2020/07/17

世田谷区、新型コロナ感染症による死者18人(令和2年1月〜7月13日)




新型コロナ感染症については、今のところわからない、だらけである。

7月16日に政府は「Go Toトラベル」について東京発着は対象外とした。

東京の感染者数が実際には相当数いるという事実が明らかになっていることからすれば、「人が動けばウィルスも動く、人が動かなければウィルスも動かない」というのはウィルス界にもあてはまる公理だろう。(たぶん)

別の角度からいえば、無症状の感染者が多数いることから、その波が高齢者や既往症のある人々に及べば、あらためて新型コロナの凶暴性が明らかになる、現時点での理解は、こうである。

ここ数日、朝日新聞では、「コロナの時代 官邸非常事態」と記事を連載し、「焦る首相」「小池発言 狂った(官邸)シナリオ」とタイトルを打ち、政府官邸が新型コロナ対策に迷走するなか、都知事の迷いのない(ような)一手、一手で、主導権を握っている様子を描いている。

コロナ禍でわかりつつあることは、「地方分権の必要性」である。政府も官邸も厚労大臣も妙手を打てないのは、現場を持たないが故である。また全国一律という政治の限界を示している。

都知事が新型コロナ対策において優位に立っているのは現場の数字を持っているからである。政策立案の基本は民主主義にあっては数字であろう。言い換えれば「情報」である。

今回の「Go Toトラベル」での東京排除は、国の政策変更とすれば大問題である。広く国民に与えられたメリット(利益)を一方的に取り上げられたのであるから、公平性から見れば、憲法違反にもなりかねない。(結果として都民が利用しなかった、というのと、都民は利用できなかった、というのでは天と地ほどの差がある。)

一方で、「Go Toトラベル」を利用するかどうかは、地方自治体ごとに判断できるし、利用しない場合はその分の国費は新型コロナ対策に利用できる、というような形にすべきであった。制度設計が泥縄である(東京都は外された分、即座に代替措置を国に要求するだろう。)

憲法解釈をもてあそび、露骨な人事で官僚の統制を図ってきた現政権の最終局面にいたって、断定口調の「その指摘は当たらない」などとの言葉はウィルスには通じなかったということだ。

ちなみに世田谷区における(この場合、居住地が世田谷区ということ)新型コロナ感染症による死者は7月13日現在18人。

ところで新型コロナ感染症の死者数はどんな「位置」にあるかと言えば。



委員会で区側に資料請求したものが上掲。新型コロナ感染の時期とほぼ同じ期間を今年を含めて過去4年分出してもらった。

これは、新型コロナと似たような病状死者数であり、死因順位トップは毎年がん(悪性新生物)で1900人台である。

新型コロナ出現期に合わせたために、インフルエンザや肺炎の最流行期とズレているかもしれないが、それでも、肺炎の死者数は3年前に比べて減少している。

一部にはこの死亡者数を見て、肺炎の方が怖いとか、インフルエンザくらいのもの、と感じる方もいるかも知れない。しかし下述のごとく、現在でも感染者は入院できない。感染者の波が高齢者等の感染敏感かつ重症化の層に達すると、どうなるかである。

7月になってから、新聞等を見てもポツポツと高齢者施設や幼児施設の関係者に感染者が現れている。もはや特定の繁華街から無症状者を通じて感染拡大は広がっているのだろう。



上掲は7月15日現在の世田谷区在住の陽性者数。入院中が68人。そして、今では不思議に思わなくなっているが、宿泊療養中が24人、そして自宅療養中が29人である。指定感染症にも関わらず、入院できない患者がいること自体、実は異常事態である!

実際、高齢者の多く、その多くは二人世帯、あるいは独居であり、動くことを控えている。テレビ・新聞等の報道を見れば危険は身近に迫っていると感じざるを得ないからであろう。