2016/05/31

議会が推進、区長が先送りだった庁舎問題



31日の読売朝刊に「大地震で継続使用できない恐れ」の庁舎の一つに世田谷区役所が挙げられている。


この問題は何回も触れているが、原因は保坂区長の無関心にある。

東日本大震災直後に誕生した区長であるにも関わらず、この本庁舎問題は議会が区長の尻を叩かなかったら、関心も示さなかったのは事実である。

以下は平成26年2月25日の私の質問である。

保坂区長は、世田谷区の最大懸案事項となる庁舎問題を余りにも軽く見ていた、あるいは逃げていたのではないでしょうか。

整備方針案の二ページ、災害対策というタイトルがついているところに、そのことが明確に書かれています。
 
読み上げますと、「平成24年6月から平成25年3月にかけて、災害対策本部の中枢となる本部長室等及び非常用の電源や水に係る諸設備の強化を図るため、第1庁舎と比べて耐震性の優れた第3庁舎を応急整備し、第1庁舎から本部長室等の移転を行いました」。
 
確かに、保坂区長は議会で言われてやりました。そして、それをもって災害対策に手を打ったようなことを言われていたと記憶しております。
 

問題はこの後の記述です。こう書かれております。「しかし、東日本大震災や、昨年の伊豆大島の土砂災害等の経験により、本庁舎に求められる危機管理機能は、以前よりも一層高まっており、88万区民の災害対策の中枢管理機能を果たすには未だ十分ではありません」。
 
いいですか、平成24年から区長のやったことは、区民に向けてちゃんと災害対策には手を打ちましたというようなメッセージを発信する材料にはなったかもしれませんが、でも、実態は「88万区民の災害対策の中枢管理機能を果たすには未だ十分ではありません」と書いてあります。

つまり、いまだに不十分ということであり、88万区民の災害対策の中枢管理機能は果たせないという、実に厳しい状況下にこの世田谷区は今もあるということです。
 
平成24年6月から災害対策本部室をとりあえず第3庁舎に移し始めたことは臨時的な対応です。

それから何をしていたのか、何もしていないのです。それはそうです。平成24年4月には庁舎計画担当部を廃止しているのですから。

結局、平成25年9月に調査計画担当課を復活させるまでの1年6カ月間の間、そのうちの10カ月を使って、災害対策本部室を第3庁舎に移しただけなんです。

以上は2年前の質問であるにもかかわらず、今も庁舎問題は迷走中である。(熊本地震の影響で、どうにか年内には基本構想が固まりそうだが・・・)

2016/05/30

世田谷区は規制緩和進めていますよ区長!


5月26日の福祉保健委員会で、家庭的保育事業を規制緩和する報告があった。

要は、小規模保育事業所A型で、朝夕の児童が少数となる時間帯における保育士配置について、現行では、保育士2人がつくことになっている。(0歳児と1歳児の二人の場合、)

これを7月下旬から保育士1人と、保育士でない者1人(区長が保育士と同等の知識と経験を有すると認める者)の組み合わせを認める、というもの。

簡単に言えば、保育士2人の配置を保育士1人と保育士資格のない者の2人でもよいとするもの。

世田谷区の実情からすれば、規制緩和は致し方ないことだと思う。しかし、規制緩和と監視強化はペアになっていなければ保育の質は低下する危険性にさらされる。

トップが規制緩和などしませんよ!みたいな言説をあちこちで振りまき、その実、規制緩和をしている(今回の規制緩和は区長決済事項)のだからタチが悪い。

委員会質疑で確認したところ、案の定、監視強化策は考えられていなかった。規制緩和には監視強化をというのは当たり前だろう。


ほど遠い世田谷区の児童相談所移管


改正法が成立して23区、世田谷区でも児相(児童相談所)が持てるようになった。

これを受けて、区長会の会長は「準備が整った区から順次、児童相談所の設置を目指す」と述べているが現実はどうだろう。

先日、福祉保健委員会で世田谷区にある児相(東京都所管)は世田谷区と狛江市をカバーしている問題を尋ねたところ、全然話は進んでいないとのこと。

法では23区に認めるとのことで、狛江市は切り離さなければならない。(財調との関連だろう)

では、東京都が調整してくれるのかと尋ねると、そんな話にもなっていないという。これって準備以前の問題である。

世田谷区の前を見据えた業務は停滞しているのではないだろうか。

2016/05/08

日常生活支援センター長

今朝の朝日新聞にはキョトン。この4月から世田谷区社会福祉協議会の「日常生活支援センター長」のことが大きく取り上げられていたからだ。

世田谷区社会福祉協議会とは区の外郭団体で主に地域の活動支援、日常生活の支援、困りごとの相談等々のサービスを提供する社会福祉法人。(区の外郭団体という点で普通の社会福祉法人とは異なる)

新聞記事では、世田谷区のことが報じられているかと思えば、記事の肩書きが、「元国会議員政策秘書」とあるように、その国政における政治歴がズラリ。永田町では相当活動していたようで、世田谷区に関しては「昨年4月の世田谷区長選で、再選を目指す保坂展人氏の選挙の中核を担いました。」とだけ紹介されている。

その後の“就活”については桃野議員のホームページに詳しい。


しかし不思議な話ではなかろうか。保坂区長の中核スタッフである人物が世田谷区の外郭団体の人員募集に応募するというのはどういうことだろうか。(それも3月の予算委員会で取り上げるまで採用された事はほとんどの幹部職員すら知らなかったし、単に保坂区長に近いというだけの人物ではないことはようやくこの記事で判明?)


因みに世田谷区の外郭団体の事務方は区役所OB及び出向現役職員である。

常識的に考えれば、採用するにせよ、しないにせよ事前に保坂区長もしくは周辺に伺いを立てるだろう。

また応募する側も保坂区長と昵懇なのだから、差し障りがないか、相談はするはず。

一方で、外郭団体とすれば、絶対に採用したくない、というのがホンネであろう。

定年退職して年金との関係で現役の半分以下の給料で働き、いわゆる区役所流儀の仕事で毎日を回している身としては、外部の人間が中に入ることは秩序が乱れて嫌なのだろう。しかも対応を間違えれば保坂区長の機嫌を損ない外郭団体からも追い出される。

加えて議会と揉めている保坂区長直結の人物となれば、厄介である。

今回、倍率は1、専門性問わず、しかも「日常生活支援センター長」という何をするのか曖昧な職種である。

区の説明によると地縁パワーに加えて新たにNPOとの協働やNPO連携強化となっているだけで具体的な目的があるのか不明である。

で、今回の朝日の記事である。ここから読み取れるのは選挙における集票戦術家(選挙参謀?)の姿であり、勝つとか勝てないとか、言葉が出てくるような、まさに元国会議員政策秘書というのが本質である。

記事の締めくくりで、記者は「地域で活動する中で、未来を切り開く手がかりをつかんでいた」と書いている。

「地域で活動する中で」ということが「日常生活支援センター長」という仕事であれば、その背後にある集票戦術家(選挙参謀)という本質はどこに向かうのだろうか。

なぜなら永田町を離れた時に「もう一度外から力をつけたい」と述べているからである。

「日常生活支援センター」での活躍が、とんでもない覚醒を起こす可能性はあるかも知れない。それが世田谷区にとって良いことなのか、新たな火種になるのか、わからない。