13日の毎日新聞の大型コラム「御厨貴の政界人物評論」には驚かされた。官房長官の菅義偉氏のことを取り上げているのだが、言葉を慎重に選びながらも安倍政権への酷評としか言いようのない筆致である。
まず菅官房長官が官僚を束ねているのは“反専門性”だと云う。「・・・縦割りに縮こまる官僚の姿に・・・官僚の習性を読み取った菅は情報の『錯綜』という情報を効果的に用い、専門性をもって政治家に対峙する官僚組織を反専門性で『グリップ』していく体制を確立する」
“反専門性”なる言葉が異彩を放つが簡単に言えば後段で示される“選挙感覚”とでも云うのだろうか。「多くの課題は専門性に依拠する縦割り官僚制では解決できないから」ということらしいが、だからといって日本国の舵取りが“選挙感覚”で解決できるとは思えない。
そんなことだから、とんでも無いことが起こる。以下は時事通信の電子版のニュース。
安倍首相に批判相次ぐ=解釈改憲めぐる答弁―自民総務会
2014年2月13日(木)12:57
13日の自民党総務会で、集団的自衛権行使を可能にする憲法解釈変更をめぐる安倍晋三首相の国会答弁に批判が相次いだ。
問題視されたのは12日の衆院予算委員会での発言で、首相は解釈変更について「政府の最高責任者は私だ。政府の答弁について私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と強調した。
総務会で村上誠一郎元行革担当相は「首相の発言は選挙で勝てば憲法を拡大解釈できると理解できる。その時々の政権が解釈を変更できることになる」と非難。村上氏の主張を、野田毅党税調会長が「正面から受け止めるべきだ」と支持し、船田元・憲法改正推進本部長も「拡大解釈を自由にやるなら憲法改正は必要ないと言われてしまう」と指摘した。
野田聖子総務会長はこの後の記者会見で「誤解を招くことがないよう(首相に)提案したい」と述べ、総務会の意見を首相に伝える考えを示した。
首相の発言はコンビである官房長官との共同制作である。
“選挙感覚”第一主義のコンビであるから憲法すら恐るるに足らずという不見識な馬脚を晒してしまったのである。このあたりは仲の良い大阪市の橋下市長の影響を受けているのかも知れない。「菅は、舛添要一や橋下徹という異質の政治家との交流から、早くに政治家の古いしきたりにも見切りをつけていた。」と筆は進む。古いしきたりとは保守政治の源泉ではないのか?
「国民にとって大事なのは目先のことであるとすれば、まずは経済、それも景気回復ではないのか。この基本に立ち返ったことが、安倍ー菅のこの一年の選挙における勝利をもたらした。」
もっともらしいが、日本国の舵取りが国家百年の大計どころか、目先の選挙だけで政権運営をしている危うさを指摘している。
さらに「菅は『政局通』でも『政策通』でもない。政治に過剰な思い入れをしない。」と断じている。これは政治家にとって誠実な評価だろうか。簡単に云えば、選挙テクニックだけで中身のない政権運営をしている、そんな思いを筆者は感じているとしか思えない。
それは官房長官というナンバー2だからこそであり、中身はナンバー1である首相が考えるものという立場をわきまえているからとも評している。「実力長官は、次なる首相へのささやきに身を任せた時、破綻を招いた。当然菅はそれを自戒する。」
このコラムから見えてくる安倍政権とは、「菅がつき、菅がこねし天下餅、すわりしままに食うは安倍」という構図である。しかしながら、せっかく菅官房長官が官僚の専門性を超える“反専門性”という“選挙感覚”で作り上げた天下餅を、安部首相は古い日本への回帰という別の角度から食べ始めている。“右より感覚”とでも云うのだろうか。
菅官房長官の“選挙感覚”で稼いだ政権力を、安部首相が“右より感覚”で消費している感じとでもいうのだろうか。そして菅官房長官の“選挙感覚”は目先の経済ということである。これを逆さまに見れば、目先の経済が落ちれば連鎖的に安倍政権は終わる、ということである。
しかもこのコンビの共通性は専門性がないということ。そのことは上記の時事通信のニュースでも端的に表れているし、先般の「特定秘密保護法」の余りにも杜撰な作りにも出ている。
ましてや財政再建や社会保障に至っては床屋政談レベルなのかも知れない、と疑ってしまう。