2011/04/16

選挙に行こう!

世田谷区では区議・区長選と言う。区議がアタマに来るのは区長選が行われていない時期があったからである現在の区長選は昭和50年から。大場区長、熊本区長と続いた世田谷区に新たな区長が誕生する世田谷区の有権者数は約70万人。毎回の投票率は40パーセント前後公正な民主主義の実現にあたっては半数に満たないのは寂しい区議選も含めて公営掲示板や19日からポスティングが始まる選挙公報をじっくり見て選挙に行こう!(選挙期間中の更新はできません)

2011/04/12

世田谷区長選乱立で再選挙の可能性?

公職選挙法95条では区長選挙の当選は有効投票総数の4分の1以上の得票が必要とある。世田谷区の場合、区長選の投票率は毎回40%前後であるから有権者数70万人を掛けると有効投票総数は28万票となる。その4分の1とは7万票ということであるつまり世田谷区長選の結果がドングリの背比べとなった場合、仮に1位になっても7万票を超えなければ当選資格がないということである当選人が出ない場合、再選挙となる。その場合6月頃になる。それまで区長は空席となる。

2011/04/11

敗北回路

統一地方選の前半は「民主の敗北」という結果に終わった。これは昨年11月からの「松戸ショック」「茨城ショック」「西東京ショック」の流れが止まっていない、どころか拡大していると言ってよいしかも国難にあって菅首相のリーダーシップの無さが露呈され、国民のうっぷんがすべて地方議会選挙に向けられるという“回路”が定着した観がある民主地方議員にすれば国政と地方政治は違うと言うかも知れないが、あの菅首相を根っこで支えているのは地方議員であるのだから、投票行動とすれば菅首相へのうっぷんの矛先は間違っていないそれにしても菅氏の異常ぶりは震災報道の中でも際立っているやたら怒鳴りまくる、という。“最高指揮官"がこれではリーダーシップも何もあったものではないだろう。指導力とは威張り散らすことやワガママとは異なる(同じような地方議員を近くでも見掛けるが・・・)自分で判断できないから取っ替え引っ替え識者を呼んで会議体を作っている。結局、責任回避に終始しているのだろう。そもそも「霞が関は大バカ」とか「自衛隊は暴力装置」とか公言した人たちのもとで仕事に精励している人たちは決して一点の曇りもなく従事しているとは思えない。すごいストレスだと思う。それに加えて怒鳴る、責任回避では日本の優秀な国力は削がれているに違いないそれにしても4月も半ばにかかろうとしているが国の予算関連法案はどうなっているだろうか?区の予算は先月29日に可決されたが。

2011/03/15

津波災害 河田惠昭著 岩波新書

情報が増えるにつれ、津波の被害が想像を超えるものであることがわかってきた左は昨年末に出された。そこには「沿岸の住民がすぐに避難しなければ、近い将来確実に起こると予想されている、東海・東南海・南海地震津波や三陸津波の来襲に際して、万を超える犠牲者が発生しかねない、という心配である。・・・私が読者にとくに伝えたいことは「避難すれば助かる」という事実である。」このことを昨年12月17日発刊の岩波新書で著者は述べている。まさにここで述べられていることが現実に起きている残念なのは、この本の想定以上のことが起きている事である。特に三陸沿岸については沖合の深さが異常に深く、そのことによって津波の増幅装置になっている事で、三陸沿岸は「宿命的な」津波常襲地帯と明言しているわずか3ヵ月前に出されたこの本を、それぞれの自治体の担当者が読み、備えていたら・・・もちろんこの本は予言書ではなく科学的に説明しているしかし更に残念なのは、以下の部分である「津波の大きさを低減させるには、湾口の大水深部に津波防波堤を作るのが一番効果的である。岩手県の釜石市や大船渡市は際立って安全になっている。」思わず目を疑うような一文である我々は現在の釜石市や大船渡市の状況を知りつつある。決して釜石や大船渡が津波対策をしていなかったのではなく、高レベルでの安全策が施されていたのであるつまり、月並みな言い方だが、今回の巨大津波はそれほど大きかったとこの本で著者が徹頭徹尾繰り返し主張しているのは「避難すれば助かる」ということである。確かに「避難する場所」がある地域はよいとしても、都市部ではそうもいかない。

2011/03/12

防災都市も重要な福祉政策だ

ついに来てしまった。夜明けとともに被災状況が明らかになり、その大きさに日本が壊れてしまったかのようで正直なところ茫然自失であるしかし、敢えて言えば、これで終わりではない。昨年の一般質問(11月25日)で次ように述べた「実際、西暦2000年ころから、この関東平野の下では、いわゆる百年周期の地震の活動期に入ったと言われております。どうもこれから今世紀中、あと九十年 くらいの間には、数回程度地震が襲ってくるというように考えられております。そう考えますと、区役所の幹部職員の方々、つまり五十代以上の方々にとって は、大きな地震はこの東京で、残された人生で一回あるかないかですが、五十代以下では一回か二回ということになりますし、実際、現在の小学生くらいになり ますと、人生の中で三回くらい、この東京で大地震に遭遇するということになります。
 こういう想定があるということであれば、地道に対策を考えて いく必要があると思います。ましてや熊本区政のキーワードが安全安心ということであれば、災害の復旧能力に応じたまちづくりというものが求められます。ま た、高層マンション等は長周波震動に弱いという報告もあります。避難公園の増設も必要となります。以上のことを踏まえて、百年単位での災害対策について伺 います。」もちろん答弁は上っ面をなでた程度のもの。この時期、区は全庁あげて財源不足と格闘していた。いつ来るかわからない地震対策など、という感じはありありだったがここで言いたかったのは首都直下型地震は1回終われば、次はまた百年先になる、ということではない!ということすでにテレビ等の解説でもあるように、直下型地震は“前触れ”で(だからといって弱い地震ということではない)その次に海溝型の地震が起こるという関連性が、過去の地震からほぼわかっているということであるしかし今回は順番が逆だったことが、逆に直下型地震の到来が考えられるということである。さらに現在は、これも経験的周期性から、地震の活動期に入っているということである。首都直下型は震源が浅いから海溝型の地震とは被害の様相が異なる実は今回の震災の前日、正確に言えば約20時間前に区議会の予算委員会で、災害対策基金をもっと日頃から積み増しておかなければならないということを述べたこの基金は発災後の被災者対策にすぐ使える現金を用意しておくということである。本来なら50億あるべきところ、財政難ということで10億しかない。しかしこれは財政難であろうと積むべき現金であるもちろん区として本格的な「防災都市」を考えていかなければならないそれについてもすでに「職住近接」をキーワードに総合的な提案をしている。帰宅難民の状況や相互扶助の前提として「職住近接」をすすめなければならないその上で本格的な「防災都市」を造らなければ今後何回あるかわからない地震等災害を乗り越えることはできない。具体的な福祉政策も重要だが、それを支えるインフラ福祉も整えなければならない。

2011/03/08

花輪都議の職務放棄と変節!

上は3月8日夜のMXテレビ。これによると花輪都議の行動は不可思議であり、また都議としての職責を放棄した人間が、何を自分に都合の良い言い訳をしているのか、鋭く糾弾されている。(全部で4分弱)

豊洲の饅頭(汚染未調査)

前回の都議選前のビラを見ると、右下に「食の安全 築地市場の移転問題 豊洲の汚染拡大を指摘」とハッキリ書かれているこれから判断すれば豊洲移転については少なくとも花輪都議は慎重派ということだろう移転問題は前回選挙の大きな争点の一つであり都民の関心も高いしかし新聞報道によれば、花輪都議は選挙時の都議会レポートでの公約と異なる対応をするように書かれているから奇っ怪である豊洲移転に関しては巨大な利害が絡むとも言われている李下に冠を正さず、とは政治にたずさわる者の基本である。ましてや「賛否は未定、本人の心の整理がつかない」という“状況”とは何なのだろうか饅頭でも食べ過ぎて体調不良なのだろうか?大きなニュースになる予感。

2011/03/05

“事件"は会議場で起きる??

都議会では花輪氏の一票が賛否を決するらしい。もちろん民主党公認で当選した以上、反自公である都議会民主党とすれば貴重な一票である。区長選に出るといっても認められるはずはない。そこに花輪氏の“心の揺れ"が生じたそこを見逃さなかったとすればさすがである。何が何でもあと一票が欲しい自公側。とりわけ都議会自民の幹事長は世田谷区選出。力もある“取り引き"というのは互いに一番欲しいモノを交換することであるもちろんどんな“出会い"があったかは不明である。しかし我々は来週の都議会最終で、彼の一票を見ることができる。大々的に記事になった以上、警視庁も含めて強い関心を持っていることは言うまでもないもちろん交換なんかしちゃったら“アウト"である。私はそう思う最初に左上記事を見たときに何故か「党派超え手が回る」と読めてしまったのには驚いた。老眼のせいである。

2011/03/04

真意がわからない

左は読売新聞。何だか国政だけにとどまらず、都政、区政にも民主党の“内紛”が発生したようだスジ論から言えば記事にある民主党幹部のように「真意がわからない」に尽きる。ましてや豊洲移転問題の委員長を辞めるというのだから民主党としても大変な事態だろうさらには民主党が反対している都の予算案に自民党と一緒に花輪都議が賛成する可能性まで記事は触れているから、驚愕である。何やら菅首相と同じく何でもありということなのだろうか。それとも自民党と何かあった上での区長選出馬なのだろうか??都議会で予算案に賛成して“与党の英雄”となり区長選という算段なのだろうか?民主党としてはまたしてもピンチは間違いない。

2011/02/28

総集編でたよ!

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日頃、発行している「せたがや1/52」の総集編を2月28日の読売・朝日の両紙に折込ちなみに1/52とは世田谷区議の定数52の中の1人という意味。次期からは1/50 1人でも多くの区民の皆さんに世田谷区のことを知ってもらいたい。今回はこれまで4年間の中から特に反響の大きかった記事を再掲して加筆。また新年度予算についても最新の内容を加えたダウンロードはここから

2011/02/27

地域政党?

朝日新聞の統一地方選シリーズで『行革110番』が今はやりの地域政党として扱われていた(2月27日付)ある意味「税金の無駄使い」追及の先駆的な存在であるのだろう。もちろん世田谷区が発祥の地である。

2011/02/19

選挙の季節

この時期、立候補者説明会が選挙管理委員会によって行われた。参加者は84人。会場は立錐の余地もないくらいの混みよう定数を50にして逆に予定者は増えたようである。理由はわからないが、23区最大の激戦区になることは必至だ

議会は いらない? について一議員の立場から その1

統一地方選が近づいて新聞各紙も様々な特集を組み始めた。特に朝日は全議会調査を行い精力的な記事内容となっているしかし全国1797の地方議会から浮かび上がる議会像というものと、世田谷区議会の現状について違いがあるのも当然であるもちろん世田谷区議会が全部において優れている、と述べるつもりはないが、誤解されるのも不本意でありこの際、朝日の問題点にそって実状を述べてみたいまず、記事の標題にある「議会の半数議案丸のみ」について。確かに世田谷区議会も今期、修正、否決となった議案はない。(私も反対した議案が賛否同数により議長裁決で可決された議案があったが・・・)ただし「丸のみ」という言葉の印象のように全員賛成ということではなく、それぞれ修正案なり反対があっても幾通りの組み合わせがあるのが実状である。決して“素通し”ということはないそれでも修正、否決議案がないことは世田谷区議会としても事実である。しかし朝日にも考えてもらいたいのは、議案提出者である区長(市長)側が果たして可決される見通しのない議案をそう簡単に出すだろうか、という視点である世田谷区では重要案件については、その作成プロセスにおいて代表質問・一般質問で各議員(会派)が考えを述べる仕組みになっている。作成プロセスも短いのもあるが、だいたい1年ほどの準備期間があると言ってよい(個人的な感覚だが)その過程で区長側も議会の動向(票読み)がわかる。それによって議案提出を区長(市長)が判断しているのが実状であろうつまり議案はその作成プロセスにおいて議員は賛成も反対も修正も含めて参加しているのが実状であり、本会議で議案採決の部分はその最終部分である誤解を生じやすいのは世田谷区議会の場合、議案というのは本会議で区長から提案されてから初めて内容を議会が知るということではない、ということであるイメージからすれば提案されて初めて議会が内容を知り、それから各会派が吟味して様々な意見や、修正案を出すというように考えがちであるが、そうではないさらに区長(市長)提案の議案といっても国の法律や政策によって変わる条例改正等の議案については実際のところ“素通し”の部分はあるが、これは仮に否決しても何も変わらないからである。国の法律優先で形式的に条例を合わせているからである。

議会は いらない? について一議員の立場から その2

記事によれば宇都宮市では議員の本会議での質問回数を制限しているとのこと。世田谷区ではそんなことはない。每定例会ごとに質問時間10分答弁も約10分ということで往復20分間ある10分というと短いと思うかも知れないが質問原稿を精査すれば相当の内容の質問は可能である昔は世田谷区議会でも1人持ち時間答弁も含めて30分という時代もあった。しかしダラダラとウケ狙いの世間話から始まって、25分間も壇上でしゃべり、残り5分しかなく答弁切れということもあり現在の形に改正された。当時は世田谷でも任期中に1回も本会議で質問しない議員もいたことは事実だが古い時代の話である現在の世田谷区議会では每定例会ごとに代表質問の時間割り当てを除いて全員が質問をしている。3日間かかる記事によれば宇都宮市では政策条例を提案した議員はいない、と書いてあるが、これはたぶん「意見書」の類が議員提出議案にカウントされていることを言っているのだと思う。つまり宇都宮市では「意見書」しか議員提案で出していないということだろう翻って世田谷区では選管委員の報酬を日額に改正する議案ほか様々な改正条例は議員提出で出されている。ただし可決されたのは議員定数削減条例だけである。もちろんこれらを指して政策条例とは言えないが、23区の場合、いわゆる23区一体の論理という特殊事情もあり、普通の自治体と異なる面がある。それを指して能力不足と言われればその通りだが議会広報での議員個人の賛否については一覧表にはなっていないが、会派の賛否は掲載されているので間接的にはわかる仕組みになっている。毎回質問者の質問内容を掲載するスペースとの関係という問題になる。議員の議決態度をことさら隠すことなど世田谷区議会ではあり得ないし、各議員が個別に区議会報告で積極的に公開している状態である政務調査費については23区でもトップ級の月額24万である。これは議員1人当たりの住民の数がトップであることから判断願いたい、としか言えない。ただし、その使途領収書は1円単位ですべてインターネットで公開しているので多くの区民がチェックできるシステムとなっている。たぶんここまで徹底的にやっている区議会は全国で世田谷区だけだと思う次にお隣の杉並区の例をひいて主義主張の一貫していない議員の姿勢を批判しているが、これが事実とすれば理解不能。また民主、自民の区議が合体して会派を結成したのも極めて異常なこと。少なくとも全員無所属になって会派を結成するならともかく、民主区議と自民区議が同じ会派というのも、理解不能岡山市では議員の賛否が不明のようだが、これも世田谷では理解不能。

議会は いらない? について一議員の立場から その3

朝日の調査によると、議員1人あたりの住民数は市区では世田谷区が一番ということである。これは議員の数が少ない、スリム議会ということであるさらに世田谷区では昨年に議員定数を削減したので今春の統一選後には定数50となり、もっとスリム化されるそれでも区民によっては50人でも多すぎるとの意見を少なからず耳にするもちろんその背景には議会なんて入らないという思いも働いているのかも知れないまた大選挙区制ということも区民からすれば理解しがたいのかも知れない例えば政令指定都市のように世田谷区内を5つの中選挙区に分ければ一つの選挙区の定員は10名ということになるのだが・・・一方で昨年の議員定数削減に反対する会派の意見として、議員数を減らせば多様な民意の吸収が阻害されるという考え方があった。一面の真実であるとしても現実的には入口の議論でしかない議員定数を増大させても大会派が増大するだけであり、議員1人の権限は縮小し、仮に多様な民意を吸収できてもどこかの会派に属さない限り意見の表明さえ困難になる(極端な例で言えば定数50の時の一人会派の権限や発言権は定数100となると二人会派にならないと維持できない。しかも二人の意見のうちどちらの意見に集約するかで残された意見は後回しになる)現在の世田谷区議会では議員定数を削減する度に一人会派は増大する傾向にある。非交渉会派の議員数は11人で全体の2割を超えているでは、どこまでスリム化すれば良いのかというと、誰にもわからない。(定数50から半減の25という極端な考え方もあり、そうすれば一人会派の権限は倍増するはずだが、今度はそれ以前にそもそも一人会派が当選するかという問題も出てくる。定数が極端に減ると組織選挙でしか勝てない。都議選が顕著な例で世田谷選挙区からは組織のバックがない議員は当選していない)削減案の一つの裏付けとして、過去に世田谷区議会としてその数でやったことがある、という経験も重要な参考要素である。それは死亡や議員辞職、或いは都議選への立候補等で欠員が生じたまま世田谷区議会が続く場合の経験をさすが、極端に支障が起きていなかったというものであるもっとも数だけの問題ではなく、たった1人の議員の不祥事で議会機能が低下することもあれば、頑迷な古参議員が大会派にいるために動かないということもあり、人的資質の問題は各議会様々な状況もあり、同じ人口で同じ議員定数の議会であっても全く異なるから数だけの問題ではないことは明らかである朝日の特集のなかでも触れていたが今後、民意の吸収という役割は住民投票やインターネット環境での意見の集約等がクローズアップされてくることは間違いない。

議会は いらない? について一議員の立場から その4

朝日の定義する「ダメ議会」の基準とは「丸のみ」「無提案」「非公開」の3つである一議員の立場から言えば、議会の活性化という本質的な問題は、会派制にたどりつく会派制というのは行政側にとって実に都合の良い仕組みである。行政側の最大の目的は議案の可決であるから議会の過半数となる会派を基本的に押さえておくことは至上命題となる通常は最大会派を主軸に据えて足し算をする。最大会派は議会運営の要の職を占める場合が多いからであるもちろん足し算といっても会派の肌合いが異なる組み合わせは避けられる。が、近年地方自治の場合、国政と異なり絶対的な違いということは少なくなりつつある結果、行政側が過半数の協力を取り付けられれば(取り込めばとも言えるが)、その過半数を構成する会派の組み合わせで、ほぼ議会の“運動範囲”が決定される一見当たり前のようであるが、実は会派の中の議員は個々に反対の議案があってもそれを事実上行使できないようになっている。会派の駕籠に閉じこめられている。おそらく1人だけ反対するなら会派から出て行けというような無言の圧力がかかるからであろう。会派での活動しか知らない議員としてはなかなか踏み切れない。ましてや会派イコール政党というところでは次の公認問題にも関係してくる。このことを会派の“規律”と見るか多様な民意の“排除”と見るか難しい一方、会派としても行政との関係で一枚岩となれないと足元を見られるというデメリットもあり、それは過半数を構成している会派同士さえも共同体化していくことにもつながっていく。過半数共同体が崩れれば、それを構成している会派及びその構成議員のデメリットなるからであるこのように議会の過半数共同体のようなものは、その根源をさかのぼれば明らかに行政側の必要性から生じたもので、議会が自発的に作ったものではない。(現在でも実際、行政側の取り込みの“技術”は当選したばかりの新人には至れり尽くせりから始まるのだが・・・)取り込まれた議会側の過半数共同体としても、やっているうちにこりゃいいと、自覚したことで、過半数共同体を維持するメリットが議会と行政の共通価値観となり、さらに相互依存関係となっていったものと思われる。今となってはそれが自然で、誰も意識しないこととなっているがこういう経過をたどれば、議会の過半数共同体なるものが、行政提案を、まるで丸のみのように見える対応をすることは必然ともいえるその点、会派制という囲いを解いて、全員一人会派になれば活性化は図られるかも知れない。が一番困るのは行政である。“票読み”ができない。議案ごとにそれこそ離合集散が繰り返され賛否が分かれる。それこそ議員自身も自分の賛否がどのような結果として議会で表れるかハラハラドキドキである。まさに緊張感は高まるそうなれば行政は一人ひとりを取り込むしかなくなるここで行政が取り込むということはどういうことか考えてみたい。取り込むといっても、悪意が存在するわけではない。その目的は行政側の議案通過であり、その議案というのは行政或いは役人が住民福祉のために考えたものであり、簡単に言えばそれはそれで正義の実現ということであり、強い自負を抱いている議員には根本的に“弱点”がある。議員は正直なところ、議案を取り巻く法体系や隣接条例の知識など欠けている場合が多いし、細かい国の政令改正など情報そのものが入らないここに行政と議会側の情報の非対称性が存在する。その結果、議会は実務に疎いという状態からスタートせざるを得ない例えて言えば、うまい料理の品評は出来ても料理は作れない、という状態に似ている現実には議員は役人に様々な情報を尋ねることから議員としての能力を高めていく。うまい料理を出す店主にそのレシピを尋ねるようなものであろうしかし限られた時間の中で料理の作り方の話をいくら聞いても料理を実際に作れるようになるとは限らないそこに議員の分岐点があるように思う。一つは餅は餅屋ということで行政依存型でいいやと思うコース。良心的に言えば依存しながら注文をつければ良いというスタンスである2つ目はあくまでも自立し行政から卒業してオーダーメイドの政策を実現するコース。具体的には、行政とは独立した政策能力のある人間を自ら抱えること。即ち議会事務局を完全に行政から独立させることである(議会事務局の公務員は区長の部下であって、それが一時的に議会に“派遣”されているのが現実である)現状では前者が大半であり、それでも後者を考えている議員も少なからずいるネックとなるのは、議会事務局の独立という問題。新たな議会費増につながりかねないし、現状では住民の理解を得るのも難しいだろう。また職域が限られるという点もある。それがクリアされても今度は事務局依存という状況に陥らないかという、最初の問題に戻ってしまう。それでも行政依存とは異なる切り口から政策をぶつけることは可能かも知れないのだが議員側の行政依存と行政側の議会取り込みという目的がある以上、一体化は防げない行政依存という言葉は様々な言い方に置き換えられる。行政への信頼とも言えるし、議会と行政は車の両輪とも、議会の協力なしでは行政は進められない、ともかと言って議会と行政がことさら対立する必要はない。

問題は議会にとって最大の議案である予算案についてどういうことになるか、ということである。会派制なら行政が協力を取り付けた過半数共同体の要望をメインに考慮すれば良かったが、会派制の囲いが解けると一人ひとりの議員のどこまでの要望をメインにすれば良いか不明である。議案の賛成には無数の組み合わせがあるからであるそうなると過半数以上の、さらにはほぼ全員の要望を考慮せざるを得なくなってしまう。予算は際限もなく膨張する可能性もある予算肥大化、予算冒頭について、議会は無力である。なぜなら自分の要望を聞いてもらえるなら、考え方が多少違ってもあの人の要望も聞いて当然ということになるからであるましてや議員は4年任期だから言いたいことだけ言って実現させて、その後の後始末もせずに消えてしまうことだってある、と行政は自分たちの事を棚にあげて本気で危惧する確かに現状の選挙制度では社会経験すら未熟であって、仮に偏った判断の持ち主でも85万区民の生活に関する予算を決める立場に就けるのだから行政としても不安であろうそうなると、今のような財政難の時期には、会派内、会派間で自制が働き易い会派制、行政側からすれば“分割統治”の方がベターということになる現状のところ、行政対応は会派制、議会改革は全員一人会派というのがベストのような気がする。それは改革の機運は常に少数派からあがるからであり、逆に行政対応での過半数共同体では現状に満足しがちだからである。その切り分けが議会自身わかっていないのかも知れないのではと、個人的には思っている。

2011/02/11

役人憑依の毒

今日の日経新聞に行政委員の日額制についての記事があった世田谷区議会では、選挙管理委員について日額制にすべきと主張し、すでに議員提出案を出している行政は改正に絶対的に反対しているわけではなく、あくまでも最高裁の判決を待ちたいという様子見である自民、公明他の会派も区側とスタンスを同じにしているようで、なかなか可決に至らないここで問題なのは政治の判断力である行政が司法判断を待つのは遵法義務から理解の範囲としても、政治の判断基準は、違法性の有無だけにとどまらない月に3回程度、実質30分程度の会議に出るだけで23万から28万円も貰える仕事が税金で賄われている。このことを役人が(今のところ)問題ない、と言ったとしてもそれは法的な解釈を述べたに過ぎないそれがそのまま世の中で通用するとは限らない。世の中で通用しないことを放置したり、怠っていたりすればいづれ選挙・投票という民意によって審判が下るだけである(ただし、このことが知れ渡ることが必要だが)一方、役人は違法性の有無だけに気を配って仕事をすれば常に安全圏にいられる仕組みになっている。例え世の中で通用しなくとも、であるこのことを履き違えて、役人憑依(或いは役人目線)で議員が物事の判断をしてしまえば、役人と違って安全圏から放り出されるそういえば、どこかの“大物一兵卒”氏は法的には問題はないと主張しているが、その言い方は役人の論法そっくりである。おそらく違法性は少ないのかも知れないのだろう、だからといって安全圏に踏みとどまれていないのは彼が政治家だからであるさらには驚いたことに、その“大物一兵卒”氏を世の中で通用しないとばかりに懲らしめていた“上司”が今度は役人憑依してしまったから国政は、大混迷である政治家として判断すべきところを、役人の合理性でやろうとしている所が最大の原因である政治家が役人憑依で仕事を始めたら破綻は見えているし、精神にも良くない。すでに変調は党首討論時の異常な瞬きとかに表れているらしい何かとんでもないどんでん返しがあるかも知れない。

2011/02/04

同日選??

野党が対決姿勢を示したことで、菅首相はいよいよ、解散か総辞職を迫られる左は4日の日経ベタ記事。解散なら4月24日投票で統一地方選と同日選挙となる地方選とのダブルなんて前代未聞。えらいこっちゃ!

2011/02/03

3月の内閣不信任案

国会論戦を見ていると「歴史への反逆」という言葉が取り上げられている。しかしこの言葉って何だ?有名な言葉なのかと思って調べてみたが見あたらないとなれば「反逆」という語感が単に刺激的だったということだ。おそらく「歴史への」というのは「国民への」とか「国家への」というメタファーのつもりなのだろうしかし権力者が刺激的な言葉を使うのは、「恫喝」の類である。そして同時にピンチの極みともいえる論理的に行き詰まった末に権力者が行うのが恫喝であろう。すでに予算案が通らなかったらどれほど国民生活に迷惑が及ぶか調べさせているというそんなことなら予算審議そのものが「歴史への反逆」ということだ。中身で勝負ではなく、言うこと聞かないと困りますよ、というのはまさに崖っぷちということ国民は菅氏が1年前の小沢邸新年会で、乾杯の音頭までとってご機嫌を取っていたことを覚えている、また鳩山内閣が沖縄問題で行き詰まっても、平然と副総理でありながら無関係を装いながら逃げて、総理のイスについたことも覚えているそれもこれも総理になるための便法という見方もあったが、残念ながら今となっては菅氏の本領だったとしか言いようがない。それが今行われている国会論戦で日増しに明らかになっている(菅氏はほとんど他党から信じられていない様子がありありと。信じたのは与謝野氏だけのようである)さらに予算審議が進むにつれて、民主党の政策が菅氏によってどんどん後退されていく。つまり民主党の論理的な部分を次々に廃棄しようとしているのだ実はこれは民主党内にとって一大事である。まるで日産の社長がわが社でトヨタの車を売ってもいいと言うようなものである。さらに場合によっては日産の車を生産中止にしてもいい、というようなものである。日産の社員は驚くであろう。そしてそんな社長をクビにするか、いっそのことトヨタに転社するだろうトップというのは常に前進を強いられる。なし崩し的に後退すれば、組織は崩壊するか、一致団結してトップを追放するかである新聞報道では強制起訴の被告人をめぐる人間関係や与党、野党の構図しか見えないが、民主党の底流では異なる化学変化が起きつつあるのではなかろうか。果たして「民主党の反逆者」は誰なのか?いずれ3月にわかるだろう。

2011/02/02

言葉のデフレ

仕事柄、国会の予算委員会をまとめて録画して早回しで夜中に視聴しているが、菅首相のひどさが日増しに募るばかりまあ竹中直人氏ではないが菅直人氏の怒りながら謝るような、否定するようで認めているような、顔と言葉と心理がバラバラの答弁は国民を不快かつ不安にさせるだけである特に経済の話になると陸に上がった河童のような表情で、幼稚園児のような強弁に終始するわからないならわからないと素直に言えば、これほど強いものはないのに、知っているふりをするから墓穴をさらに深くする加えて誰が聞いてもうなづけない答弁に与党席から拍手があがるのもテレビを見ている方からすれば鼻白む。もっとも参観日のパパママよろしく気分を盛り上げないと首相がもたないのかも知れないがしかし強弁に終始する首相を見定めて、心情面から解きほぐし、論理の骨組みを単純化して矛盾を認めされるのは論戦の術である。その白眉は石破茂氏の質問だった油紙に火をつけるようにまくし立てるのではなく、ゆっくりゆっくり諭すように人間の機微に触れつつ、自分を絶対正義の場に置かず、まさに強弁首相のとなりに寄り添うような位置から忠言のごとく質問を放つのは、一つの芸でもあるこういう全体のトーンはニュースでの切り取り映像からは伝わらない余計なことだが石破氏はお笑い界で言えばスリムクラブのような感じだろうか政治の言葉が軽くなると言われる中で、それを打ち破るのはやはり言葉でしかない。テンポの早さが尊ばれるお笑いの世界でもスリムクラブのスローは違う意味で面白さの極致である政治に携わるものは言葉の復権に努めなくてはならないひょっとしたら、日本経済がデフレなのではなく、日本人の使う言葉自体がデフレなのではなかろうか。それにしても元首相の一言には毎度の事ながらうんざりである。