2010/02/14

霞が関文学論

■自治体の現場では保育園“争奪戦”の時期。一方国政では幼保改革が進まない■原因は「霞が関文学」を理解できない閣僚にあるらしい■これでは“政治主導”が聞いて呆れる■自民党政権は官僚をシンクタンクとして利用してきた。しかし利用する側が、いつのまにか教えてもらう側に退化し、末期はシンクタンクの暴走を止められなくなってしまった■民主党はこれに反対を唱えて政権交代をしたのであるから、シンクタンク、官僚の暴走を止めなくてはならない■しかし民主党の“治療法”は迷走している。権力という物理的な力で官僚の暴走を止めようとしているからである■それでは官僚の面従腹背を誘発させるだけである。基本的な“治療法”はもう一度、教えてもらう立場に政治がもどる、ことから始める、これしかない■幼保一元化って何?その説明を官僚から聞いていけば、どんな閣僚でも厚労省と文科省の再編が必要と気がつくだろう■或いは一体化って何?と尋ねていけば厚労省と文科省はそのまま、ということもわかるだろう。そういう質問をしないのか、出来ないのか?■自民党政治がおかしい、官僚の暴走がおかしい、そういう主張で政権をとったのなら、官僚と対峙し徹底的に“質問攻め”にすれば良い■質問は「おかしい」と感じる量に比例する。つまり自民党政治がおかしいと(本心から)思うから「どうしてそうなるんだ!」となるのであって、官僚の暴走がおかしいと(本当に)感じるから「どうしてそうなるんだ!」と“質問攻め”にできるのである■政治の源泉は「おかしい」と感じる力にある。自民党の凋落はこの、感じる力の退化にある■「霞が関文学」などというのは政治の退化のあらわれであって、閣僚諸氏が本当に自民党政権をおかしい、と思っていたか疑わしいということにもなる。(まあ地方議会でも役人にダメだと言われて疑問もなく従う改革会派の議員もいるし、あろうことか役人のご機嫌を損ねないのが議員の政治力だと錯覚している話を聞くが)