2015/12/19

世田谷区の庁舎問題のキモ(その2)

三島由紀夫が「文章読本」の中で、小説において、美女と書けば、その人が何の裏付けもなく美女となる、というようなことを書いている。


それは言語の抽象性によって、読み手が自由に想像してくれるからで、これが小説の映画化となると、その美女役を誰が務めるかで、様々な考えが出てくる。

左は12月12日の朝日新聞に掲載された、保坂氏の小学校からの民主主義のトレーニング体験から現在の「自分の意見をまとめる」「徹底的に話し合う」「解決案を提案する」という仕事に繋がっていると述べている。

上手いこと言うなぁとつくづく。

現実は
「自分の意見をまとめる(けど誰にも話さない)
(考えが合う人とは)徹底的に話し合う」
(多数の)解決案を提案する(が一つには決めない)

常に三島の言う「言語の抽象性の範囲」でしか活動していない保坂区長は、具体化する段となると途端に「停止状態」に陥る。

庁舎問題の2年近くの迷走は保坂氏の政治姿勢にある。

2015/12/12

世田谷区の庁舎問題のキモ(その1)

庁舎問題について、保坂区長と議会の主要会派との考え方の違いを整理してみる。

極々、単純化してみると、

前川國男氏の設計した世田谷区役所の“保存”に区民の税金80億円を増額してまで、価値を認めるか否かという点にある。(総事業費300億円→380億円)

議会の主要会派は、そこまでの価値は認められないだろう、というスタンス。

しかし保坂区長は、80億円の価値を認める、と言って譲らない、というのが対立の構図。

しかも保存となると金額だけではなく、庁舎の配置パターンが制約を受ける。これが目に見える「違い」となり「機能性」の制約要因につながる。

前川國男は建築の世界では「巨匠」である。しかし庁舎を「芸術品」として見るか、「実用品」として見るかは、税金の使われ方として、その額(80億円)がふさわしいかどうかが判断の分かれ目となる。

仮に前川建築の価値を認めたとしても80億円とは途方もない額である。

保坂区長は「芸術品庁舎」に380億円かけたい、と主張しているのに対し、議会側の主要会派は「簡素で機能性が高く廉価な庁舎」で良いと主張しているのである。

このことが第一のキモである。


2015/10/24

無理は禁物


今どき、『景観を重視』した本庁舎建設など許されるのだろうか。

災害対策本部機能、行政効率の向上、結果として区民サービスアップが主目的であろう。

それを様々な経緯があろうとも『景観重視』とは首長の判断としてはアウト。

今回の定例会(決算委員会)で改めて、平成19年度にまとめられた本庁舎整備案を、現在求められる仕様に直して、区側に見積もりさせたのが下の比較表。


事業費、工期からしても、『景観重視』の保坂案には“無理”がある。無理を強行すれば、行政は傷つくのが私の経験則である。

2015/10/12

本庁舎でつまづく保坂区長



23区で最も老朽化・分散化が進んでいる世田谷区本庁舎群。築52年の現在、いまだに入口論で迷っているのが保坂区長だ。(仕事が遅いのは前期4年で、いやというほど知らされたが)

昨年3月、現在の場所で建て替えることを決めてから、何も進んでいない。

昨年来、不可能案も含めて10案出してみたものの、直後に、これ以外の案にしてみたいと平気で撤回する様は、マンガのような展開。

さらに今回示された新3案では、特に求められる災害対策機能を横に置いて、「区役所の景観」を最優先とは。その象徴が中庭。(下の景観)

別段、このような景観を残すことは可能なのだろうが、保坂区長は“このような”ではなく、「この景観」を残すのだ、とバカボンのパパのようなことを言っている。実はこの景観はある一定の地点に立たないとわからない。実際には下の写真のように赤いポストの先は駐輪場になっているし、画面の左側は生け垣で囲われて何も見えない。つまり、この景観は赤いポストの先、20メートルくらい奥に行かねば、見られない景観である。




このことについて、議会が反発している、と伝えているのが上掲の都政新報。

記事では

自民党の山口裕久氏が「世田谷らしさを聞かれて、『中庭』とは答えられない。本庁舎本来の機能を考えると、あまり中庭にこだわるべきではない」と指摘。

公明党の高橋昭彦氏は「大きな課題は老朽化に対応して分散化を解消する。それに加えて災害対策の中枢機能だ」と主張。

民主党・社民党の風間穣氏は「3案から選ぶことは出来ない。景観より重要なのは区民の利便性。もう一つは災害対策を含む安全の確保だ」と強調。

F行革の大庭正明氏も「庁舎は一つの機能としてまとめないと非常時に機能しない」と指摘。「建設当時のロケーションや雰囲気や既に失われている」と景観重視の姿勢を厳しく批判した。

               以上記事から引用

まだ態度を示していない共産党をのぞく主要会派が保坂区長の庁舎整備の方向に反発している、その会派の議員数は7割に達している。

言うまでもなく庁舎問題は世田谷区最大の税金の使い方に直結する。区長の内容を伴わないノスタルジーに付き合う余裕はない。

2015/08/27

図書館のありよう

新学期が始まるのを前に、鎌倉市図書館のツイートが効いている。


27日の朝日新聞でも反響の大きさを伝えている。


さらに今日も。


図書館のありようを考えさせられる。

貸し出し業務だけが図書館の本質ではない。(ちなみに26年度の世田谷区の全図書館の貸し出しベスト10は東野圭吾氏と宮部みゆき氏が半分以上を占める。推理小説って犯人と犯行動機を一度知ってしまうと・・・ね。)

2015/07/26

段取りのいい加減さの果てに



つくづく思い出すのは、安倍首相の前回(2007年9月)の辞任劇。7月の参院選で大敗し、引責辞任を頑なに拒否し居残ったものの、体調不良のため、本会議での質問を受ける、まさにその直前に辞任という、メチャメチャな「段取りのいい加減さ」に驚かされた。(仮に辞任の理由が他にあったとしても)

今回も、「解釈改憲」という「段取りのいい加減さ」をいかんなく発揮し、安保法制を強行している。

しかし「段取りのいい加減さ」は視点を変えれば「見通しの甘さ」「決断の遅さ」に通じる。結果、「算段がつかなくなった」のが前回の辞任劇である。

「支持率」だけは「解釈」で変えられない。



よく出来ている「教えて!ヒゲの隊長」パロディ版



自民党の政策アニメのパロディ「あかりちゃん ヒゲの隊長に教えてあげた」がすごい!たった8分で今まさに、安倍政権が危険すぎることが、ポイントを抑えてわかる。

ちなみに下は本家自民党の「教えて!ヒゲの隊長」


2015/05/30

喜ぶのは役人だけ

もちろん、こんなことを口にする人はいない。しかし、この世の中で、「議会」などなくなればいいと思っているのは「役人」である。おそらくどこの自治体でも、本気で思っていると思う。(だからこそ必要!)

もし、なくならないのなら「議会」の時間を短くしてもらいたい。そのように考えるのが「役人」である。説明(答弁)責任のある管理職なら全員そう考えるだろう。

今回の件で、大会派にそれほどのメリットは見当たらない。むしろ、今後のことを考えると負担が増えるかも知れない。ではなぜそんなことを?

推測するに、「役人」の“願望”が自民、公明の議員に“憑依”したとしか考えられない。議会役職が多い分、回りは「役人」だらけという環境もあるのだろう。「役人」の考えが即「世論」と勘違いする向きもあるかも知れない。

しかし長い年月をかけて均衡を保っていた少数会派の時間というのは、それなりの世田谷区議会の「知恵」ではなかったのか。それを多数決であっさり壊したことは残念でならない。

2015/05/17

議会のあり方

昔、参議院の議長に河野謙三という人がいて、「七三の構え」という議会運営をして議事を円滑に進めたという。

「七三の構え」とは与党は力があるから、野党7、与党3の配分で扱うのが平等であり、少数意見の尊重につながる、という運営方法。

もちろん地方議会は制度が異なり、野党、与党という立場こそないが、ある意味、大会派による議会運営ということを考えれば、そのくらいの“度量”があってもいいと思う。

今回、世田谷区議会で問題となっているひとつは、討論の時間。(そのほかに議会運営委員会のオブザーバー出席の問題もある)討論というのは議案に対する賛否意見のこと。(質問時間ではない)これまで何でもかんでも“特定のテーマ”に結びつけて、意見を述べる名物議員がいたが、その議員は引退してしまったので、今回、自民、公明が問題視しているのは、予算、決算に対する意見の時間がメイン。16人の自民会派も1人会派も10分というのは不平等だと云う。

都政新報の取材によると自民党の山口裕久幹事長は「16人所属している自民党は討論時間が10分しかないが、1人会派でも10分ある。平等の観点から考えた」ということである。

果たして、意見というものが所属人数に比例するものだろうか。政策的に一致している人の集まりとしての会派である以上、それほどの格差があるとも思えないし、これまでの自民党の意見において、「もっと言いたかったのに」感はなかったように思う。

さらに、たとえ言いたかったことが言えなかったとして、不平等だというのであれば、自民党は10分では足りない、せめて15分にしてくれ、という方向にならないのだろうか。

それまで、10分以内で認められていた会派とすれば、いきなり7分とか5分とか2分も削られるのは、何か懲罰的に感じられないだろうか。

こういうことも配慮に欠ける点であり、少数会派に対する敬意が損なわれるということは回り巡って、個々の議員への敬意を失わせしめることにもつながる。

第1会派は先例により議長を出すことになっている。(選挙は行うが)とすれば議会全体を円滑に進行させる義務が出身会派である自民党にも生じる。責任は重い。自公で過半数を取れば、何でも過半数で決着というのは、円滑な議会運営とは程遠い。

「ルール通り」だけではすまないのが人の世の習いであり、過剰なくらい他者への配慮があっての過半数だろうと思う。

一方で、世田谷の少数会派は、自公に足下を見られている観も否めない。というのも少数会派も、ある意味バラバラで、今回の運営変更に対し、当事者として立ち上がる会派もあれば、音無しの構えというのもあり、そもそも意見を10分も述べるのは、「しんどい」と感じている議員もいるのかも知れない。

少なくとも前期では、予算・決算委員会で質問したことを箇条書きに並べて無理やり、「意見」にしているような感じを持った会派もあった。


その点、港区議会は爆発した観があるようだ。こちらは意見ではなく質問時間の制限だから、議員活動に直接響く。

民主4人、維新2人、社民1人、1人会派3人で計10人。自民に次ぐ第2会派に躍進とある。

ことの発端は1人会派の質問時間を10分から約5分に半減したことにある。

区議会と云っても、それぞれ歴史や経緯があるから、何とも言えないが、会派運営は、そんなに容易なものではない。世田谷の民主・社民という会派もすでに意見の折り合わない部分が露出している。

以上、議会のあり方に触れて書いてみたが、私は交渉会派による代表者会の当事者であり、その場で1人会派の意見については従来通りを主張し、少なくとも1人会派も参加する会議体でこのことを議論するべきだと主張したことを付記しておく。

2015/04/28

保坂区長の19万票

4月26日、再び議会活動への信任を受けました。区民の皆さんの期待にこたえるべく精進し頑張ります!

82人の立候補者、定数50人、そして総投票数28万8584票。投票率41.78パーセント。

当日投票が 24万1150票。
期日前投票が4万7434票。

投票に行った人の16パーセントが期日前。

当選順位がだいたい分かってきたのは、実は27日になって、午前零時すぎから。

これだけの大選挙区制だから時間がかかることはアタマではわかっていても、落ち着かないもの。その一方で保坂区長の大勝利の報道を何度も見せられる羽目に。

結果として仲間は全員当選で一段落。

共産党は直前になって予算に賛成し、保坂区長とうまく利用し利用されるウィンウィンの関係を構築して、区議選で相当の上積みに成功した。

一方で、今回の区議選に出馬を見送った木下議員(任期は4月30日まで)。彼がいなかったら保坂区長はそもそも誕生しなかったと言われるほどの功労者でもあり、名物議員でもあった議員人生を事実上失わせたのが保坂区長である。

さらに今回の区議選では保坂区長を擁護した会派である生活者ネット・社民は5人から3人へと減、特に生活者ネットワークは精神的にもつらそうな選挙に見えた。

今回の、自民党と共産党による“保坂躍進の過剰演出”で、保坂区長の“自己肯定感”に拍車がかかり、来夏の参院選に目覚めたかもしれない。何せ19万6068票でダブルスコアでの大勝。

ここは私の居る場ではない、なんて言い出しかねない。そんなことになればまた区長選?

2015/04/24

保育待機児問題を解決できない区長



横浜市、千葉市につづいて川崎市も。

それに対して3月3日に「子ども子育て応援都市宣言」というA4の紙を一枚出しただけの世田谷区。マスコミ受けのイベント的発想では保育待機児ワーストは解決できない。

実務家である横浜市長や千葉市長、そして川崎市長のもとで現区長は美辞麗句のおしゃべりをしばらく封印し“修行”をすべきではないだろうか。

2015/04/23

また出た保坂区長の、“見直し発言”


23日の朝日新聞が報じているが、また保坂区長は世田谷の“政治的火薬庫”と化している下北沢再開発で「見直し発言」をしている。

事実上の再開発事業ストップ発言のようである。しかし4年前の区長選でも見直しを公約に掲げた保坂区長、就任後には明確な方針を示せず、今日に至っている。

にもかかわらず、またこの時期にである。

道路はつながってこそ道路であり、つながらなければ単に公共空地でしかない。地元の人にとってはそれでも良いのかも知れないが、通れない道路というのは隣接している住民にとってはどうなのだろう。

東京都としても道路の“切り売り”をしているわけではないから、つながらない道路など認めないだろう。

言ってみたものの、明確な方針すら出せなかったことだらけの4年間を知る者としては、またか、とため息ばかりである。

2015/04/22

おおば正明 世田谷区議会議員選挙 頑張れ!

 今回の区議選のテーマは、区議会で述べていることを、そのまま区民の皆さんにお伝えすること。

すなわち、地方行政を全く知らない保坂区長が、国政経験だけの尺度で区政を実態の伴わない方向に向かわせていることである。

簡単に言えば、元社民党の国会議員の思考でしか世田谷区を考えていないことである。

例えば現在、世田谷区で大きな問題となっている保育待機児童問題、全国ワーストワンの原因を作ったのは、まさに保坂区長なのである。


上記は約2年前の朝日の記事。すなわちワーストワンになり始めた頃になって民間事業者(株式会社)の参入を検討し始めたのが保坂区長なのである。

すでに保育待機児童の問題はそれより2年も前から、顕在化しつつあったし、優秀な民間保育事業者(株式会社)も世田谷区への参入を試みようとしていた。にも関わらず、株式会社は一切ダメ、優秀であろうと何であろうと株式会社はダメと受け付けなかったのが保坂区長である。(ほとんど偏見か差別的である)株式会社イコール営利目的という思考回路なのであろう。

しかし、いかんせん増え続ける保育需要に耐えかねて、厚労省幹部と面会という“田舎芝居”をやって、株式会社の参入に踏み切った次第である。

遅いのである。優秀な企業は世田谷区を避けて他地域に流れていった。

株式会社イコール営利、即、悪という発想は元社民党的な発想なのだろうか。それに比べて横浜市は積極的に企業誘致を行い、保育待機児ゼロを達成しているのである。

同じ地方自治体(横浜市は政令指定都市とはいえ)でも問題に対する取り組み方の違いでこの差である。ハッキリ言って、経営感覚が無い。

「排除しない社会」とか言っている人が保育待機児問題が顕在化する直前まで企業参入を排除していたのだから何をかいわんやである。

いまや民間事業者(株式会社)にお願いしてもなかなか来てくれないのが世田谷区なのである。


2015/04/21

世田谷区長選



朝日が21日、世田谷区長選を詳しく報じている。


「(自民主導の)前区政に戻したら世田谷区は死に体になる」。と保坂氏の支援者が集会で声を上げたという。

この支援者は完全に誤解しているのだろう。
保坂区政の4年間は前区政をそのまま継承している。故に保坂予算は4回とも自民は賛成している。

この保坂区政の4年間を表す重要な記事は以下の部分。
「保坂氏は社民衆院議員時代には「批判勢力」の印象が強い。前回の選挙戦では「大型開発からの転換」を強調したが、区長就任後はそうした主張は影を潜めた。野党が過半数を占める区議会と対立を避け、手堅い区政運営をしてきた。区が提案した議案が一度も否決されなかったことが裏付ける」

実は上記の記事の表現は微妙に異なるが、保坂展人氏の本質をついている。要は当選するまでに言っていたことと、当選してからやっていることは全く異なるということである。


そのことはあとに続く「前回擁立に動いた支援者の一部からは「約束を果たしていない」との批判もある」という一文につながる。



さらには記者氏は勘違いしている部分もある。“野党が過半数を占める区議会”という表現。

国会に似せて表現した方が読者にわかりやすいのかも知れないが、世田谷区議会は単純に与党だとか野党だとか区分けできない。

従ってその記事の後段の「区議会との対立を避け、手堅い区政運営をしてきた。」という表現は実態に即していない。

そもそも「区議会との対立」とは別段つかみ合いのケンカをするわけではないのだから、「区議会との対話」「区議会への提案」「区議会での説明」「区議会での説得」という表現こそが適切だろう。

とすれば、この記事の本質は「区議会との対話を避け、区議会への提案を避け、区議会での説明を避け、区議会での説得をさけても通りそうな議案だけを出して、手堅い区政運営をしてきた。(だから)区が提案した議案が一度も否決されなかった」ということになるのである。

つまり、区長としての信念のある仕事はしていない、ということなのである。

さらに記事では「保坂氏は「少数与党の中、自分の主張だけではものごとは進まない。みなさんの意見を広く聞きながら進めている」と話す。」

ここにも保坂区長の、自らを“少数与党”という虚構の立場に置き、自分の責任ではない、という言い訳をしているに過ぎない。

この4年間、自分の主張に基づく議案を一本でも出されただろうか?その議案のための対話を議会としようとしたであろうか?説明をしようとしたであろうか?

かつて小泉総理が郵政民営化の熱弁を振るい、あらゆる障害を乗り越えて法案を通した事実だってある。そこまで求めるのは無理としても、そもそも保坂氏の自分の主張が何であったのかさえ、不明である。(みんなが賛成するものなら、やるという受け身型)

それにしても自民側も「明確な失政はなかった」と言っているぐらいだから、何のために対立候補を出したのやら。

失政はあっただろう、保育待機児増大の問題、災害対策の中枢機能を担う本庁舎の非常用電源をたった3時間で切れてしまう大問題に真剣に取り組まなかったこと・・・。新人候補については実績そのものがないのでわからない。

2015/04/15

まさかの坂

「まさかの坂」というのはあるんだなと、15日の東京新聞の記事を読んで思った。

 三鷹市の話。市長候補予定者が13日に急病で倒れ、立候補不可能に。ええっ、1週間遅れたら選挙戦のさなか。

 事実上の現職の後継者と目されていたので先に引退を表明した現職が、急遽、引退を撤回して再出馬に。こんなドタバタは聞いたことがない。

 倒れたのが13日、告示は19日。現職も半分引退人生を設計していたであろうと思う。

選挙は終わるまでわからない。

司法の力






大半の日本人が懸念していることである。

電力会社は原発に頼らない、かつ環境にやさしいエネルギー開発に力を注ぐべきだろう。日本人ならできる。

政府を牽制するのはもはや司法しかないのだろうか。

2015/04/07

選挙に行こう!



4月7日の読売新聞によると、東京の統一選では投票率が軒並み下がるようなことが書いてある。

前回の世田谷区長・区議選の投票率は42%。だいたいこのあたりの数字で前後していた。しかし読売によると、前回2011年の統一選で練馬区長選が45%だったのが区長の急死による昨年の選挙(事実上の1年前倒し)では31%に落ちてしまったという。人口増の影響も多少はあるかもしれないが、前回2011年に投票に行った人の3割が棄権したという勘定になる。

そういえば、人口の少ない地方では、選挙に出る人が少なく、無投票当選があちこちで起きているという。なんかおかしな時代だ。

確かに今回は前半戦の都知事選がすっぽりなくなっているので盛り上がりは欠けているのかも知れない。

しかし、気がついたら日本の地方自治はなくなっていたということのないよう、選挙には行こう!

2015/04/01

仕事ができない区長


本日の朝刊は世田谷区長にとっても、また区長に期待した議員にとっても愉快な出来事ではなかったはずだ。


法的効力ではなく、自治体という存在が認めることに意義があると代表質問でも区長に言った。おそらく区長がマジメに仕事をしていたら、そして決断をしていたら渋谷区よりも早く、性的少数者の人権をいささかでも救済できたかも知れない。人権尊重に熟慮もへったくれもない。早ければ早いほどいいのだ。

地方自治体は条例を作れる。区長はその発案者であり、提出者である。昨年9月この問題に区長は「所管部には国内外の自治体の取り組み事例などを調査、参照して、研究、検討するように指示し、対応を立てていきたいと考えております。」と答えて、その後アンケート調査程度はしたかもしれないが、実質何もやっていなかった。まさに政治は結果が全てである。渋谷区はやった。世田谷区はやれなかった。


おそらく、世田谷区でも同様の条例案が提出されたら、自民党は反対しても私たちも含めて賛成多数で、可決された可能性は大である。

この問題に限らず、仕事ができない区長だから、世田谷区は保育待機児ワーストを脱せないのである。



2015/03/29

政治的緊張感を失った世田谷区政


首相になった人間が必ず公約と反対のことをする、この国において、公約と反対のことをする世田谷区長など、不思議でも何でもないのだろうか。

その区長を4年前に担ぎだした区議会議員が、その“公約違反”の責を負う形で、来月の区議会議員選に出馬しないことを表明したのが年明け早々。

“製造物責任”とでも云うことだろうか・・・。

しかし首相が確信的に公約と反対のことをするのと違って、世田谷区の区長は公約とは反対の方向へ流されているに過ぎない。簡単に言えば、仕事ができない。

部下を使えない。組織を動かせない。ただし口だけはうまい。“製造物責任”で今期限りで辞めてしまう区議も決して人を見る目が甘い人ではない。しかしそれをもってしてもコロッといってしまった。


過去にも紹介したが、区長の最新作である。その中の一節が、「私は実務家に徹しました。私はできもしないことを大言壮語をするタイプではありません。力もないのに、アドバルーンを勢いよくあげて一瞬の世間の耳目を集めるようなふるまいは根っから嫌いです。政治は結果が全てです。」

できもしないことを、掲げて区長選に当選したのは誰か。そのできもしないことの責任をとって担ぎだした区議会議員が責任を取ることになったのに、である。

こういう状況を知った上で、区長の新年度予算案に反対したのは交渉会派では私たちの会派だけである。区長選で対立候補を擁立する自民党も賛成なのである。これまで理論的に反対していた共産党も今回だけは戦略的妥協なのか賛成。

もちろん政治は非論理的な世界でも、ある。しかし、予算案に賛成して対立候補を立てるという構図は、区民にわかりづらいだろう。

区政がおかしいなら、“緊張状態”を明確にして区民に示すのが、議会の役割の一つである。そのことによってより多くの区民が知ることになる。

危機に際して、“緊張状態”を作れない交渉会派など、区長にとって、単に笑える存在に過ぎないだろう。それよりも辞める議員一人の方がインパクトは大きい。

区議会のあり方を微力ながら変えなければならないと、いささか私なりに反省した。しかし何ができるのだろうか。http://www.t3.rim.or.jp/~110ban/pg142.html

2015/03/18

黄昏れの保坂区長

ちなみに、「F行革」というのは「無所属・世田谷行革110番」の略称でFとはフリーとかファイトとかそういう意味が込められている。

それにしても、予算委員会の初日に、それなりの反省の弁を保坂区長は表現するハズだったらしい。(まわりの区幹部はそういう方向に具申したという)

が、思わぬ方向に転がり、区長は開き直りのような展開に。

公選法違反は一つの物差しでしかない。違反かどうかは警察等の判断事項である。

が、天下の世田谷区のトップであり、区民代表である区長の行為として、疑われる行為そのものが、問題なのである。

2015/03/12

3月12日の産経新聞

公人としての“規範意識”が欠如してはいないだろうか。
疑われるようなことを、そもそも世田谷区のトップがしてはいけない、だろう。
これは、たまたま、ということではない。現在の区長による区政運営に通底していることでもある。

2015/03/02

ついに朝日も批判を始めた保坂区長

3月1日の朝日新聞によると、下北沢の「再開発計画は2006年に都が認可したが、その後、初当選した保坂氏が改めて見直しを表明。このため、今年3月の計画の期限にどう対応するかが注目されていた」。

ちょっと解説すると2006年に都が認可した再開発計画は遅れに遅れ、今年3月の計画期限までには完了しないことがわかっている。もし保坂区長が計画の延長申請をしなければ、そこでとりあえず計画はストップ。それは“見直し”に通じる行為でもある。

しかしながら実は「保坂氏は1月に延長申請の手続きをしたことを認めた。」というのが記事の内容。見直しどころか、再開発計画を“後押し”した格好に。

要は、見直しを表明した区長が、実際には続行を指示していたという政治家としてはあるまじき振る舞いをしていたということ。それでいて、こんなご本を出版されているのが保坂氏である。
長いものには巻かれろ、強いものには媚びよ、弱いものは選別してうるさいものは丁寧に無視しろ、保坂区政の実態はそんなところにあるのにね。





2015/02/28

何を考えているのか幼稚な答弁 2月27日の都政新報

2月27日付けの都政新報。完全に皮肉られている。

2015/02/20

選挙法違反の警告

以下は「警告状況報告書」という警察(警視庁)の文書(本物のコピー)である。現職の区議でも、こんなことしている。(地域、時期等を伏せるために黒塗りを増)まあ、察しがつく人はいるかもしれないが。適用法条が公職選挙法143条16項ということは個人名だけののぼりかもしれない。

2015/02/11

言葉のインフレ「子ども・子育て応援都市宣言」!

宣言文は以下の通り。

子どもは、ひとりの人間としてかげがえのない存在です。
うれしいときは笑い、悲しいときには涙を流します。感情を素直にあらわすのは、こどもの成長のあかしです。子どもは、思いっきり遊び、失敗しながら学び、育ちます。子どもには、自分らしく尊重されて育つ権利があります。

子どもは、地域の宝です。
大人は、子どもをしっかり見守り、励まし、支えます。地域は、子育て家庭が楽しく子育てできるように応援します。子どもは、成長に応じて社会に参加し、自分のできることと役割、みんなで支えあう大切さを学んでいきます。

子どもは未来の希望です。
今にきらめく宝です。大人は、子どもにとっていちばんよいことを選び、のびのびと安心して育つ環境をつくります。

世田谷区は、区民と力をあわせて、子どもと子育てにあたたかい地域社会を築きます。ここに、「こども・子育て応援都市」を宣言します。

 平成27年3月3日          世田谷区

この宣言を最後まで読み通す忍耐力のある区民はほとんどいないだろう。常識的なことだらけで、敢えて言葉にする必要性すら感じられない、云ってみれば、不要不急のかたまりだらけ。

世田谷区長の頭は浦島太郎状態なのだろうか。詩人の谷川俊太郎氏はこう言っている。「ものすごいインフレーションですね。実態が伴わない言葉が氾濫している。ストックにならない。全部がフローになる、言語が。」もちろん保坂区長のことを指して言っているのではない。“言葉が氾濫する時代”というNHKの朝の番組でやっていた中の一節である。2014年11月14日放送ここクリック。

政治状況も同じで、実態のない言葉で有権者を惑わす手法は、とっくの昔に通用しなくなっている。それは民主党政権の崩壊過程でいやというほど味わったことでもある。

保坂区政の本質は、おそらく区長以前の政治姿勢も含めて、「言葉のインフレーション」である。インフレ製造機と言っていいかもしれない。だから一時的に期待は集まっても、人は去っていくのである。

その点、国の政権与党は事実を重ねることで動かそうとしている。しかしそれはそれで「言葉のデフレーション」を起こす。究極は「問答無用」であり、民主主義における議論の場を失いかねない。

私たちは「言葉のインフレ」を戒めながらも、「言葉のデフレ」に陥らないように、思考や感受性の道具である「言葉」を大切にしなければならない。

それにしてもこの類の宣言とやらは、常識的にみて、5月5日の子どもの日にやるのではないだろうか。それを3月3日とは。区長選前の話題作りが透けて見えるから、野暮というもの。

2015/02/08

恒例“クランク街道”の芋煮会

冬は芋煮会、夏はバーベキューをご近所で持ち寄ってわいわいとやる。一時は大雪とか気象庁に振り回されたが7日の粕谷は風もなく穏やかだった。

それでも寒かったり、子どもに関する事件が多発しているせいか、子どもの姿が少なかった。

それにしても大鍋でつくる料理はどうしておいしいのだろうか。

2015/01/13

安倍政権の本質

早いもので今年も13日過ぎてしまった。年末に読んだ左の本が、今の日本の状況を的確に表わしていて面白かった。著者の安冨氏は東大教授であるにも関わらず、東大が生みだす無責任の構造を「東大話法」という分析で有名になった人である。

「ジャパンイズ・バック」は前々回の2012年12月の総選挙で自民党が大勝したあとに書かれた本であるが、ほとんど2014年12月の総選挙後の情勢を見通している。

「ジャパンイズ・バック」は、「立場」という観点から日本の現状と政治を語っている。

バブル以後の日本社会は色々なものを失う時代であって、それは目に見えるものだけでなく、目に見えない多くの「立場」も失ってしまったと説く。〈以下引用〉

家族の一員としての「立場」、会社員としての「立場」、地域社会の一員としての「立場」・・・以前ならばあたりまえのようにあったその「立場」を失った彼ら・彼女らが求めるもの、それはもうそのものズバリ、「立場」です。

われらに「立場」を!

こうした人たちにとって響くのは、実は「アベノミクス」の成長戦略で雇用を生み出してもらう、ということではなく、「君たちに『立場』を取り戻してみせる」という大見得なのです。

すべての立場を失った者にとって唯一残された「立場」、それは国籍です。ただ日本に生まれて自動的に付加された国籍、つまり日本人であること。

ですから彼らはこの「日本人であること」に過大な評価を与え、価値観の軸に置きます。そうすれば当然、「日本人であること」のさらにベースにある「日本」が素晴らしいこと、を「事実がどうであるかにかかわらず」求めるようになります。

この結果、「極右」と言っていいほど右傾化が進み、排外主義が助長されます。中略 彼らにとって自分たち唯一の「立場」、つまり「日本人であること」を補強してくれる(と約束している)安倍氏が魅力的なわけで、「日本を取り戻す」つまり、「あなたの立場を取り戻す」と絶叫してくれている限りは、別に何をやってくれても構わないのです。〈引用終了〉

今夜のクローズアップ現代で、「ヘイトスピーチ」に関する問題を取り上げていたが、視点が少々ズレていた。表現作法とか戦前の時代と似ているという雰囲気論では理解できないだろう。

日本人であることは、この日本において絶対的多数派であり、だからといってそのレベルで政治や社会を語り出しても、何も生まれない。日本人は日本人であるということの繰り返しだから。そもそも国籍という立場でしか自分たちを誇れない社会状況はおかしな方向に向かっているということがよくわかる名著だ。