2010/12/30

衝撃!尖閣漁船衝突事件の真実

中国新聞(広島県を中心とする地方紙)のネットニュースに共同通信配信の記事が。これを読むといかに菅政権がこれほどダメなのか改めて驚かされるやはり政府は国会答弁でうその答弁を繰り返していたことになる国民も最初から、尖閣事件に関して、那覇地検があんな判断を勝手に下せるとは思っていなかったから、やっぱりであろう。この共同の配信は画期的な事実暴露である。東京ではいつ流れるのだろうか首相が休暇をとっている場合だろうか。出直し解散だろうと国民の一人として思う。


引用サイトはここ


事実上の指揮権発動 中国漁船衝突事件

低迷する内閣支持率、いっこうに進まない野党との連携。明るい展望を見いだせないまま来年の通常国会が迫る菅政権。失速のきっかけは9月に起きた 中国漁船衝突事件だった。政府は船長釈放の判断や対中国外交をめぐり迷走。水面下の動きを検証すると、中国の強硬姿勢に浮足立った首相菅直人が日中関係の 極度の悪化を恐れ、事実上の指揮権発動で中国人船長を釈放した経緯が判明。主導権を握っていたのは終始、中国だった。(敬称略、肩書は当時)

「中国と戦争する気か。このままではアジア太平洋経済協力会議(APEC)を開けなくなる。すぐに船長を帰せ」

国連総会が開催される米ニューヨークへの出発を目前に控えた9月19日。船長の即時釈放を要求する中国の強硬姿勢に、菅は冷静さを失い、周囲に怒声を浴びせた。

「首相は一体どうしてしまったのだろう」。取り乱した菅の姿に、官邸スタッフは頭を抱えた。船長の刑事処分について、官房長官仙谷由人は「国内法 で粛々と処理」と明言。検察当局も「証拠はそろっている」として起訴する方針だった。菅も了解している—。官邸内ではほぼ共通認識だった。

中国は対日圧力レベルを引き上げる。国連総会に合わせた日中首脳会談見送りも表明。11月に横浜で開かれたAPECに、中国首脳が欠席するという菅にとって「最悪の事態」をちらつかせた。

菅のけんまくに、政府の判断は「釈放」に大きく傾いた。この間、政府内では「法相に指揮権を正式に発動させ、船長を釈放するしかない」との意見も 挙がった。仙谷は指揮権発動による政治的混乱を懸念、この手法には二の足を踏んだものの、実態は“首相による指揮権発動”と変わらなかった。

◇   ◇   
末代までの恥
釈放を迫られた法務省幹部は官邸に泣きついた。「釈放理由に『外交関係に配慮した』という趣旨を入れさせてほしい。それがなければ検察として末代までの恥だ」。検察は起訴に絶対の自信を持っていた。

官邸側はこれを容認。那覇地検は9月24日の記者会見で「日中関係を考慮すると、身柄を拘束して捜査を続けることは相当ではない」と、異例の「政治的配慮」に言及した。検察当局のせめてもの抵抗だった。

しかし日本側の期待に反し、船長釈放後も中国側に軟化の兆しは見えない。釈放直前、日本の建設会社員4人が中国で拘束されていることが発覚。中国から日本へのレアアース(希土類)輸出停滞も判明した。

焦りの色を深める仙谷ら。事態打開を折衝できる対中人脈は存在しなかった。9月下旬、政府は仙谷名で「漁船衝突事件の処理でお願いしたいことがあ る」と、要人との接触を求める趣旨のファクスを中国側の複数の人物に送付。苦し紛れの呼び掛けが、逆に中国側に足元を見られる結果になったのは否めない。

非礼だ

「民主党政権には対中ルートがないから、こんな手を使うのか」。要人との会談を調整する際、長期間にわたって築いた人間関係がものをいう中国。い かに人脈不足とはいえ、ファクス1枚で会談を申し込む日本側に中国側は「非礼だ」と憤慨。菅外交の底の浅さをさらけ出してしまった。

9月29日、仙谷の「密使」として北京を訪問した民主党前幹事長代理細野豪志は、中国国務委員戴秉国との会談にこぎ着けた。仙谷の知人で中国通の経営コンサルタント篠原令も同席していた。

細野「漁船衝突事件とは別問題と認識しているが、拘束された日本人4人の処遇はどうなるのか。政治家として気にかかっている」

戴「お気持ちはよく分かる。1人はもう少し取り調べるが、3人は明日釈放します」

余裕の表情で語る戴。言葉どおり、3人は翌日に釈放された。10月9日には残る1人も釈放。関係改善に向けた中国側の「メッセージ」とも読み取れたが、優位に立っていたのは中国だった。

外相外し

日本外務省は一貫して蚊帳の外だった。外相前原誠司が「対中強硬派」として中国側から忌避されていることを危ぶんだ仙谷の“差し金”。「外相は了解済みなのか」。細野の北京入りを知った周辺が尋ねると、仙谷は「前原には何も言わなくていい」と言い放った。

11月13日、横浜市の国際会議場。菅はAPEC議長として中国国家主席胡錦濤会談に臨んだ。9月7日の衝突事件発生から、約2カ月間の混迷を経てたどり着いた「晴れ舞台」。

「心から歓迎する。わが国と中国は一衣帯水(の隣国)だ」。菅は、手元のメモに目を落としながら自信さげに言葉を連ねた。






民主党都連の実態


都政情報で一番読まれている「都政新報」の12月24日号で民主党の都連の特集が(左記事・クリックで拡大)タイトルは「こんな体たらくで首都決戦が戦えるのか」という激励調だが副題は「民主党東京都連ガバナンス崩壊」という極めて辛辣なもの内容は政権同様、何も決められない都連の実状を明らかにし、その理由として、ガバナンス能力のない国会議員が威張っている構図と、それに従うしかない地方議員の不満、そして“手塚アレルギー”なるものの存在が書かれている詳細は下にそれにしても来春の区議選に民主党は現職8人に対して新人9人を加え17人の擁立を目指そうとしている。まさに“政治は数だ作戦”実は現職の8人にしても7人が一期であり二期は1人。議会ではもっぱら中堅以上が育たない会派ではないかと思われているそれも都政新報の記事を読めば納得である。地方議員を大切にしない党は時代遅れの集団である。

都政新報の記事全文

 菅派vs小沢派の対立で、不毛な混乱が続いている民主党。菅首相のお膝元の東京都連は、その国政の影響をもろに受け、新執行部人事をなかなか決められないなど迷走中。まさに「ガバナンス崩壊」と言っていい。この体たらくで、来春の首都決戦が戦えるのか。

「都連会長は、いつになったら常任幹事を決めるんだ!」
11月26日、「統一地方選勝利 都議会民主党の集い」が京王プラザホテルで開かれた。しかし、華々しい舞台で都議たちは“必勝″を叫びながらも、内心は不満で爆発寸前だった。
都連大会があったのは10月12日。それから1カ月以上経過しているのに、加藤公一会長、和田宗春幹事長、酒井大史政調会長、副会長以外の執行部体制が宙に浮いたままだったのだ。常任幹事会が開かれないので、重要案件は決定できず、都連の統治機能はマヒしていた。
今年の都連大会は、開催前から波乱含みだった。9月の民主党代表選が尾を引いたのは間違いない。
菅vs小沢の戦いがヒートアップし、都連会長選挙は“代理選挙″の様相になった。菅派の加藤公一首相補佐官と小沢派の松原仁衆院議員の2人が立候補を届け出、それぞれの推薦人名簿には「親菅」「親小沢」の面々がずらり並んだ。
結局、大会直前になって、菅首相が自らの東京への影響力を維持しようと強引に分け入って、加藤氏が都連会長に決まったという経緯だった。
だが、その後も火種はくすぶり続けた。この対立には、表面的な「菅派vs小沢派」「加藤vs松原」だけでは語り尽くせない複雑な二つの“裏構図″が見え隠れする。

一つは「国会議員vs都議団」の対立だ。会長選に松原氏擁立を進めたのは、実は都議団でもあった。
「民主党は、国会議員中心にトップダウンでできた政党ということもあり、自民党に比べて地方議員の権限が小さい。都連幹事長をずっと国会議員がやってきたが、都議会で第1党へ躍進し、都議の人数がこれだけ増えているのだから、幹事長は都議団にという思いがあった。松原会長なら大沢昇幹事長になるはずだった」 (都議会関係者)
結果的に、今回初めて幹事長が都議から選ばれはしたが、「大沢都議会幹事長の都連幹事長就任」という要望は通らず、都議団には国会議員に対する不信が少なからず残った。
もう一つの“裏構図″は、「手塚仁雄衆院議員vs都議団」である。加藤会長は首相補佐官で忙しく、事実上、同じ菅派の手塚氏が実権を振ろうとしている。しかし、都議団には“手塚アレルギー”が根深い。「代表選の際『小沢をやるなら、今後選挙ポスターに蓮舫とのツーショットを使わせない』という倣慢な態度だったことが決定的」 (ある都議)だという。

こうした複雑な対立構図が、新執行部人事の迷走に拍車をかけた。関係者からは、こんな声が聞こえてきた。
「会長選を降りた松原氏が会長代行になるのは決定済みだったが、手塚氏も会長代行にという話が浮上し、もめた」
「常任幹事は、国会議員と地方議員を同数にという暗黙の約束があったので、人選が難航した」

混乱に混乱を極めた結果、ようやく12月8日、都連役員と常任幹事が決定したのだが、そのメンバーは正直、唖然だ。

会長代行は松原氏1人に収まったものの、副会長が総勢11人。それも国会議員は、菅派が独占した。統一地方選については、松原会長代行が「統一地方選対策統括」で、手塚筆頭副会長が「統一地方選対策担当」と、似たような二つのポストが設置された。

そして、最も驚くのは、常任幹事の人数の多さだ。国会議員29人、地方議員29人(都議12人、区市町村議17人)の実に58人。この人数で会議して、一体どうやって意見集約するのか。さすがに事務方や国会議員秘書たちもあきれ返っていて、「これじゃあ幼稚園」 と椰掩するのである。
東京都連は、菅首相のお膝元だ。都連の混乱は、突き詰めれば、民主党の菅執行部の混乱、菅政権の混乱の延長線上にある。内部のポスト争いや、好き嫌い人事に明け暮れていると、民主党に対する国民、都民の信頼は失墜する。ガナバンスが崩壊した政党に、国政や都政を任せられるはずはない。
このままでは、民主党が都知事選、統一地方選で苦戦するのは必至である。
 

2010/12/29

いまや民主政権そのものが無駄に

民主党は今や、誰の目からみても政権担当能力がない有権者の思いは一刻も早く解散総選挙で“選び直したい"ということである今となっては、選挙でダマして当選した政党を許さないという被害感情の方が大きい左はその“証拠"であろうさらに民主政権は主義主張の全く異なる政党に連立を打診するなど、有権者の意思に背く行為を平然と行っているもはや私利私欲のために政権を乗っ取っているとしか思えないしかも“内紛三昧"で政府は機能していない。これらの損失は目に見えない分やっかいだ。しかし“見た目重視"の政党では眼中にないのかも知れない世田谷区においても「子ども手当」の発案者として小宮山洋子衆院議員の責任が問われてしかるべきである少なくともこの「子ども手当」の失敗について、冷静に分析できないような民主党の地方議員は、何の反省もなく現政権のお先棒を担いでいるということである・・・過去の子ども手当批判はその1はここ。その2はここその3はここ。そして決定の経緯はココ。

2010/12/25

区議半減ぐらい可能・・・

世田谷区の議員定数が50になったことを23区的に考えてみる現在23区の区議会議員数は913名。その中で世田谷区の議員定数は50名でも一番多い。もちろん都内最大の人口を抱えているからという事情もある一方、その人口比で見れば、逆に世田谷区の議員数は最もスリムということになる。このスリム度を23区にあてはめると、現在の913名の区議が512名まで減らせるから驚きである(44%減)もっとも人口4万人の千代田区など議員数が3人になってしまうので調整が必要にり、議会の規模(議員数)が問題となろう税収が維持できない地方自治体にあって、世田谷区のように人口84万人で50人議会ということであれば、人口70万人規模なら40人議会に、人口50万人なら30人議会にということであるここから考えれば議会が機能する議員数と人口規模が想定されるかも知れない。そのためには再編は必要であるすでに23区の再編と首都圏の独立(道州制)は財政的に避けて通れない道である要するに現状の23区の(世田谷区以外の22区のことだが)区議会議員数は余りにも多すぎるということであるちなみに現在の23区平均の議員数を人口比で割り返すとと世田谷区では何と90名の区議が“必要”という計算になるそんなバカなということである。しかも22区で区議の数が多ければ多いほど、実はそのコストは世田谷区民の税金(固定資産税他)で負担している、ことになることは、ほとんど知られていない22区は再編でも何でもして区議の数を半減するくらい努力をすべきだと思う。

2010/12/23

問題先送りは高利の借金と同じ

政府は統一地方選で民主党が勝てないということで、トンでもないことを連発している。問題の先送りオンパレードだ問題の先送りでは財源がもたない財源問題を解決するのが政府の仕事である。現在の政府はかつての夕張市長と同じ、将来のツケをどんどん増大させている政府のトップを選んだのは紛れもなく民主党の議員である。党員でもサポーターでもない国民は、指を加えて民主党の代表選挙を見ていただけであるその財源問題を解決できない政府を選んだ責任を問われるのは当然のことだと国民は考えている。さらに財源問題を隠して政権交代をしたことへの責任も解散総選挙がない以上、統一地方選で決着をつけるほかない民主党政権は何をしようとしていたのか。子ども手当はすでに破綻して来年度の実施すら危ぶまれている。医療・年金問題は悪化の一途で何も解決されていない総理大臣というのは機密費使って毎晩高級店で豪遊し、国民には“花咲じいさん”のごとく歓呼の嵐で迎えられる夢のような権力とでも思っていたのだろうか税金の無駄遣いとは、問題先送りで、いかにも解決したように見せている、つまり仕事をしていない民主党政権ということになる。

2010/12/21

お金と時間の使い方を知らない政権

世田谷区の子ども手当。今年度が約120億円。これは今年度が10ヵ月分しか払われなかったからで、来年度は12ヵ月分として約140億円になるさらに3歳までの増額ということで総額約155億円規模となるしかも1年限りの時限立法であり、現在の政局からして果たして予算案、関連法案が通るのか、である総額155億円というものは(世田谷区としてこのうち負担するのは旧児童手当の負担額に相当する約7億円程度)ほとんどが国の借金であり、今回の3歳までの増額分は成年扶養控除の減額によるものである要は子ども手当の財源は借金と増税なのであ世田谷区の予算規模は約2500億円である。そのうち世田谷独自で工夫できる予算は1割から2割程度と言われている。しかも税収は落ちている。その中にあってこの155億円のバラマキは大きい保育園作るのに十万、百万単位の苦しい議論をしている中で、国からの子ども手当155億円が世田谷区の予算書を通過してばらまかれる、という予算委員会を経験していると、何とも言えないそれも国がホイホイ借金してというから堪らない民主党は本当にお金の使い方を知らない、そして時間の使い方も知らないようである。(この時期に内紛だもんなぁ)

2010/12/20

民主公約財源破綻

政局は蠢動しているものの、政治は停止しているすべては財源無視の“選挙至上主義”が原因である特に「子ども手当」が元凶となっている。当の中学生ですら将来のツケはいらないと、困惑しているくらいだしかも子ども手当の新法はまた来年限りの時限立法ということである。恒久法にもない制度など少子化対策とは呼べない直ちに「子ども手当」を改め、男女が働きながら安心して子育てできる環境を財源の範囲で進めるべきである。これは地方自治の現場からの声でもあるその意味からも、「子ども手当」を安易に発想した政治家、それをバラマキ選挙に利用した政治家、そのバラマキのために税制を無茶苦茶にした政治家(相続税の控除を少なくしたために世田谷区の残された緑はどんどんマンション化することは必至)は財政犯罪の重要参考人である。

2010/12/18

都議会解散も

18日の毎日によれば石原都知事は来年度予算が通らなかった場合、都議会の解散に言及したという恐らく現実にそうなるだろうそれに対し民主がどこまで主張を貫くか、それはそれで統一地方選に影響するから妙な妥協は許されない。

定数削減の流れは避けられない

17日の朝日によれば、どこの議会も議員定数の削減をやるか、やらないかという決断の問題であるという世田谷のように区民に知らせて公聴会を開かなければ議員定数の議論をしてはいけないなどという変わった考えの議員はいないようだ記事では穂坂邦夫・地方自立政策研究所理事長の言葉として「財政は今後一層厳しくなる。首長側もパブリックコメントなど、民の意見を反映する制度を取り入れており、定数削減の流れは避けられない」と述べている。大方の有権者の心情も同じものだと思う。

2010/12/17

目黒ショック?

蓮舫氏の夫(パートナー?)が来春の目黒区議選を目指すそうである。あわせて蓮舫氏も衆議院に鞍替えありとかそれにしても蓮舫氏の夫というだけでマスコミは騒ぐのだろうし、たちまち注目を浴びるのは間違いない。世襲とは異なるが、妻の七光りは疑うベくもない民主党ってそういう党だったのかとちょっと違和感も。もっとも危機感を抱くのは同じ目黒の民主かも小選挙区と異なり一人に集中したら大変なことになる。大変だ。

財源は?

上は16日のNHKニュースウオッチから(64秒)。現政権がいかに、いい加減でコロコロかということで、笑われている(笑っている場合ではないのだが)前政権を批判し打倒を掲げながら、前政権が水面下で必死にバタバタと財源探しに奔走していたことを見逃していたツケが襲っている(もちろん前政権がやったことは借金につぐ借金で、それも官僚まかせであったことは事実である)財源は無駄遣いや特別会計から幾らでも持ってくる、と豪語していたのも簡単に言えば世間知らずに過ぎなかった国の財政制度にまったく疎い人たちが政治にかかわることほど危険なことはない。そのためにも有権者が、財源はどうするか、こういう思考回路を常に持つ必要がある制度というものには常に財源が伴うこと、そしてその制度の集合体が国という制度になるということに理解が及はなければ、国政は語れない逆に言えば、財源がなくなれば制度が維持できなくなり、国が弱体化するということであるもっとも国が弱体化しても個人が存在すれば良いという考え方もあるが、それはベストセラーでも書ける一握りの個人にすぎないそういえば、昨今は制度によって守られている人に限って、財源は知らぬ存ぜぬ無関心、という人が増えている。しかも言いたい放題制度は永遠ではない。財源がなければ、それだけである。裁判に訴えようが、勝訴しようが、財源がなければ、それだけその怖さを知らなければ国政も地方自治にも向き合えない「ない袖は振れぬ」という現実と向き合う師走である。

2010/12/12

ツイッター選挙

12日の毎日新聞によると、先月末に行われた金沢市長選で事実上ツイッター選挙が解禁されたようである記事によれば候補者の秘書が選挙期間中に投票を積極的に呼びかけていたという次点との票差は5万8千弱と5万6千強で1千3百票ツイッターでの呼びかけは投票締め切り間際まで行われ、ある投票所では「投票日の午後6時過ぎから若い人がどっと投票に来たところがあった。初めて見る光景に驚いた」結果、このツイッター候補は金沢市長に当選問題の核心部分は、選挙期間中に金沢市選管はツイッター陣営に中止指導をし石川県警に連絡したが、県警は警察庁と相談した結果、公選法違反の警告はしなかったという点県警幹部は「判断は難しい。ネット選挙解禁の流れから、いま立件するのはどうかというところもある」ということ地方の事情もあるのかも知れないが、ここまで報道されると、警察庁や県警の対応もどうだったのか問われるかも知れない。

2010/12/11

蓮舫氏の「子育ては親の犠牲」という見方はおかしい

中学生「子ども手当はバラマキ」記事内容の詳細がわかった12月11日付で蓮舫氏が『蓮舫レポート』で紹介しているその部分を一部引用すると
「最初は< 子ども手当て >。生徒代表4人が前に出てきてスピーチしました。この時点で生徒たちが下した判定は全員「廃止」(涙)。理由は、
「生活保護世帯にも普通に暮らしている世帯にも、というのはおかしい」
「保育園などの増設に回して、待機児童をなくすべき」
「そうすれば母親が働けて、税収が上がる」
「ばらまきだ」
「理念はいいが、財源がない」
「生活費の穴埋めにしかならない」
「中身のない制度、だからころころ変わる」
 などなど。」 
まさにこの『蓮舫レポート』を読む限り、よくぞ言ってくれましたと我々有権者が拍手を送りたいくらいの、整然とした中学生の主張である。蓮舫氏はこのことを「手痛くやりこめられた」と表現しているが実はこの「蓮舫レポート」ここから先が興味深い。(是非みなさんに読んで頂きたい)、ここから蓮舫先生が必死の“説得”を試みるのだが、その結果、廃止が4分の1、存続が4分の3に逆転するではどんな“説得”(反論ではないところがミソ)をしたのだろうか。蓮舫氏は最後でこのように述べている。「親は自分たちのために何を犠牲にしたのか、リアルに知ったから意見が変わった子が出てきたんです。」これには首を傾げざるを得ない。もちろん何時間かの出来事を数十行のレポートにしたのだから、細部まで掴めないのは当然としても、“親はあなたたちを育てるのにいろんなものを犠牲にしているんだから”、という“説得”はどうなんだろう私は、仮にそのような雰囲気で蓮舫氏が例の調子で威勢よく言ったとしたら、それは“恫喝”に近いことであり、中学生に対して、“親の世話になっておいて、あんたたち何言ってんのよ”という対等の議論の前提を吹っ飛ばして、いるようにしか思えない少なくとも、子ども手当に関しては、冒頭の中学生の主張に対して一つ一つ“反論”(説得ではなく)するのが正しいやり方だったろうと思う。是非、本人が書かれた蓮舫レポートを読んで見て下さい。あなたはどう感じますか?

有権者だって疑問を感じる子ども手当

中学生だけではない。親世代だってこのような投書をするぐらいである。投稿者とは面識はないが、大方の世田谷区民が感じていることである。蓮舫氏もたまには新聞の投稿欄に目を向けてはどうか。

2010/12/10

いい加減な子ども手当の決定

詳細についてはここをクリック2010年2月28日の毎日新聞に詳しい。

世田谷区民狙い打ち

子ども手当の財源捻出で、ついに相続税の基礎控除を引き下げるというまさに「控除から手当へ」ということで、この発想でいけば相続には全額課税されるということになり、世田谷に住居を有する区民は軒並み課税ということにもなりかねないこれは全国に比べて地価が高い世田谷区それも住宅都市を謳う世田谷区としてはとてつもなく痛いもともと制度設計がないまま政権交代の勢いで始まった子ども手当これを発案したのは御当地国会議員小宮山洋子氏で、現厚労副大臣である財源がなければ単なる思いつきに過ぎないそれよりも何よりも、子どもたちが、子ども手当はバラマキだと主張しているのだから(左下記事)愚策としか言いようがない要するに民主党および小宮山洋子氏の発想は中学生レベルでも否決に値する内容だということである。中学生には少なくとも日本の借金だらけの財政というものを理解しているのだろう財源なんかどこからか湧いてくるという財政オンチの議員は、高度経済成長時代の政治遺物でしかない。

2010/12/09

地方政治から作り直そう

今のような政権では罵声の一つも民主党関係者に浴びせたくなるのだろう結局、政権交代と叫びながら、実力はそこまでで、政権交代の受け皿が全く準備できていなかった、ということに尽きる古い家を壊したものの新しい家が作れず、国民は雨風に耐えながら、どうにかしろーと叫んでいるのである要は、受け皿をしっかり作らなくては日本の政治は前に進まない、ということである。できもしなかったことの言い訳を考えるヒマがあったら、しっかりした受け皿を準備することが政治の役割であろうそのためには地方議会からしっかりした政治風土を作り直さなければならない。地方議会こそが実は政治の受け皿作りのDNAを作る場所である誰でもなれるけど、誰でもが務まるとは限らない地方議会にしなければ、区民生活のインフラとしての政治がどんどん劣化していく。果ては国政が機能不全に陥ってしまうのである民主党の地方議員に浴びせられた罵声の意味は、ダメ社長の会社の社員なら、とっととダメ社長以下の経営陣を変えて会社を一新しろ、という意味と、もう一つ、いつまでもあんなダメ社長のいる会社に居るなーどういうつもりなんだ、という二つだろう前者ならたとえ現経営陣を一掃しても金権相談役と金満前社長が復帰するだけ、という結論が見えている。若いなら後者も・・・急がば回れである。政治の一寸先は闇深しである。

これらは禁止です。予定者も同罪

(↑上記クリックで拡大)特に、「あいさつだけで引き上げてしまう会合にほかの参加者と同じ会費を出したりすることは寄附にあたるおそれあり」ということつまり会合のハシゴはできない。注意しましょう。目を光らせましょう。ルールを守って明るい選挙の実現!

2010/12/08

千歳烏山駅周辺が変わる


千歳烏山駅駅前広場都市計画素案の説明会が行われる千歳烏山駅が高架になるのに伴う再開発事業。高架になるのは踏切解消が目的であるで、実際どうなるのか、といえばまだ素案段階であるので、こんな感じの資料しかない(赤色の部分)それを地図に重ねてみたのが上図(これは私が勝手に重ねたもので公表されている資料ではない)それによると通称八間道路(補助216号線)が甲州街道方面に延伸する。今後はこの通りが車通行のメインになる。それにつながる形で駅南口に大きなロータリーが造られる。図中央の赤い多角形の部分(このロータリーを街路14号線と呼ぶらしい)このロータリーが半端じゃない。シミズヤから南側にワンブロックぐらいの大きさとなるがある通りが現行の踏切通りである。駅前のたちばなは駅ビルの用地になるようである資料にはないが、駅ビルは相当南側の用地を取得するとのことで、しかも現在一方通行になっている旧昭和信金の前を拡張して両面通行も考えているとかとにかく高架にするにも底地の拡張、高架下を駅ビルに(八幡山駅のように)するにも敷地拡張が必要で、さらにいまだ未完成の八間道路の問題もあり、完成は現段階では予測がつかない。あくまでもこれは素案であり区民意見によって実現は左右される。

2010/12/06

徹夜議会余話(ここだけの話)

今回の徹夜議会に至る経緯は、大会派の某議員の「一言」がそもそもの発端その「一言」に火がついて世田谷区議会史上初の「おはようございます」で本会議が終了するという異例の事態にまあ、議論が活発になることは良いことであるが、あの「一言」さえなければなぁ、と思いながら夜明け前の家路についた議員は少なくなかったはずまさに政治の場の「一言」は巨大な労力を求めるものである。新聞には決して載らない話だけど。

世田谷徹夜議会

世田谷区議会の徹夜議会の模様が東京新聞に載っていた議員定数削減に反対したグループによる“意趣晴らし”のようなものであったとは言え、感情的な対立がムキだしとか、乱闘のようなものがあったわけではない。粛々と議論や質疑が進み、十分な議会進行が保証され、膨大な議事録が作成され、最後に委員長報告がされて午前5時5分に議会は終了したなお記事にある徹夜が13年ぶりというのは、平成9年9月24日のこと。この日は午後11時53分に終了している。当時は感情的な対立から懲罰合戦のような事態に陥って紛糾した。

2010/12/04

議員定数削減52→50へ

 ■議員定数を1割減らそうという運動はかれこれ12年以上もさかのぼる。(その当時からコツコツと議会で主張し続けた)当時の議員数は55。1割減とはこの55を50にしようという動きであるしかしストレートにはいかなかった。8年前の削減では55を52にすることとなったそこで削減推進派として、さらに52を50にすることは残された課題ということになっていた議員定数に関しては、共産、生活者ネット、社民が反対してきた(共通するのは経済情勢の認識不足?)区民の意見を聞かないで議員数を減らすのはとんでもない、という論法で削減を阻止しまくるのである52から2を削減して議員定数を50にすることは、大方の民意であろうし、むしろもっと減らしてもいいというのが大半である。にも係わらず、そのことについて公聴会を開いて区民の意見を聞かなければ、わからないじゃないか、というのが共産、生活者ネット、社民、そして木下議員、上川議員の主張である公聴会を開かねば民主主義が破壊されるかのような論理を持ち出されては、こちら側も丁寧な対応をせざるを得ない(ここは昨今の世田谷区議会の進歩?他の議会ではわからんちんは無視されるのが大半)それで記事にもあるとおり、会期延長をして夜中から深夜そして早朝まで議論を続け、終了したのは明け方の5時5分お陰で土曜議会の開催という懸案事項も達成してしまったし、役人答弁なしの議員同士のマラソン議会という記録も樹立議会進行は異例づくめで批判点もあるものの、相手の言い分を真摯に受けとめ議員同士が発言することは良いことだと思った。中には1人だけ茶化したり人を罵倒するような不規則発言を繰り返す場面が何度も何度もあったのは議会の汚点であった共産、生活者ネット、社民、そして木下議員、上川議員がいくら理屈を並べ立てても、区民の目は正直で、理論上の正しさは仮に許容できても結局、議員は自分たちに不利なることはやらないと思われるだけである一方、私たちの「みんなの党・世田谷行革110番」ほか自民、公明、民主の超党派は、議員が保身の姿勢をとり続けている限り、この財政難の折、様々なコストカットに手をつけられないし、理解も得られないだろう、というのがほぼ一致した見解であるおおまかにくくれば、“財政オンチの理屈好き派”と“財政重視の経済感覚派”との相克と私は見ているのだが・・・とにもかくにも、12年前からの議員定数1割削減、55→50が達成できたのだから、それなりの感慨を胸に早朝の帰宅となった。帰宅したらポストに朝刊が。約6時間前のことが記事になっていた。
議会進行の詳細はみんなの党の田中優子議員のブログを参照

2010/11/30

松戸ショック 民主現職全滅の衝撃

すごいことになっている。民主党関係者は誰も口にしないが、先ごろ行われた松戸市議選の結果である(左は26日付の都政新報のコラム)民主党市議の現職が全員落選というとんでもない結果に投開票日は11月21日のこと。詳細を知り合いに聞いたが、民主党は公認で11人出したものの、当選したのは新人2人だけ。現職4人を含む9人が落選という結果にJRや連合の関係者が連日何十人ものサポーターを動員して駅を占拠するようなにぎやかな光景もあったとか。それでも落選当選した1人は選挙カーを使わず自転車で回った一番若い候補とか。現職の落選者には供託金も没収という惨状もあったとか。供託金没収は一般的には泡沫候補ということである構造的には候補者バブルが原因であるが、政権党となった民主党への批判をモロに受けた形これを受けて、民主党から無所属へ鞍替えする動きもあるとか(でもまさかね)

2010/11/28

動かせても、働かせない菅政権

単に言葉尻を取られたにせよ、総理のイスにしがみつく菅氏の“保身”が透けて見える先般の「石にかじりついてでも頑張りたい」発言と軌を一にする流れである結局、民主党政権でわかったのは「政治は権限ではなく人格」という普遍の事実に突き当たる国家の運営職人である官僚を権限だけで動かせば、その範囲でしか動かない。しかし人格で認めさせられれば権限に付随する動きも含めて働くつまり、菅政権は官僚を“動かしている”に過ぎず、“働かせて”いないということだ動くと働く、その違いは天と地ほどである。

2010/11/26

みんなの党・世田谷行革110番デビュー

 
11月25日の世田谷区議会本会議での一般質問の質問部分(答弁編は下に)質問内容は以下の通り。
管理職印(ハンコ)について
梅ヶ丘病院跡地利用計画における民間活用とは何か
区民意識調査と政策
百年単位での災害対策

答弁編

 
■官僚気質丸だしもある様々な答弁。世田谷区の隠している矛盾を暴露して噛みつくおおば■ 原稿棒読み質問ではない、世田谷区議会でも数少ないバトル。ただし本質は区役所機能のチェックだ。忘れた頃にやってくる首都直下地震も認識をあらたに。

みんなの党・世田谷行革110番 結成について

田中優子議員のブログに詳細がありますのでそちらをご覧下さい。

また渡辺喜美代表率いる「みんなの党」が認める名称使用は世田谷区議会では、田中優子議員所属の「みんなの党・世田谷行革110番」だけ。現在、許可無く名称を使用している世田谷区議会議員についてはこちらをご覧下さい。(どの世界でもバッタもんにはご注意!)

2010/11/22

世田谷区の24時間サービス介護

22日夜のNHKで、24時間ヘルパー派遣の取り組みが紹介。先月の福祉保健常任委員会でかなり突っ込んだ議論がなされた事業25日の質問の題材に使う予定だったのでグッドタイミングの放送だった。

2010/11/21

川場村のCM

20日夜の番組「スマステ!!」で専門家による「道の駅」ベスト10をやっていたがそのトップに川場村の「田園プラザ」が選ばれていた言うまでもなく川場村は世田谷区の“姉妹自治体”である。

川場村CMその2

川場村のお米は、あの魚沼産にも負けないくらいおいしい。また宮中行事にも川場村の農業関係者が務めているというほどの名門であるこの田園プラザは川場村の産業展示場でもある。利根川水系の源流の一部であり豊かな水源と上質な水。そこから産まれるお米やビール実はここでは紹介されていないが、川場村は山林をかかえる村である。日本の林業を考えさせられる場所でもある基本的に川場村は観光地としての資源は乏しい。夏は暑く冬は寒い。温泉も冷泉である。取り立てて景観があるわけではない。つまりリゾート地という期待は村側もそれほど考えていないそこで考えられるのが世田谷区と川場村との補完性である。そして160キロという距離をどう考えるかだろう。ちなみに川場村の副村長は元世田谷区の部長が就任している。

2010/11/20

すぐとりかかる課(皮肉を込めて)

本日、新聞折込の「せたがや区議会だより」227号に掲載された決算意見での「すぐとりかかる課」を創設せよ、が好評役所の、自分たちが何でも知っている、という態度や、考えても無駄という思考方法を改めねば、地方政府としての区役所は停滞するのみ。(なお記載はせたがや政策会議ですが、この定例会のあとに「みんなの党・世田谷行革110番」に会派変更し、ここでの意見はそのまま引き継ぎます)今後とも月並みな発想ではなく、考えに考えて行政を刺激的にインスパイアします!

2010/11/19

もはや“官”政権

朝日の天声人語によれば『法相の「二つの答弁」は官僚の入れ知恵だろう。役人の授けた「弾よけ」に隠れて質問をかわす。昔ながらの図は旧政権と変わらない』とあるその役人の授けた「弾よけ」を自慢げにしゃべった。ウケ狙いとしても、日本国の法務大臣自身が話すのだから、私は無能ですと告白しているのに等しい他に人材はいないのだろうか19日の東京新聞の本音のコラムで佐藤優氏は偏差値秀才のことを次のように述べている『記憶と復元の技法に長けているが、試験で測ることができない他人の気持ちになって考えることが苦手だ。これが「勝ち組」の限界なのだ』民主党の若い人材が本当に、現在の法務大臣で良いのか、他人の気持ち即ち国民の気持ちになって考えられなかったら、それこそ民主党の限界ではないだろうか。

■ちょうど3年前の11月。自民と民主との大連立構想が潰され当時の小沢代表が行った辞任表明が重い「・・・ しかしながら、民主党はいまださまざまな面で力量が不足しており、国民の皆さまからも、自民党は駄目だな、民主党も本当に政権担当能力があるのか、という疑問が提起され続け・・・」■日本の悲喜劇は、嫌いな人が実は自分を一番理解していたかも知れない、というアンビバレンスにあるのかもしれない。

2010/11/18

言っちゃったではすまない 国の責任ある立場の発言としては

外交無策で国民も不安を感じている折に、日本の自衛が、暴力行為と同じレベルで語られる恐ろしさを感じていないのだろうか。しかも最高指揮官を補佐する立場の官房長官が公言するとは撤回しても本心だと、外国からは思われてしまう。国民の安全をどう考えているのだろうか。国民を危険にさらす閣僚は罷免。※もちろん考え方の上で軍隊=暴力装置という論はあるが、当事者が自衛隊は暴力装置と発言するのは論外。

2010/11/17

こんな人が死刑執行のサインをしていいのか?

要するにこの人は鳥のオウムでも法相は務まるとでも言いたいのだろうか。まことに愚かの極みであり、しかもことの重要性についてまだ自覚していない問題なのは民主党として、こういう人物を閣僚から排除する能力が欠けていることである。誰が見てもこういう発言はアウトだ。しかも上掲はNHKニュースであり、本人も知った上での発言であるこの発言が裁判の公正さを保つということに対して重大な疑義を生じさせたという点において、法相失格である。

2010/11/16

議員定数 削減へ 世田谷区議会

世田谷区議会の議員定数を50にする改正案がいよいよ出される本日の議運で今月24日から始まる第四定例会で過半数を超える提出者数(27名)による提案の報告があったもちろん私も提出者となっているこれで10年来主張しつづけている議員定数削減が最終実現することになる当初は議員定数は55。そこから一貫して議員定数50を主張してきたが、平成14年の改正で52になり、さらに今回やっと52から50になった事実上、会派ごとの賛否ということになっているので、提出者から見れば、自民、公明、民主、一人会派が4名、そして本日結成した『みんなの党・世田谷行革110番』ということになり、37名が議員定数削減賛成ということになる。あとの14名は態度未定か消極派ということになる。

素人のぼやき

民主党の大幹部(元幹事長)が「与党がこんなに忙しいとは思わなかった。政治主導なんてうかつなことを言ったから大変なことになった。何より欲しいのは、ゆっくり考える時間と、ゆっくり相談する時間だ」と大勢を前に講演したというこれが民主党政権のホンネであろう実は、政治の動かし方というのは、官僚・役人から学ぶのである。当選したからすぐに議員とか政治家になるわけではない。初当選後はだれでもが素人にすぎない。その素人が政治を体得するには官僚・役人をサンドバックにして叩きながら覚えるのが効率的であるしかし叩きながら覚えるよりもっと簡単な方法がある。それは官僚・役人の言いなりになることである。これが一番楽ちんな方法なのである民主党はそもそも官僚・役人の叩き方も知らない、かといって言いなりにもならない、そういう中途半端な状態にある。つまりいつまでも初当選直後のまま、素人のままということである政治の勉強は、一にも二にも役人研究が基礎だということを知らなければ次の政治には進めない。選挙はスタートにすぎない。選挙至上主義ではいつまでたってもスタート地点から出ることができない。

2010/11/15

農業の開放 税金の生きた使い方

 
上掲は11月9日のNHKニュースウオッチ9の一部。APEC会議を前にして、TPPへの対応が問題になっている時のもので、結果として日本はオブザーバーという奇妙な位置を表明したAPECは努力義務、TPPは法的拘束力だから、大変なのはわかるが、それならば農家の戸別所得補償政策など何のために行ったのか、政権は問われる。その政権がTPP参加の足止めをしているのだから世話はないこのNHKでは、まず過去の農政の失敗を後悔する政治家から始まる。結果として莫大な農業を強くする予算が組まれるのだが、その使途は公共事業費となり各地に温泉と農道が整備されただけということで、ちっとも日本の農業はかわらなかったということである莫大な税金がその場だけの効果であって、その後に続かない、という指摘は重要だ番組ではTTPのほかに様々な選択肢があることを紹介している先般、日本の農業地帯を見てきたが、公共事業は野放図な形で展開している感じがした現在の問題点は税金が本当に「生き金」として使われているかである。農業振興対策費として、従事者が高齢化しているから、あちこちに温泉施設を作ることが優先される税金の使い方こそ問題なのである税金は大切に使われなくてはならない、当然のことである。しかし、そのことだけが強調されると、確実なものばかりしか使われず、可能性のあるものへの支出は避けられる役人は確実なものばかりが好きである。責任を問われないからである。経済大国2位の日本の凋落は、役人の責任回避から来る税金の使い方にある。可能性のある使い方こそが投資に値するのだが。

2010/11/13

首都直下地震の勉強会

天災は忘れた頃に、という訳ではないがちょぼちょぼ勉強をしている復習も含めてアタマの整理をしなくてはらない。阪神・淡路と中越との比較では、これは議会でも取り上げて主張したが、阪神・淡路は余震が少なく、中越では余震が多かった、このことに関して、リアリティーのある次の話が興味深かった中越は夕方6時前に発生した。ちょうど夕食時であったので多くの人が家の外に飛び出した。そしてその数分後に本震に匹敵するほどの余震が起こったので、家の外に飛び出した人たちは、自分の家が激しく揺れるのを見てしまったというのであるこの“揺れるのを見てしまった”ことが避難者を多くした阪神・淡路と中越では災害規模は違うが、避難者の率では中越は阪神・淡路の10倍にも及んだ確かに映像でも自宅の近くで、或いは学校の校庭でクルマの中で過ごす家族が映っていたなるほどなぁ、と。余震があることは承知していたが、恐怖感から避難者が増大するという、特に自分の家が揺れているのを目撃した恐怖というのはすごいさらに今回、全く理解していなかったことに気づかされた。上掲は防災会議の資料だが、首都直下型地震、今後30年以内の発生確率は70%といわれているが、それが一つのゴールのように感じていたが、間違いだった地学的に見れば、現在は地震の静穏期から活動期への移行期であって、M7クラスの首都直下型地震が今後30年以内にドカンとやってきて、その後20年以内にまたM7クラス首都直下型地震がドカンとやってきて、その次の20年から30年以内にメガ級の大地震がドッカーンとやってくるのだそうである。波状攻撃である要するに活動期というのはそういうことだそうで、今まさに活動期に入っているということである。簡単に言えば最短で今後70年くらいで3回くらいの首都直下型地震を覚悟しなければならないということいやはや、そういうことなんだ、と正直驚いてしまった防災まちづくり、どうすればよいのだろうかすぐできる教訓、寝室には家具を置かない。

2010/11/11

真相暴露 中国との取り引き

ジャーナリズムも刺激を受けたのか、毎日新聞に署名記事で今回の尖閣ビデオの裏事情を“公開”しているそれによれば政府は中国側と“取り引き”をしていたのだというつまり日本側はブリュッセルでの日中首脳会談(10月4日)を実現するかわりに「衝突映像の非公開」と「沖縄県知事による尖閣視察の中止」を約束したというのであるしかしながらこの日中首脳会談というのは“廊下のイスで25分間”というアレである。とても会談と呼べるものではなく、菅首相のメンツを立てただけであるそれに比べて明らかに「衝突映像の非公開」は日本の冷静な中国に対する理解を妨げたと言えるだろう政府が言う、仙谷官房長官が言う、「検察の判断」という論拠は仕組まれたウソだったのである一つのウソを守るためには、さらにウソを重ねなければならなくなる。現在、政府のウソは増殖中ということになる東京新聞の見出しでは仙谷官房長官は、これは海保長官の責任だ、と決めつけているなんだか、どんどん“被害者”も増殖中である。絶対王政のフランスでもあるまいし、こんなことが続くわけがない。

2010/11/10

権力の無駄遣い


国会答弁を見る限り、仙谷官房長官は大昔の司法試験の知識だけで組み立てた古い論理で皆を煙に巻いているだけである。かいま見えるのはエリート意識の裏側に隠された国民はバカだ、という信念であるバカだから情報は公開しない、というのはその典型であろう地方自治ではすでに情報公開することで役人なり行政がいかにバカげたことをしているか明らかになっている彼に論戦を挑むとすれば、最新の判例で理論武装することと、法的仕組みによる判断を封じることである。簡単に言えば政治的判断は法的判断より上位にあることを前提に論戦することであるさて上掲は夜のNHKニュースで国家公務員が守秘義務が課せられる秘密の定義の場面要するにいかに官房長官のしていることが時代遅れの取り締まりを行っているか素人でも想像がつく。官房長官の言が正しければ、国会議員に見せた6分間のビデオについても、国会議員がテレビの取材に応じて、こういうビデオでしたと喋ることさえ罪に問われることになる。さらには前原大臣がビデオを見れば漁船側に非があることが一目瞭然と喋ることなど、まさに国民が知らないことなのだから大犯罪であるつまり、これほど下らないことを仙谷氏は大掛かりな体制で事件にしようとしているのである。ハッキリ言ってこれは権力の無駄遣いである。

子ども手当の変質・迷走・なし崩し

どうやら、子ども手当は近い将来なくなりそうである。おそらく元の児童手当のような、経済的に困窮している世帯を対象とする制度に戻るのではないか理由は簡単である。財源が見つからないからである。10日の読売では制度そのものが“なし崩し"の状態になっていることを報じている。さらに民主党議員が「子ども手当という政策に確固とした理念も見通しもなかった」と断じている政策から理念が無くなれば、通常は“無駄遣い"となる。常識であるそもそも、子ども手当がどうして出来たか検証してみる必要がある今年の2月28日の毎日新聞がその経緯を詳しく伝えている。当初は配偶者控除などを廃止し財源に充てる考えで、新たな財源は不要で1人当たり1万6千円。税の簡素化、世帯より個人という理念に沿ったもので2005年の衆院選のマニフェスト上位に掲げたしかし2005年の衆院選は小泉郵政解散で自民党が歴史的大勝、民主党は歴史的大敗という結果から、まじめな岡田代表から、選挙至上主義の小沢代表に交替し、子ども手当の制度設計がめちゃくちゃになっていく2008年の参院選を前に小沢氏がいきなり一人当たり2万6千円と選挙対策上の必要性からブチ上げたというおそらく、他の民主党の政策も同様。元もとは理念がしっかりしていたが、途中から選挙至上主義の小沢氏の手法によって“モンスター化"してしまったのであるそのモンスター化した国民との約束に苦しんでいるのが現在の政権というわけである問題なのはこの子ども手当に深く関わっていた政治家が、選挙至上主義によって理念も財源もそっちのけになる状況を“黙認"していたことである子ども手当は財源問題である。その捻出をどうするかが制度設計の根幹である。小沢主義では破綻することは誰よりもわかっていたはずである。にもかかわらず拱手傍観していたとすれば、小沢氏よりも責任は重い子ども手当の担当窓口は地方自治体であり、地方自治体の財源問題も絡んでいる。理念なき政策の迷走は大迷惑である。




2010/11/09

秘すれば“罪"なり、秘せずば“罪"なるべからず

仙谷官房長官の手にあった「厳秘」資料が読売新聞の記者によってパチリと撮られてしまった。場所は予算委員会室内容は尖閣ビデオの公開を想定した場合のメリット、デメリットの比較表それが9日の読売夕刊に大きく掲載政府の「厳秘」資料である撮った読売の記者に“犯意"があったことは確かだが、仙谷官房長官の情報管理責任もこんな時期だけに重大であろう「厳秘」資料は「厳秘」資料である。捜査機関が動くのだろうか。それとも「厳秘」資料にも公開されてよいものと、そうでないものがあるとでも言うのだろうかもう“踊る大捜査線"の脚本が書けるほど政権のドタバタとジタバタは止まらない。
※その後、この夕刊記事が国会で取り上げられ、官房長官が盗撮だと発言し、問題となっているらしい。以下はその発言ビデオ。 
 

情報公開の基本

9日の朝日新聞によれば検察内部でも刑事責任が問えるか疑問があるという衝突させた船長は釈放し事実上起訴できない、かたや映像を流出させた公務員を起訴するのは世間が納得しないというのである。当然であるまた最高裁判決で守秘義務とは、実質的に秘密として保護に値するかどうかで決まる、のである検察幹部は「国会議員は見ているのだから、秘密性が高いとは思わない国民も多いだろう」と述べている問題の核心は何度も述べているが、非公開判断の部分である。政府によって何でもかんでも非公開、つまり秘密にしてしまったら、民主主義が機能しない。国会で事実を知らされないまま何を議論しろというのか情報公開は基本的に“政府の情報"は“国民の情報"であるという考え方から政府の暴走をチェックする手段である。これが民主主義の基本である。

2010/11/08

古い家のない町は

「古い家のない町は想い出の無い人間と同じである」と記したのは東山魁夷画伯であるなるほどなー、と痛く感じ入った次第。とある地方都市を巡っていて遭遇。

教育法の進化

3日の日経新聞では自宅学習でネット利用が進んでいるという先日(10月31日)の学校の雑事でも述べたように、学校現場では先生の時間の確保と、教育の授業効果が最大の問題だこれは個人的な感想だが、授業というのは、そのわかりやすさという点がらみれば、ピンからキリまであるのではないだろうか例えば世田谷区だけでも同学年の同じ教科の授業は160人の先生が担当している(区立小学校の学年ごとの学級数は159〜165クラス。区立中学校は98〜99クラス)しかしこれは現代にあって果たして合理的であろうか。もちろん小学1年生から中学3年生までの授業を一律に扱うわけにはいかない。それでも世田谷区で、一番わかりやすい授業をうけてみたい、そういうニーズには応えるべきではないだろうか学校は塾ではないので、学習面以外の教育機能は当然ある。そのことには留意しなくてはならないまた教え方の優劣といっても、先生の能力とは別に、どの学習レベルの子どもが対象なのかによっても大きく異なる。結果、フォーカスの当たらなかった子供が置いてきぼりにされないようにしなくてはならない要はこういうことである。一番質の高いビデオを見ながら担当教師が解説するという授業というものがあって良いのではなかろうか、ということ明治時代から同じ授業スタイルだけで成果をあげるのは無理がある。いろいろな機器を融合的に使ってみるべきだろう。学習知識を子どもたちに吸収させる方法はいくらでもあるように思うし、教師が育たなくては良い授業が行えないという“速度"は今の時代について行けないのではないか。同じ内容を98〜165人の教師が授業を行っていることについて一考してみる時代だと思う。

2010/11/06

公開だろ

政府は尖閣ビデオを公開すべきである。もちろん中国との友好は大前提であるが、事実を隠蔽することでしか友好を維持できない関係であれば、それは異常であり、そんなものは長続きしないというより、すでに“公開”されているのだから全編を明らかにすることで国民に向けて、また世界に向けて誤解を招かないようにする義務があるこの期に及んで、政府が流出の犯人探しに血道をあげるのは馬鹿げている。なぜなら昨日からNHKほか民放で大々的に流出させているのである。そこには公開への躊躇など微塵もない要するに国民の大多数は最初から公開すべきビデオだったと言っているようなものである。そしてこれらのビデオは公開を前提に撮られてる(手続きの正当性を証明するために、つまり可視化ビデオである)だから問題はまるで逆である。公開すべきビデオを隠蔽した方がおかしいのである仮に公開してはいけないビデオなら、NHK以下そして話題にした国民は全員、犯罪を助長した罪に問われることになる。

2010/11/04

大きな政府と大風呂敷政府

「大きな政府」にノー国情の違いはあるにせよ、同じ経済原理で生活している国民の意思である日本に置き換えれば、「大風呂敷(バラマキ)政府」にノーということであろう。そもそも経済発展が望めない日本で、バラマキを“拡大"することは不可能であるそれを借金でやろうとすればギリシャの二の舞で、困窮するのは国民である政府は無理な夢を並べて期待を抱かせるのをやめ、現実を直視し、出来ることと出来ないことを国民の前に明らかにすべきである。そして限られた財源の中で、それこそ選択と優先度の福祉を実現すべきである。
※なお大風呂敷とは10月7日の衆議院本会議で菅首相が自分で「大風呂敷を広げたんですよ」との発言から。

2010/11/03

政府は労組の奉仕者か

2日の日経によれば政府は「人勧を上回る削減も検討したが、支持母体の労組への配慮などから断念した」という労組への配慮?国民への配慮はどうなるんだと言いたくなる。そもそも政府は国民への奉仕者であり、労組の奉仕者ではない国も地方も税収が落ちている。その理由は民間経済が振るわないからだ。世界に冠たる日本の企業が、先進国では日本だけが例外的に悪いのは、どうみても国の経済政策の失敗だろう民間企業が成長発展する“土台作り"が総理大臣の責任であり職責である。その職責を果たせていないのだから、総理大臣以下、公務員は議員も含めて給料カットは当然である民間経済を大切にしない公務員などあり得ないのである。民間経済がなくなったら公務員はどこから税金を徴収するというのか。

2010/11/02

神頼みは通じない地方財政

民間経済が悪ければ、税収は落ちる(左は10月26日の都政新報)しかし税収減に応じて行政運営するノウハウは全国の自治体にはない常に国が借金をすることで必要な資金提供を行ってきたからであるマクロ経済的に言えば、経済成長期に貯め込んだ民間資金を国家が借金をするとい形で喰い潰しているということである(底をつくのは時間の問題)或る意味で国家による強制的な“資産差し押さえ経済"とも言える。それでも国の借金が一千兆円となると地方自治体への資金提供も途絶える結果として全国の自治体で財源不足という大変な“症状"が発生するにもかかわらず、多くの自治体とその議会で、いまだに国がなんとかしてくれる、という“信仰"が蔓延しているそんなことはあり得ない。残念ながら地方自治体の役人はその多くが法学系である。マクロ経済学もミクロ経済学も近経もマル経も縁がない人たちが多い。法律さえ作れば経済がよくなると本気で考えているフシがある実際には法律をなくす、つまり規制を無くさなければ景気は動くに動けないのが現状だ民間経済を動きやすくすることが、少なくとも税収を上げる近道にもかかわらず、古い法律や仕組みを後生大事に信奉しているのだから展望がつかめないのは当たり前である要するに自立の道を真剣に考えなくてはならないということである。

2010/11/01

国政急降下

今朝の日経によれば(昨日書いた通り)内閣支持率が40%に急落。なんと前回より31ポイントの減、ほぼ半減。こうなると世論調査も何の調査をしているのか、“御気分調査"の様相だ調査によると「小沢氏は国会で説明すべきだ」が80%、「円高への対応」を評価しないが70%、「日本はTPPに参加すべきだ」が52%ということらしいが、地方議員の範疇ではない。それでも政権党印で看板出しているので様々な文句の受け皿にならざるを得ないだろうテレビでやっていたがTPP(環太平洋戦略的パートナーシップ協定)に参加すると関税障壁がなくなり、例えばカリフォルニア米が5キロ200円台となるらしい米代が10分の1というのは魅力的である。特に高齢化が進み年金生活者が増大することを考えると食費というのは大きな関心事だろう(ただし日本の水田は防災装置としての役割も担っているとか単純にコメだけの問題ではないが)それにしても支持率40%ならまだしも、20%を切ったら政権党の地方議員は外で怒鳴られたりするから大変である。(逆に上がればこの世の春状態だろうが、上がるだろうか)

2010/10/31

幻想政権の今後

朝日新聞が民主党政権の総括をしてしまった。マスコミにあって民主党の政権交代に一番意欲的だった朝日新聞までが、その惨状を見かねて民主党の現実を報道し始めた左の記事のごとく今回の「事業仕分け」についてほとんど断罪に近い書き方をしているすでに言われていることではあるが、民主党が政権交代の謳い文句であった、国の一般会計と特別会計の総予算207兆円を「全面組み替え」することで新たな財源を生み出すと説明したことが、今回の3回目の「事業仕分け」でも出来なかった、ということである出来なかった、と言っているのは朝日新聞である。民主党に比較的甘かった朝日新聞でも「幻想だった民主政権公約」と活字にせざるを得ない状況だということである実は、これは大変なことである。すでに“新たな財源"をあてにして、多くの新規事業(言ってみればバラマキ)をやり始めているからである。当然、不足が生じる。そこでたどり着くのは増税ということに。民主党はみずから増税の引き金を引いてしまったのであるそのことも朝日にはちゃんと書いてある「むしろ今回の事業仕分けで見えてきたのは、仕分け人と官僚の激しいバトルを演出することで「これ以上の予算削減は難しい」と、世論に納得させる狙いがあることだ。政権内部からは「消費増税の議論を始める前に、事業仕分けで徹底的に官僚をたたく姿をみせる必要がある」との声も聞こえてくる」こういうことが連日報道されて支持率が低下しないわけがない民意は解散でもう一度出直せということではないのか。まだまだ国政は一寸先は闇だ。

2010/10/30

日本の縮図である学校の“雑用"

学校は“雑用"が多すぎるのではないか。“雑用"が多すぎる分、先生が授業に掛ける時間が奪われている。結果として授業が“薄味"になっている教え方は重要である。子どもの頃に何に興味を示すか、そのきっかけになりうるのが教え方である。そこに工夫や研究や努力の下準備がなければ、子どもの興味も失せるうまい教え方というのは、本当に大事であるおそらく学校から“雑用"を除いて、教え方のみに特化しているのが“塾"の存在なのだろう学校の“雑用"について考えると、それは教科学習を中心とした言い方であり、社会的にはこの“雑用"の多さこそが大きな問題であるだから少々の議論で無くなるわけではない。対処療法かも知れないが、学校現場で少しでも“雑用"から教師を解放しなくては公立校は良くはならないと思う。

2010/10/29

おかしな光景

福祉保健の委員会に属していると、厚労省の腰の定まらない右往左往ぶりが直接地方自治に影響を及ぼすことがよくわかる昨年のインフルエンザのドタバタは酷かった。その責任者が長妻元大臣であった。そういうこともあって菅政権で菅支持を打ち出したにもかかわらず再任されなかった大臣であるそこで“評価は定まった”と見るのが至当であろう。にもかかわらず、その人が今度は仕分人として登場である今朝の読売はその“異常な光景”ぶりを伝えているそれは長妻元大臣の隣で年金問題の仕分けが行われ、同僚議員によって長妻元大臣が主張した事業が否定される光景であるこれでは“戦犯”が違うところで裁判官をつとめているようなものだろう。この政権は“おかしな光景"があまりにも多すぎないだろうか。

2010/10/28

『世田谷行革110番』近々復活

事業仕分けで早々とスーパー堤防の“廃止”が決まった。事業仕分けの“廃止”は本当の廃止ではないからその後どうなるかわからないそれはさておき、蓮舫大臣等の未熟な議論の組み立ては相変わらずである別にスーパー堤防に味方するわけではない。その効果も正直なところわからない。ただ未熟な議論というのは400年かかるという点を逆手にとって、こんな事業はおかしいという論理の組み立て方である確かに数キロの事業で20年かかっていれば全体が完成するのには400年かかるしかし問題はなぜ400年かかるかという点に、疑問を差し挟まないのか、ということである。ここに問題の本質が隠されている物理的には400年もかかるはずはない。やろうと思えばたった数年で完成する。それだけの技術力は日本にはある。物理的はそうであるつまり答えは明らかである。そこに住む、権利関係者の問題が複雑に絡み、それを丹念に扱っているからこそ400年もかかるのである都市部の地方議員なら例えば自治体内の区道の境界線確定があと500年くらいかかるということは常識の範囲である。ましてや4メートル道路のためのセットバックなども何百年先ということは承知しているそれは住民の権利を最大限尊重するという姿勢からきている蓮舫大臣の合理的な考え方で行けば、日本全国、災害に弱い地域に住むのを禁止すれが良いということになる。過疎地に住むことを禁止すれば、毎年毎年災害のための費用は払わずに済むし、道路も維持する必要もない或いはスーパー堤防を作ると決めたら、適用範囲の住人たちを強制的に退去させれば、たちどころに出来る、そういうことである地方自治の現場からすれば、公共施設作るにも丹念な地元合意に数年を要することは当たり前であり、それでも反対運動は起こるのである合理的と住民感情の問題は並列的である。物理的な税金の無駄遣いという論法は、実は政治的には破綻しているのであるさて、かねてより公的な場において『世田谷行革110番』の名称復活を望む声があり、近々その方向で手続きを取ることになりそうである。新たなスタートの準備しなければ。

2010/10/27

国政と地方政治は異なる

「企業献金の解禁」で民主党の地方議員は大変だろうと思う少なくとも自民党政治に異議ありということで民主党なのだろうけど、いつのまにか自民党と変わらないようになってしまった確かに大型バス(国政政党)だから安心して乗ってしまって地方議員になったのだろうが、乗ったら考えても見ない方向に連れて行かれる、そういうことは民主に限らず地方自治の現場では多くある。ましてや政党が同じということだけで知りもしない国会議員の不祥事で謝らなければならないことも不本意であろうやはり地方政治を国政政党が牛耳るというやり方には矛盾があると思う。現実に地方政治は政党政治のように見えて大統領制であり国政と制度が根本的に異なるさらに地方自治はそれぞれが異なる財政状況から地理的な条件から産業体質からと、重要な政策の価値観が異なる簡単に言えば、世田谷区議会の自民も民主もその他の政党も国政政党とは明確な一線を引いて地方自治ライクな議員集団という立場を鮮明にする必要があるのではないだろうかつまり、地方議員集団は国政政党の下請け的な立場(被支配的立場)ではなく、支援団体的な立場になるべきではなかろうか、ということである少なくとも政党に属さない私からはそう思えるし、その方が地方自治の発展には有効であろうと思われる。

政権につけば“にぎにぎ”?

今朝の新聞にはぶっ飛んだ、くらいの驚き。思わず誤報・誤字と思ったくらいどうみても民主党は「企業献金の廃止」を訴えていたし、それが党の“看板”である「クリーンな政治」に結びついていたはずであるそれが背に腹は代えられないとばかりに逆方向に進めるとは何でもアリのやり方に地方議員はただ黙認しているだけなのだろうか国の借金には無頓着、予算の財源には思考停止の割には自分たちのカネには“もの凄いこだわり”とは。政党助成金は何のためにあるのだろうか。

2010/10/25

議員定数削減の流れ

住民が意見表明等を行える手段が増えた。今では誰でもがインターネットで自分たちの意見を主張することも共有することも可能になった最近はNHKでも一つのテーマについてスタジオでの議論に合わせてツイッターを流すなどして双方向性の番組が出来ている行政でもパブリックコメントとを採用して、住民との距離は徐々に近づきつつある要するに仕組みさえ作れば住民の意見要望は即座に取り入れ可能であるその流れからすれば、地方自治において「議員を通じて」という部分は少なくなっていく、ということだ逆に言えば、有権者(支持者)の民意の通りにメッセンジャーとして動いているだけの議員は、むしろ“中抜き”の時代にあって、お払い箱となりつつあるさらには最近、住民投票についても片山総務大臣は「住民にとって重要な問題については住民投票でもっと決める仕組みがあっていいのではないか」と地方自治法の改正を視野に入れた発言をしている当然、一人一人が大きな決定に参加できるほうが民主主義としては魅力的である(魅力的ということは民主主義が活性化することにつながるということでもある)要は、技術の発展により、地方自治における直接民主制が少しづつ可能になっている今、それを取り入れる仕組みを設けることは避けられないことであり、それに応じて、(直接民主制がほとんど機能しないような前提で構築された)間接代議制も改良が図られていくべきではなかろうか、ということである議員定数の削減についても、議員数を減らすことは民意を反映させないことだから反対、逆にもっと多くすべきだと主張する“頑迷派”がいるそういう人たちに限って、重要なことは住民投票で決めるべきだと言うから始末に負えない議員の仕事の半分は議決することである(他の半分は千差万別)しかも一部の意見の代弁者だけではなく、全体の奉仕者の立場から議決することが求められるのである(実はここの部分が議員という職責で一番むつかしい所なのである)議員定数削減の流れには直接民主制との代替的意味が含まれて、新たな地方自治の可能性を模索することにつながる威張ってるだけで実は行政に守られている議会なんかであればこの際、風穴をあけるべきである。

2010/10/24

東京問題

日経の記事によれば、世田谷選出の小宮山洋子厚生労働副大臣、子ども手当を2千円から3千円を上積みするとのこと8月の段階では5千円以上の上積みと発言していたが副大臣となってトーンダウン(正確には5千円から8千円の増額を主張していた)世田谷区経由で支出される子ども手当は千円で約10億円に相当それでも扶養控除などの廃止で3歳未満の子ども家庭には増やすんだという考え一方で地元世田谷区では待機児数がワーストで保育園需要がダントツ。民主党の区議ですら子ども手当を増やせなんてということよりも待機児を減らせ、の大合唱である控除から手当という考えには一理あると思うが、全体設計がバラバラでは無駄遣いにつながるしかも福祉は現金給付から現物給付というのが主流である要するに控除から手当という考え方と、現金から現物という考え方の整理がつかないまま選挙対策にしてしまって、現在に至っているさらに子育てに関して、地方と東京、とりわけ地元である23区の状況はオールジャパンの基準と一致しない。このことを副大臣として取り込まないと世田谷の問題は解決しない言ってみれば待機児解消は東京問題であるということであるそして何よりも、景気浮揚である。景気が悪ければ何の手だても政策も所詮“びぼう策"に堕するだけである。

2010/10/23

ホームページ再構築の費用が5250万?世田谷区

左が世田谷区のホームページを新たに作り直す費用である。何と5千万超である。家一軒買えるほどその費用の中核である既存データ整備とは2万3千ページを業者に目視確認修正させることである。それに3千万円本来なら情報元である各所管がチェックすべきことではないだろうか。2万3千ページというと多いかもしれないが、各課では100ページほど。係にすれば10ページほどである伝えたいことがある、それは各職員が責任をもって情報を発信すべきではないだろうかしかも昔と違って小学生でもブログで情報発信を行っている時代である。こんなことだから公務員叩きは止まないのである。公務員が、といっても管理職クラスだろうが、自分たちに仕事について情報発信をしていれば、世の中の誤解はもっと少なくなるはずである何でも業者任せ、丸投げで安心という姿勢は、長期的に見れば明らかに税金の無駄遣いであるもっと言えば、試験で採用する地方公務員であれば、このくらいのことが自分で出来て当たり前だと思う。そして新人の仕事はこのホームページの作成から始めれば現実的な勉強になるはずだ。

2010/10/22

やはり「すぐ取りかかる課」の創設を

他区ではいろいろとやっているしかし世田谷区では「できない、できない」のオンパレードとかで、何しろ動かないそのことを痛烈に批判したのが20日の田中優子議員による決算意見である世田谷区は「すぐ取りかかる課」を作るべきだ。区民や住民から何か言われたら、まず出来ない理由を考えるのではなく、できる手だてを考えるようにする、それを実践するのが「すぐとりかかる課」であるいつのまにか世田谷区は先進自治体から後進自治体になってしまった。提案権は議会にもある。新しいことは議会の仕事なのかもしれない。

2010/10/21

検察は法から離れた恣意的な判断するな

「公金を詐取した場合、無条件で起訴すべきで検察官の恣意的な意思を入れるべきではない」これが検察審査会の主張である。全く、否定するところのない、正しいことである逆に言えば、検察は公金を詐取しても条件を考慮して起訴しない、ということが現実であるこのことはあの尖閣の場合にも通じることだ検察が勝手な判断で法に従わないことができるというのであれば、国民は安心して生活できないましてや都議である。都議だから起訴しないということであれば、不公平の極みもいいところだ検察のチェック機関としての検察審査会は必要である。

2010/10/20

新宿区選管委員の報酬日額に変更

やはり世田谷区でも必要なことだと思う世田谷区の選挙管理委員会の開催日数は21年度は臨時会も入れて、年間40回。月当たり3回弱。1回の開催時間は30分、多くても60分以内その他にも選挙管理委員会以外の行事があるが、委員会と同日というケースが多いというこれは私見だが、この職務は定められたことを、いかにそのとおりにやるか、という、そして主にやるのは委員以外の実務部隊であり、委員が素晴らしいから、素晴らしい選挙成果に結びつくというものではない、ということであるまた選挙に関する経験がなくても十分務まるしかし結果として、世田谷区では委員全員が元区議であるいろいろな面でおかしいことだらけなのであるが、まず原則にもどり日額に変えるところから再スタートだ。

2010/10/19

大阪春の陣

大阪は燃えている。もの凄い財政危機だから何とかしなければというエネルギーが溢れている橋下知事どげんか知事とは立ち位置が根本的に異なる今は、地方自治体が国との関係をどう見るか、これによって目指す方向が違ってくる結局どげんか知事は国からカネを引っ張って来ることを一番に考えていたようだそしてそれは多くの地方自治体に共通する姿でもあろうしかしそれでは一方で国の借金を増やすだけである。もっと言えば、それまで国民が貯めた個人金融資産を食いつぶしているにすぎないいづれ虎の子も底をついた時にどうするか。結局、夕張市のように自分たちのまちは自分たちで立て直すしかない。或いはIMFの経済管理下に入るのかも知れない(途上国?)それにしても朝日新聞の調査では「大阪都構想」について43%が賛成で反対の28%を大きく離していることや、橋下知事の支持率が相変わらず78%という高さは、ひょっとすると大阪春の陣(来年の統一地方選)で大阪は変わるかも知れないと予感させるそして東京では「都」の先にあるものを考える時期に来ている。

クマあらわる

昨日から驚かされている1枚。昨夜のNHKニュースでも使われていた。左は19日の朝日新聞から北海道斜里町。まるで見てはいけないものでも見たような光景である異常気象の影響は、このように目に見えるだけではないのだろう。

2010/10/18

田中秀征氏の指摘

田中秀征氏は日本政治のポイントを的確に示す一人であるその氏の最近の発言が18日の毎日新聞のコラム「風知草」で紹介されていた「菅総理は事務能力こそ高いが、決断力に欠ける・・・今の内閣は奇兵隊どころか霞が関幕府護衛の新撰組ではないか」もはや「決断力に欠ける」というのは国民目線からしても、頷ける指摘である結局、あなたは何のために政治家になったのか、その原点を田中秀征氏は問うているこれから続く政治の低迷はこの「決断力に欠ける」ことがすべての理由となるのだろう。嗚呼。