言葉のデフレ
■仕事柄、国会の予算委員会をまとめて録画して早回しで夜中に視聴しているが、菅首相のひどさが日増しに募るばかり■まあ竹中直人氏ではないが菅直人氏の怒りながら謝るような、否定するようで認めているような、顔と言葉と心理がバラバラの答弁は国民を不快かつ不安にさせるだけである■特に経済の話になると陸に上がった河童のような表情で、幼稚園児のような強弁に終始する■わからないならわからないと素直に言えば、これほど強いものはないのに、知っているふりをするから墓穴をさらに深くする■加えて誰が聞いてもうなづけない答弁に与党席から拍手があがるのもテレビを見ている方からすれば鼻白む。もっとも参観日のパパママよろしく気分を盛り上げないと首相がもたないのかも知れないが■しかし強弁に終始する首相を見定めて、心情面から解きほぐし、論理の骨組みを単純化して矛盾を認めされるのは論戦の術である。その白眉は石破茂氏の質問だった■油紙に火をつけるようにまくし立てるのではなく、ゆっくりゆっくり諭すように人間の機微に触れつつ、自分を絶対正義の場に置かず、まさに強弁首相のとなりに寄り添うような位置から忠言のごとく質問を放つのは、一つの芸でもある■こういう全体のトーンはニュースでの切り取り映像からは伝わらない■余計なことだが石破氏はお笑い界で言えばスリムクラブのような感じだろうか■政治の言葉が軽くなると言われる中で、それを打ち破るのはやはり言葉でしかない。テンポの早さが尊ばれるお笑いの世界でもスリムクラブのスローは違う意味で面白さの極致である■政治に携わるものは言葉の復権に努めなくてはならない■ひょっとしたら、日本経済がデフレなのではなく、日本人の使う言葉自体がデフレなのではなかろうか。それにしても元首相の一言には毎度の事ながらうんざりである。