委員会視察で訪れた仙台市。生活再建支援室の担当者から話を聞いた。現在、仙台市での復興事業は震災後にできた復興事業局が担っている。ここはほとんどが都市整備系の部署が集結しているが、そこに福祉系の生活支援室が参入している、という感じらしい。被災者支援をここでやっている。
考えさせられたのは3.11を地震の部分と津波の部分とに、分けて捉えるべきだということである。もちろん原発災害も、であるが。
記憶とは曖昧なもので、地震被害では4月7日の方がすごかった、などと言われると、?という感じになってしまう。
確かに昨年の4月8日の朝刊には「宮城震度6強」が起きたと報じている。つまり仙台市では3.11以後、約1ヶ月の間に震度6強の地震が少なくとも2回起きている、ということである。
「震度6強」とは首都直下地震における世田谷区のほとんどでの想定震度である。
仙台市における地震被害とはどんなものだったのだろうか。市の「東日本大震災の総括」によれば、「建物については、地震による倒壊といった被害は比較的少なく、宮城県沖地震対策の一定の成果がありましたが、天井などの非構造部材への被害が生じました。またマンション等においては、ライフライン停止時の水や食料の調達・運搬など、高層建築物ならではの課題が生じました。」とある一方で、広大な宅地被害があったことも記されている「丘陵地区等の宅地においては、本市だけでも新潟県中越地震全体の被害件数を上回る4,000件以上の地すべりや地割れ、造成法面・擁壁等の損壊など甚大な被害が発生しました。被災宅地の中には、経済面や工法などの問題から宅地等の所有者による復旧が困難なケースもあり、放置すれば二次被害が懸念されます。宅地については、造成に係る耐震性確保のための技術基準が近時まで確立されなかったこと、民有地については宅地所有者による自力復旧が原則とされ、このような甚大な被害に対する支援策が充分でないことが問題となっています。」そして災害弱者についても「今回の震災は、宮城県沖地震時(1978年)と比べて高齢化が著しく進む中で発生したことにより、新たな課題も生じました。マンションに住む高齢者などから、断水とエレベータの停止により、水の入手や運搬が困難であったという声が多く聞かれました。今後の都市防災を考える上では、高齢者や障害者、妊産婦、外国人等、いわゆる「災害時要援護者」への対応や女性の視点からの対策などが一層重要になっています。」
仙台市の人口は約105万人、世田谷区は約88万人である。ただし面積は世田谷区の約13倍、東京23区+八王子市くらいあるから、密度はあらゆる面で異なる。
それにしても、「震度6強」に2度襲われても建物の倒壊までの被害が少なかったというのは、認識を新たにしたことである。もちろん、あれだけ「宮城沖の地震の発生確率が30年以内で99%」と喧伝されては、市民の防災意識は高かっただろうし、行政も力を入れていただろう。ちなみにその99%の確率の地震は3.11とは別のものとして市は捉えているようだった。つまり必ず来る、と。
世田谷区は海に面していない。どちらかと言えば内陸部に位置する。といって水害は多摩川、野川等があり過去に何度も被害を被っているが、津波までは考えられない。(というかもし対策を考えるとしたら、環七と第三京浜を万里の長城のごとく擁壁道路にして防潮堤のようなものをつくるしかないだろう)
むしろ参考になるのは、造成法面、擁壁等の損壊、或いは液状化等の地盤被害の可能性かもしれない。
仙台市の被害状況では死者は704名だが、溺死以外の圧死等は28名ということである。この中には災害関連死も含まれるのでもし地震だけだったら被害者はもっと少なかったかもしれない。重傷者は275名、軽傷者1994名である(昨年10月26日現在)
火災発生件数は地震に起因するものが17件。津波に起因するものが22件。
地震による火災が少なかったことと地震による被害者が少なかったことは、いかに火災発生を防ぐかが重要だということを示している。減災のカギはここにあるのかも知れない。