2009/09/19

能力主義と採決要員

●副大臣、政務官の人材争奪戦(政策通引っ張りだこ)の報道を見て、仕事をするならこうだよな、と思った人が多いのではないか●政治主導のもと新大臣が腕 を振るうなら、出来る政治家を集めるのは当然である。その様を見て“新鮮”と感じるのは、いかにそれまでの政権がひどかったか、である●副大臣にしろ政務 官にしろ各派閥からの“順送り人事”とかでチームワークも何も感じられるものではなかった●要するに新政権は能力主義である。方や旧政権は平等主義とでも 言うのだろうか、まともな答弁もできないのに当選回数だけで大臣になれたシステムであった●しかしよく考えてみると能力主義と平等主義の対立は常に、「能 力主義は格差を産む」というロジックで平等主義から攻撃を受ける●政治の場合、能力主義が横行すれば、必ずポストに就けない議員が出てくる。それらの不平 不満がともすれば“党内平和”を崩しかねない恐れがある。そこに介入してきたのが優秀な官僚たちであろう。能力不足を補って、どの大臣も能力のある大臣に 覚醒させてしまうのだから、素晴らしい“覚醒剤”である●しかしそれが結局、官僚の政治介入を許し、政党が国民そっちのけで“党内平和”に汲々としている 姿をさらし出し、果ては国民が呆れたということである●さすがに“漢字読めない政治家”までは官僚もお手上げだったのだろう●政治主導とは官僚という依存 性の高い“覚醒剤”を断つということである。つまり新政権では政治能力の足りない議員は極端に言えば(官僚という“覚醒剤”を使えないので)永遠に採決要 員ということになる。そこで持ち上がるのは“党内平和”がぐらつくことであろう●能力主義と“党内平和”は常に対立関係にある。大所帯になれば尚のことで ある。新政権がこの、内なる課題をどう克服するのか。区議会においても同様であろう。