2010/01/05

150年後の真実?

■確かに井伊直弼の“頭部”はどうなったのだろう■史実に詳しい吉村昭の「桜田門外ノ変」によれば「彦根藩邸では、藩主井伊直弼の遺体が首のないままではどうにもならず、首を至急取りもどさねばならなかった。藩邸から探索の者が出され、首を切り落とした有村次左右衛門が自害し、直弼の首は遠藤但馬守屋敷にあることをつたえた。彦根藩邸から遠藤但馬守屋敷へ井伊直弼の首を受取にゆくことになった。・・・首は拭いきよめられ、藩医岡島玄達の手によって胴に縫合され、遺体が奥座敷に安置された。」とある■この事件から明治維新まで8年である。政権交代ではないが幕末から維新にかけてドタバタはあったのかも知れないし、井伊直弼を恨む政府高官も少なくなかっただろう。密かに“墓荒らし”もあったかもしれない。今後の調査が待たれる■ところでNHKニュースも無い時代、人々はこの事件の全貌をどうやって知ったのだろうか■区の資料によれば、事件の数時間後、昼前には彦根藩領であった世田谷の代官屋敷に第一報が届いている。彦根藩とすれば、水戸藩との臨戦状態となり、急遽人員の調達ということで世田谷の屈強な農民が駆り出された、という。たちどころに変事は村中に伝わった■日本史上、まさにターニングポイントとなる大事件を庶民レベルで一番最初に耳にしたのが世田谷の先達だったわけである。