2011/05/26

弔慰金が支払えない被災地

  東日本大震災で被災し亡くなられた区民の方がお二人いたそうである(26日の区民生活で報告)ついては災害救助法の適用で世帯主には500万、それ以外では250万の弔慰金が支払われる。
 実は25日の東京新聞によればこの支出が大変なことになっている。この弔慰金は国と県が四分の三を負担し、地元市町村は四分の一の負担となっているが、国や県の予算執行までは市町村が全額を負担することになっている。残された遺族としては急を要するお金である。
 現実問題として、千人を超える死者の場合、弔慰金は25億から50億となる。この金額は世田谷区といえども時期によっては、すんなりといかないほどの額である。規模の小さい自治体においては、到底“自己資金”では対応できない。記事によれば、金融機関からの一時借り入れの限度額を四倍に増やす条例案を6月議会に出すなどギリギリの対応をしている。「国や県の交付が遅れれば財源は底をつく。借金でしのぐしかない」と或る町の財政担当者は嘆いているという。
 支払われるべきお金が滞っている。そのことによって被災者であり遺族である多くの人々がさらに困窮していること考えると、行政単位の支援としては財政支援というか支払いの一時的肩代わりのようなことも考えられるのではないか。

2011/05/20

情報端末

 確実に情報革命が進行している。19日の朝日朝刊に4ページに渡って朝日新聞デジタルの大宣伝。惹句は「新聞はひとりの手の中から ひとりひとりの手の中へ。」男優がiPadを手にしている。いよいよ朝日も。
 スクラップもネット上で行えるらしい。紙媒体の時代が終わりに近づいている。 朝日の宣伝はiPadが基本となっている。アップルがすごいというか、日本が遅れているというか。調べてみるとこんなアプリもある。確かに家の中から紙がなくなれば画期的なことだ。すでにレコード盤(古すぎ?)が姿を見せなくなり、カセットテープもどこへ、さらにCDすらも消えつつありながら、何万曲の音楽をポケットに入れられる時代を体験している身にすれば、今度は見える情報が、つまり何万もの書籍や新聞や書類がすべてカバンに入ってしまう時代を迎えている。技術は生活を変える。理念だけでは生活は変わらない。当然、役所も変わらなければならない。

2011/05/17

理念としての「大型開発優先からの転換」

 16日は各会派ごとに保坂区長との懇談会があった。区長からは主に被災地への支援や放射性物質に関係する話等があり、またこちら側からも短い時間ながら活発な話し合いが行われた。区長はそのあと記者会見があり、その内容も17日の朝刊各紙に載っていた。
 記事はその中でも毎日新聞のもの。そこでは記者からの「外環道路の計画については?」との質問に保坂区長は「公約で『大型開発優先の区政から転換』としたが、具体的事業名は出していない・・・」と述べるにとどまった、とあった。懇談の場でも保坂区長の話しぶりでは、“強烈な反対運動”のようなものとは距離を置こうとしている姿勢が感じられた。ただし事業経過での情報公開には意欲があるようで、具体的な事業名に対する“強烈な反対運動”と情報公開の徹底は区長の頭の中では別もののように受け取れた。

2011/05/14

減原発の時代

 東京新聞の5月12日の「こちら特報部」によれば原発停止しても電力不足はおこらないという。電力不足キャンペーンは東電の情報操作であると断じている。
 といっても、節電は必要である。不足分を補っているのが火力発電である以上、だから安心ということにはならない。この先「減原発」の時代が続くことを考えると、とりあえず火力としても 、やたらと燃やし続けるわけにもいかない。だから節電である。
 ところで浜岡は停止したからといって安心とはならない。福島第一原発の4号機は停止中にもかかわらず水素爆発を起こした。停止しても終わらないから原発はやっかいなのである。
 ウチの会派でプチ・ブームになっている映画『東京原発』 で主人公が最後のあたりでこう叫ぶ「人間は過去のことはすぐ忘れる。終わったことには関心がない」今回の原発事故は人災である。想定外は地震と津波であり、事故の原因はすべて想定内のことである。昭和20年の敗戦からもう少しましな合理的判断はできなかったか、それが戦後の国家運営の課題だったはずである。しかし戦後生まれの首相以下閣僚の今回の対応は、およそ戦前の批判があてはまる稚拙さである。驚きである。

2011/05/12

5月12日会派連絡2/2

5月12日会派連絡1/2

震災の財政的影響

 10日付の都政新報によると、東日本大震災の影響が財政面に現れてきている。多摩地域のことだが、国の補助金をアテにした学校の冷房化事業が、補助金が震災復旧に優先適用されることになり、計画の見直しを迫られているとのこと。
 教室に空調を設置する場合、国と都から計2分の1の補助金が出て、各市の負担は残り2分の1で 済む。そこでこの補助金を活用して各市が今年度の目玉にしたのが学校の冷房化事業。23区ではすでに完了している学校の冷房化は多摩地域では設置率が1割程度。
 それだけに、ここに来て補助金のカットは痛い。とは言え東日本大震災の復旧を優先させなければならないのは当然のことである。
 今回は文科省関連の補助金であるが、各省それぞれの補助金の影響は今後自治体を直撃する。特に阪神・淡路大震災の時を考えても都市整備関連への影響は大きい。
 本来なら国がどこの予算をどう東日本大震災復旧に回すと「決める」ことによって、玉突き的に各自治体への削減がわかってくるのだが、政府が「決める」作業を後回しにしているので、今もって、そんな補助金はあり得ないのに自治体の予算書に計上されたまま。(情報すら来ないありさま)
 大きな災害は、被害を受けていない地域でも財政的な痛みを共有しなければならない。だからこそ政府は一刻も早く仕事をちゃんとして、国の財政の流れ、そして自治体へのお金の流れが震災復旧でどう変わるのか明らかにしてもらわないと困る。

2011/05/11

桜上水よりクリームパンを

 選挙の当日(4月24日)に元都議の後藤雄一さんが南相馬市の桜井市長のもとへ前日夜通しで焼いたパンを届けたそうである。(右が桜井市長)後藤さんと桜井市長とは旧知の間柄だそうで、意外なところでつながりはあるものだと思った。
 後藤さんの話によると、やはり現地では仕事が必要とされているとのこと。もちろん支援はまだまだ必要だが、仕事を通じてお金が回るようになるのが次の段階らしい。ちなみに届けたのはクリームパンで市長も大好きらしい。

2011/05/08

4月7日の地震で何が起こったか?

 4月7日に震度6強の地震が東北地方中心に起きた。大震災の混乱の中で忘れがちなことであり、加えて統一地方選中(前半)でブログに書けなかった。しかしこの地震で青森県にある東通原子力発電所(ひがしどおり原子力発電所と読む)の外部電源が使用不能となり冷却ができなくなるという事故が発生している。このことについて最近マスコミでも直截な発言をしている武田邦彦氏がわかりやすい解説をしている。ココをクリック

 特に注目したいのは、原子炉の安全性(耐震性)と原子力発電所全体の安全性(耐震性)は異なるということである。

30年に何パーセントということ

 浜岡原発で、首相の決断の根拠たる「30年以内にマグニチュード8程度の地震が発生する可能性が87%」という数字、どういうことなのだろう。
 そのことについて私達の会派では平成20年6月11日の代表質問でちゃんと例示している。以下はその時の質問の一部から。

既に、首都直下型大地震と言われる南関東のマグニチュード7程度の地震の確率が今後30年以内で70%であることは皆様ご案内のとおりであります。しかしながら、どうも30年以内に70%という確率がどれほどのものかわかりづらい。そこで、いろいろ調べてみましたところ、次のような参考事例が見つかりました。
例えば、日本で交通事故で死亡する30年以内の確率は0.2%だそうです。また、火事で死傷する30年以内の確率も0.2%ということであります。近ごろでは、交通事故での死者の数も相当減っていると聞きます。
また、火事で亡くなられたりけがをしたりする方もめったにいるわけではありませんが、30年で遭う確率というものは、どちらも0.2%ということであります。
では、大雨で被害に遭う確率、これも30年でということですが、0.5%ということだそうです。世田谷でも大雨で冠水し、地下の車庫が水浸しという被害も聞きます。それでも30年間で発生確率というのは0.5%です。
では、ひったくりの被害に遭うのはどれくらいでしょうか。これも数値が出ておりまして、30年間での発生確率は1.2%ということです。やっと1%を超えております。さらに、空き巣の被害に遭う確率というのは30年間で3.4%ということであります。そして、交通事故に遭って、軽いけがを含めてということですが、30年間で交通事故に遭う確率、これが一番多いのですが、24%ということであります。
以上は文科省が発行している全国を概観した地震動予測地図2008年版からの引用ですが、これらの数値から比較すれば、首都直下型大地震と言われる南関東のマグニチュード7程度の地震の確率が今後30年以内で70%というものが何を示しているか、明らかであります。要するに、近いうちに間違いなく起こるというのが科学的な理解の仕方であります。ただし、いつということが不明なだけということであります。(平成20年6月11日のおおば正明の代表質問より)

2011/05/07

生活を見直すきっかけに

 首相だからできる決断として、唯一記憶される記事になるだろう。今は「反原発」も「原子力推進」もさらに「脱原子力」もたいして区別する意味はない。
現在起きていることは“日本における原子力発電の信頼が無くなった"ということである。もっと言えば3.11以後、原子力発電はとてつもない被害を発生させるものだということを日本国民が“体験”してしまった、ということである。体験はどんな理屈より勝る。
もちろん他人事ではない。こんな被害が出るなら(東京の場合、水道水の放射能汚染が決定的な認識になったと思う)節電して少しでも原発を止めるべきだという積極的な生活態度は十分支持されると思う。この夏、私たち国民は試される。

※菅首相の行動が政治での世界で評価されないのは、本来首相の仕事である国の方針(国策)として原発の見直しを決めない中で、個別具体的な問題に手を突っ込んでしまった点にある。しかしながら今回の決断は国民の多くは支持するだろう。となれば首相の仕事はまず国の方針の変更をすることであると批難し続けても、それは官僚の仕事だろうと矛先が変わる。“日本における民主党政権の信頼が無くなっていた”ことと“日本における原子力発電の信頼が無くなった”という間で官僚はやる気が試されている。

2011/05/06

原子力はできれば長期的に排除していく方向にあるべき

 5月5日夜のNHKニュースウオッチ9で、ノーベル賞受賞の野依良治氏へのインタビューを放送していた。科学界の重鎮という位置づけなのだろう。そこに於いても脱原発ということは当然のこととして語られていた。司会者が再度尋ねても、自然エネルギーや再生可能なエネルギーへの転換が日本に求められている課題だと明確に言い切っている。約4分。

2011/05/05

河野太郎氏ほえる

 朝日(5月5日)に自民党の河野太郎氏のインタビューが載っていた。「最大の問題点は使用済み核燃料など高レベル放射性廃棄物、いわゆる『核のゴミ』を捨てる場所が日本にはないのに、原発を増やそうとしたことだ」との発言はまさに国策が問題を先送りしている点を突いている。
 激烈なのは、自民党内で東電と原発を守る動きがあるが、との問いに対して「甘利明氏の会議がそうだ。推進派がズラリと並び、引退した加納時男氏まで座る。次の選挙でそういう議員を落とすしかない。国民の目が必要だ。3月11日で隠してきたうみが全部出た。自民党がやるべきことは謝罪だ。利権で原子力行政をゆがめたのだから。政府には原子力政策を推進した中曽根康弘元首相に近い与謝野馨氏がいる。与謝野氏の発言は、明らかに東電を守ろうとしている」 と発言している。なお加藤時男氏とは元東電の副社長で自民党から2期参院議員を務めた人物。
 当たり前の声が社会に出てくることは、それだけ社会が健全だということである。電力使い放題の社会をちょっと変え、新たなエネルギー源の技術開発を進める。この繰り返しをすることで安全な社会をめざさなければならない。

心が通わない上海やきそば

 3日菅首相はザ・キャピトルホテル東急にある中国料理店「星ヶ岡」で伸子夫人ら家族で食事をしたという。左はそれを伝える朝日新聞。
 もちろん“違法行為"ではない。しかし今なお避難所で不自由な暮らしを強いられている国民が多数(12万4千人)いる今、困難な状況の中で福島原発で必死の活動を続けている人々がいる今、そして自衛隊をはじめ警察、消防等々の人たちが頑張っている今、最高指揮官が一流料理店で家族団らんはNGだと思う。別に自粛を求めるつもりはないが、4日には避難所を訪れるということを考えれば、如何にも「猿芝居」の体ではないか。
 先の参院予算委員会で菅首相はこう指摘された。「あなたには心がない。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれと言うが、身を捨てない。全部自分でやろうとして人に任せない。道筋をつけたら辞めた方がいい」
 国民の多くが感じ始めているのは、現在の国のトップには日本人の「心」がない、ということである。
 例のCMをもじれば、心がなくとも、行いに表せば、見ることはできても、やはり心を感じることはできないということ。まさに「心ない」行為はNGである。こういう指揮官の下では心を一つにする気にはならない。一刻も早く辞めてグルメ三昧に徹して景気浮揚でもすればよい。

2011/05/04

役人の悪魔のささやき「パニックになりますよ」

 本日の日経朝刊は「情報共有こそ社会の強さ」と打った特集を掲載。今回の原発事故に関して、記事によれば「公開すればパニックになると懸念した」と細野首相補佐官が述べているのだからガッカリだ。彼は39歳。ネット世界と縁が薄い高齢政治家とは異なるにもかかわらず、相変わらずの「知らしむべからず」体質をひきづり克服していない。
 「公開すればパニックになる」とは役人の常套句である。これは議員の最初の関門でもある。パニックになるか否かは誰が判断しているのか、役人である。この論法は役人にとって最も都合のよい、もっと言えば情報操作の常套句である。政治家の細野補佐官はその判断・吟味を放棄している。
 今や優秀といえども官僚だけで英知が結集できる時代ではない。在野の英知はネットで繋がっている。間違った情報はすぐに修正される時代である。何か言えばすぐに「ソースは?」と問われるし、ソース無しで何かを言うことが難しい。 しかも世界中と繋がっているから日本だけで隠そうとしても意味はない。信用を失うだけである。
 役人がパニックになると言う情報こそ公開の価値があるものだと政治は理解しなくてはならない。3.11以降、あれだけのことが起きて、あれ以上のパニックなど起きるとは思えないが。

最悪のシナリオとは

 福島原発の事故は50日経過した今でも進行中である。何が起きるかわからない。そうは言っても人は「最悪の事態」から逆算して自分の安全度の位置を確かめようとする。
 しかし報道ではなかなか「最悪の事態」を書いてあるものが見当たらない。最初に見たのが4月9日の読売新聞の元原子力安全委員長のインタビュー記事。(左、クリックで拡大)
 それによると最悪のシナリオは?という問いに対して、こう答えている「最悪なのは、新たな水素爆発で格納容器が破壊され、放射性物質が大量に流出することだ。近くには立ち入れず、他の炉も手がつけられなくなる。こうなると日本にはもう解決策がないと思う」
 最悪のシナリオとは、単に放射性物質が風向きによって降ってくるという程度ではない。異常事態の原発に誰も何も出来ない状態になるということ、原発の暴走を誰も止められない、そういうことだ。今もなお水素爆発の危険性は、それこそ一進一退であり、その後も恒常的に発生する地震によって事態悪化は避けられない。マスコミ報道はあまり言わないが、そういうことなのである。確かに「最悪の事態」から逆算して自分の安全度の位置を探すことは相当難しい。