さて、1月14日付の都政新報に連載中の「新東京都市計画物語」で、執筆者の越澤明氏が、今、東京の都市政策に必要なのはオリンピック開催準備ではなく、首都直下地震への備えである、と述べている。まさにその通りだろう。以下引用すると
「仮に、2019年に首都直下地震が発生したと仮定しよう。防災都市づくりの取り組みが不十分であり、密集市街地の各地で火の手が上がり、新国立競技場の屋根が落ち、被災した都民が仮設住宅に住んでいる状態では、オリンピック開催は可能なのであろうか?余震を怖がり、出場辞退を申し出る国々が相次ぐことは間違いなく、開催返上に追い込まれる。歴史上、2度もオリンピックを返上した世界でただ一つの都市として、東京は数百年後も歴史に名前が記憶される。またオリンピック開催中に首都直下地震が発生したと仮定しよう。今後、5年間の防災対策が不十分であれば、800万の帰宅難民が発生し、仮設トイレも不足し、大混乱する。その最中に、速やかに、安全に、世界各国のVIPや選手団、観光客、報道関係者を羽田、成田から帰国させなければならない。」
2020年までに首都直下は起きるのか?誰にもわからない。が、都民にとって2020年以後も住み暮らし続ける東京である。
要は東京のみならず日本国全体が避けて通れない地震災害というものに、どう日本人として向き合っていくかである。その意味ではグラグラ揺れる可能性のある日本に50を超える原発が稼働して大丈夫と言えるのだろうか。
3.11の時さえ、東京は風向き一つで全都民避難という事態に陷っていたことを忘れたのだろうか。まさに風ひとつで現在の東京は安閑としていられる。そんな安全度だったわけである。(今も4号機ほかの事態急変によっては同じ危険度)
先日(1月10日)世田谷区の都市計画審議会で世田谷区の都市整備方針案が答申の運びになったが、上記の越澤氏のような切迫感のある内容とは言いがたい。少なくとも何を重視しているのか区民には伝わらないだろう。
ちなみに私たちは2003年9月17日の代表質問(質問者は田中優子議員・当時の会派は「せたがや政策会議」)で「住んでよし、学んでよし、働いてよし、訪れてもよしのまちづくり構想として世田谷の背骨をつくろう」という提案をしている。
職住近接(セッキンじゃなくてキンセツ)を図ることにより、保育・子育て、介護の問題のみならず、商業振興(個人企業の起業等も)の問題も解決が図られるのではないかというもの。
10年たっても古いどころかますます当時の先見性は高まっていると思う。世田谷区の都市整備方針は東京都全体の中での位置関係や人の流れを読み込まないで考えているところに問題がある。
それにしても、2020年7月24日に東京オリンピックは始まるが、それまでに有楽町火災のようなパニックに至るグラッというのは来ないのだろうか。
首都直下があっても「お・も・て・な・し・ポッ」はできるのだろうか?
明日で阪神淡路大震災は19年である。