2009/07/31

視察 インフル対策 動きを止める


●茨木市のインフルエンザ対策は担当者からの鬼気迫る報告を聞くことができた。当時(ゴールデンウィーク前後)のことを思い起こすと、現在でもかなりつらいことのようであった●東京ではあまり報道されていなかったが、茨木市というのは大阪府の中で、ある時期、飛び抜けて感染者が急増した地域であり、大変な危機的な状況にあったという●結局、要諦は感染拡大を防ぐには「動きを止める」しかない。ということ●今回は弱毒性ということでいつのまにか、過去のことに。当時はほとんどの人がマスク姿だったが視察中、マスク姿の人を探すのが難しいくらいだった。東京も同じだけど●「動きを止める」とは深刻な判断である。それは感染被害との見合いとなるであろうから。今もウィルスがどこかで強毒・強感染に進化している。しかしそのウィルスについて知らない。都市の最弱点である。「動きを止める」政治判断である。(写真は茨木市の担当者の課長)

2009/07/30

医療問題のむつかしさ

●公立病院の方向性には2つあるという。「地域医療支援型病院」と「高度専門医療型病院」の2つの方向性●しかし一方で東京都には国立、都立、大学の病院そして民間病院が多い。(地方に比べれば)●世田谷区の梅丘病院跡地の問題と微妙に関連する課題は少なくとも事務方ペースだけで考えられるものではない。当然、世田谷区の視線の先は「地域医療支援型」なのだろうが、医療関係者の常識は勤務医の減少も含めて日々刻々と変化している●他区のかんばしくない例は事前の情報不足が起因しているのかもしれない。

電気自動車

世田谷区が電気自動車を購入した環境問題に取り組むという姿勢から当初予算から公表されていたたまたま駐車場から出てくる、その電気自動車を見せてもらったこれは現在売れているハイブリッドカーではなく、完全な電気だけで動くモーターカー小さい頃にマブチのモーターとお菓子の箱とかを利用して作ったおもちゃと同類ということらしい(そんなに粗野なものではないが)意外に音はした無音というわけではない実はこの「音」の問題について視覚障がいの方から問題提起をされていた要するにクルマのようなものが音もなく疾走することについて世田谷区はどう考えているのか、そういう対策もなく電気自動車を購入して良いのか、ということである音によって人間は多くのモノを判断している例え見えなくとも、蚊の音やバイクの音やヘリコプターの音を識別して対処するように、いわば社会化しているもちろん騒音としてのクルマ公害ということからすれば素晴らしい進歩につながるしかし信号としての音の役割という面からすれば燃焼エンジンから静粛性のモーターへの進化は、新たな事故、思いもよらない事故の多発につながることは予測できることである

再び公立みつぎ病院の視察から

●広島県の「公立みつぎ病院」の視察から多くの示唆を受けた。まず“黒字の秘訣”は施設の集約化ではないだろうか。高齢者施設を介護から医療まで集めて、果たして町中の高齢者はここ以外にどこにいるのだろうか、と勝手に思ったくらい●二番目は介護制度と医療制度の継ぎ目をうまくカバーしている点ではないだろうか(取りこぼしが無い?)要するに保険制度のすき間の無駄を極力省いているということである●振り返って世田谷区では到底無理だろう●世田谷で医療機関と介護施設を集中させるなど無理●逆に考えれば、そこまでしなくては黒字化は無理ということでもある●もっとも前述したように、国の制度そのものが公立病院の赤字構造を招いているので、公立病院単体でいくら考えても、それも無理だろう●世田谷区には区立病院がない。無いから、わからない部分も山ほどある。また無いから過剰に期待する向きもあって不正確な情報が氾濫することは本当に危険である●実は23区でも練馬や台東あたりで準区立的な病院もあるが、あまり良い情報はない。医療の問題は深い。(写真はみつぎ病院のリハビリルーム)

2009/07/28

公立病院について2

●公立病院をめぐる問題として、いわゆる事務方と医者とのミゾがあげられる。役人のトップはだいたいが法学部出身である。以下公務員のピラミッドは事務方で構成されている●そこには事務方が描く公務員像があり、公務員社会像がある。流れているのは“法治万能感”みたいなものである●確かに日本は法治国家であり、また法治国家でなければならないが、法治にも限界がある●医療や健康、或いは教育といった分野である。そこには法治とは別の次元での医療関係者や教育関係者がいる。特に医療関係者は生命と直結する現場にいる●法律という文章だけで仕事をする者と、メスや聴診器や医薬品で仕事をする者とが必ずしもシンクロするとは考えられない●しかも事務方の仕事は予算管理(お金の管理)という無機質な対象である。その乖離は想像以上であろう●前出の後藤武氏によれば、「診療報酬」そのものが赤字体質を産むようになっていることと、勤務医のなり手の動向が現在は非常に不安定であり、それこそ医療従事者の給与改善をしなければ先々の見通しは悲観的であると述べている●見るところ、日本の医療全体を構造的に変えないと、「公立病院」という名称の“いつでもどこでも安心したサービス供給という“響き”は保証できないようである。

公立病院について

●公立病院については後藤武氏の「公立病院の生き残りをかけて」が詳しい●後藤氏は心臓外科医の経歴を持ち兵庫県の保健部長を務め、さらに兵庫県病院事業管理者を務めたまさに公立病院経営のベテランである●そこから見えてくるのは、公務員と病院の“相性の悪さ”が組合や財政というモノサシから明らかになることである●信じがたい話だが兵庫でも公立病院において組合は「患者の治療よりも組合員の健康の方が大事だ」ということで「手術は勤務時間以内で終わるように」という確認を労使で交わしていたという●その結果、担当外科医が「夕方になると、手術中であるにもかかわらず、早く終われ」と言われて焦る状態だったとか●公務員はいわゆる9時〜5時といわれているが、急病は時間を選ばない。では公務員の9時5時を柔軟にすれば、と考えるが、これが実際には公務員改革の最大の問題であり、簡単にはいかない●保育園の延長保育、図書館の開館時間の延長等も同様である。

2009/07/27

医療と複雑な官庁

●公立病院が赤字という報道は山ほどある。そこで公立病院改革プランなるものが出てきた●まあ、赤字だから尻を叩くのは国としても当たり前のことだ●それは、てっきり厚労省だろうと思っていた。しかし正解は総務省だ。公立病院を“効率病院”にしろ!と動いているのは総務省なのだ●考えてみれば、公立病院は誰が作っているといえば、都道府県或いは市町村であるから、その“元締め”といえば旧自治省、現総務省ということになる●ちなみに、大学付属病院は文科省ということになる●もっと言えば、公立病院で働く医師は地方公務員法(総務省)という立場と医師法(厚労省)という立場という“二重国籍”であることはあまり認識されていない●しかも医師は地方公務員法より医師法に重きを置いているという事実も、当たり前といえば当たり前すぎて却って理解されていない●先日のクローズアップ現代でも新薬の認証にどれほど時間がかかるかやっていた。驚いたのは縦割り行政の非効率だったが、医療をめぐるややこしさは素人が考える以上だ。


2009/07/26

視察から横道



広島県尾道市の「公立みつぎ総合病院」の視察の中で、関係者から何度も出たのが「全部適用」という言葉実はこれは“地方公営企業法全部適用”のことだった。(迂闊にも、それまで公立病院と地方公営企業法というものが結びついていなかった)いうまでも無く、公立病院は危機的な状況にあると報じられている。しかし公立病院と縁がない当区とすれば、その仕組みも含めて極めて疎い(もちろん私だけのことかも知れないが)視察とは、その字の如く、見えるモノ、見えるサービス、が対象となる“例え”て言えば、パチンコの玉がジャラジャラ出てくるのを見ているようなもので、その仕組み(ジャラジャラ出ていただけでは店は潰れてしまう)とかについて、知らないサービスがジャラジャラ出てくるのを見て、一体このサービスはどのように背後で運営されているのか気になった。(写真は公立みつぎ総合病院前での委員会集合写真 私は左から二人目)