2017/09/28

「安倍首相の弱さの表れ」という記事

すでに米紙では衆院選の予測記事が出ている。毎日の夕刊に「安倍首相の弱さの表れ」と題し、英国の首相が圧勝をもくろんで打って出た解散総選挙で、過半数割れを喫し求心力の低下をもたらした例を引いている。

つまり、野党の混乱に乗じ、解散の大義も示さず、自己都合で衆院選に突っ込んでもろくなことにはならない、と言っている。

相撲で言えば、横綱が「猫騙し」をやるようなもので、仮に勝っても「決まり手」にはならないから、有権者からすれば、何の選挙だったか消化不良。

一方で、勝負巧者の小池都知事は、安倍首相の「野党の混乱」に乗じて打った解散で急加速した「野党の大混乱」にさらに乗じて、数日で政治局面を変えてしまった。

民進党からすれば、住んでいる家を売らされてしまい、その挙句、出来てもいない家を買わされた感じだろうし、付け加えれば共産党はシェアハウス完成直前で共同生活者が行方不明。

小池氏、「政党渡り鳥」と言われるが、それだけ、しがらみを断ち切ってきた証左とも言える。

知事公務次々キャンセルと非難されているが、もはや都政も「しがらみ」と感じているかもしれない。

小池氏にとっての「現在のしがらみ」が何かによって選挙の帰趨は変わる。

2017/09/27

新庁舎問題解決へ

●ようやく、本庁舎等設計者が固まった。株式会社佐藤総合計画。

●今回、決まったのは、「世田谷区本庁舎等整備基本設計業務委託」先であり、公募型プロポーザルで審査が行われた。

●新庁舎の粗いイメージは上掲の通りで、区民会館は外貌を残し、新装ということらしい。

●議会報告では特に異論も出ず、ある意味、区長と議会との合意点に達したということだろう。

●竣工は感じとしては8年後くらい?何せ整備基本設計業務の委託で、その先に、基本設計(18ヶ月)、実施設計(12ヶ月)があり、そして着工。工期4年11ヶ月。ということで、まだ先は長い。とにかくオリンピックが終わってから、ということ。

2017/09/25

9月22日の一般質問原稿

2017年9月22日 一般質問 草稿   大庭正明

質問通告にある通り、「大規模災害時における遺体の埋火葬」について伺って参りたいと思います。

ここで大規模災害と云うのは、悲しいことですが、一時期に、多数の死者が発生する、極限状態を指します。

以下は、今から11年前に発表された当時の京都大学防災研究所の河田恵昭(かわだよしあき)教授らのチームが書いた「大規模災害時における遺体の処置・埋火葬に関する研究」という論文から引いたものですが

それによるとこう書かれております「数万人規模の死者の発生が想定されていながら、死者への対応についてはあまり検討されていない。・・・国や地方公共団体は防災対策強化に向けての取り組みを行っているが、そのほとんどは災害時にいかに犠牲者を軽減できるかということに力を注ぎ、犠牲となった死者への対応に関する議論は防災行政において禁断の領域となっている。」

「本論文であえて「遺体の処置・埋火葬」という領域に注目したのは、遺体の処置・埋火葬計画を立案することは復旧プロセスを円滑に進めることにつながると考えるからである」

私は、この論文を読み、虚を衝かれた思いがしました。

私たちは、NHKの番組などで、首都直下のシミュレーション画像を見て、建物が崩壊したり、電車が脱線したりと、大きな被害状況を目のあたりにしますが、その延長線上に多くの犠牲者が発生していることを、ともすると、見落としがちです。

ちなみに先の論文はすでに述べましたが2006年に出されたもので、2011年の東日本大震災の5年前です。

最新の首都直下地震での被害想定は東京都で約1万人、世田谷区の地域防災計画では死者数最大で655人と想定されています。

私たちはこの655人という死者数を地域防災計画の中でどう取り扱っているのか、ここなんです。

もちろん想定ですから、自然災害ですから、ケタ違いの差はあるでしょう。時間帯、風向き、震源からの距離等々で655人が65人に、あるいは逆に6千人にもなるかも知れません。

しかし、そんなことを言っていては、何も始まりませんので、とにかく、この世田谷区の地域防災計画に掲げられている655人という計画上の数字に対して、どのような対策がとられているのか、すでに遺体と想定されている655人の適切な管理と埋火葬はどう計画されているのか伺ってみたいと思っていました。

さて世田谷区民は、ここ5年間を通しても1年間に6500人前後の方々がお亡くなりになっています。

このことから考えれば、一ヶ月分以上の遺体の管理を世田谷区が大混乱の中で負うことになります。

おそらく通常なら、区役所の仕事としては、死亡届の受理、火葬許可証の発行等の事務がメインで、込み入ったことは葬儀屋さんがやっていると思われます。

それに比べて、大災害時においては遺体の管理方法は非常に複雑になります。

実質、災害時の遺体管理が始まるのは、遺体収容所が設営されてからとなります。

ではその遺体収容所の場所は?、と言えば、区内の13の地区会館になります。

ちなみに、計画では1つの地区会館の収容遺体数は平均すれば50体となります。もちろん平均などありえず被害度合いの激しい地域からどんどん埋まって行く感じでしょう。

遺体収容所では、検視・検案という警察と医療チェックが行われる場所とまた身元不明遺体、或いは遺体引き渡し所の部分に仕切られ、プライバシーの配慮が求められる施設となります。

例えば、私が不運にもガレキの下から遺体として発見されたとします。たぶん72時間は生存者の救助、救援が優先されるはずですから、そのまま放置されるかも知れません。

というより、遺体収容所が開設されないと、私は運ばれません。自宅から一番近い地区会館は上祖師谷地区会館となります。

遺体の搬送は災害対策土木部が行うことになります。私は土木部の皆さんのお世話になることになります。

私の人生の末路は、極めて明らかです。首都直下地震の犠牲者の655人の一人としてあるのです。

これ、仮の話ですよ。

実際、この問題、自分が遺体になった立場で考えると、非常にわかりやすいし、これまでの防災計画は先に述べた論文の一節ではありませんが、自分は遺体にはならないという根拠のない前提で書かれているから、どうも読んでいても実効性が疑わしいのです。

では、遺体収容所はどうやって開設されるのでしょうか、地域防災計画では、「災害発生後速やかに遺体収容所・設置・準備を実施、」とありますが、それは救援救助優先の72時間の前なのか、あとなのか、全く不明であり、そもそも情報収集の手順も不明です。さらには、そもそも地区会館が遺体収容所になることを区民は知っているでしょうか。

仮に、上祖師谷地区会館に遺体収容所が開設されても烏山方面からは、皆さんご存知のように榎の交差点から成城、祖師谷方面は極めて道が狭く交通の難所であります。つまり、遺体の搬送はクルマで行えない可能性もあります。

では、車で行ける他の地区会館には行けるのか、これも不明というか、決められていません。ここで申し上げているのは、なったらなった時さ、ではなく具体的に死者が655人という想定で計画が作られているのなら、その655人の遺体はどうなるのか、ということがキッチリ書き込まれていてこそ地域防災計画のはずです。

計画では、災害対策土木部が道路の通行確保も兼ねて、遺体の搬送を担うことになっていますが、これは遺族等による搬送が困難な場合ということで、道路さえつながれば、自家用車で遺体を運ぶこともできます。

しかし、さきほども申し上げた通り、上祖師谷地区会館の道路事情を考えれば、私は災害対策土木部が持ってきた遺体袋に包まれて、途中からおそらく担架で通行困難地を経て上祖師谷地区会館に運ばれる、ことになるようです。

一つの地区会館に、時間のずれはあるにせよ、道路が開通すれば、何十台のクルマと遺族が集まります。この災害において一番悲嘆の度合いの高い人々のはずです。

私にしても、遺体である私を家族が上祖師谷地区会館にうまく運べても、それだけで、じゃあね、と帰る可能性は無いとは言えませんが、いろいろな手続きが遺族にはあります。ましてや、そこから離れられない家族も大勢集まる可能性もあります。これだけでも課題が多く残された計画であることがわかります。

実はこの段階では、私は事務手続き上は、生きているのです。災害死の場合、警察等による検視・検案を経なければ死亡届けは作成されても、遺体収容所では受理されないのです。

しかし、東京都が作成している、マニュアルでは遺体収容所において受理することになっています。

区では、総合支所で受理するとなっており、バラバラです。このことだけでも、明日、首都直下が起きたら、混乱必至です。

ことほど左様に、所管に一つ一つ尋ねても、その都度、東京都に聞き返さなければならない状況が実態であり、それは所管の問題というより、東京都の防災計画がまさに未熟であることが最大の原因のようです。

しかしこの問題は、残された、或いは生かされた多数の遺族の未来に重大な影響を及ぼす問題です。

実は、この先、私の遺体はどこで火葬されるのか、火葬許可証までは出るのですが、そう簡単に火葬はされない状況があるのですが、その問題は時間の関係で、決算委員会で、やれたらやります。


とにかく、この問題、一回の一般質問で回答が揃うレベルではないので、今後続けてやりますが、大規模災害時の多数の遺体管理については、リアリティーが感じられないのが現状だと申し上げて、壇上からの質問をおわります。

2017/09/13

「平手打ち」と「手打ち」

ジャズコンサートの件について、新聞はどのように伝えていたか?可能な限りでまとめてみた。



朝日新聞は「男子中学生の髪をつかみ、顔に往復ビンタを加えていたことがわかった」と伝えている

東京新聞は「男子生徒の髪をつかんだ上、顔のあたりを平手で打つようなしぐさをした。」とちょっと引き気味。
日経新聞では「男子中学生の髪をつかんで顔をたたくなどしていた。」と報じ、「たたいた」としている。
日経新聞はその後、「男子中学生の髪をつかんで往復ビンタをした」と「顔をたたく」から「往復ビンタ」と表現を強めている(感じ?)
朝日新聞は「往復ビンタ」から「平手打ち」に変更している。なぜか?
区長は「平手打ちの動作は確かにしたが、中学生はよけた」と述べている(しかし片方は当たっている!往復ではないが、往路、復路のどちらかは当たっていたということ!)

因みに、保坂区長の「平手打ちの動作は確かにしたが」という「認識のあり方」について、保坂氏を古くから知る人たちから疑問の声が一部で上がっているという。

保坂展人氏の社会的活動の原点は以下の裁判に始まる。自著でも何度もこの件は触れている。

この今から35年前の記事では「学校の中で教師が何をやってもいいというなら、生徒は校内暴力や非行に走るしかない。こんなことでいいのですか」と絶叫調で述べている。
1982年(昭和57年)5月19日読売新聞

2017/09/06

愛読書



2017/09/01

面前暴力

●子どもの前で、暴力を伴う夫婦喧嘩をすれば、それは立派な児童虐待となる。(2004年の児童虐待防止法改正で心理的虐待にあたると明記!)

●もちろん、子どもに隠れて、やればいいというものではない。家庭内暴力もダメである。

●こういった“包囲網”が、相談相手がいない、私が我慢しなければいけないの、という、いわゆる孤立した子育て中の親(父母を問わず)を苦しめていることは事実である。であるのでその方面の対策というのも少しづつではあるが行政はやっている。(待機児童でさえ不十分なのでそんなに強いことは言えないが・・・)

●どんな形でも暴力は暴力である。暴力は野獣であり、人類の敵である。強いて言えば、現在の日本の置かれている状況はすさまじい暴力にさらされている(面前ミサイル!)。じゃ、日本も暴力で、ということに傾いたら世界は終わりである。

●著名なトランペッター氏はおそらく、児童虐待防止法の改正など知らなかったかもしれない。それは決して落ち度というものではない。その人なりの成功人生があり、自分の人生観を培い、堂々と生き、社会に多大な貢献をした人であることは間違いない。そういう人生観の持ち主に、今時の指導の範囲で暴力はNG!ましてや面前での暴力など大変な“災害”ですらある!と情報提供するのは、実はオトナの仕事であり、教育委員会の仕事である。(教育委員会主催なのだから)

●一方で当該中学生が悪い、という議論からは何も見えてこない。当該中学生の行動が悪くないのに、意味不明でトランペッター氏が暴力を振るったのであれば、警察発表によくある「誰でもよかった」事件である。即事件である。

●さらに言えば未成年だから中学生だから問題を起こすのであり、指導が必要だから義務教育が設定されているのである。

●トランペッター氏の指導が指導の範囲を超えていた(区側は「行き過ぎた指導」と表現)部分に暴力が含まれていたことの是非である。もちろんダメである。そのことを偉大なる人生の達人氏であろうとも、理解していただくのが大人側の仕事である。つまり区長なり教育委員会の仕事。それをしていなかったツケが今回現れたということであろう。

●私たちは、ともすれば勧善懲悪型の二項対立の思考に陥りがちである。(マスコミはそこに誘導しがちである、わかりやすいイコール視聴率が取れる)

●よって当該中学生に非があり、トランペッター氏が正しい。という図式が刷り込まれる。

●しかし対立は一転し、中学生もトランペッター氏も互いに非を認め、アレは“愛情ある暴力”だったんだ、でメデタシ、メデタシということで、騒ぐのはおかしいんじゃないの。というのは、役人のいつもの考える収拾シナリオ。

●被害者も加害者も、すでにノーサイドなんだから。つまり勧善懲悪のスタイルそのものが溶解したのだから。もう、今回のことは水に流そう・・・って。いかにも役人の責任回避の見せ方である。

●その手は桑名の焼き蛤。違います。“愛情ある暴力”なら許される、ということを社会的に公認していいのか?少なくともそんな風潮を認めていいのか?ということこそが、今回の最大の問題点。そしてそれを提起したのが教育長である。

●最大の問題は、面前DVでさえ、否定されているのに、世田谷区の教育長が世田谷区の中学の生徒に対して暴力を振るわれているその場で、終了時に万雷の拍手と笑顔で看過したことである。