ちょっとづつ、ほとぼりが冷めた頃を見据えて原発を動かそうと政府は考えているようだが、連日のように襲う地震を考えれば日本に原発は無理だ。福島原発のために日本の国土がどれほどダメになったか。さらにヒューマンエラーということを考えれば警察の最近の失態を挙げるまでもなく、些細な失敗がスゲーことになる社会システムは排除すべきだろう。
しかし日本人は忘れやすい。だから脱原発宣言を行ったりして考え直すきっかけを作らなくてはならない。その意味で保坂世田谷区長がいろいろな所で発言したり会議に参加することは大切なことだ。報道によれば「脱原発首長会議」なるものを世田谷区、南相馬、千葉県長生村、静岡県湖西市、牧之原市の首長らで2月から準備会を作るそうである。
こうして見ると保坂区長は脱原発の旗手のようであり世田谷区でもさぞかしと思われるかもしれない。
しかし、それがあんまり、なのである。議会で何回も世田谷区でも『脱原発都市宣言』をすべきという提案をしているのだが、最初はうなづいている風でもあったが途中からほとんどやる気を示さなくなった。
区政では波風を立てたくない、5%しか区政を変えないと就任早々宣言して周囲を驚かせたが、そのココロは簡単に言えば、95%は世田谷区長としての本質的な仕事はしない、というものである。
保坂区長の本業は「世田谷区政」そのものである。「脱原発横浜宣言」は大事なことである。それならば、まず区政から、というのが脱原発区長の仕事ではないのだろうか。
区長の仕事の分類はなかなか難しい。さらに区長としてやっているのか個人としてやっているのか、これも表見的に分類できるものではない。しかし世田谷区長にしかできない決定がある。その決定権の行使こそがまさに区長の仕事の本質である。
車座集会も区民にとって直接会うことが区長の決定権と触れ合う、もしくは近づけると期待すればこそで、個人的な人気取り(いい人だなぁという印象操作)となれば集まらなくなるのは当然の理である。もっとも車座集会で区長の決定権が行使されるとなれば区長の仕事量5%などはすぐに使い果たしてしまうだろうが。
そもそも脱原発という戦後日本の発展スキームを変更しようと掲げて当選したのに、95%は前区政(原発の安全神話が信じられていた時代)を継承するということでは、自家撞着と言われても仕方がない。区長の仕事は区長にしかできない決定権をどれだけ行使するか、である。その意味で5%の仕事しかしないと宣言していては「脱原発都市宣言」などたちまち“容量オーバー”だろう。だから代わりに区長の決定権を伴わない「横浜宣言」で仕事の本質を誤摩化しているようにも映る。
今年こそ「脱原発世田谷都市宣言」すべきだと思うが・・・