2010/01/11

地方自治革命?

■地方自治法というのは時々、画期的に変わる。23区の区長も昭和50年までは区長選挙が行われなかった。何と議会で推薦して決める仕組みだった(ちなみに昭和50年とは35年前)■もちろん市町村ではそんなことはなく市長選や町長選や村長選は行われていたが。特別区はその名の通り特別だった■今から考えれば、区長が議会で決められる、という感覚はわからないが、同様の未知の感覚が始まりそうである。■日経のスクープ。改正案では、議員任用が可能となる。現在でも地方自治は大統領制と言われているが、さらに米国の大統領制に近づくようである■議員が福祉部長や区民部長になる、ということである。行政の顔がハッキリする。加えて「議員の能力」がわかるということでもある■本来、行政の実施を区長、予算を議会がチェックするという二元制であるから、区長と議会は対立関係にある。しかし現状は区長でも議会でもない、いわゆる役人が議会を分断し、大統領制とは異なる議員内閣制のような仕組みに作りかえている。即ち“議会内での対立”に置き換えられている。もっとも議員側も国政に倣った政党どうしの対立の方が有権者に分かり易いということで、安易にそれに乗っている■仕組みとしては大統領制でありながら、実情は議院内閣制の“形態模写”で運用されてきているのが地方自治である。今回の改正の方向は実態に即して議員内閣制に近い形へ持っていこうとしている■“形態模写”からホンモノへの移行である。議員に責任を持たせるということである■このことは今般の政権交代によって、野党の言動の中にいかに「非現実的な理想論」が混じっていたか明らかになったように、地方議会はいかに対立するかという競争はあっても、いかにまとめるかという知恵はほとんど働いてこなかった■対立のタネは事欠かない。論証不可能な事から、一般化できないごく少数の問題(特別な問題として議論すべきもの)を一般化した論点にすり替えたり、机上の論としては合理的ではあっても住民心理を無視した事柄、或いはその逆で住民心理に寄り添ってはいるが論理として破綻している事まで、到底議論の切っ掛けも見いだせないまま、単にすれ違いの主張をするだけで終了するのがオチである■結果として「現実論」を独占してきたのは役人である。その「現実論」に与してきたのが自民党政治である。さらにその「現実論」を支えてきたのが国政における政権政党というポジションであった■今、政権交代によって「現実論」が迷走している。その最大の原因は民主党が過去の「非現実的な理想論」の殻を引きずっているからである。昨年末放送されたNHKスペシャル「密着予算編成」で民主党の財務政務官のホンネが如実に語っている。「与党になると自民党の皆さんは苦労しながらやっていたんだなと、今よくわかるんですよ」■結局、責任ある立場ということになると「現実」には逆らえないということである。




■地方議会、特に議員に責任を持たせることで言い放し議会を脱却させる意図は正しいのかも知れない■しかし現状で、部長級の行政職をやってみたいという議員はいるだろうか。新聞に書いてあるとおり、議会の可決権を有している会派でもない限り、部長職は遂行できないという現実があるとすれば、まさに地方議会は政党化が進むのかも知れない■一方で、大政党であればあるほど、会社組織のように党員議員はモノを言えなくなるということもある。そんなことでいいのだろうか?■改正は多岐に渡るようであり、現状をベースに考えるには無理があるが、知名度だけでは議員が務まるような時代は遠ざかっているようである。