2011/02/19

議会は いらない? について一議員の立場から その4

朝日の定義する「ダメ議会」の基準とは「丸のみ」「無提案」「非公開」の3つである一議員の立場から言えば、議会の活性化という本質的な問題は、会派制にたどりつく会派制というのは行政側にとって実に都合の良い仕組みである。行政側の最大の目的は議案の可決であるから議会の過半数となる会派を基本的に押さえておくことは至上命題となる通常は最大会派を主軸に据えて足し算をする。最大会派は議会運営の要の職を占める場合が多いからであるもちろん足し算といっても会派の肌合いが異なる組み合わせは避けられる。が、近年地方自治の場合、国政と異なり絶対的な違いということは少なくなりつつある結果、行政側が過半数の協力を取り付けられれば(取り込めばとも言えるが)、その過半数を構成する会派の組み合わせで、ほぼ議会の“運動範囲”が決定される一見当たり前のようであるが、実は会派の中の議員は個々に反対の議案があってもそれを事実上行使できないようになっている。会派の駕籠に閉じこめられている。おそらく1人だけ反対するなら会派から出て行けというような無言の圧力がかかるからであろう。会派での活動しか知らない議員としてはなかなか踏み切れない。ましてや会派イコール政党というところでは次の公認問題にも関係してくる。このことを会派の“規律”と見るか多様な民意の“排除”と見るか難しい一方、会派としても行政との関係で一枚岩となれないと足元を見られるというデメリットもあり、それは過半数を構成している会派同士さえも共同体化していくことにもつながっていく。過半数共同体が崩れれば、それを構成している会派及びその構成議員のデメリットなるからであるこのように議会の過半数共同体のようなものは、その根源をさかのぼれば明らかに行政側の必要性から生じたもので、議会が自発的に作ったものではない。(現在でも実際、行政側の取り込みの“技術”は当選したばかりの新人には至れり尽くせりから始まるのだが・・・)取り込まれた議会側の過半数共同体としても、やっているうちにこりゃいいと、自覚したことで、過半数共同体を維持するメリットが議会と行政の共通価値観となり、さらに相互依存関係となっていったものと思われる。今となってはそれが自然で、誰も意識しないこととなっているがこういう経過をたどれば、議会の過半数共同体なるものが、行政提案を、まるで丸のみのように見える対応をすることは必然ともいえるその点、会派制という囲いを解いて、全員一人会派になれば活性化は図られるかも知れない。が一番困るのは行政である。“票読み”ができない。議案ごとにそれこそ離合集散が繰り返され賛否が分かれる。それこそ議員自身も自分の賛否がどのような結果として議会で表れるかハラハラドキドキである。まさに緊張感は高まるそうなれば行政は一人ひとりを取り込むしかなくなるここで行政が取り込むということはどういうことか考えてみたい。取り込むといっても、悪意が存在するわけではない。その目的は行政側の議案通過であり、その議案というのは行政或いは役人が住民福祉のために考えたものであり、簡単に言えばそれはそれで正義の実現ということであり、強い自負を抱いている議員には根本的に“弱点”がある。議員は正直なところ、議案を取り巻く法体系や隣接条例の知識など欠けている場合が多いし、細かい国の政令改正など情報そのものが入らないここに行政と議会側の情報の非対称性が存在する。その結果、議会は実務に疎いという状態からスタートせざるを得ない例えて言えば、うまい料理の品評は出来ても料理は作れない、という状態に似ている現実には議員は役人に様々な情報を尋ねることから議員としての能力を高めていく。うまい料理を出す店主にそのレシピを尋ねるようなものであろうしかし限られた時間の中で料理の作り方の話をいくら聞いても料理を実際に作れるようになるとは限らないそこに議員の分岐点があるように思う。一つは餅は餅屋ということで行政依存型でいいやと思うコース。良心的に言えば依存しながら注文をつければ良いというスタンスである2つ目はあくまでも自立し行政から卒業してオーダーメイドの政策を実現するコース。具体的には、行政とは独立した政策能力のある人間を自ら抱えること。即ち議会事務局を完全に行政から独立させることである(議会事務局の公務員は区長の部下であって、それが一時的に議会に“派遣”されているのが現実である)現状では前者が大半であり、それでも後者を考えている議員も少なからずいるネックとなるのは、議会事務局の独立という問題。新たな議会費増につながりかねないし、現状では住民の理解を得るのも難しいだろう。また職域が限られるという点もある。それがクリアされても今度は事務局依存という状況に陥らないかという、最初の問題に戻ってしまう。それでも行政依存とは異なる切り口から政策をぶつけることは可能かも知れないのだが議員側の行政依存と行政側の議会取り込みという目的がある以上、一体化は防げない行政依存という言葉は様々な言い方に置き換えられる。行政への信頼とも言えるし、議会と行政は車の両輪とも、議会の協力なしでは行政は進められない、ともかと言って議会と行政がことさら対立する必要はない。

問題は議会にとって最大の議案である予算案についてどういうことになるか、ということである。会派制なら行政が協力を取り付けた過半数共同体の要望をメインに考慮すれば良かったが、会派制の囲いが解けると一人ひとりの議員のどこまでの要望をメインにすれば良いか不明である。議案の賛成には無数の組み合わせがあるからであるそうなると過半数以上の、さらにはほぼ全員の要望を考慮せざるを得なくなってしまう。予算は際限もなく膨張する可能性もある予算肥大化、予算冒頭について、議会は無力である。なぜなら自分の要望を聞いてもらえるなら、考え方が多少違ってもあの人の要望も聞いて当然ということになるからであるましてや議員は4年任期だから言いたいことだけ言って実現させて、その後の後始末もせずに消えてしまうことだってある、と行政は自分たちの事を棚にあげて本気で危惧する確かに現状の選挙制度では社会経験すら未熟であって、仮に偏った判断の持ち主でも85万区民の生活に関する予算を決める立場に就けるのだから行政としても不安であろうそうなると、今のような財政難の時期には、会派内、会派間で自制が働き易い会派制、行政側からすれば“分割統治”の方がベターということになる現状のところ、行政対応は会派制、議会改革は全員一人会派というのがベストのような気がする。それは改革の機運は常に少数派からあがるからであり、逆に行政対応での過半数共同体では現状に満足しがちだからである。その切り分けが議会自身わかっていないのかも知れないのではと、個人的には思っている。