島方式子育て支援)を訪問。


浜松市では農業による障がい者雇用の現場を視察。その事業を推進している「京丸園株式会社」の社長である鈴木厚志氏の体験談を交えた「農業を変える」実践論を聞いた。興味深い。

まず、この事業主体が民間であることに、わずかながらテンションが上がる。

通常の視察先は行政主導であったり、行政そのものといった場合が多い。実際、農業と障がい者雇用という組み合わせは、聞いたことがなかったし、世田谷で農業といっても、ある意味、住宅都市での土地相続及びオープンスペースの確保といったところが少なくない。

農業といっても、芽ネギ、ミツバ、チンゲン菜といった、ハウス水耕栽培の野菜が主体で、お米作りといったものではない。

鈴木社長の話は、ある意味、完成されたいくつかの話からなる。

福祉の世界、あるいは障がい者とは縁のない農業プロが、その世界と出会い、戸惑う話から始まる。

その融合を目指すが、不安は思わぬ方向に進展し、自分の農業プロの部分が一つづつ覆されながら、社長が変わっていく話。この部分は、障がい者が農業に合わせるのではなく、農業のあり方を障がい者に合わせるという、新たな発想に結びつく。

その過程で、営業上の支障という具体的な問題が払拭できない。そこで初めて登場するのが「行政」および「行政サービス」。

私たちはともすれば、福祉においても、障がい者という問題にしても、「行政」を「出発点」として考えてしまう、これは思考停止状ではないかと気付かされた。

鈴木社長の話「ある日、障がいを持った子とそのお母さんが来られて、農園で働かせほしいとおっしゃいました。その時の私は、障がいのある方に農業は無理だろうと思いお断りしたのですが『給料は、いらないから働かせてほしい』と必死にお話しされるお母さんにおされ、1週間だけ農作業体験として受け入れることにしました。その時の『給料はいらないから働かせてほしい』という言葉は、しばらく私の頭から離れませんでした。当時の私は、仕事はお金を稼ぐためにするものだと思い込んでいたので、その真意が理解できなかったのです。・・・」

その後、鈴木社長の様々な努力と工夫によって現在社員80名の従業員のうち24名が障がい者という会社になっている。

この視察は有料視察であり、その代金はこの会社の収益源の一つでもあり、ドラマチックな展開については省略するが、ここでの障がい者雇用は知的、身体、精神を問わずである。

鈴木社長が最初「障がいのある方には農業は無理だろうと思いお断りした」時点からどう変わっていったのか。何が変わっていったのか。行政マンの発想ではなく、お金を稼ぐために働くという民間の発想はどう進化しうるのか。

この視察で、感じたのは、まだまだ、やる気と工夫で障がい者雇用は増える余地は十分あるという点である。

要は、(福祉)行政はいつまでも、法律や条例を使う立場から、民間に使われる立場に変身せざるを得ない、ということなのかもしれない。(取り敢えず視察方向その1)


京丸園の前で委員会撮影