2010/05/31

今日でお別れ

昭和歌謡の名曲「今日でお別れ」の詞を地でいく鳩山政権。5月末の決着は最低の支持率に■区議会は6月の定例会を前に、国政が右往左往されては質問原稿も困るというもの■質問日は6月10日。そもそも“メガトン級の政策”がこんな調子ではこの先どうなるのやら。沖縄問題は国の安全保障の問題であると同時に解決手法は地方自治及び住民自治の問題である。結果として、住民の心情はグチャグチャにされてしまった。こういう状況を他の大臣たちはよくも拱手傍観していたものだと、呆れはてる(消費者・少子化担当大臣の粉骨砕身の暴走ぶりに比べて)■所詮、数は力、権力でやれば何でもできる、なんて錯覚していたのではなかろうか■要は、出来ることと出来ないことを、正直に説明する勇気がなかったことである■総理大臣だけでなく、今のうちに各大臣も正直に抱えている課題について、これは出来そうにありません、と釈明する必要があるのではなかろうか。その方がよっぽど国民はありがたい。 

2010/05/29

モンスター誕生

■本日の読売新聞の社説の冒頭に『日本政治と日米関係を混乱させた末、「国民との約束」簡単に破る。一応謝罪はするが、責任はとらない。これが鳩山首相の本質だろう。』とある(5月29日)■約束を簡単に破り、謝罪するのは本人の資質だろうが、責任をとらないのは役人の本質である。知らない間に、トンでもないものが最高権力者の中で“融合”してしまった。

2010/05/25

世田谷区版『事業仕分け』スタート

■5月21日午前10時から「政策検証委員会」の第1回目が開催された。これは区長の時限的な審議機関で、学識7人、区政モニターから選ばれた区民6人からなり、文字通り世田谷区の政策(事業)を検証する委員会である■別名“世田谷区版事業仕分け”とも言われるが、第1回目は、“世田谷区版れんほう氏”も“世田谷区版枝野氏”も現れることなく、穏やかな感じで終了した■実際には、2回目、3回目がバトルになる想定で、1回目は検討素材と委員会としての方向性を確認しただけであった■この委員会は公開ということで第二庁舎の大会議室で行われ、庁内テレビ放送が行われたが、肝心のインターネット中継等はナシ。そこでしょうがなく、委員会の最後の部分、委員長の第1回目のまとめの部分だけを、テレビをカメラで撮るという、ちょっと間抜けな方法でお伝え。委員会の雰囲気は伝わると思う(一応念のために字幕は私の責任で付けさせて貰った)■そこでも明らかなように、検討の俎上に載せられたのは、「青年の家」「池之上青少年会館」「世田谷市民大学」「世田谷サービス公社」「世田谷区社会福祉事業団」「がん検診」「子ども医療費助成」の7つである■2回目は6月19日(土)に担当部長等が出席して委員とやりあう、らしいが、真価はそこで問われる。【もちろん議会は、分けてもうちの会派は事業仕分けどころか課長仕分けも部長仕分けも、常任委員会を通じて積極的に行っている】
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2010/05/20

議会改革前進

●当然のことながら、みんなで合意して一つの案がまとまることは、それなりの達成感がある●世田谷区議会の話である。長らく続いていた世田谷区議に支払われる費用弁償の6千円(議会からの距離によっては4千円)が改正されることになった●具体的には6月議会で改正案が出される見込み。改正内容はほぼ公共交通機関を利用した場合の金額に改められる●従来は費用弁償の意味づけがはっきりしないまま慣例的に定額支給ということで6千円が支払われたが、今回は十分議論した結果、議会の裁量でほぼ交通費だということで収斂した●もちろん細部では各会派によって異論はあるだろうが、「まとめよう」という気持ちが全体を包み込むように作用したことは大きい。実は議会の価値とは「まとめよう」という気持ちがどれだけ醸成されるか、そこに懸かっている。

2010/05/12

つぶやき

●「英雄とは自分のできる事をした人だ。凡人は自分のできる事をせず、できもしない事をしようとする人だ。」フランスの作家の名言らしいが、某国首相の“英雄願望”もいい加減にしてほしい●「言葉の不毛」が続くのは恐ろしいことである●人間社会、言葉が通じないとどうなるか。短絡的に考えれば、暴力でものを言わせる、という風潮に走りがちだと過去の歴史は教えている●「話せばわかる」「問答無用」という時代があった。日本の不幸の始まりであった●「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言う。愚者の“経験速度”で全国民がつき合わされるのでは堪らない、なう。

2010/05/07

選挙至上主義の失敗

●言葉のチカラがここまで“無力化”されて、果たして政治は成り立つのだろうか●昨今の鳩山首相の言動は、誰も聞く耳持たずの状況である。その意味で彼はすでに職責を果たすことはできない●改めて、政権交代の“手法”が間違っていたと、断じざるを得ない。●以前にも述べたが、簡単に言えば地方自治の選挙発想で国政奪取を謀ったことがすべてのはじまりである●そして国政レベルの問題がことごとく解決されない理由もそこにある●国政選挙を地方自治の選挙発想で行えば、住民や有権者の身近な問題を取り込める。「生活が第一」のリアリティーは格段と高まる●しかし一方で“生活から見えない部分”はすっぽり抜け落ちる●国家財政や安全保障の問題が国政でしか解決できないにもかかわらず、地方自治の選挙発想(生活が第一)で選挙をやれば、争点は見えにくくなってしまう●結論から言えば、あの夏の選挙で本来の国政の課題について民主党は“国民の民意”を取らなかったのである●(国家財政をどうするか?ギリシャ問題のように実は生活に直結する大問題である。安全保障の問題についても異常な増強といわれる中国海軍は南西諸島に相当の“関心”を示しているという。偶発的にでも占領ということになれば日本はどうするのか。朝鮮半島も魚雷事件が勃発している)●国会議員の仕事は何か、そのことを明らかにした上で選挙が行われなくてはならない。