日本の縮図である学校の“雑用"
■学校は“雑用"が多すぎるのではないか。“雑用"が多すぎる分、先生が授業に掛ける時間が奪われている。結果として授業が“薄味"になっている■教え方は重要である。子どもの頃に何に興味を示すか、そのきっかけになりうるのが教え方である。そこに工夫や研究や努力の下準備がなければ、子どもの興味も失せる■うまい教え方というのは、本当に大事である■おそらく学校から“雑用"を除いて、教え方のみに特化しているのが“塾"の存在なのだろう■学校の“雑用"について考えると、それは教科学習を中心とした言い方であり、社会的にはこの“雑用"の多さこそが大きな問題である■だから少々の議論で無くなるわけではない。対処療法かも知れないが、学校現場で少しでも“雑用"から教師を解放しなくては公立校は良くはならないと思う。