2014/09/29

世田谷区役所第一庁舎の計画案

1960年9月25日竣工の世田谷区役所第一庁舎。その計画案表紙。


上の写真は模型図。


 設計は前川國男建築設計事務所と横山建築構造設計事務所。一般に前川國男の作品と云われているが、少なくとも“内容”に関して担当したのは、後に日本建築家協会の会長を務め、また図書館建築の大家となった鬼頭梓氏であろう。その鬼頭梓氏は「区民のための区役所」と題し、第一庁舎への思いを語っている。上図の文字部分を下に書き起こしてみた。

区民のための区役所                 鬼頭 梓  今の区役所の機構や仕事のやり方をみてみると、総務とか財務とかその他いろいろの部課に仕事が細分されていて、それがそれぞれカウンターを持ち、一つ一つが区民への窓口になっている。 そのために区民の側からすれば、時には広い区役所の中を、自分の行先を求めてぐるぐる歩きまわらなければならないし、一つの用事を済ますのに二つ以上の窓口を行ったり来たりしなければならないという不愉快な時もあったりして、どうも役所には出掛けるのさえ億劫になりがちである。 だからといって区役所の中にことさらに区民室というような一室を設けてみても、それでは決して根本的な解決にはなりそうもない。 区役所はビジネスの場所であるのだから、あくまでビジネスの場所として明快に解決するのでなければ、本当に区民のための区役所とはならないだろう。  ここでとった方法は、正方形のプランの中央に公衆溜りの広間をおき、周囲にカウンターをへだてて事務室をめぐらせることによって、短い動線で目的のカウンターに行けるようにするという、一方で現在の区役所の仕事のやり方に即応しながら、その範囲内でできるだけ区役所というものを区民のための場所として考えてゆく、いわば現実的、あるいは改良主義的な方法であった。 主として一般区民に接触するセクションは1階と2階に集められ、1階の公衆溜り広間は、中央吹抜けの階段で2階の広間へと連なっている。 事務室の書類などの収納場所をできるだけたくさん確保するために、窓の腰にはキャビネットがおかれ、それとからめて水平力に対してはウォールガーターが採用された。 ウォールガーターと1、2階の外壁に規則的に配置された耐震壁とによって、内部の独立柱は水平力を分担していない。  だがこうして設計を進めてゆくにつれて、しだいに私の中には疑問がつのっていった。それは、どこかで今の区役所の仕事のやり方が変わってこないと、本当に民主的な、区民のための役所にはなり得ないのではないかという疑問である。 いくら公衆溜り広間を中央において、ぐるっとまわりにカウンターをおいてわかり易いプランにしてみても、いぜんとして区民は自分の用事のあるセクションを探し出し、出納室を往復して、広い庁内を歩きまわらなければならない。 それに広間が中央にあるために、街と広間との連なりは制限されてしまう。もっともこの世田谷区役所の場合には、すでに完成された区民会館と一体になって全体を構成しているので、ピロティーから左右に会館と役所の入口があるというこのプランは、決して不自然なものとは思わないのだが、それにしても区民のための区役所の典型を考えるとすれば疑問であろう。 こうして、実施設計もほとんど完了に近くなった頃になってようやく浮かび上がってきたアイデアは次のようなことであった。これは時間の制約でとうとう実現の段階にいたらず、ただのアイディアに止まってしまったのだが。 1階はすべて公衆のスペースである。街の、道路の延長として、人々の生活の場がそのまま延びた場所である。人々はどこからでも自由にこの広間に入ってくる。その中央にカウンターに囲まれた窓口事務室がある。この窓口は、区役所全体の窓口であり、戸籍のことも、税金のことも、あるいは国民健康保険のことも、なにもかもこのカウンターで受付ける、サービスの中枢といっていいだろう。ここから2階以上の事務室に向かって、電話やニューマチックチューブが神経系統のように張りめぐらされる。2階以上はすべて純粋のオフィスである。カウンターで受理されたすべての用件はここで処理されて書類なり情報なりとなって再びカウンターへ帰される。中央官庁と違ってカウンターサービスが重要な区役所においては、ことさら役所の機構も、セクションによる細分化から、今一度カウンターサービスを中心として再編成がなされるべきではないだろうか。わずかな時間にもせよ、世田谷区役所の方々とも話し合ってみて、必ずしも実行不可能な空想ではないと思えたのと同時に、長い間に侵みこんだ古い役所の殻を破ってゆくには、まだまだ大変な努力と時間が必要なことも痛感させられた。しかし現に役所においても、カウンターサービスのあり方は真剣に研究が続けられている。あらゆる方面でのこうした不断の努力がやがて新しい世界を生み出し、建築も始めてその時に、真に面目を一新するだろう。

 1950年代にあっても区民第一(区役所は区民のもの)という気概が感じられる。 


上が当時の模型図(建築前?)右が第一庁舎、左奥が区民会館。

竣工当時の写真。


当初の地下および1階の平面図。


2階の平面図。


3階の平面図。


当時は議場もこんなとこに。しかも、斜めの使用。


U字型でかなり窮屈そう。


樹木も樹齢60年近いはずだろうが、現存するのはわずか。

(資料提供 株式会社 前川建築設計事務所)