2011/05/07

生活を見直すきっかけに

 首相だからできる決断として、唯一記憶される記事になるだろう。今は「反原発」も「原子力推進」もさらに「脱原子力」もたいして区別する意味はない。
現在起きていることは“日本における原子力発電の信頼が無くなった"ということである。もっと言えば3.11以後、原子力発電はとてつもない被害を発生させるものだということを日本国民が“体験”してしまった、ということである。体験はどんな理屈より勝る。
もちろん他人事ではない。こんな被害が出るなら(東京の場合、水道水の放射能汚染が決定的な認識になったと思う)節電して少しでも原発を止めるべきだという積極的な生活態度は十分支持されると思う。この夏、私たち国民は試される。

※菅首相の行動が政治での世界で評価されないのは、本来首相の仕事である国の方針(国策)として原発の見直しを決めない中で、個別具体的な問題に手を突っ込んでしまった点にある。しかしながら今回の決断は国民の多くは支持するだろう。となれば首相の仕事はまず国の方針の変更をすることであると批難し続けても、それは官僚の仕事だろうと矛先が変わる。“日本における民主党政権の信頼が無くなっていた”ことと“日本における原子力発電の信頼が無くなった”という間で官僚はやる気が試されている。