2014/08/27

騒音問題


 8月27日の読売が、国土交通省が羽田空港の新たな発着ルートの検討を始めたことを報じている。羽田空港に発着できる飛行機の便数を大幅に増やすのが目的だが、その飛行ルートを見ると世田谷区も無縁ではない。

 読売の図に、世田谷区の位置を赤く塗ると上図のようになる。

 離陸コースが、玉堤、玉川田園調布、尾山台、等々力、奥沢、野沢、下馬の上空を通過するように見える。時間帯は午後3時〜午後7時に限定されるというが・・・便数も集中して多い。

 着陸コースは世田谷区はかからないが、中野区、渋谷区、品川区上空を1,000メートル以下で降下する(港区や品川区に一部地域ではスカイツリー634メートルより低い高さを飛ぶ)から騒音も半端ではない。

 世田谷区に限っていえば、離陸コースと着陸コースがクロスする地域に隣接する北沢、代沢、池尻、三宿、下馬あたりが頻繁となる。

 音は微妙で繊細な問題となる場合が多い。ましてや騒音となると、それがどんなに小さくとも火ダネとなる。


2014/08/16

8月15日


 話題の書。「要するに、現存の体制は戦前・戦中さながらの〈無責任の体系〉以外の何ものでもなく、腐敗しきったものと成り果てていた。」と著者は言う。

 3.11以後の政府の無能ぶりを、あの無謀な戦争へ突き進んだ姿に重ねて、国民は「侮辱」の中に生きている、と説く。簡単に言えば国民は政府に舐められている、ということだろう。

 8月16日の読売新聞に堀場製作所の最高顧問の堀場正夫さん(89歳)が戦争末期のことを述べている。「終戦までの半年間は(国は)死に体のようなものでした。負けるのを少しでも先延ばしにしていた感じです。だからといって、どうせ負けるなら早く降参しようじゃないかという空気もあまりなかった。」

 もともと戦争を開始したのも、また終了させるのも、責任者不詳のような国だったところに、「決めてくれる」強い国に負け、占領されてしまった、というのが戦後のスタート。誰かが終わらせてくれたという意味で「終戦」同様に、国民が被った大損害もあたかも自然災害のような認識でいいのだろうか。二度とこのような惨禍を起こさないための総括が行われていない。

 ところで、15日の戦没者追悼式での安部首相の式辞の中で、「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。」というごく当たり前の、いつも使われているであろうフレーズがある。戦没者というのは軍人、国民すべての犠牲者をさすとしても、冷静に考えて見れば、ちょっとおかしい一文ではないか。

 そもそも、当時でも米英との戦争は無謀だったと考えられていた。つまり昭和16年の真珠湾攻撃にはじまる太平洋戦争をしなかったら、現在の日本はどうなっていただろうか。もちろん対日経済制裁という締め付けがあったにせよ、その後の4年間で戦没者の数を上回る被害が出たであろうか。日本国の国境線も現在より狭くなっていただろうか。仮定の話だから何の意味もないかもしれないが。

 例えば上記、堀場氏が述べたように、負けるのを半年も先延ばしにしていなければ、東京大空襲を始めとする本土空襲や、広島、長崎の戦没者は、救われたはずではなかろうか。(これらは戦争というものではない虐殺である。)

 戦争をし、負け、国土を失い、多数の国民を死に至らしめたから「私たちが享受する平和と繁栄がある」というのは、もはや意味不明である。

 まず、政府は国益をそこねた戦争をしたことを、そのことにより国民に多大なる犠牲を強いたことを謝罪することから始めるべきで、謝る側と、謝られる側が明確になっていない、それどころか同じ側に立っているとすれば、それこそ永続敗戦論の著者の言う、無責任の体系が今日も続いているのである。このことは対外的な責任とは別次元のことである。日本の政治の質を高めるためにである。

2014/08/08

石破氏の彗眼

 夕刊フジのネット版で過去の石破氏の発言が掲載されている。これは平成19年の参院選で第一次安倍政権が敗北した直後の石破氏の発言だ。当時は石破氏は安部首相の責任を追及する急先鋒だった。

「(安倍)総理は『私を選ぶか、小沢(一郎)さんを選ぶかの選挙』とあれほど言った。それで(有権者は)小沢さんを選んだ。そのことをどう思うかと聞かれて、総理は『私は使命を守る』という。答えになっていない。国民の意志を完全に無視している」

 これはまさに、「特定秘密保護法」や「集団的自衛権の閣議決定」の一方的な安部首相の主張と軌を一にする。答えになっていない。答えになっていないのだ。石破氏の政治的感性はまともだと感じる。

 さらに石破氏はこうも言う。


「総理は『私の内閣』とか『私の使命』とかそういう言い方をするが、内閣は個人のものではない。『私の使命』って、王様じゃないんだから」

 これも憲法解釈を一内閣の勝手でやってしまう第二次安倍政権の今日を予見させる発言である。これは今から7年前の石破氏の発言である。

 さらに石破氏は言う。参院選敗北の責任を取ろうとしない安部首相を糾弾して

「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る。でも総理は落ちた人の気持ちが分からない。総理は週末ごとに大きな私邸だかなんだか知らないがお帰りになり、普通の人が行けないようなレストランでお食事になる。選挙の苦労もしていない。苦しい状態にある人にシンパシーが持てない。選挙で奥さんともども土下座して落選した人の気持ちはわからない」
 
 安部首相の本質を喝破した石破氏の去就が注目されている。内閣と党という距離のある関係ならいざしらず、これほど価値観の異なる人が内閣の一員となるはずはない、と思う。

2014/08/01

中国は大丈夫か?


 7月31日の日経新聞の記事に驚いた。まるでB級映画のあらすじが書かれているようだ。

「現在の妻と結婚するため、前妻を交通事故に見せかけて殺したとも伝えられ」

「警察機構や武装警察の指揮権を持ち『軍以外のあらゆる強制執行力を握る男』と恐れられた」

「周氏は薄氏と組んであわよくば習氏の国家主席就任を阻止し、自らもキングメーカーとして君臨することまで考えてた節がある」

「周氏は指揮下にある公安権力を駆使して胡氏や習氏らの通信を盗聴し、弱みを握って取引材料にしようとしていた」

「『周氏が薄氏と諮って軍事クーデターを企てた』『周氏は少なくとも2回、習氏の暗殺を謀った』。そのような噂を少なからぬ党員が信じている。」

「事件の公表まで時間が掛かったのは、周氏追及に慎重姿勢を示す党長老らとの意見の相違がなかなか埋まらなかったからだ。その間、習氏は周氏らの汚職を示唆する情報を『出所不明の噂』として流し続けた。」

 これが中国の最高指導部の姿として日経が伝えている内容である。

 さらに、8月1日の日経では、腐敗摘発が特定の派閥に偏っていて、「腐敗があっても習氏の基盤である太子党には手を出さないのか。党内では不満がくすぶる。」とある。

 そして何よりも、摘発で1兆5千億円相当の財産が押収されたこと。

 経済開放政策で「世界の工場」となり、じゃんじゃん儲かる国になったものの政権トップがこれでは、この国は大丈夫なのだろうか。

 しかも貧富の差は縮まらない。一握りの者が政治権力で富を独占する構造は、近代以前ならまだしも現在では犯罪である。それでも働いても働いても稼げない時代から、働けば働くなりに稼げる時代への転換に国民は酔っているのだろうか。

 重要なことは「情報公開」である。「情報公開」グラスノスチによってソ連はその政治体制が崩壊した。「情報公開」に耐えられる国家でなければ民主的とはいえない。