2015/12/19

世田谷区の庁舎問題のキモ(その2)

三島由紀夫が「文章読本」の中で、小説において、美女と書けば、その人が何の裏付けもなく美女となる、というようなことを書いている。


それは言語の抽象性によって、読み手が自由に想像してくれるからで、これが小説の映画化となると、その美女役を誰が務めるかで、様々な考えが出てくる。

左は12月12日の朝日新聞に掲載された、保坂氏の小学校からの民主主義のトレーニング体験から現在の「自分の意見をまとめる」「徹底的に話し合う」「解決案を提案する」という仕事に繋がっていると述べている。

上手いこと言うなぁとつくづく。

現実は
「自分の意見をまとめる(けど誰にも話さない)
(考えが合う人とは)徹底的に話し合う」
(多数の)解決案を提案する(が一つには決めない)

常に三島の言う「言語の抽象性の範囲」でしか活動していない保坂区長は、具体化する段となると途端に「停止状態」に陥る。

庁舎問題の2年近くの迷走は保坂氏の政治姿勢にある。