2014/01/05

積極的減災主義

 正月早々、有楽町の火事。けが人は出なかったそうだが、その被害は甚大。
 言っては何だが、これくらいの火事で、しかも消防活動が万全であるのに、この大混乱とは・・・。首都直下地震での火災被害はこんなものではないだろうと考えると、まさに何が起こるかわからない年の始まりである。
 とにかく3つのプレートが押し合っているという、地球上でここだけである。その上に関東平野があり、東京が載っかっている。

 今回の件は、例え小田急線、京王線、東急線に被害はなくとも沿線で、火事が発生すれば、列車は運休せざるを得ないということを示唆している。混乱は必至である。

 安倍首相は「強い国」「積極的平和主義」で日本をリードしようとしているが、その足下がこれでは、と思わないのだろうか。日本版NSC(国家安全保障会議)も結構だが、老朽化したパチンコ屋の火事で何十万人の移動がストップである。
 
 集団的自衛権の解釈変更や、果ては憲法改正を目論む首相としては、我が国の根本である「地震等をはじめとする災害発生大国」への整備を、中央防災会議で対応している程度で良いのだろうか。まず国内の安全であろう。

 「戦争反対」のスローガンは成立するが、「地震反対」とは言わない、代わりに「減災」というのが常識である。
 しかし「減災」を促進する法整備は皆無である。むしろ家庭内の出来事として「減災」は矮小化されて捉えられているのが現実。

 良いも悪いも東京は“都市機能”あっての東京であり、都市住民にとって“生命維持装置”に等しい。世田谷でもスーパー・コンビニが1週間閉店すれば犠牲者は続出するだろうし、真夏の暑い日に電気が止まれば間違いなく犠牲者は出る。物流は大丈夫なのか、地震火災で電線は破断しないのか、上下水道は・・・。さらに昨年中央防災会議は家庭備蓄3日分から7日分に簡単に増やしてしまったが、机上の空論的な決め方である。(家族4人分の7日分の備蓄といえば、単身者にとれば一ヶ月分である。それも電気冷蔵庫に頼らずとなると、どんなに断捨離しても追いつかないだろう)

 要は物流が滞り、復旧に時間がかかるということであろう。これは国家の責任であり、行政の責任である。かつて地震災害の勉強会で明大の中林一樹氏が言われたことは、阪神大震災(勉強会は東日本大震災の3ヶ月前だったので)の場合は首都圏が無傷で、オールジャパンで救出や物流の大量供給ができたが、もし東京を中心とする首都圏がやられれば、事実上誰も助けにこないことを覚悟すべきだ、という趣旨の言葉が忘れられない。首都圏を助けられる余力を持った地域はこの日本にはないということである。もちろん関西圏はあろうが、規模が違いすぎると。

 戦争は避けられる。しかし地震は避けられない。国の安全からすればどちらが優先か、さらに必然的な災害国家という致命傷を抱えた国の指導者のとる行動は「強い国」ではなく「災害に強い国」だけで十分である。当然、必然的な災害国家にとって原発はさらに致命傷となる。そして特に東京には“積極的平和主義”よりも“積極的減災主義”の方が先だろう。