■昭和歌謡の名曲「今日でお別れ」の詞を地でいく鳩山政権。5月末の決着は最低の支持率に■区議会は6月の定例会を前に、国政が右往左往されては質問原稿も困るというもの■質問日は6月10日。そもそも“メガトン級の政策”がこんな調子ではこの先どうなるのやら。沖縄問題は国の安全保障の問題であると同時に解決手法は地方自治及び住民自治の問題である。結果として、住民の心情はグチャグチャにされてしまった。こういう状況を他の大臣たちはよくも拱手傍観していたものだと、呆れはてる(消費者・少子化担当大臣の粉骨砕身の暴走ぶりに比べて)■所詮、数は力、権力でやれば何でもできる、なんて錯覚していたのではなかろうか■要は、出来ることと出来ないことを、正直に説明する勇気がなかったことである■総理大臣だけでなく、今のうちに各大臣も正直に抱えている課題について、これは出来そうにありません、と釈明する必要があるのではなかろうか。その方がよっぽど国民はありがたい。
2010/05/29
モンスター誕生
■本日の読売新聞の社説の冒頭に『日本政治と日米関係を混乱させた末、「国民との約束」簡単に破る。一応謝罪はするが、責任はとらない。これが鳩山首相の本質だろう。』とある(5月29日)■約束を簡単に破り、謝罪するのは本人の資質だろうが、責任をとらないのは役人の本質である。知らない間に、トンでもないものが最高権力者の中で“融合”してしまった。
2010/05/25
世田谷区版『事業仕分け』スタート
■5月21日午前10時から「政策検証委員会」の第1回目が開催された。これは区長の時限的な審議機関で、学識7人、区政モニターから選ばれた区民6人からなり、文字通り世田谷区の政策(事業)を検証する委員会である■別名“世田谷区版事業仕分け”とも言われるが、第1回目は、“世田谷区版れんほう氏”も“世田谷区版枝野氏”も現れることなく、穏やかな感じで終了した■実際には、2回目、3回目がバトルになる想定で、1回目は検討素材と委員会としての方向性を確認しただけであった■この委員会は公開ということで第二庁舎の大会議室で行われ、庁内テレビ放送が行われたが、肝心のインターネット中継等はナシ。そこでしょうがなく、委員会の最後の部分、委員長の第1回目のまとめの部分だけを、テレビをカメラで撮るという、ちょっと間抜けな方法でお伝え。委員会の雰囲気は伝わると思う(一応念のために字幕は私の責任で付けさせて貰った)■そこでも明らかなように、検討の俎上に載せられたのは、「青年の家」「池之上青少年会館」「世田谷市民大学」「世田谷サービス公社」「世田谷区社会福祉事業団」「がん検診」「子ども医療費助成」の7つである■2回目は6月19日(土)に担当部長等が出席して委員とやりあう、らしいが、真価はそこで問われる。【もちろん議会は、分けてもうちの会派は事業仕分けどころか課長仕分けも部長仕分けも、常任委員会を通じて積極的に行っている】
2010/05/20
議会改革前進
●当然のことながら、みんなで合意して一つの案がまとまることは、それなりの達成感がある●世田谷区議会の話である。長らく続いていた世田谷区議に支払われる費用弁償の6千円(議会からの距離によっては4千円)が改正されることになった●具体的には6月議会で改正案が出される見込み。改正内容はほぼ公共交通機関を利用した場合の金額に改められる●従来は費用弁償の意味づけがはっきりしないまま慣例的に定額支給ということで6千円が支払われたが、今回は十分議論した結果、議会の裁量でほぼ交通費だということで収斂した●もちろん細部では各会派によって異論はあるだろうが、「まとめよう」という気持ちが全体を包み込むように作用したことは大きい。実は議会の価値とは「まとめよう」という気持ちがどれだけ醸成されるか、そこに懸かっている。
2010/05/12
2010/05/07
選挙至上主義の失敗
●言葉のチカラがここまで“無力化”されて、果たして政治は成り立つのだろうか●昨今の鳩山首相の言動は、誰も聞く耳持たずの状況である。その意味で彼はすでに職責を果たすことはできない●改めて、政権交代の“手法”が間違っていたと、断じざるを得ない。●以前にも述べたが、簡単に言えば地方自治の選挙発想で国政奪取を謀ったことがすべてのはじまりである●そして国政レベルの問題がことごとく解決されない理由もそこにある●国政選挙を地方自治の選挙発想で行えば、住民や有権者の身近な問題を取り込める。「生活が第一」のリアリティーは格段と高まる●しかし一方で“生活から見えない部分”はすっぽり抜け落ちる●国家財政や安全保障の問題が国政でしか解決できないにもかかわらず、地方自治の選挙発想(生活が第一)で選挙をやれば、争点は見えにくくなってしまう●結論から言えば、あの夏の選挙で本来の国政の課題について民主党は“国民の民意”を取らなかったのである●(国家財政をどうするか?ギリシャ問題のように実は生活に直結する大問題である。安全保障の問題についても異常な増強といわれる中国海軍は南西諸島に相当の“関心”を示しているという。偶発的にでも占領ということになれば日本はどうするのか。朝鮮半島も魚雷事件が勃発している)●国会議員の仕事は何か、そのことを明らかにした上で選挙が行われなくてはならない。
2010/04/30
2010/04/29
選管委員の月額は違法
■4月27日、大阪高裁で地方自治体にとって重要な判決があった。関東圏では別の司法関係のニュースに隠れて報道されていない■しかしネット社会では関西圏のニュースでも知ることができる。以下は時事通信より。
選管委員長以外の月額報酬は違法=「著しく妥当性欠く」−大阪高裁
滋賀県が労働、収用、選挙管理の各行政委員に月数回の会議出席で毎月一定額の報酬を支払っているのは地方自治法に違反しているとして、吉原稔弁護士(69)が知事を相手に支出差し止めを求めた訴訟の控訴審判決が27日、大阪高裁であった。岩田好二裁判長は、選管委員長のみ月額報酬を認めたものの、そのほかの選管委員や、労働、収用両委員については一審判決を支持、支出を違法として差し止めを命じた。
非常勤の行政委員の報酬をめぐっては、高額過ぎると批判され、日当制に改める動きが出ている。この判決は見直しの流れを加速しそうだ。
判決は、行政委員の報酬に関する地方自治法の規定について(1)勤務量が常勤職員に準ずる(2)役所外での事実上の拘束が多い−などの特別な事情がある場合のみ月額報酬制が適当と指摘した。
その上で、選管委員長を除く3委員に関し、2003〜08年度の実際の勤務1日当たりの報酬は約10万7000円〜約7万8000円として「著しく妥当性を欠く。地方公共団体の裁量の範囲を逸脱して違法・無効」と判断した。同約4万8000円の選管委員長については容認した。(2010/04/27-19:32)
選管委員長以外の月額報酬は違法=「著しく妥当性欠く」−大阪高裁
滋賀県が労働、収用、選挙管理の各行政委員に月数回の会議出席で毎月一定額の報酬を支払っているのは地方自治法に違反しているとして、吉原稔弁護士(69)が知事を相手に支出差し止めを求めた訴訟の控訴審判決が27日、大阪高裁であった。岩田好二裁判長は、選管委員長のみ月額報酬を認めたものの、そのほかの選管委員や、労働、収用両委員については一審判決を支持、支出を違法として差し止めを命じた。
非常勤の行政委員の報酬をめぐっては、高額過ぎると批判され、日当制に改める動きが出ている。この判決は見直しの流れを加速しそうだ。
判決は、行政委員の報酬に関する地方自治法の規定について(1)勤務量が常勤職員に準ずる(2)役所外での事実上の拘束が多い−などの特別な事情がある場合のみ月額報酬制が適当と指摘した。
その上で、選管委員長を除く3委員に関し、2003〜08年度の実際の勤務1日当たりの報酬は約10万7000円〜約7万8000円として「著しく妥当性を欠く。地方公共団体の裁量の範囲を逸脱して違法・無効」と判断した。同約4万8000円の選管委員長については容認した。(2010/04/27-19:32)
■詳細および判決文がわからないので報道ベースでしか言えないが、選管委員長だけ月額を認めたのは、合点がいかない■とはいえ、地裁レベルで認められた“状況”が一歩進んだことは良いことである。訴訟を提起された吉田氏には敬服するしかない■翻って世田谷区では私たちの会派としても議会を通じて区長側に問題提起している■その結果として「世田谷区特別職報酬等審議会」の意見書(平成21年12月22日付)において、「今後はこの問題の契機となった滋賀県の住民訴訟に対する司法判断について注視するだけでなく、他自治体における動きについても参考にすることが必要であろう」という言質を確認している■滋賀県の住民訴訟とは上記の大阪高裁判決のことである。今後最高裁での結論を待つことになるかも知れないが、すでに他自治体では見直しに踏み切っている■行政、および立法、まあ立法というには余りにも小さな機関かも知れないが世田谷区議会の私たちの会派は。(地方議会の役割は立法機関というより議決機関の役割の方が圧倒的に多い)■それでも司法の結果を見てから、それに従うのは、良しとはしない、という思いがある■おかしいと思ったら、それは自分たちで変える、これが自治の精神ではないだろうか。
2010/04/24
子ども手当554人分申請
■あちゃー、新聞を見た時そう叫んだ。やはりそういうことをする人がいるんだ■逆に言えば法律の不備を突かれている、ということでもある■実際のところ養子の実態はわからない。そもそも親子関係というのは国によって様々である。そこにお金が絡むと一層複雑なことになる■この申請者は条件にかなっていると信じてのことだろう。もちろん社会的常識からすればいくらでも疑えるが、法の形式手続きからすれば人数制限は曖昧である。厚労省もホームページで50人の養子縁組した外国人には支給しないと書いているが、49人までなら支給するのだろうか■法の制度設計は極めて重要である。子ども手当に関しては、制度設計がなされていない、というより従来の児童手当の設計図をお手軽に拡大コピーしたという手抜き事業である(政権交代直後の高揚感から官僚役人を極度に排除した結果とも言える)■しかも児童手当にあった所得制限という、制度設計の要の部分を取っ払ってしまったので、来る人拒まずみたいな制度になってしまった■それにしても困るのは、養子や親子関係の調査をするのは記事のように尼崎市である。各市町村である。ひょっとすると裁判になる事例が出現するかもしれない。■現政権になってから、良くなったことは確かにある、それは率直に認めるとしても地方自治の現場からすれば振り回されていることの方がはるかに多いような気がする。
2010/04/20
平穏死のすすめ

2010/04/17
賞味期限40年の身体
■「アキレス腱のけが」についての相談記事が4月16日の毎日新聞に載っていた。何気なく読んでいたら、いささか衝撃的な一文に目が留まった■「人間の平均寿命は明治初期まで40歳くらい。栄養状態の改善などで急激に寿命が延びたが、それに合わせて人間の足が急に進化したということはない」■言われてみればその通り。平均寿命の伸びは人間の身体からすれば外部環境の改善が及ぼしたもので、身体そのものが画期的に進化したわけではない■記事はこう続く「つまり40歳〜50歳を過ぎると、腱は言わば賞味期限が切れたような状態にあるため、無理をすればアキレス腱炎になりやすい」■もちろん鍛えればそれなりに新陳代謝が進み強化される筋肉等はあるのだろうが、それは身体全部に通用しない■われわれは、「科学の進歩」と「身体の進化」をゴッチャにしている。科学は進歩していても、身体は果たして進化しているのだろうか。或いは科学の進歩に身体は対応できているのだろうか。精神は尚更である。さらに精神にも賞味期限というのはあるのだろうか。
2010/04/14
沢や谷の多い世田谷区
■上掲は今年2月14日放映の「噂の東京マガジン」の噂の現場コーナー。世田谷の建築現場で巨大な池が出現したことが取り上げられている■議会での陳情とも絡むことなので改めて見てみた。番組でも業者の水対策の不備が指摘されていた。そりゃそうだろう。黒部ダムの工事でもあるまいし、こんなことは世田谷でも滅多におこらない■基本的には業者の資質の問題である■地名は本来、その地域の情報を表したものである。番組でも触れていたが区内には沢という地名が多い。奥沢、上北沢、駒沢、代沢、野沢、深沢。一方、谷は粕谷、世田谷、祖師谷。“山系”は尾山台、(南・北)烏山、桜丘、玉川台、千歳台、八幡山■そのほかにも旧名でもいくつかある■町名に限らず、地名には様々な情報が隠されている。おそらく現代におけるハザードマップのような機能が地名にはあったはず。改めて地名や地域の名称の言われについて地元自治体は関心を払うべきだと感じた。
2010/04/03
水害と電源
■被害予想というのも“難物”である。4月2日のNHKニュースで江戸川区の想定では江戸川と荒川が決壊したら最大400万人が避難する必要性がある、と■江戸川区は約7割が海抜ゼロメートルということだから、東京のちょうど西側、多摩川に接する世田谷区とはだいぶ状況が異なる■被害予想は前提をどこに置くかで迷走しかねない。さらに災害は忘れた頃に、という無責任さを伴うから優先順位もままならない。何よりも莫大な予算がいる■それにしても思ったのは、水害と電源のことである。世田谷区でも景観の関係で電線の地中化が一部で進められているが、水害には大丈夫なのだろうか。さらに電源施設が地下にある建物は最悪電気がストップする。水没しないから安全ということではないらしい■とりあえず世田谷区の小中学校の耐震化工事は先月で完了した。
2010/03/28
予算委員会での質問その後

■3月15日の予算員会で終末期医療における「胃瘻(いろう)」の問題について質問した。現実に区立特養で起きている問題でもある。当日は現場からの声をもとに問題点を浮き彫りにしたつもりである■しかし時間が足りず、不足していた部分もあったかも知れないと思っていた。或いは私だけが問題視しているかも知れないと受け取られたかも知れない、と思っていたところ3月27日のNHKのサイエンスゼロという番組でまさに、このことが取り上げられていた■特養という介護施設と医療施設との行ったり来たりで、人生の終末期の医療のあり方が何ら問われず、これまできた■委員会質疑のあとで私の「望まれない医療」という言葉にカチンと来た委員もいたが、これは現実の問題として理想論として導かれる問題ではない■上ではその一部を引用アップしたが、来週再放送されるので全編を見ることをお薦め■されに3月17日に行った都市整備での「畦畔」に関する質問についても都政新報に詳しい。(クリックで拡大)
2010/03/15
畦畔(けいはん)問題のそもそも
■畦畔(ケイハン・あぜ道)の問題の起源は明治時代にさかのぼる■今日、普通に「土地の所有権」と言っているが、そんなに古くからある感覚(権利意識)ではない。特に農地に関しては明治に至るまで「所有」という感覚は薄い■ましてや江戸時代、農地の売買は禁止と決まっていた。さらに水戸黄門ではないが、殿様の命令は絶対である。領民にとって所有意識どころかあらゆる権利意識は殿様次第という不安定な時代だった。たった140年ばかり前のことである■そういう時代からの大改革が明治になって行われた。地租改正である。地租改正とは日本史で習った記憶はあるが、そのリアリティまでは知らなかった。その後の土地本位制の日本を考えるととてつもないターニングポイントだったと思う。その地租改正については2005年5月に放送されたNHKの「明治 税制改革」が詳しい(その部分をアップ)
■要するに地租改正とは廃藩置県で大名や殿様が消え、中央集権国家になることで、国家とともに国民が誕生したというエポックメイキングな出来事である■自分の農地の所有を国家が認める代わりにその農地に相当する税金を払えというのが大まかな流れである。しかしその過程は複雑かつ内乱に近い大紛争を経ている が、ほとんど伝えられていない■大紛争の部分を除いて簡単に言えば、農民にすれば米の生産性がある土地は所有したいが、生産性のない土地は持ちたくない。 この心理が現在に至る畦畔(ケイハン)問題の核心である■具体的にはこういうことである。田んぼの「田」の字を考えてみるとわかりやすい。畦畔(ケイハ ン)とは「田」の字の中の「十」の部分である。この部分は畦畔(ケイハン)であるから米の収穫はできない。農民とすればこの「十」の部分の面積は所有から除き たい、そうしなければ余計に課税されてしまうからである■そこで全国の農地から「田」の字の「十」の部分の所有権を申請しなかった■当時の政府は国土を 「官有地」と「民有地」と単純に二分したので、所有権の無い土地はすべて「官有地」になった。つまり「田」の字の「十」の部分は「官有地」になってしまっ たのである■ただし農業は「田」の字単位で営まれていたのでその中の「十」の部分がたとえ「官有地」であっても誰も関心を寄せなかったのだろう。そのこと がますます曖昧にしていく原因となる■その後、この状態を引き継ぐ形で土地登記制度へ移行していく。そして、農地が農地として利用されている間は、まだ問 題は表面化しなかった■しかし戦後、土地利用が多様化するなかで、例えば世田谷区のようにほぼ全域宅地化すると「田」の字の「十」の部分は問題となる■そ もそも農地の規模と宅地の規模はケタが異なる。農地にあっては些細な「十」ではあっても宅地とすれば結構な面積となる■さらに農地の形態が果たしてもとも と「田」の字であったのか「目」の字であったか、はたまた「日」の字であったか、昔の記憶が不正確なまま宅地化が進められると「官有地」即ち「国有地」の 位置は一層わからなくなる■世田谷区の道路は迷路だとタクシーの運転手さんは言う。現在でも地域によってはその通りである。それは農道のまま区道にしてし まったからである。そしてその周辺には畦畔(ケイハン)がある可能性が高い。(参考文献「明治国家と近代的土地所有」奥田晴樹)
2010/03/13
区側敗訴、最高裁判決
■ここ何年か世田谷区議会で議案として問題となっていた裁判結果がようやく出た■住民勝訴、世田谷区の敗訴確定(ちなみにこの裁判は区民によるもので議員は誰も係わっていない)■実はこの裁判、世田谷区民にとって他人事ではない。関係する人は推定で数百人から数千人と言われている。とにかく世田谷区がロクに調べもせず、国有地を区有地にしたものだから混迷は計り知れない■これこそ行政の怠慢が最高裁で決定された、ということである■記事にもあるとおり、国へ譲渡申請した土地は480ヘクタールで、本裁判のように民有地に紛れている畦畔(あぜ道)は1割とも2割とも言われている(480ヘクタールという大きさは目黒区の3分の1、千代田区の半分の面積であり、なぜか沖縄の普天間基地の面積とピッタリ同じ面積である)■この1割とも2割ともというのは世田谷区の公式見解である。とにかく調査していないのだからわからない■つまり区はわからない土地を指して区の土地だと主張して、最高裁に門前払いされた、ということである。このような裁判は二度とやってはいけない。そのことを議会で主張してきたのだが。
2010/03/11
世田谷ロール?
■前夜からの雪が止み、10日の朝には世田谷だけなのだろうか、珍光景が出没したとのこと■そのことが11日の朝日新聞のコラムに載っていた。記事の写真。まさに雪がロール状にクルクルと巻いている。記事によると「家の屋根などから雪の塊がガラスの雪面に落ち巻かれたのではないか」とある■しかしそれは違う。確かに記事では近くに家の屋根があるのかも知れないが、屋根のない青空駐車場でも同じことが起きていたからである■実は世田谷区役所の青空駐車場で全く同じ珍光景を見つけたので撮影しておいた■まさに世田谷ロール。現在、予算審議の真っ最中。これが世田谷区の財政状況を暗示するものでなければ良いのだが。
2010/03/08
2010/03/07
自己満足の世界
■田中優子議員のブログが“動いている"ので、一つ作ってみた。(でもこれって“終わった人"の追想みたいな感じもする)おーいまだ元気で生きてます!!中味の方はおいおいと■それにしても、こんなことが出来る世の中になるとは■情報公開としての活用を考えていかなければならない。
2010/03/04
説明できない多数決の危うさ
■3月3日放送の『みのもんた朝ズバッ!』での費用弁償の特集(下にアップ)は、かなり衝撃的だった。特に議会への交通費を上回る金額について、無感覚の議員の発言には、まさに知らないことは恐ろしいことだと思わずにはいられなかった■日本は法治国家であり、その立法は議会が担っている、(と言っても誰も信用しないだろう)実際は役人や官僚による行政が立法機能を運営している■その中にあって唯一といってもよいくらい、行政が“遠慮している分野”がある。それは議員自身にかかわる法律の分野である■“法律のプロである行政”が遠慮するとどうなるか。“立法の実戦経験の乏しい”議員たちが自分たちの法律を作るとどうなるか。もちろん“お手盛り”という身びいきが起こるのは当然として、それ以前に立法論もなく決めてしまうという暴挙がおこるのである■立法論とは別にむつかしいことではない。理屈が合うかという程度の論理性である。残念ながら議会というところは多数決で決めれば何でも正しい、という土着宗教のようなものが存在する。実はその宗教を広めたのは行政であり、役人である■長い間の自民党政権のもとで、政策立案とともに立法機能は行政・役人が、政治家は議会内での多数決に集中するように、分業体制が敷かれた。もちろん分業とは名ばかりで99パーセント行政が独占し、最後の1パーセントにも満たない出口部分だけを政治家にやらせようという魂胆である■しかし政治家側からすれば必ずしも悪い話ではない。なぜなら政治家からすれば面倒な仕事の99パーセントを行政がやってくれると思ってしまうからである■結果として、行政・役人の思惑通り、“政治家の宗教は多数決"、崇拝するのは多数派、ということになってしまった。要するに政策の中味についてはそれこそ分業体制だから行政にまかせっきり、ということである。分業体制とは相互不干渉ということである■そこで必然的に発生するのは、“行政・役人に絶対に損にならない政策"だらけということに■ 経済不況が20年も続くと、民間の生活水準が否応なく下がり続け、代わって露わになったのが公務員の厚遇ぶりである。それは法治国家にあって幾重にも法律に守られた鉄壁の身分保障というシステムである■政治が多数決に奔走しているウラで行政・役人は従順な下部のようなフリをして自らを守る法律を通させていたのである■公務員制度改革の本質はここにあるし、この公務員の“過剰包装"をなくしていくことが目的である■さて、ここからが本題であるが、ものごとを決めるのに多数決は合理的な手段である。しかし、その合理的な手段で決めたから、結論も合理的かといえば、必ずしもそうではないということである■現実に、昨今いくつかの所で多数決による政治決定が裁判所によって否定されているのである。多数決で決めても、その決めたことの合理性が説明できなければダメだ、といわれているのである■このことに多くの議会が無頓着である。特に公金の使途については合理的な説明が求められる■その最たるものが費用弁償なのである。それが冒頭の新聞記事である。前回にも書いたが、費用弁償については深い議論がされて来なかったという識者のコメントがある。議論無き多数決は通用しない時代に日本の地方政治もようやく突入したのである。ちなみに札幌高裁判決分の主な部分の写しを下にアップ。
1 費用弁償の趣旨
法203条3項は「第一項の者は、職務を行うため要する費用の弁償を受けることができる。」と定め、同条5項は「報酬、費用弁償及び期末手当の額並びにその支給方法は、条例でこれを定めなければならない。」と規定している。
この趣旨は、普通地方公共団体の議会の議員等が職務を行うため費用を要した場合には、議員個人に負担させるのでほなく、最終的には公費で負担することとし、議員が費用の個人負担を憂慮することなく、職務遂行に専心することができるようにしたものであると解される。
したがって、費用弁償の対象となるのは職務を行うため要する費用に限られ、この実質を有しないものを費用弁償の対象とする条例は、法203条3項に反し、同条5項により条例に委任された範囲を逸脱するものである。
また、法203条は、「報酬」、「費用弁償」及び「期末手当」について定めたものであるから、その文言上、「費用弁償」は、「報酬」及び「期末手当」に含まれないものでなければならない。
以上のとおり、法203条の文言解釈により、費用弁償の対象は、費用性(職務を行うため要する費用に該当すること)を有し、かつ、報酬性(報酬又は期末手当に該当すること)を有しないものでなければならない。
2 費用弁償における裁量の範囲
条例で費用弁償について定める場合においては、議員が実際に費消した額を領収書等の提示を受けてから弁償する方式(以下「実額方式」という。)が上記の趣旨に最も適合するものである。しかし、実額方式によると、事務が煩瑣となり、費用弁償に当たる側の事務経費を増大させることになりかねないから、「あらかじめ費用弁償の支給事由を定め、それに該当するときには、実際に費消した額の多寡にかかわらず、標準的な実費である一定の額を支給することとする取扱いをすることも許されると解すべきであり、そして、この場合、いかなる事由を費用弁償の支給事由として定めるか、また、標準的な実費である一定の額をいくらとするかについては、費用弁償に関する条例を定める当該普通地方公共団体の議会の裁量判断にゆだねられていると解するのが相当である。」(最高裁判所平成2年12月21日第二小法廷判決・民衆44巻9号1 706貢)。
被控訴人のいう「定額方式Jによる費用弁償を条例で定める場合においては、
1.いかなる事由を費用弁償の支給事由として定めるか、
2.標準的な実費である一定の額をいくらとするか、
について普通地方公共団体の議会の裁量が認められることは上記のとおりであるが、この裁量は、法203条によって法が条例に委任した趣旨に反しない範囲で認められるものである。したがって、1の費用弁償の支給事由は、費用性を有し、かつ、報酬性を有しないものでなければならない。
また、2の標準的な実費である一定の額をいくらとするかの裁量は、最終的には、定額方式における「定額」自体の合理性に行き着くものではあるが、「定額」を算出する過程で、職務行うため要する費用として想定される額を合理的に見積もり、その見積額に基づいて定められたか否かが問われることになる。
立法者(条例においては普通地方公共団体の議会)は、ある立法の必要性・合理性を基礎づける事実、すなわち立法事実を説明する責任を負うと解されるから、本件条例についても、「標準的な実費である一定の額」が合理的に見積もられたものであることは訴訟告知を受けた札幌市議会の議員又は条例の執行に当たる札幌市長において、積極的に主張立証すべきことである。
以上によれば、定額方式による費用弁償は、1費用性を有し、かつ、報酬性を有しない支給事由に基づき、2弁償される「定額」が合理的であるときに、裁量の範囲にあるものであり、適法であることになる。
3 本件条例における費用弁償の合理性
本件条例2条は、「議員が、定例会、臨時会、常任委員会、議会運営委員会及び特別委員会の会議に出席したときは、費用弁償として日額12、500円を支給する。」と定め、本件条例附則11項は、「平成17年4月1日から平成23年5月1日までの間に定例会、臨時会、常任委員会、議会運営委員会及び特別委員会の会議に出席した議員に対して支給することとなる費用弁償の日額については、第2条の規定にかかわらず、10、000円とする。」と定めている。
この規定によれば、本件費用弁償は、議員が議会の会議に出席したときに支給されるものであるから、費用弁償の対象となるのは、議員が議会の会議に出席するという職務を行うために要する費用に限られ、費用性のあるものでも、会議への出席と関係のない費用(例えば、議員の個人事務所の維持経費)は含まれない。
被控析人は、本件費用弁償が交通費(タクシー代も含む。)、日当(費用弁償においては、 会議出席に要する経費その他出席に伴う雑費をいう。)、事務経費その他の札幌市議会議長が職務を行うために要する費用を法203条に基づいて包括的に支給するものであることから、具体的費用、項目を想定して定めたものではないし、実費の算定が困難なものもあると主張する。
(1)被控訴人の挙げる上記の例のうち、「交通費」については、議員が議会の会議に出席するという職務を行うために要する費用に該当し、費用性があることは認められる。しかし、被控訴人は、交通費の見積もりについて、タクシー代も含むと主張するばかりで、具体的見積額を明らかにしない。札幌市議会の議会開催地である札幌市中央区から最も遠い議員の住所までの交通費を、公共交通機関を用いた場合の料金、自家用車を用いた場合の燃料代などの条件で見積もることは 当審に係属してからでも可能であったほずであるが、何ら主張立証がない。なお、会議に出席するために、タクシーを用いる必要がある場合があることは否定されないが、常に必要であるとまではいえず、常にタクシー利用を前提として見積もりがされたとすれば、その見積りには合理性がない。
(2)−般に、「日当」の語は多義的であり、
1.休業補償を含む(例えば、民事訴訟において証人となった者に支払う日当(民事訴訟費用等に関する法律18条1項))こともあるし、
2.昼食代を含む(例えば、出張など本来の勤務場所と異なる場所で勤務させるときに支払われるもの(国家公務員の旅費に関する法律6条6項))こともあるし。
3.1日を単位として支払われる報酬の意味で用いられることもある。
しかし、議員が議会の会議に出席することは、本来の職務であって、何らかの休業を余儀なくされることではないから、1の意味での「日当」は、費用弁償の対象にすることができないし、監査委員も本件費用弁償が適法である理由の一つとして、「休業補償」を含まないことを挙げている(甲第2号証の2)。
また、議会開催地で行われる会議に出席するのは、議員が本来の勤務場所において勤務することにほかならないから、2の意味での「日当」も、費用弁償の対象にすることができない。さらに、議員は費用弁償のほかに、報酬及び期末手当を支給されているから、3の意味での「日当」も、費用弁償の対象にすることができないし、監査委員も「報酬としての意味を有する「日当」も含まれていない」と述べている(甲第2号証の2)。
したがって、被控訴人のいう「日当」は被控訴人が主張するとおり、「出席に伴う雑費」と同義であり、他の意味での「日当」は含まれない。
(3)被控訴人は、出席に伴う雑費という意味での「日当」及び「事務経費」について、例示を挙げることなく、様々な費用を含むと主張するにすぎない。
したがって、これらは、会議への出席に伴って生ずる交通費以外の費用をいうと解さざるを得ない。
なお、当裁判所は、平成20年9月12目の第1回口頭弁論期日において、被控訴人に対し、交通費以外の、議員の会議への出席に伴う雑費であるいわゆる「日当」及び「事務経費」の具体的内容を明白にするように求釈明し、被控訴人はこれに応じ、同年10月17日付け準備書面を提出したものの、求釈明に対する明確な回答は記載されていない。このことからすると、被控訴人は、議員の会議への出席に伴う交通費以外の雑費を具体的に観念することができていないのではないかとの疑問を払拭し得ない。
交通費は、特定性があり、かつ、費用性の明らかなものであるから、最も経済的な通常の経路及び方法により算定されたものである限り、費用弁償に上限は設けるべきではない。これに対し、交通費以外に、議員の会議への出席に伴って生ずる、具体的に特定されない種々の費用については、これが発生することが考えられなくはないが、特定性がないから、報酬性を帯びないものとするためには、合理的上限額を定めるべきであって、この額以下であるとき初めて適法であると解される。
国家公務員の旅費に関する法律6条6項の「日当」は、旅行中の昼食代を含む種々の費用に充てられるものと解されるが、その額は同法別表第一の一に定められており、「指定職の職務にある者」の日額が3000円とされている。これと比較するならば、議会が本来の勤務場所である札幌市議会議員にとって会議に出席するときの「日当」は、 上記の3000円から昼食代相当額を控除した額が合理的上限額である。
また、札幌市内各地から札幌市議会の会議に出席するための交通費を、公共交通機関による交通費をもとに算定すると、豊平峡温泉などの特に遠隔地からの場合(往復千数百円)を除き、市内各地から議会開催地である札幌市中央区まで往復約1000円以内の場合がほとんどであることは、裁判所に顕著である。
したがって、交通費及びこれ以外の、議員の会議への出席に伴う雑費であるいわゆる「日当」及び「事務経費」を費用弁償の支給事由とし、一律の日額として定めるときは、上記事情を考慮して算出される額が合理的上限額であるということができる。
(4)以上によれば、被控訴人の主張する費用弁償の支給事由のうち、具体的に特定される支給事由は交通費のみであり、議員の会議への出席に伴う雑費であるいわゆる「日当」及び「事務経費」を加算したとしても、日額1万円は、議員の会議出席に要する費用の3倍程度に当たることは明らかである。
(5)被控訴人は、原判決書別紙4の「各政令指定都市における費用弁償額」にあるとおり、他の都市における支給額の定めなどを考慮すると、日額1万円が不相当に高額とまでいえず、本件条例2条及び同条例附則11項に規定された費用弁償の支給事由及び額が法203条により札幌市議会に与えられた裁量権の範囲を超え、又はそれを濫用したものであることを認めるに足りる事情はうかがわれないと主張する。
原判決書別紙4の「各政令指定都市における費用弁償額」は「住民監査請求監査結果」(甲第2号証の2)4頁の表と同一であるところ、この表によれば、監査結果が出された平成19年7月25日現在で、政令指定都市における費用弁償の定め方は、札幌市と同じく、一律日額1万円としている都市が4市(仙台市、名古屋市、京都市、福岡市)ある一方全く支給しないこととしている都市が5市(さいたま市、横浜市、浜松市、大阪市、堺市)、公共交通費の実費を支給することとしている都市が1市(静岡市)、距離に応じて−定の幅で支給することとしている都市が2市(神戸市、北九州市)あることが認められる。したがって、政令指定都市において、費用弁償として一律の日額を定めるのは、上記の表の都市全体の半分にすぎず、必ずしも主流とはいえないし、都市の面積や人口によって一定の傾向が認められるものでもない。実費方式(静岡市)など−律日額以外の定め方をしている都市の実情を調査したが、札幌市においては採用することができない事情があったのであればともかく(被控訴人からそのような事情の主張立証はない。)単に一律の日額として定めた額が他の政令指定都市における費用弁償と横並びであることだけでは、合理性を基礎づけることはできない。
(6)以上のとおり検討したところからすれば、本件費用弁償は、交通費及び出席に伴う雑費の弁償を行う限度では合理的裁量の範囲内にあるが、これを超える部分は。裁量権の範囲を超え、又は裁量権を濫用したものである。
本件費用弁償は、上記のとおり、一部に違法な部分を含むものであるが、費用弁償の具体的金額は、本来、条例によって定められるべきものである。
本件費用弁償の額は、必要と見込まれる費用額の3倍程度の日額が一律に支給されたものであるから、被控訴人においては、全体が違法な支出として、本件費用弁償を受けた者に対し、ひとまず全額を返還するよう請求すべきである。
4 結論
以上によれば、平成18年6月から同19年5月までの費用弁償額についての控訴人の請求は、理由がある。よって。これと異なる原判決を変更することとし、主文のとおり判決する。
札幌高等裁判所第2民事部
法203条3項は「第一項の者は、職務を行うため要する費用の弁償を受けることができる。」と定め、同条5項は「報酬、費用弁償及び期末手当の額並びにその支給方法は、条例でこれを定めなければならない。」と規定している。
この趣旨は、普通地方公共団体の議会の議員等が職務を行うため費用を要した場合には、議員個人に負担させるのでほなく、最終的には公費で負担することとし、議員が費用の個人負担を憂慮することなく、職務遂行に専心することができるようにしたものであると解される。
したがって、費用弁償の対象となるのは職務を行うため要する費用に限られ、この実質を有しないものを費用弁償の対象とする条例は、法203条3項に反し、同条5項により条例に委任された範囲を逸脱するものである。
また、法203条は、「報酬」、「費用弁償」及び「期末手当」について定めたものであるから、その文言上、「費用弁償」は、「報酬」及び「期末手当」に含まれないものでなければならない。
以上のとおり、法203条の文言解釈により、費用弁償の対象は、費用性(職務を行うため要する費用に該当すること)を有し、かつ、報酬性(報酬又は期末手当に該当すること)を有しないものでなければならない。
2 費用弁償における裁量の範囲
条例で費用弁償について定める場合においては、議員が実際に費消した額を領収書等の提示を受けてから弁償する方式(以下「実額方式」という。)が上記の趣旨に最も適合するものである。しかし、実額方式によると、事務が煩瑣となり、費用弁償に当たる側の事務経費を増大させることになりかねないから、「あらかじめ費用弁償の支給事由を定め、それに該当するときには、実際に費消した額の多寡にかかわらず、標準的な実費である一定の額を支給することとする取扱いをすることも許されると解すべきであり、そして、この場合、いかなる事由を費用弁償の支給事由として定めるか、また、標準的な実費である一定の額をいくらとするかについては、費用弁償に関する条例を定める当該普通地方公共団体の議会の裁量判断にゆだねられていると解するのが相当である。」(最高裁判所平成2年12月21日第二小法廷判決・民衆44巻9号1 706貢)。
被控訴人のいう「定額方式Jによる費用弁償を条例で定める場合においては、
1.いかなる事由を費用弁償の支給事由として定めるか、
2.標準的な実費である一定の額をいくらとするか、
について普通地方公共団体の議会の裁量が認められることは上記のとおりであるが、この裁量は、法203条によって法が条例に委任した趣旨に反しない範囲で認められるものである。したがって、1の費用弁償の支給事由は、費用性を有し、かつ、報酬性を有しないものでなければならない。
また、2の標準的な実費である一定の額をいくらとするかの裁量は、最終的には、定額方式における「定額」自体の合理性に行き着くものではあるが、「定額」を算出する過程で、職務行うため要する費用として想定される額を合理的に見積もり、その見積額に基づいて定められたか否かが問われることになる。
立法者(条例においては普通地方公共団体の議会)は、ある立法の必要性・合理性を基礎づける事実、すなわち立法事実を説明する責任を負うと解されるから、本件条例についても、「標準的な実費である一定の額」が合理的に見積もられたものであることは訴訟告知を受けた札幌市議会の議員又は条例の執行に当たる札幌市長において、積極的に主張立証すべきことである。
以上によれば、定額方式による費用弁償は、1費用性を有し、かつ、報酬性を有しない支給事由に基づき、2弁償される「定額」が合理的であるときに、裁量の範囲にあるものであり、適法であることになる。
3 本件条例における費用弁償の合理性
本件条例2条は、「議員が、定例会、臨時会、常任委員会、議会運営委員会及び特別委員会の会議に出席したときは、費用弁償として日額12、500円を支給する。」と定め、本件条例附則11項は、「平成17年4月1日から平成23年5月1日までの間に定例会、臨時会、常任委員会、議会運営委員会及び特別委員会の会議に出席した議員に対して支給することとなる費用弁償の日額については、第2条の規定にかかわらず、10、000円とする。」と定めている。
この規定によれば、本件費用弁償は、議員が議会の会議に出席したときに支給されるものであるから、費用弁償の対象となるのは、議員が議会の会議に出席するという職務を行うために要する費用に限られ、費用性のあるものでも、会議への出席と関係のない費用(例えば、議員の個人事務所の維持経費)は含まれない。
被控析人は、本件費用弁償が交通費(タクシー代も含む。)、日当(費用弁償においては、 会議出席に要する経費その他出席に伴う雑費をいう。)、事務経費その他の札幌市議会議長が職務を行うために要する費用を法203条に基づいて包括的に支給するものであることから、具体的費用、項目を想定して定めたものではないし、実費の算定が困難なものもあると主張する。
(1)被控訴人の挙げる上記の例のうち、「交通費」については、議員が議会の会議に出席するという職務を行うために要する費用に該当し、費用性があることは認められる。しかし、被控訴人は、交通費の見積もりについて、タクシー代も含むと主張するばかりで、具体的見積額を明らかにしない。札幌市議会の議会開催地である札幌市中央区から最も遠い議員の住所までの交通費を、公共交通機関を用いた場合の料金、自家用車を用いた場合の燃料代などの条件で見積もることは 当審に係属してからでも可能であったほずであるが、何ら主張立証がない。なお、会議に出席するために、タクシーを用いる必要がある場合があることは否定されないが、常に必要であるとまではいえず、常にタクシー利用を前提として見積もりがされたとすれば、その見積りには合理性がない。
(2)−般に、「日当」の語は多義的であり、
1.休業補償を含む(例えば、民事訴訟において証人となった者に支払う日当(民事訴訟費用等に関する法律18条1項))こともあるし、
2.昼食代を含む(例えば、出張など本来の勤務場所と異なる場所で勤務させるときに支払われるもの(国家公務員の旅費に関する法律6条6項))こともあるし。
3.1日を単位として支払われる報酬の意味で用いられることもある。
しかし、議員が議会の会議に出席することは、本来の職務であって、何らかの休業を余儀なくされることではないから、1の意味での「日当」は、費用弁償の対象にすることができないし、監査委員も本件費用弁償が適法である理由の一つとして、「休業補償」を含まないことを挙げている(甲第2号証の2)。
また、議会開催地で行われる会議に出席するのは、議員が本来の勤務場所において勤務することにほかならないから、2の意味での「日当」も、費用弁償の対象にすることができない。さらに、議員は費用弁償のほかに、報酬及び期末手当を支給されているから、3の意味での「日当」も、費用弁償の対象にすることができないし、監査委員も「報酬としての意味を有する「日当」も含まれていない」と述べている(甲第2号証の2)。
したがって、被控訴人のいう「日当」は被控訴人が主張するとおり、「出席に伴う雑費」と同義であり、他の意味での「日当」は含まれない。
(3)被控訴人は、出席に伴う雑費という意味での「日当」及び「事務経費」について、例示を挙げることなく、様々な費用を含むと主張するにすぎない。
したがって、これらは、会議への出席に伴って生ずる交通費以外の費用をいうと解さざるを得ない。
なお、当裁判所は、平成20年9月12目の第1回口頭弁論期日において、被控訴人に対し、交通費以外の、議員の会議への出席に伴う雑費であるいわゆる「日当」及び「事務経費」の具体的内容を明白にするように求釈明し、被控訴人はこれに応じ、同年10月17日付け準備書面を提出したものの、求釈明に対する明確な回答は記載されていない。このことからすると、被控訴人は、議員の会議への出席に伴う交通費以外の雑費を具体的に観念することができていないのではないかとの疑問を払拭し得ない。
交通費は、特定性があり、かつ、費用性の明らかなものであるから、最も経済的な通常の経路及び方法により算定されたものである限り、費用弁償に上限は設けるべきではない。これに対し、交通費以外に、議員の会議への出席に伴って生ずる、具体的に特定されない種々の費用については、これが発生することが考えられなくはないが、特定性がないから、報酬性を帯びないものとするためには、合理的上限額を定めるべきであって、この額以下であるとき初めて適法であると解される。
国家公務員の旅費に関する法律6条6項の「日当」は、旅行中の昼食代を含む種々の費用に充てられるものと解されるが、その額は同法別表第一の一に定められており、「指定職の職務にある者」の日額が3000円とされている。これと比較するならば、議会が本来の勤務場所である札幌市議会議員にとって会議に出席するときの「日当」は、 上記の3000円から昼食代相当額を控除した額が合理的上限額である。
また、札幌市内各地から札幌市議会の会議に出席するための交通費を、公共交通機関による交通費をもとに算定すると、豊平峡温泉などの特に遠隔地からの場合(往復千数百円)を除き、市内各地から議会開催地である札幌市中央区まで往復約1000円以内の場合がほとんどであることは、裁判所に顕著である。
したがって、交通費及びこれ以外の、議員の会議への出席に伴う雑費であるいわゆる「日当」及び「事務経費」を費用弁償の支給事由とし、一律の日額として定めるときは、上記事情を考慮して算出される額が合理的上限額であるということができる。
(4)以上によれば、被控訴人の主張する費用弁償の支給事由のうち、具体的に特定される支給事由は交通費のみであり、議員の会議への出席に伴う雑費であるいわゆる「日当」及び「事務経費」を加算したとしても、日額1万円は、議員の会議出席に要する費用の3倍程度に当たることは明らかである。
(5)被控訴人は、原判決書別紙4の「各政令指定都市における費用弁償額」にあるとおり、他の都市における支給額の定めなどを考慮すると、日額1万円が不相当に高額とまでいえず、本件条例2条及び同条例附則11項に規定された費用弁償の支給事由及び額が法203条により札幌市議会に与えられた裁量権の範囲を超え、又はそれを濫用したものであることを認めるに足りる事情はうかがわれないと主張する。
原判決書別紙4の「各政令指定都市における費用弁償額」は「住民監査請求監査結果」(甲第2号証の2)4頁の表と同一であるところ、この表によれば、監査結果が出された平成19年7月25日現在で、政令指定都市における費用弁償の定め方は、札幌市と同じく、一律日額1万円としている都市が4市(仙台市、名古屋市、京都市、福岡市)ある一方全く支給しないこととしている都市が5市(さいたま市、横浜市、浜松市、大阪市、堺市)、公共交通費の実費を支給することとしている都市が1市(静岡市)、距離に応じて−定の幅で支給することとしている都市が2市(神戸市、北九州市)あることが認められる。したがって、政令指定都市において、費用弁償として一律の日額を定めるのは、上記の表の都市全体の半分にすぎず、必ずしも主流とはいえないし、都市の面積や人口によって一定の傾向が認められるものでもない。実費方式(静岡市)など−律日額以外の定め方をしている都市の実情を調査したが、札幌市においては採用することができない事情があったのであればともかく(被控訴人からそのような事情の主張立証はない。)単に一律の日額として定めた額が他の政令指定都市における費用弁償と横並びであることだけでは、合理性を基礎づけることはできない。
(6)以上のとおり検討したところからすれば、本件費用弁償は、交通費及び出席に伴う雑費の弁償を行う限度では合理的裁量の範囲内にあるが、これを超える部分は。裁量権の範囲を超え、又は裁量権を濫用したものである。
本件費用弁償は、上記のとおり、一部に違法な部分を含むものであるが、費用弁償の具体的金額は、本来、条例によって定められるべきものである。
本件費用弁償の額は、必要と見込まれる費用額の3倍程度の日額が一律に支給されたものであるから、被控訴人においては、全体が違法な支出として、本件費用弁償を受けた者に対し、ひとまず全額を返還するよう請求すべきである。
4 結論
以上によれば、平成18年6月から同19年5月までの費用弁償額についての控訴人の請求は、理由がある。よって。これと異なる原判決を変更することとし、主文のとおり判決する。
札幌高等裁判所第2民事部
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